彼女とキュウリ
1
十年来の大学時代からの友人と会った。
妊娠五ヶ月。
「だいぶ良くなったみたい」
夕方の有楽町を歩きながら、彼女は人ごみを楽に歩ける自分の回復振りを素直に喜んでいた。彼女の母親としての苦悩を聞きながら、友人が母親になったことを俺は意外とすんなり受け入れている。
「寒~い」
ビル風を受けた彼女が言った。吐いた白い息を二人で追い越していく。彼女は寒い、ともう一度言った。でも本当に寒そうには思えない。早足で彼女の好きなビールの旨そうなドイツ料理の店に入った。
目の前に心持ちどっしりと座る彼女と話しながら、二人だけで会うのはいつ以来かと考えた。「とりあえずビール」的なフィーリングで、ビールの飲めない俺は、とりあえず彼女の大きく膨らんだお腹に手を伸ばした。
ゆったりめの服の中でサラシに巻かれたそのお腹は、もう遠くから見ても妊婦のそれと分かるものに成長している。俺が触ったらこの子は何かを思うのだろうか。胎児は何でも知っていると聞いたことがある。
母親が食事をしようとしているのくらいきっとお見通しだろう。その母親が常に食事に気を使っていることも。
十五分前。久しぶりの再会に浮つく俺は、歩きながらついつい先を行ってしまう自分を戒めた。
「俺が荷物持たなきゃな!」
「いいよ!」
「いやいや、そうはいかないし」
「ほんといいって、ダイちゃん!」
疲れたらその荷物はその辺に置いて帰るから大丈夫、という僕の最後の押しに、彼女はとうとう折れて、バッグを俺に引き渡した。
地下鉄から地上に上がった彼女は「寒い寒い」を繰り返す。俺は、元来少ない脂肪が最近もっと減ってきたので、俺の寒さは世間様の寒さどころではない。でも、妊婦の「寒い」にはちょっと気を遣う。
早く適当な店を見つけなけりゃな・・・
彼女は、けっこうの美人だ。どれくらい美人かというと俺と歩くとそこそこ様になる。
一度も色恋の関係に落ちたことはないが、その同い年の帰国子女と俺はよくキャンパスを歩いた。
馬が合う、サバサバした彼女は一緒にいても俺の異性アンテナは反応しない。男女の友情を信じないという輩はその際は放っておいた。
そんなこと朝まで議論しても仕方ない。彼女とは笑うツボはそこまで合わない。彼女のツボは緩い。でもムカつくツボとか悲しいと思うスイッチが少し近い。
いつだったか、どちらかともなくホームレスの売るISSUEを一緒に買った。ISSUE¥300。居心地がいい理由を再確認できた瞬間、プライスレス!。
働き始めてから、一度一人暮らしの彼女の部屋にとまったが、あっちのアンテナも反応しなかった。
むしろそこで食わせてもらったキュウリがむちゃくちゃ美味かったことの方がよく覚えている。キュウリってとこがまた良いと思った。
彼女曰く、他の男たちはどんどん彼女の魅力にとりつかれ、ある頃は毎週のようにコクハクされた、らしい。
そういう現場を目撃したわけではないが、本当だろう。彼女に近づく男どもは、彼女のいい女パワーに絡め取られてしまうようだ。
でも何故だか俺はそれに絡め取られなかった。その結果、今でもこの関係が続いているわけだ。
キャンパスを一緒に歩いていると、他のやつと歩いている時にはない視線が自分の周辺に向けられた。
ふと、ハッとしたように目を丸くして二人を交互に見ては視線をそらすやつ。
一度こっちを確認して、それからまた左側を見、ゆっくりと右側に視線を移していく通りすがりを装ってこちらを見るやつ。
まあ、いろいろだ。人の視線というものをいろいろ勉強させてもらった。
「お前ら、人は見た目が全てだろ?」って言ってみたいと思った。
その文句は「人生金が全てだろ?」に似ている。
その両方とも、ギリギリのところまで真理を追い詰めるけど、最後の一歩及ばず、取り逃がしてしまう。
つづく