男も女も音楽を語る
バー「エイミー&リサ」のマスターは、毎日悩んでいる。
お店にかける音楽である。サブスクのご時世であるが、長年マスターが集めていたCDが、三百枚を超えている。それから選曲していくのが、毎日の楽しい悩みなのだ。独身で若かった頃の九十年代後半のアルバムが多いが、それ以降もあるし、ジャズやクラシックも好きだし、ビートルズなどのオールディーズもそろえてある。その日の気分でかける音楽の幅が広すぎる。
この日、チョイスしたのは「川嶋まゆみ」が二〇〇五年に発表したアルバムだ。彼女の歌声もいいが、アレンジが派手な楽曲が多く、華やかにいきたい気分のときにはピッタリなのだ。
オープンしてしばらくすると、会社員らしき男が二人入店してきた。
「後から、一人きて三人になります」
「なら、そちらのテーブル席をご利用ください」
男は一人がバーボンのロック、一人がテキーラのショットガンを頼んだ。来たときに、すでにほろ酔いだったので、二軒目で来たのだろう。
「マスター、この曲いいですね」
バーボンがマスターに言ってきた。マスターはアーティストの簡単な説明をしてあげた。
「うーん、いいけどね、ちょっとオレ好みではないかな。アレンジが派手すぎる。ドラムもギターも主張しすぎなんだよ」
テキーラはぼやいた。
「いやいや、ドラムもギターもそこまで主張している中、それに歌声が負けていないだろ。そのバランスがいいだろ」バーボンが反論する。
「いやいやいやいや、そこまで歌声が強いなら、逆にアレンジをおさえてほしいよ。ギターの弾き語りぐらいで、じっくり歌声を堪能したいね」
「いやいやいやいやいやいや、ギターの弾き語りなんて、お通夜に聴く音楽だろ。華やかな人生を送っていたら、弾き語りなんて聴く暇なんてないはずだよ」
バーボン、テキーラの主張が噛み合わず、平行線のまま、ただ、ヒートアップしていく。せっかくの川嶋まゆみの音楽が、男の口論で聞こえなくなっている。
「ちょっと兄さんたち」
とうとうマスターが口をだした。
「これは、好みの問題だろう。どっちもいいし、どっちもダメなんてことはないよ。お洒落に着飾った女の子と、身体のラインがわかるセクシーな服を着た女の子の違いみたいなものだよ」
「なるほど、つまりキャバ嬢とコンカフェ嬢の違いみたいなものか」
二人は納得した。
「そうだな。オレ、川嶋まゆみみたいなアレンジ豪華な音楽が好きだけど、キャバ嬢みたいなセクシーな女の子の方がいいな」とバーボン。
「オレは、コンカフェ嬢の方がいいかな」とテキーラ。
「いやいや、たしかにかわいいお洋服を着たかわいい女の子はいいよ。でも、抱きたくなるのは、セクシーなキャバ嬢だろう」
「わかるよ。でも、そのかわいいお洋服を脱いだときどうなるか、その想像がふくらむのは
、コンカフェ嬢ではないか」
「……、悪い。その発想はなかった」
「そりゃ、キャバ嬢がそのドレスを脱いだときを想像するよ。でも、おそらく想像通りの身体だろう」
「そうだよな。身体のラインがわかるドレスには、想像の余地が残されていないな」
「せいぜい、想像と違うのは、乳輪の大きさくらいだろ」
「それ、マイナスだよな。想像では、自分の理想的な乳輪になっているから」
「一方、コンカフェ嬢のお洋服には、想像の余地が残されているんだよ。そのヒラヒラした服の下には、可能性が広がっているんだよ」
「……、あのさ、コンカフェ嬢が脱いでくれるとき、上から脱いでほしい、下から脱いでほしい?」
「おいおい、これは難しい問題だな。うーん、やっぱり上から……、いや、待てよ、脱いでもらうときは、上からだけど、脱がすときには下からだな」
「あー、状況で変わるか。……、あのさ、女の人って、すべて脱ぐよりも、ネックレスしかつけていない方がいいよな」
