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六、幻影懐古

 挿絵(By みてみん)

 右腕に焼き鏝を押し付けられる熱さに、バラドは跳ね起きた。

 全身の骨と筋肉が突然の酷使に軋り声を上げる。

 蒼闇。

 鬱蒼と茂伸びる暗い木々の間から、無数の金粒の星が覗き込む。

 バチリと音。

 焚火が煙をもんもんと上げ、風を絡めて揺らめく。

 その奥にシュラクの不安げな、落ちぶれた顔がけぶる。

 地を見る。

 苔が密集している、ごつごつとした石地に自分は寝ていた。

 石が、熱、い…!

「あっ、熱いじゃねえか!」

 今度は意識が飛び起きた。

 きっ、と睨んだバラドにシュラクはほっと溜息を落とす。

「良かった、気が付きましたか。

 頭を酷く打っていたので心配しました。

 本当によかった」

 そういえば、と、頭には破裂そうな強烈な頭痛はあるが、それどころじゃなかった!

「ミラが!

 ミラは!

 ミラが!

 ミラは!―――!」

 燃え盛る焚火を大股に跨いだバラドの、ごつい手がシュラクの胸ぐらを掴んだ。

「おっ、落ち着いてくださいよ!

 わかっています!

 わかっていますから!」

 シュラクの抗議を聞き入れた訳ではないが、バラドはシュラクから手を放すと、自分の雑然と切り揃えられた頭髪をガシガシと掻き毟った。

「ちくしょーっ!

 ミラが、ミラが、

 俺が付いていながら…。

 まったく、くそっ!!!」

「バラドさん、すみません、意識を失っている間に記憶を読ませてもらいました。

 ミラは再生に失敗して無機物と同化したのですね。

 ですが、肉体は死してもミラは生きています。

 私は見ました」

「何をだ!」

「私はバラドさんが馬車の扉を破壊した時に、一緒に地面に放り出されました。

 その時、見ました。

 黄金に燃える小石程の魂が西へ飛び去るのを。

 あれは、ミラです」

 バラドはがっくりと肩を落とした。

「…ミラはティーラーの沈む沼へ行ったんだな。

 あいつの真意を確かめるつもりなんだ」

 そう言って、幾分か丸めた背中を見せて焚火を迂回して、自分の場所に腰を下ろした。

「まったく…、何であいつの所なんだ。

 わかっているが…。

 俺にだって…。

 俺の所に顔を出したっていいじゃないか」

 そうぶつぶつ漏らすと、シュラクの手元の皮袋に目をやる。

「それは、水か?」

 シュラクは微笑みながらバラドに、岩間から汲んだ清水の入った皮袋を差し出す。

 バラドは無言で飲み干すと、空になった皮袋をシュラクへ返し、くるりと背中を向けて寝の体制に入った。

「シュラク、明日朝一番にどっかから馬盗んで走り詰めだからな、しっかり寝とけ。

 それと、ありがとよ。

 俺の体を引きずって来たんだろ?

