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桜の精を名乗る少女の名前を聞いた後。

なぜだか本当によくわからないけど、六花は瑠璃の膝の上に頭を載せて眠る姿勢になっていた。いわゆる膝枕。


着物の生地越しに彼女の肌の柔らかさが伝わっているような気がして心臓が高鳴る。

誰かに膝枕をしてもらうなんて、初めてだった。


「六花さんの髪は綺麗な黒色ですが……お手入れは少し足りないようですね」

「そう、ですね」

「あまり聞いてはいけないことだったでしょうか。ごめんなさい」

「いえ、私がちょっと言いづらいだけで」


彼女の手で頭を撫でられる。

これではまるで幼子のようだなと思うけれど、その手が髪を撫でて滑り落ちていく感触が心地良くてすっと受け入れてしまう。

何度も何度もまるで六花をあやすように繰り返される手の動き。


彼女の身体から漂ってくる甘い匂いも桜の木から生まれたものなのだろうか。

それを嗅いでいると心地良さを感じると同時に頭がぼんやりとしてきて、本当に精霊の力を目の当たりにしているかのようだった。


「六花さん、もしかして眠くなってきましたか?」

「は、い……ねむい、です」

「眠ってもいいですよ。わたしはこのまま膝枕してますからね」

「あ、りが、……」


頭も身体もすっかり力が抜けてぼんやりと上を見つめる。

夜空の下で咲き誇る無数の桜の花。その枝がそよ風に揺れてひらひらと花弁を舞い散らせる。

視界の隅を舞い落ちてきたひとひらがゆらゆらと消えては現れ、現れては消えを繰り返して、だんだんその視界も曖昧になってきて―




やがて六花の周囲は桜の花弁で包まれた。

辺り一面を埋め尽くすように立ち並んだ桜の木々が満月の光に照らされて煌々と輝きを放っている。

その光景を邪魔する者は何もなく、ただひとり自分だけが立ち尽くしていた。


まるで物語の中に入り込んでしまったかのように優雅な笛の音が辺りに響き渡り、誰とも知らないその音の主を六花は必死で探す。

だけど見つからなくて、でもその音色が心地良くて、もしかしたら自分はこの幻想奇譚の主人公なのかもしれないと思い始める。


そのうち桜の花弁がまるで揺りかごを形作るかのように集まって、その中に六花は吸い込まれる。

人が恐れるはずの夜の闇の中で夢幻のような桜に包み込まれて、赤子をあやすようにゆらりと揺られる。

その感覚にいつまでも浸っていたくて、名残惜し気にバラバラに散っていく花弁を追い掛けようと手を伸ばしたところで―





次に六花が感じたのは、誰かの手で両肩を揺さぶられる感覚だった。

突然意識が現実に戻ってきて、うっすらと開いた視界には瑠璃の顔が大きく映し出されている。


「六花さん、そろそろ起きてください。もうすぐ朝になってしまいます」

「ん…………朝って、私、何を…………」

「六花さんはぐっすり眠っていたんですよ。ずっとわたしの膝の上です」


そう言われて気付く。

意識がぼんやりして、ここに来てからの記憶が途中で途切れていること。

全身から力が抜けてぼんやりとしていく感覚は眠る前のことだったんだと。


だとしたら私はずいぶん眠っていたのだろうか。

そう思って瑠璃の方を見ると、まだ寝起きの六花に気を遣うようにゆっくりと語り掛ける。


「月の動きを見ていましたが、だいたい4時間くらい経っています」

「4時間……? 私、そんなに……」


初めて会った少女の、しかも桜の精霊に身を委ねてこんなにも眠ってしまうなんて。

でも何故だか目を覚ましてからの意識は明瞭で、ずっと苦しんでいた疲労が少し取れたような気がしていた。


「よく眠っていましたよ、お疲れだったんですね」


彼女にもそれは気付かれていたようだった。

やはり精霊なら何でも見抜いてしまえるのだろうか。


そう考えながらも彼女の膝の上はとても居心地が良くて、正直離れたくないなと思ってしまう。

まるで本当に幼い子供じゃないかと自分で自分に苦笑してしまうほどだった。


だけどそうしていると六花を窘めるような声が響いて。


「六花さん、残念ですが膝枕はこれで終わりです。起き上がってください」

「そう、ですか……」


彼女の言葉がやけに強く聞こえて、六花は少し重たい気分を背負わされたように思えた。

そのせいか立ち上がろうとする自分の身体まで重たくなってしまったみたいで。


「……そんなに悲しい顔をされると、わたしまで悲しいです。でも、これは精霊の決まりなので」


精霊の、決まり?


その言葉に今度は六花が首を傾げる番だった。

そんな六花をなだめるように次の言葉が続く。


「わたしはこの桜の木に宿っている精霊ですが、夜にだけ人の姿を取って現れることができます。なので、朝が来たらもう六花さんの前にはいられないのです」


初めて彼女を見た時、美しい夜桜の下に佇む姿を六花は一生忘れられないと思う。

それがあまりにも綺麗で、衝撃的で、だからこそ夜にしか存在できないと言われても信じてしまう自分がいた。


太陽がいない世界、月だけが照らす世界。

それは人間が活動を止めている世界でもある。だからこそ、精霊が生きる時でもあるのだろう。


「じゃあ、それなら……!」


だからこそ六花は思う。

たった一夜の邂逅で彼女に好意を抱いてしまった。心を奪われてしまった。

だから、もし夜の間だけでもまた会えるのなら。


「また夜に来たら、ここで会えますか」


こんなことを誰かに求めて、縋ってしまうなんて自分じゃないみたいだ、と思う。

それは六花にとって、初めて誰かに自分から歩み寄ろうとした精一杯の勇気だった。


そしてその言葉を受け止めた彼女は、六花の前に立ってその手を取り―


「はい。また次の夜も、ここでお待ちしていますね」


にっこりと笑ってみせた。

それは精霊の少女が見せた満面の笑みだった。


その笑顔に六花の心はすっかり溶かされてしまう。


彼女に見送られて月が沈んでしまう前の森を抜けていく時も。

森を出て朝日が昇る少し前の夜道をまっすぐに歩いている時も。

そして、朝が来てしまった後も。


六花の心から、瑠璃という少女は片時も離れなかった。

それは十五年間生きてきた六花が初めて誰かに強い想いを抱いた ― 初恋だった。

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