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誰でもよかった

作者: 雉白書屋

 ある夜。彼は息を荒げ、ふと自分の手を見つめた。震えている。手だけでなく足も、それに動悸もしている。喧嘩といった争い事に不慣れな彼はその余韻に心がまだ波立っていた。

 つい先ほど、男に突然襲い掛かられた彼は混乱する中、必死に抵抗した。そして、激しい揉み合いの末に、その男を取り押さえ、縛り上げることにどうにか成功したのだ。

 彼は大きく咳き込み、そして訊ねた。「どうしてだ、なんで……」

 その男はこう答えた。「誰でもよかった」と……。


「……いや、嘘だろ」


「ん?」


「いや、ん? じゃなくて、誰でもよかったなんて嘘だろ」


「いや、誰でもよかったんだよ。人生もうどうでもよくなって、それで――」


「いや、うん。確かにそういうのは聞いたことある。通り魔事件の犯人の動機で、自分の人生に絶望してってやつ。……でもさ、おれら一応友達だろ! それって普通、路上で見ず知らずの人を襲うだろ! なんでおれのアパートに来るんだよ!」


 そう、そこは彼が借りているアパートの部屋。ドアを開けた瞬間、その友人である男がいきなり掴みかかってきたのだ。 


「うん。だから誰でもよかったんだってば」


「いや、だからそれはもういいから、何か理由があるならはっきり言えよ。今さら隠しても意味がないだろ」


「いや、何度言わせるの? 誰でもよかったんだってば」


「いやいやいや、そんなわけないだろ。おれに恨みがあるとかさ」


「ないよ?」


「……金欲しさにとか」


「違うよ。お前、金持ってなさそうじゃん」


「そのキョトンとした顔、腹立つなぁ……。はぁ……まあ、いいや。話す気がないなら、後のことは警察に任せる」


「え、お前、警察呼ぶの?」


「いや、当然だろうが。ほら腕! 血が出てんだよ、こっちはよ!」


「普通、高校時代の友達を警察に引き渡すかねぇ。見逃したりしてくれそうなもんだけどなぁ」


「だから! 普通! 友達を! 襲うかよ!」


「だからさ、誰でもよかったんだって。それにその傷って、俺のせいかな。お前が勝手につけたやつじゃないかな」


「もう、もうもうもう、頭が変になりそうだ……誰でもよかったってなんだよ……」


「誰でもよかったんだから仕方ないじゃん。運が悪かったと思えよ」


「まだ言ってるよ、怖……え、ああ、もしかして、誰でもいいから襲おうと思って訪ねた家が、たまたまおれが住んでいるこのアパートの部屋だったとか? そうそう、なんでおれの部屋を知っているか不思議に思ったんだよ」


「いや、前から知ってたけど」


「ああ、まあ、そうだよな。そんな偶然ないか……。それに確か前に一度、高校時代の友達の何人かで遊んだとき、流れで来たことあるもんな……え、怖」


「なにが?」


「一回しか来たことないのに、ここまでの道を覚えてたってことだろ。なんでだよ、なんでおれを狙ったんだよ」


「だからさぁ、何回言わせるの? 誰でもよかったんだってば」


「お前がイラついてんじゃねーよ! いい加減、本当の理由を言えよ!」


「誰でもよかったんだから、誰でもよかったとしか言えないよ」


「誰でもよくておれを狙うわけないだろ! もっと、こう弱い人! お年寄りとか女とか子供を狙うだろ!」


「それ、誰でもよくねーじゃん」


「おれに言うなよ! 知らねーよ通り魔の心理なんかよ!」


「でも、あれだな。誰でもいいから傷つけたい、殺したい。そんな風に、ブレーキが壊れているからこそ、生物として本能的に自分より弱いものを狙うのかもな」


「分析してんじゃねーよ! いや、しろよ! それでなんで、おれを狙ったのか言えよ!」


「だからさ、誰でも――」


「ああぁ! 殺すぞ!」


「やめとけよ。お前、親に大学通わせてもらってるんだろ? 人生を棒に振るなよ」


「お前が! おれを! 諭すな!」


「まあ、でも俺は本当に誰でもよかったからさ。また試験に落ちて、もう何もかもどうでもよくなって、それで、なんとなしに歩いてたら、ここに辿り着いたというかさ」


「はぁはぁはぁ……本能的にか……? じゃあ、おれが弱いって?」


「まあ」


「まあって……お前、おれに負けて今縛られてるんだからな? はぁ……まあいいや。そこまで思い詰めてたってことだしな。ほら、警察は呼ばないからもう帰れよ」


「え、いいのか?」


「ああ。もう『誰でもいい』とか自暴自棄になるなよ。ほら、なんて言うか、お前にしかできないこととか、お前じゃなきゃ駄目だって人がいつか現れるよ」


「……かなぁ。ごめんな」


「まあ、よかったよ。正気に戻ってくれて」


「やっぱり悪人を狙うことにするよ。うん、それがいいな」


「おぉ……まあ、お前がいいならいいけど。あ、それで試験って何のやつ? 大学か? 確か、進学はしなかったんだよな。よくは知らないけど」


「警察官採用試験だよ」


「警察!?」


「俺、向いてなかったのかなぁ……向いてるって言われたことあるんだけどなぁ……」


「それは、まあ、うん、まあ、うん……」


「ごめんな。じゃあ、帰るな」


「あ、ああ。気を付けてな」


 ――ゴトッ


「ん? なんだ?」


「え?」


「いや、今、音が」


「は? 音? え? ああ、隣の部屋だろ。騒ぎすぎたんだな。ああほら、警察呼ばれないうちに早く行けよ。ははは、捕まったら試験も受けられないだろ」


「いや、今押し入れから――」


「たすけて……ください……だれ、だれでもいいから……たすけて……」


「え、子供の声……? 女の子? え、お前って」


「いやまあ、ほら、その子、一人で歩いててさ、まあ、誰でもよかったんだけど、あ、やめ――」

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