 お陰で靴の踵は擦り減っちまったけどよ、どちらにしろ厄介になった」

「明日…、何処へ行くのですか?」

「あのバイルフって奴のとこだ。

 決まってんだろが。

 ミラの体取り返しとかなきゃな、あいつの帰る場所がねぇ。

 ついでに<竜眼晶>も取り返さなきゃな。

 町の奴ら、あいつらはまだあん中に居るんだろうが、俺には関係ねぇが、ミラが気にしてっからな。

 だからだ、おやすみ」

 バラドの鼾は即座に演奏を始めた。

 シュラクはこの強靭な精神の男に苦笑すると、頼もしさの反面嫉妬している自分に気付いた。

 いや、強さだけではない、何処にいようとミラを想い続けるこの男に嫉妬している。

 ここまで人を愛せるのか。

 何か、酷く、空虚な胸を抱いて、シュラクも眠りの淵に沈んでいった。


 夜半過ぎ、明け方にはまだ暫く余裕が有る頃。

 湿気を帯びた薪のせいで消えかかった焚火が一気に燃え上がる。

 寝入る二人を覆っていた闇が、四散する。

 気配が揺らぐ。

 人ではない、人の気配。

 光ではなく、しかし、鈍く輝く小さなもの。

 それがゆらりとバラドの額の上に降りてくる。

「…ん、ミラか?ミラだな。

 お帰り。

 首尾はどうだった?」

 バラドのくぐもった問いに、ミラの魂はふるふると震えた。

『ティーラーに会いました。

 ティーラーの真意を聞きました。

 そして、戻って来ました』

「それで、どうだったんだ?」

『気付いた時には、その時の記憶がないのです。

 ティーラーに隠されてしまった。

 ただ…、ただ、とても悲しくて…。

 悲しい思いだけが残って…』

 バラドの目の前に浮遊する黄金色の魂は、今にも消え入りそうな弱々しい色をしていた。

 バラドはそっと、手を差し伸べた。

 夢と似ている、脆い暖かさ。

 ティーラーの所業に対しての怒りをミラに勘づかれない様、心の奥で握り潰す。

「ミラ、夜が明けたら、お前の体を取り戻しに行く。

 …一緒に行くか?」

『…ええ。

そうですね…』

「ミラ。

…キス、していいか?」

 儚い色の魂が、ゆらりと首を傾げた。

『…何を、可笑しな事を。

 私は唇も、答える舌も、持ち合わせてはいないのですよ』

「だからじゃないか。

 下手にそんなもんがあるから、俺はいつっも自分を抑えるのが大変なんだ。

 考えてもみろ。

 毎晩、最愛の女の見事な体を抱いて、感情を押し殺して、なあーんにもしないで寝るなんてなぁ、俺にしか出来ねぇ芸当だがよ。

 やっぱり不健康だし、体に悪いだろ。

 今ならお前を心から抱いてやれる。

 まぁ、心しかないからな。

 それに、俺がお前に一方的に、心底惚れているんだ。

 お前は、呆れて、笑っていればいい。

 お前に殺されるまで傍にいる」

 そして、いかつい体には似つかわしくない、初夜の花嫁に口づけするぎこちなさで、ミラの魂に口づけた。

「来いよ、ミラ。

 魂全部、抱いてやる。

 お前には泣ける場所が必要なんだ。

 ほら」

 ミラの魂は泣いていたのか、黄金に青白い光を絡ませて、バラドの胸に染み入っていった。

 暖かく、束の間の、情熱に翻弄された愛情に呑まれていく時。

 それが掛け替えのない瞬間であったと確信するのは、いつの時も、取り返せない事実を目前にした時。

 ありったけの想いを込めて、バラドはミラの心を包んだ。

 身体に刻印を刻む様に、ミラの心に自分が刻まれる事を密かに願って。

 自分が死した後、それがミラを苦しめる事は承知していた。

 それでも、そうせざるを得なかった。


「ミラ…」

 暫くして、ミラの魂が安穏に柔らいだ頃、バラドは呼んでみた。

 ミラはバラドの話しは解っていたが、黙して聞いていた。

「お前の体は死んじまってるんだよな。

 生き返るのか?

 また、苦しい目に遭うんじゃないのか?

 あんな、…椅子と同化しちまうなんて、何て言うか…、お前ばっかり辛い目に遭ってるんじゃないかって…。

 だから…、あんな体なんて捨てろよ。

 ケガする度に再生に苦しんで、神やら何やらに追い回されて…。

 俺は、このまま、魂だけのお前と暮らしていたい。

 俺はお前が幽霊でも、例え蛙の姿になっても、いや、例えが悪いな、せめて、鳥とか、花とか…。

 何でもいいんだ、お前でさえあれば、俺は…」

 バチチッ。

 弾けた焚火の向こうで、シュラクが寝がえりを打つ。

 バラドは又シュラクの存在を忘れていた事に自嘲した。

「…いや、すまねえ、俺ってやつは…、下手でよ…」

 ミラの黄金に揺らめく魂が、すいと寄ると、バラドの額に口づける。

『バラド、私は…』

「いいって、何も、何でもないんだ。

 夜明け前に立つぞ。

 やっぱりお前には体は必要だよ。

 それに、忘れてたが<竜眼晶>も取り戻さなくちゃな」

 バラドはミラの魂を抱くと、すぐに心情を頑強な壁で覆った。

 ミラを外界の雑念や過去の忌まわしい記憶から守る、壁。

 バラドの感情をミラが読む事さえ許さない、厚い壁。

挿絵(By みてみん)

 

 日が昇る直前の、急激に冷え込む空気にバラドは目覚めた。

「…!」

 意識の壁が解かれていた。

 自分ではない。

 何か、何かが、壁を破ってミラを。

 ミラ!

 ミラがいない!!

『お目覚めですか?』

 頭部後ろから透き通る若い男の声(?)がした。

 飛び起きて、振り向き身構える。

 左手には短剣。

 利き手の右手はフリーのまま、全ての状況に対応すべく、満力をたぎらせる。

「なぜ!お前が!」

 目前にすらりとした美身。

 鮮やかな水色の上質なケープを纏った、美女と見紛う青年が、頭と肩、腕、胴、足がそれぞれ左右にずれた形で立っていた。

『バラドさん、驚かれるのは勝手ですが、思考に集中して頂けませんか?

 私の体がどうも、バラバラに貴方の思考に捉えられている様です』

 さらりと言ってのけたティーラーは、その物腰から、嫌味を嫌味と思わせない術を心得ていた。

 ミラは何処にもいなかった。

 消えかかった焚火を挟んで寝入っていたシュラクが、もぞりと起き出した。

(バラドが、誰かと、対峙している、誰だ?)

