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2話

 雫の守護霊はお姉さんだった。いつも隣にいるお姉さん。雫はお姉さんになつき、いつも話しかけていた。それを両親が怖がっていたと知ったのは、もう少し大きくなってからだった。


「雫、誰に話しかけてるの?」


 そう問われても、雫には意味が分からない。両親も当たり前に見えていると思っていたからだ。小学生に上がる頃、お姉さんは言った。


「私は、雫ちゃん以外には見えないんだよ」

「どういうこと? 私だけに見えてるの? お姉さんはここにいるのに?」

「私は雫ちゃんの守護霊なの」

「しゅごれい?」


 お姉さんは頷く。


「おうちの中に人がいっぱいいるよね?」

「うん。お父さんとお母さんとお兄ちゃんとおじいちゃんと――」

「お兄ちゃんとおじいちゃんは、お父さんとお母さんには見えてないんだ」


 雫は首を傾げた。


「雫ちゃんは、お父さんとお母さんと雫ちゃんの三人暮らしなんだよ」


 意味が分からなかった。だってお兄ちゃんもおじいちゃんも家にいる。雫に話しかけてくることは少ないけれど、目が合えば笑顔で手を振ってくれる。だから雫は当たり前に六人家族だと思っていた。


「どうしてお父さんとお母さんには見えないの?」


 お姉さんは首を振る。


「雫ちゃんが特別なの。普通の人に私たちは見えない。話もできない。守護霊はね、みんなの隣にいるけれど、誰にも見えない存在なんだ」

「お姉さんは守護霊で、誰にも見えなくて、でも私が特別だから見えている?」

「そういうこと」


 偉いね、とお姉さんは微笑んだ。

 守護霊については理解できたけれど、雫は相変わらず霊と人間の区別がつけられなかった。人間の友達ではなくその守護霊に話しかけてしまったり、普通の生活は難しかった。

 小学三年生になった頃、雫は一人で学校帰りに歩道を歩いていた。夕方、暗くなろうとしていた。掃除を終えて、クラスメイトに隠された筆記用具を探しだして、帰りが遅くなってしまった。

 赤子の泣き声が聞こえた。おぎゃあ、おぎゃあ。道路の向こうに、ベビーカーだけが置いてある。中の赤子が泣いているのだと気が付いた。親は近くにいない。様子を見に行こうと雫は足を進めようとした。その手を、お姉さんが引き止めた。


「雫ちゃん、だめ。行かない方がいい」

「どうして? 赤ちゃんが泣いてる。お母さんいないみたいだし、保護しないと」

「行っちゃだめ」


 雫はお姉さんの腕を振り払って、近くの横断歩道を渡ろうとした。一歩踏み出す。――瞬間、太陽が遠くに消えた。闇と赤の世界で、信号がでたらめに点滅している。大きなクラクションの音。猛スピードで雫の方に車が突っ込んで来る。


「雫ちゃん!」


 お姉さんが雫を突き飛ばした。

 ぐしゃり。音がした。雫の頬に何か生ぬるいものが付着した。振り返ると、突っ込んで来た車も、お姉さんも、姿はなかった。ただ、そこに赤い絵の具が広がっている。何が起こったのかわからなかった。

夕焼けが戻って来る。おぎゃあ、おぎゃあ。赤子が泣いている。雫が立ち上がり、ベビーカーに駆け寄って、中を覗き込んだ。

 ――鬼の顔をしていた。



「それから、軽率に人に話しかけたりするのやめたんです……変なことに巻き込まれがちになったのもそれからで……」


 家に帰って来てから雫は過去の話をしていた。あの時、ベビーカーが人間ではないことに気が付いていれば、判別できていれば、自分の守護霊だったお姉さんが消えることはなかった。守護霊になってあげる、と何度も幽霊に言われてきたが雫は断った。また、誰かが雫のせいで消えることを怖れていたからだ。


「でも、僕の頼みには乗ったよね? どうして?」


 沖田が問う。雫は少しだけ頬を赤らめて、目を逸らす。


「総司さん必死でしたし、一時的に協力関係になるだけだし……それに……」

「それに?」

「……新選組の沖田総司は、天才剣士なので……」


 沖田はぱちぱちと瞬きをした。そして噴き出した。


「新選組のこと全然知らないのに、変なの。僕にだけ詳しいんだ」

「自分の知名度知ってますか?」


 新選組のことを知らない自分ですら知っている、新選組の沖田総司。病で死んだらしいと知ったのは、漫画だったか映画だったか、何も覚えていない。とにかく、沖田総司の名を知らない日本人は少ない、と雫は思っている。


「僕の知名度はどうだっていいんだけど。どうせなら近藤さんの名前を残して欲しかったなあ」


 沖田は後ろに手をついて天井を見上げた。


「幕末に活躍した、歴史を変えた男。文武両道の剣豪・近藤勇。うん、こっちの方がいい」

「歴史を変えたんですか?」


 雫が問う。沖田が視線を雫に戻した。


「変えたよ。農民の出だったのに、幕府に重用されるまでになったんだから」

「江戸時代って生まれた身分は変えられないんでしたっけ」

「変えられないわけじゃないけど、ほとんど無理だったかな。近藤さんは武士を夢見たけど、幕府の講武所――これは武士に剣術とか教えるところなんだけど、そこの指南役に選ばれそうになった時も、農民の出だからって落とされたんだ。知識も腕も十分だったのにね」


