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人の寄り付かない深い森の中、その木はひっそりと、それでいて雄大に佇んでいた。


樹齢の長さを感じさせる深い皺が刻まれた幹は太く、一体何人が集まればその周りと取り囲めるだろうかというほど。

まるで辺り一帯の木々を統べているかのような重厚な雰囲気を醸し出すその存在の大きさは別格であった。


そしてその大樹が咲かせているのは桜だ。

桃色の可憐な花弁をひらひらと夜風に揺らし、めいっぱいに咲き誇るその様は壮観というほかない。

夜の帳が下りた仄暗い闇の中でその数多の花片たちが月光に照らされて美しく彩られる。


この世のものとは思えないほど幻想的な風景。

その中に二つの人影があった。


一人は鮮やかな桃色の着物を纏った少女。歳の頃は十四か十五くらいだろうか。

長い黒髪は背中まで伸びて、雪のように真っ白な肌が首筋で見え隠れしている。


そして、着物の少女の膝の上で静かに眠っているもう一人の少女。

まだ幼い寝顔を見せる彼女の頭を着物の少女が優しく撫でている。


まるで絵本の中のような現実離れした一幕は、誰に知られることもなく、誰に邪魔されることもなく続いていく。










ある四月の晩、雪上六花は町外れの小径を歩いていた。


時刻は二十三時を過ぎ、おおよそ年頃の少女が一人で出歩くような時間帯でないことは明白。

それでも六花は気に掛ける様子もなく、むしろそれを望んでいるかのように足取りは穏やかだった。


街灯もほとんどない夜道を月明りを頼りにして進んでいく。

足元がおぼつかない時もあるが、そんな荒い道でも六花は構わなかった。


とある山間部に位置する小さな町が六花の生まれ育った故郷であり、今も暮らしている場所だ。

この町は山々とその険しい道によって都市部から完全に隔絶され、もう間もなくこの国は新しい元号へ切り替わろうとしているのに、この町は相変わらず時代ひとつ遅れたまま。

テレビの中ではスマートフォンなる代物が当たり前のように普及しているのに、この町では持っている者など皆無に等しい。今月で十五歳になり、俄然外の世界への興味と憧れを抱く六花からすれば時代遅れもいいところだった。


「……本当に、どうしてこんな町なんだろう」


ぽつり口に出してみた言葉も宵闇の中にすっと溶けるように消えた。

六花の声を聞き咎める者もまたなかった。


夜空に浮かぶ月は丸くて綺麗で、だけど暗すぎる夜道を照らすには不十分な光しか与えてくれない。

足元すらも不安になっていく道を睨み付けるように懐中電灯で照らす。


こんな時間に家を飛び出してきたので靴は普通のスニーカーだし、服装だって部屋着のまま。

とてもこんな道を歩くのに適した格好ではなかった。


それでもひたすら歩き続けていれば、ある場所を過ぎた時点で突如雰囲気が変わる。

そこは森の入口だった。


何もない空き地や農地が広がっていたこれまでの景色から一転、森の先は数多生い茂る樹木たちによって覆い隠されていた。

そこに今から六花は踏み込む。


「……っ」


思わず息が漏れる。

というのも、この森は古くから町に伝わる不可思議な伝承が伝わる場所だった。


曰く、いるはずのない獣たちの遠吠えが幻聴のように聞こえてくるとか。

曰く、森に入ると頭痛や寒気を覚えて突如体調を崩してしまうとか。

曰く、森の奥深くに入り込めば幽霊を見てしまうとか。


ただの怪談ではないことは実際に森へ入って引き返してきた者たちの言葉が告げている。

そういうわけで小さい頃からこの森には近寄ってはいけないと子供たちは教え込まれる。

中には肝試しのように入っていくやんちゃ坊主がいるのだが、知る限りは必ず恐怖に顔を歪めて逃げ帰ってくるという。


けれど、六花にはもうそんなことどうでもよかった。


森の中を迷いながらも進んでいくうちに帰り道はわからなくなり、徐々に頭痛もしてくる。

やがてこの世のものとは思えない生き物の奇妙な鳴き声が聞こえ始めた。


「……本当にあの伝承の通りなんだ」


こんなところにいたら誰だって怖くて逃げたくなるだろう。気が狂ってしまいそうだとも思う。

それでも六花は止まらない。


聞こえるのは自分の呼吸音と足元の草を踏みしめる音と、それから奇怪な獣の鳴き声だけ。

肌に感じる空気は冷たい。もう四月のはずなのに。


そうして歩き続けて何十分経っただろうかと時間の感覚もなくなりはじめたその時、不意に視界が開けた。


「――っ!」


そこに現れたのは大きな桜の木だった。

今まで見たどんな木よりも太い幹に、空を貫かんばかりに高くそびえた姿。その頂点から枝垂れた形で枝が伸びて無数の桜の花を咲かせている。


こんな桜が存在しているなんて知らなかった。

そして、その驚きと共に六花の目を引いたのは桜の足下。


幽霊がいた。


―いや、幽霊のように儚く今にも透けて消えてしまいそうに見えるけれど、それは一人の少女だった。

こちらに背を向けている彼女の顔は見えない。


夢遊病者のような足取りで六花はその背中に近付いていく。

彼女が本当に幽霊だとして、たとえ冥界に連れ去られてしまうとしても構わなかった。

一歩一歩踏み出して、いよいよ六花の手が彼女の肩に届きそうになったところで。


不意に彼女が振り返った。


「……!」


とても綺麗な女の子だった。

桜と同じ淡い桃色の着物を纏った彼女は、艶やかな黒髪を夜風に靡かせてそこに佇む。

ぱっちりとした丸い瞳を大きく見開いて六花を捉えた。


「……ぁ……」


六花の喉から掠れた声が漏れる。

その音が言葉にならなかったのは、驚きなのか、それとも恐怖なのか。ただ茫然と立ち尽くして彼女と見つめ合う。

何を言えばいいのか、何を言いたいのかもわからなくて、見つめ合ったまま時間が過ぎる。


二人の上でひらひらと風に揺れる桜の花弁がひとひら散って、それがふわふわと落ちてきては彼女の華奢な肩に舞い降りた。

それに気付いて花びらを手に取った姿があまりにも幻想的で目が離せなくなって―


そんな六花を見て、彼女がくすりと笑ってみせた。


「桜の森へようこそ、お客さん。もしよければ少しお話していきませんか?」


手のひらに乗せた小さな花びらを差し出しながら、澄んだ声で六花の鼓膜を揺らす。

その言葉に六花は何も喋ることはできなかったけど、小さく頷いてみせる。


どこまでもそびえる大きな夜桜の下で、月明りに照らされながら見つめ合う。

それが二人の出会いだった。

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