「うーん、そこは個人の感想ではないか、ただ、オレもそっちがいいかな」
ここで、店の戸が開いた。後から来ると言っていた男が来た。
「いやあ、遅くなって悪いな。ところで、今、なにを話していたの?」
「……、音楽について熱く語っていたよ」
後から来た男の質問に、テキーラが答えた。
マスターは余計なことを言わなかった。
次の日、マスターはこの日の音楽は「メディ・スパロウ」が二〇〇二年に発表したアルバムにした。ギターの弾き語りの楽曲ばかり収録されているので、彼女の力強い歌声を堪能できるアルバムだ。静かな夜にピッタリだ。
オープンして、二〇代半ばであろう女性が二人で入店してきた。
女は一人がカクテルのマティーニ、一人がマルガリータを頼んだ。来たときにすでにほろ酔いだったので、おそらく二軒目に来たのだろう。
「マスター、この曲、いいですね」
マティーニはマスターに言ってきた。マスターはアーティストの簡単な説明をしてあげた。
「うーん、いいけどね、あたい好みではないな。あたいはもっと、派手なのが好き。ラッパとかガンガン鳴っているとアガるね」
マルガリータはぼやいた。
「いやいや、こんなシックなバーではこのくらい静かな音楽がいいでしょ」マティーニが反論した。
「いやいやいやいや、ここまで静かだと、バーというよりお通夜でしょ。それに、あたいは、ここはどんな音楽も合うと思うな」
「いやいやいやいやいやいや、華やかなやつなんて、頭が空っぽな奴が、無意味にテンションあげるのに聴くやつでしょ」
マティーニ、マルガリータの主張が噛み合わず、平行線のまま、ただ、ヒートアップしていく。せっかくのメディ・スパロウの音楽が、女の口論で聞こえなくなっている。
「ちょっとお嬢さんたち」
とうとうマスターが口をだした。
「これは、好みの問題だろう。どっちもいいし、どっちもダメなんてことはないよ。お洒落なスーツ男子と、タンクトップマッチョ男子の違いみたいなものだよ」
「なるほど、男の好みもいろいろあるのだから、音楽だっていろいろあるよね」
マティーニは納得した。
「ちょっと待って。あたい、お洒落なスーツを着たマッチョ男子がいい」
マルガリータは反論した。
「たしかに。別に、好みを語るなら、どっちか選ぶ必要はない、どっちも選んでいいんだ」
マティーニも同意した。
「スーツマッチョなら、甘い顔のイケメンより、濃い顔のイケメンの方がいいよね」
「わかる、わかる。あごの無精ひげが似合うタイプのイケメン」
「濃い顔のイケメンなのに、口説いてくるときは、甘い言葉なの」
「ちょっと、最高。わたしの乙女心が止まらない」
「……、ごめん。あたい、イヤな想像しちゃった」
「なに、どうしたの?」
「鍛えに鍛えた肉体をもつイケメンなのに、小さかったら台無しだよね」
「やめてよ。そんな展開、全世界が望んでいないよ」
「そうだよね、甘い口説き文句、惚れ惚れするような肉体美、そんな最高の前菜を提供してきたのに、メインディッシュがポークビッツは、ないわ!」
「別にポークビッツが悪いわけではないよね。マッチョにポークビッツは詐欺の領域ってだけだよね」
「あたい、逆の展開の方が、許せないと思うの」
「なるほど、貧相な肉体のくせして、全男子がうらやむ聖剣を持っているタイプね」
「その聖剣に見合う身体をつくれという話でしょ。選ばれし男しか持っていない聖剣だから、聖剣の似合う男であれという話でしょ」
「なんか、あれって鍛えて大きくなるものじゃないからね」
「……、あたいの彼氏、そんな鍛えていない身体で、むしろ貧相な方なんだけど、今、あらためてこれでよかったと思っちゃった」
「責任のないマッチョはやめてほしいよね」
マスターはジムに通っているが、運動不足解消のために留めておこうと心に決めた。