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精霊― それは自然界に生まれ来る存在であり、この世界の命を守護する者である。


こうして六花の前に姿を現した瑠璃という存在は、この森の中で誰に知られるともなく生きる桜の木を守護するためにあるそうだ。

その存在する理屈というのは到底この世界の理論で語れるはずもなく、肝心の瑠璃自身もその仕組みはわからないという。


そして普段は精神だけの存在としてこの木の周りをふわふわと漂っており、夜の間は人間の姿で現れる。

そしてその役目といえばこの木を外敵から守ることだ。


この森に踏み込んで奥深くまで辿り着いてしまった者がいれば、その者が引き起こしかねないあらゆる災いを防ぐ。

もし木を切り倒そうとすれば。誰かに口外して大量の人間を引き連れてこようとすれば。

精霊にしか成し得ない非現実的な手段を用いてそれを止めてみせるそうだ。


―という話をしたのが昨夜、つまり二人が出会ってから二度目の夜。

そこで話を聞いた六花はこの桜の木のことも、自分がここを訪れていることも絶対に口外しないようにと己を戒めた。


そして、その話の続きをしましょうと約束して別れ、三度この森を訪れて一緒に過ごしているのが今この時だ。


「そういえばこの森に入ると頭痛がひどくなったり、幻聴が聞こえたりしませんでしたか?」

「はい。確かにしました。私だけじゃなくて他にも入ろうとした人も同じだったみたいです」

「それもこの桜の木を守るために森が起こした防衛反応のようなものです」


この木を守っているのはわたしだけではありませんから、と至って落ち着いた口調で語ってみせる瑠璃。


今日の月は上弦を過ぎて徐々に丸みを帯びてきていて、満月の日が来ればこの夜桜もさぞかし綺麗に映えるのだろうなと六花は思った。

そうして話の続きを促そうとしたところで、ふと頭の片隅に痛みが走って患部を手で押さえる。


「あっ、そうです。頭痛が辛いときはこれです。どうぞ舐めてください」

「これ、初めて来た日にもらった……」


瑠璃が懐から取り出すのは小さな巾着袋、そこに入っていた桃色の飴をひとつ差し出した。


「じゃあ、いただきます。……んっ、ところで、精霊ってどこで飴を手に入れるんですか」

「ひみつです。精霊というのは人間にはわからない存在ですから」


そう言って唇に人差し指をあてて「しーっ」とする彼女は意地悪そうに笑みを浮かべていて、なんだかむっとするけど、それよりも可愛いなと思ってしまう六花だった。


そうやって飴を口の中でコロコロと転がしている様子をやっぱり瑠璃はにこにこと微笑みながら見守っていて、それが嫌じゃなくて、むしろ嬉しくて。

だからこそ気になったことがある。昨夜訊けなかったことが。


「どうして、私がここにいることを許してくれてるんですか。人間がこの桜を見つけたら良くないことが起きてしまうかもしれないのに」


精霊の存在がこの桜を守るためにあるなら、ここに来てしまった六花が野放しにされているのはまずいはずだ。

でも、実際は害を加えられるわけでもなく、むしろ優しくしてもらっている。


どうして?と言葉と瞳の両方で問いかける六花に、瑠璃は少し考え込んでから言葉を返した。


「六花さんは危険人物に該当しないと判断したから、ですかね。精霊というのはその人の危険性も見通すことができますので」

「は、はあ……」

「あとは六花さんがわたし好みだったからです」

「……え、えっ!?」


急に告げられたその言葉に顔が熱くなる。

瑠璃は変わらぬ様子でにこにこと微笑んでいる。


私が、好み? それはつまり、いや、そうじゃなくて、性格かなにかが精霊の好みに合っていたというだけで、別にそういう意味じゃ、でもどうなんだろう。


「ふふふ、慌ててる六花さんも可愛らしいですよ。頬も赤くなってますね」

「…………瑠璃さんも、可愛いと思いますけど」

「……!!」


今度は瑠璃が顔を真っ赤にする番だった。

六花としては嘘をついたわけではなく、ただ単純に可愛い子だとは思っていて、それを照れ隠しに口に出してみただけだったのだが。


「…………り、六花さん」


まさかこんなにも狼狽えて動きを止めてしまうなんて思わなかった。

頬は桜色を通り越して紅色に染まり、半開きになった口のままひゅっと細い息が漏れ出ている。

そしてぱっちりとした瞳は大きく見開かれて六花を捉えている。


「……せ、精霊相手に褒めても何も出てきませんよ」

「それは、関係ないです。私がただ瑠璃さんのことを可愛いと思っただけ、です」

「っ~~!!」


声にならない声を出して悶える瑠璃の姿を横目でちらりと捉えると、六花にも恥ずかしさがより募ってきて顔面の熱が引かなくなってしまう。

そうやって顔を合わせることが出来ないまま、隣にいる彼女の存在を感じながら過ごす。

二人の間には甘い沈黙が流れて、まだ口の中に残っていた飴玉がその心地良い甘さを増していた。


何も言葉を交わすわけでもなく、互いに目と目を合わせるわけでもなく、ただ二人並んで時を過ごす。

最初に募っていた気恥ずかしさが時間の経過と共に引いていけば、後に残るのは自分のことを快く思ってくれた彼女との静かな空間だけ。


視界の隅をひらりと舞い落ちてくる桜の花弁につられるように六花が空を見上げれば、大きく伸びた枝の先で桃色の花が咲き誇っている。

それを月光だけが照らしているこの場所はやはり異界なのではないかと思えてきて、でもこのまま現世からいなくなってしまうのも悪くないと思ってしまう。

例えば彼女が本当は悪い幽霊かなにかで、騙されて冥界に連れていかれてしまっても構わない― なんて考える。


そこまで考えたところでだんだん眠気が襲ってきて、六花の意識は少しずつ眠りの世界へと吸い込まれていく。

そんな曖昧な意識の中で瑠璃の肩に頭を載せてみたのは彼女への信頼なのか、友愛なのか。


ほとんど眠りに落ち掛けていた六花にそれはわからなかったけれど、彼女がそれを受け入れてくれたことだけはわかって。

やがて六花が寝入ってしまった後、その頭を優しく撫でてあやしてみたことは瑠璃だけが知っている。


そうして二人の三度目の夜が更けていった。

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