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「だ、大丈夫ですか? 足元がふらついてますけど」

「えっと……少し座らせてください……」


二人の出会いから少し経った後。

立ち眩みを起こした六花は着物姿の少女に手を引かれて桜の木の根元に腰を下ろした。


長い時間歩き続けた疲労と、森に入ってから続いていた頭痛の影響で六花の体力は随分と削られていた。

一度座り込んでしまうともう動けなくなりそうな気がして、まるでフランダースの犬のラストシーンのように思えた。だけど、それも悪くないかもしれない。


座ったまま天を仰いでみれば大きく広がった木の枝から桜の花が視界を覆い尽くすように咲き誇っていて、この世とは違うどこかに迷い込んでしまったような気分になる。

本当に伝承の通りなのだとしたら、やはり隣にいる少女は幽霊で、ここは冥界の入口だったりするのだろうか。


(そういえば、手は繋げたよね)


よく考えると実体が存在するのだから幽霊ではないのでは?と思うけれど、今考えても何もわかりそうにないのでその思考は捨てる。


それにしても彼女の発した二言目が「だ、大丈夫ですか?」なのだから拍子抜けた。

まさか幽霊かもしれない相手に体調を心配されることになるなんて。


「少し楽になりましたか?……あっ、そうだ。これ食べてください」

「えっ、と……これは」


彼女が不意に懐から取り出してきた小さな袋を開ければ、ころんと転がり出した小さな飴玉を手に載せて六花へ差し出す。

やはり桜の花と同じで淡い桃色をしたそれを恐る恐る受け取って口へ放り込むと優しい味がした。


それを舐めているうちに少しずつ頭痛が和らいでいったから、やはりこの世のものではない食べ物なのだろうかと思う。

口にしてしまって大丈夫なのかと不安になった。でも、心配そうな表情をしている彼女の様子を見ていたら本当に気遣ってくれているように見えたから、それを無下に断ることもできなかった。


そうして六花の表情が和らいでいくのを見届けた彼女は、ほっと安心したように表情を緩めて六花と向き合うように座り込んだ。


「改めて桜の森へようこそ、お客さん。最初に名前をお聞きしてもよいでしょうか?」

「は、はい……雪上六花、といいます」

「すてきなお名前です。ではわたしは六花さんとお呼びしますね」

「えっ……あっ、わ、わかりました」


彼女の澄んだ声は六花の耳と心にすっと染み込んできて心地よくて、不思議な魔力のようなものがあった。

その声で名前を呼ばれるのも嫌じゃないな、と思った。


彼女がにこにこと微笑んでいるから、少しずつ怖さも薄らいできて。

六花の頭も少しずつ回るようになってきた。


「あ、あの……あなたは、その、幽霊なんですか……?」


その言葉を聞いてはたと動きを止めて数秒。

やがて彼女は可笑し気に口元を綻ばせて笑い声を溢した。


「ふふっ……幽霊、ですかっ」

「……えっと、あの、笑わせるつもりはなかったんですが」

「ふふふ、そうですね。でも、幽霊扱いされるとは思わなくてびっくりしちゃいました。さっきわたしと手を繋いだじゃないですか」


だってこんな場所にいるなんて幽霊くらいしかないじゃないか、と言いたくなる気持ちをぐっと抑える。

でも幽霊にしてはフレンドリーだ。こんなふうに楽しそうに笑うなんて。


薄桃色の頬は血色も良くて、普通の人間とそう変わらないように思える。

私に手を差し伸べた時の様子にもぎこちなさなんて感じなかった。

何よりコロコロと表情を変える彼女の姿は人間味があって、人にしかない温度感を六花に思わせた。


そんな風に思っていると、彼女はやっぱり楽しそうに笑って口を開く。


「でも幽霊というのは半分合っているかもしれません」

「えっ、今さっき幽霊じゃないみたいな言い方をしてたじゃないですか……」

「そうですね。えっと、これは六花さんだけに教える内緒なんですが……わたしは桜の精なんです」


桜の精? つまりこの木に宿っている精霊ということ?

古くから人の営みがあったこの町には神話や伝承のようなものが伝わっているけれど、精霊というのは聞いたことがなかった。


「六花さんも見ておわかりの通り、この桜の木は何千年と存在し続けているこの森の守り神のような存在です。

 そんな風に長く生き続ける中でこの木に宿った精霊がわたしというわけです」

「ええと……つまりあなたは人間ではないと」

「そうなりますね。でも人に危害を加えたりはしませんよ、六花さんのことも傷ひとつ付けません」


何故だかえへんと胸を張って答える精霊の少女。

それを聞いてどこか納得したような気もして、六花はもう一度彼女のことをよく観察する。


桜の花びらがあしらわれた桃色の着物が美しく、その色合いが彼女の愛らしさを増幅させながらも同時に凛々しさをも引き出している。

肩口で切り揃えた黒髪は日本人形と見紛うほどの精巧さを備えているように見えて、丸くぱっちりとした綺麗な瞳も見る者を魅了して離さないようだ。

小さな唇を開けば鈴の鳴るような声で名前を呼んできて少しだけ胸が高鳴る。


「あの……名前って、ありますか」


そう問いを投げてしまったのは六花が少しだけ彼女に好意を持ってしまったからだった。

こんな自分に優しくしてくれる彼女のことが気になってしまったから。


「『あなた』って呼び続けるのはちょっと気が引けて……それで、もしあればって」

「そうですね、精霊に特段の名前はないのですが」


ちょこんと首を傾げて考える仕草をする少女。

その動作すらもどこか魅力的に思えてきて、彼女から視線を外せなくなってしまう。


しばらくして何かを思い付いたようにパッと顔を明るくすれば、六花に向けてそっと語り掛ける。


「では瑠璃とお呼びください。今考えてみました」

「えっと、じゃあ……瑠璃さん」

「うん、いい響きですね。我ながらとてもよい命名です」


桜の精なのに桃色じゃなくて瑠璃色なの?と疑問に思う六花だったが、人外の存在からすれば些細なことなのかもしれない。


「六花さんの声で呼んでくれたから、こんなにいい響きになったのかもしれません」

「えっ、と……どういたしまして……?」


なんだろう。彼女といると普段のペースが保てない。

こんなに誰かを自分の近くに感じることなんてないのに。


そう、普段の私は。

誰にも近付けないちっぽけで無価値な存在なのに。

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