 沖田はまた視線を外した。


「近藤さんは新選組で、武士になる夢を叶えた。決して楽に叶えた夢じゃないんだ」


 たくさん馬鹿にされてきた。絶対に無理だと言われ続けた。それでも、近藤は武士になる夢を諦めなかった。そうまでしてなりたかった『武士』とはいったいなんなのだろう。雫にはわからなかった。


「……だから、っていうのも違うんだけど。大切な人がいなくなる気持ちは、少しわかるつもりだよ」


 雫が目を見開く。沖田が雫に目を戻して笑った。


「僕たち、仲良くやっていこうよ」


 君を守るって言ったのは僕だからね。夕方の沖田の言葉が蘇る。


「はい。ありがとうございます」


 雫は、ようやく自然に笑えた。それを見て沖田も笑みを深めた。



 ***


 平日は大学で授業を受け、週末は史跡を巡る。そんな生活をすることになった。二か所目の屯所、西本願寺には前回の反省を生かして昼頃に向かった。ここには新選組の観光客らしい観光客はいなかった。寺への参拝客のようだ。


「わあ、この銀杏の木まだあるんだ」


 沖田が寺に足を踏み入れるなり、驚いたように言った。目を向けると、境内の真ん中にとても大きな木がある。看板が立てられていた。樹齢約四百年。二度の大火を生き抜いたと記載があった。


「元治元年の大火って、総司さん知ってるんじゃないですか?」


 文久四年の途中で元号は元治に変わった。沖田たち新選組は既に京にいる頃だ。


「禁門の変の時の大火かな」

「禁門の変! 長州の人たちが御所に攻め入った事件ですよね」


 文久三年の八・一八の政変で長州勢は京から追放されたが、それに異を唱える長州の浪士たちが京で市街戦を行った。特に激しい戦いだったのが、天皇の住む御所の門の一つである蛤御門のあたりだったため、蛤御門の変とも呼ばれている。


「逃げ去る長州の奴らが長州藩邸に火をつけたのが町中に広まってね。結構酷かったな。まあ、それも新選組のせいにされたけど」

「新選組のせいに? どうしてですか?」

「僕らは京の嫌われ者だからね」


 沖田は肩を竦めた。雫は眉を顰める。


「嫌われてたんですか? 京の町を守ってたのに?」

「町の人たちから見れば、僕らも不逞浪士も大して変わらなかったってわけ」


 否定できないしね、と沖田は笑った。


「……どうして、そんな風に笑えるんですか?」


 雫の問いに、沖田は首を傾げた。


「みんなのためを思ってやったのに、感謝されないの、辛くないですか? 虚しくないですか? 誰のおかげで平和に暮らせると思ってるんだってならないんですか?」


 新選組は京の人のために、江戸に戻らずに京に留まり治安を守った。誤解されることもあるのはわかる。最初は上手くいかなかったかもしれない、それもわかる。でも、不逞浪士と変わらないとまで言われるのは、新選組をまだ少ししか知らない自分にとっても腹立たしかった。

 沖田は頬を掻いて、なんでもないように言った。


「別に、感謝されたくてやってたわけじゃないからね」


 雫は目を見開いた。どうしてそんな風に、当たり前のように言えるのだろう。


「……わからないです。見返りも求めてなくて、同意も共感もないのに、命をかけて町の人たちを守ってきたんでしょう? 新選組が目指したものって、何だったんですか? 名誉とか名声ってやつですか?」


 雫が問う。沖田が真剣な表情で雫を見つめた。


「……僕は、そういう難しいことはよくわからないけど」


 少しだけ考えて、沖田は続ける。


「少なくとも僕は、死ぬその時まで、この剣で何かを……誰かを守りたかった」


 腰に差している二振りの刀に手を添える。


「僕は近藤さんの敵を斬ってきた。新選組の敵を斬ってきた。別に誰かに感謝されたかったわけじゃないし、お金とか名誉とか、そういうのもいらない。僕のこの剣で何ができるのか……僕にとって大事なのはそれだけだった」


 雫を真っ直ぐ見て、沖田は言う。


「僕には剣しかないんだよ。この剣で何ができるんだろう……敵を斬って、何かを守る。ただ、それだけなんだ」


 殺す覚悟も死ぬ覚悟も、既に持っているもの。沖田は先日そう言っていた。この剣で敵を斬る。何かを守る。そのための覚悟だ。自分の命も、他人の命も、零れ落とさないために、覚悟は既に持っておく。


「でも……近藤さんがいなくなる覚悟は、ちょっとなかったかな」


 沖田が視線を外し、ぽつりと言った。だから、沖田は幽霊になって百五十年経って尚、現世にいる。


「探しましょう、近藤さんを」


 雫が言うと、沖田が視線を戻した。


「史料はなさそうだけど、幽霊と話せる特権は生かせると思います。任せて……って言えるほど頼りになるかはわかりませんが……」


 沖田がふっと笑う。


「うん。ありがとう。頼りにしてる」


 西本願寺には何もなかった。日が暮れないうちに、二人は帰路につく。

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