風に吹かれて
2有楽町のバーで軽食を食いながら、他愛のない話から、深い話まで。
この空気は学生時代と全く変わらない。
「ダイちゃん、相変わらずだね」って呆れる彼女。
大丈夫。あなたもですから。
いや、俺は当時よりも十キロ体重減だし、あなたは赤ちゃんの分、体重増。
そして間もなく俺の体重を抜くだろう。この予想は、八月は暑くなるでしょう、という予報と同じくらいの確率で当たる。
子供の成長に母親としての自覚はまだまだついて来ない、と彼女は言った。
そんなカッコいいことをミネラルウォーター片手に素面で言いのける。
つわりという母親としての通過儀礼を通った彼女は、どこかツキヌケけている気もする。
自分と夫との出産、子育てへの心構えの違いを俺に語っている彼女。
「男の人にはしっかりしてもらわなきゃ困るのよね! 子育ては共同作業。女だけ180度生活が変わるなんて!」
なぜかシュンとした気持ちになる男、俺。
「あ~大変だな~」
「ホントよ」
「確かに、大変だな……」
なんだか分が悪くなった俺は、頼んでお腹の中のエコー写真を見せてもらう。確実に大きくなる赤ん坊は最近やっとお母さんのお腹を蹴り始めたらしい。
「動いてる、動いてる」
おっと!
「マジで!?」
せっかくビール好きのためにビールの旨い店に入ったのに、ミネラル水と水茄子のカルパッチョとピクルスで盛り上がる彼女と俺。
テンションは昇り竜のごとく上がる。
俺は思う。
生まれる前から、あんたと赤ん坊は一緒なんだね。
そして生まれる前から、あんたと赤ん坊は奮闘して生きている。
あんたが笑えば、赤ちゃんも笑う。
あんたが歌えば腹の中で赤ちゃんも歌ってる。
あんたが泣けば…
「ずっと笑っていていろ!」
話しちらした二時間はあっという間に過ぎ、そしてあの頃のように割り勘だった。
駅まで歩き、彼女を待たせて販売機でチャージを済ませた俺は、後ろを向いて彼女を探した。
辺りを見渡している俺に向こうから声がかかる。
あ、そこにいたのか、見えなかったよ。
そこにいた身重の女を俺は彼女と認識できず、学生時代の記憶の中にいる身軽で無邪気な彼女を探していたんだ。
少し離れたところから見る彼女には程よく膨らんだお腹に、まだ不釣合いな母未満の顔がちょこんとのっかっていた。
「俺は最近全然オシャレとか服とかに興味が無くなったな」
「そういうの気をつけなよ。私もそうならないように気をつけなきゃ」
「俺はもういやいや、おじさんはおじさんらしくが肝要です!」
店での会話がふわっと蘇えった。
要らないよ、どう考えたって――。
これからのあんたに洒落た服とか、靴とか、髪型とか化粧とか。もともと薄化粧だし。
そのお腹一つで充分だ。母親のあんたは、きっと誰にも負けない。
無敵さ。
明日から名刺に書いてある社名とか役職とか全部修正テープで消して、そこにぶっとく「母親」って書いちゃいな!
きっと先方はひれ伏すに違いない。
「ダイちゃん!こっち、こっち」
ぼうっとつたっている俺をまた彼女が風に吹かれて乱れた髪をそのままに俺を呼んだ。
「おう、一瞬分からなかったよ」
完