 ぼんやりとした容姿がはっきりと目に飛び込んだ瞬間、シュラクの体は硬直した。

(私と瓜二つで、しかし、力量が桁違いで。

 確か、夢で見た。

 あれは、あれは…!)

 バラドの向かいに居る人物を理解した途端、シュラクは平伏しようとしたが、なにぶん起き掛けだった為、足が痺れて顔を地面におもいっきり擦り付ける形になってしまった。

「ミラをどうした!

 どこへやった!

 お前はなぜミラの記憶を消した!

 何を企んでいやがるんだぁ!」

 バラドが吠え立てると、神々の寵児である青年の端整な表情が可笑し気に綻ぶ。

『彼女は自分の体を取り戻しに行きました。

 彼女の体は再生を始めました。

 彼女の精神がなくとも、あの体は独自の意志で自らの戒めを解く事が出来る。

 そして、完全に復活すれば、あの体は自身の意志を持つでしょう。

 抑制のない力の開放。

 即ち、ミラは自身の持つ力を制圧していたのです。

 お解りですか?

 ミラの自分に対する迷いや不信が、力の開放を阻止していた。

と、いう事です』

 平然と解説するティーラーにバラドは煮えぎたる憤りを覚えた。

 意識の幻影とはいえ、容姿にそぐわない年嵩(としかさ)の冷めた視線も、見下した態度も。

 何よりも、自分よりミラの事は幾重にも理解しているという態度が気に入らなかった。

 そして、何も告げず、自分を置いて行ったミラにも…。

「糞ったれめがぁ!

 お前は知っていたんだな!

 それで、ミラが体から分離するのを狙っていやがったんだ!

 ミラはお前を信じているのに、貴様はミラを何だと思っているんだぁ!!」

 バラドの叫びは、朝の澄んだ空気を切り裂く。

 鋭い怒りの『気』が何千もの鋭利な刃となり、ティーラー目がけて切りつける。

 右から、左から。

 絹を裂く、幾多の鋭い音が走る!

 空気が裂ける!

 瞬時、バラドの肉体から血煙が四散する。

 おびただしい裂け傷。

 鎌鼬(かまいたち)だ。

 感情のままに発散されたバラドの『気』は、鎌鼬となって空間を縦横無尽に切り裂く!

「ひゃぁぁっ!」

 シュラクが情けない声で、頭を抱え込んだ。

 見下したティーラーの視線は、それでも涼しげで、幻影でしかない自分に場違いですねと嘲笑うかにバラドには思えた。

『もうそのくらいにして下さい。

 力の温存も大切ですよ。

 貴方がたはこれから敵地へ乗り込むのでしょう?

 ミラを救い出して下さい。

 お願いします』

「何を言っていやがるんだ?お前は?」

 バラドの周りで『気』が渦を巻く。

 二波の構え。

『貴方は誤解をしていらっしゃる。

 私がミラの体の、独自の意志に気付いたのはつい先程の事。

 ミラの体が再生を始めた事で分かったのです。

 それですぐにミラに行ってもらいました。

 私がミラの力の開放を望んでいると御思いですか?』

「分かるもんか。

 口では何とでも言えるさ」

『貴方に心読みが出来ないのが、残念です』

「おあいにく様だったな!」

 ティーラーが肩を落とすのが、バラドには解った。

 随分と子どもじみた仕草。

 妙な感じだった。

『<竜眼晶>も忘れずに。

 あれはバイルフの元に有ります。

 ミラとの取引に使うつもりでしょう。

 それと、馬を二頭用意しました。

 私は沼の『魔物』を封印する事で手一杯なので、物質を動かす余裕は有りませんが、近くの町で酔っ払った馬番が主人の馬二頭を逃がしてしまう事ぐらいは出来るのですよ。

 鞍も付いていますから、どうぞお使いなさい』

「そうだな、他人様の記憶を勝手に盗んで見せるくらいだもんな。

 すげぇ芸当だぜ」

 バラドはあからさまに鼻で笑った。

 シュラクは離れた場所で、息苦しさを感じていた。

(これが、あの、ティーラー様だ。

 神々の恩寵を一身に受けた、自分にミラの記憶を見せた、そして自分に瓜二つ容姿を持つ桁違いの超人)

 ぶるっと、背筋が凍る。

(私の肉体がこのお方の依代(よりしろ)なのか?)

『いえ、安心なさい。

 私は現存する肉体には執着はないのです』

 はっと顔を上げたシュラクの視界に、穏やかな表情のティーラーの笑みが入り込んだ。

 シュラクは無条件に信じてしまう自分に驚いた。

 ティーラーの横でバラドが憎々しげに舌打ちした。

「俺はお前に聞きたい事が山程有るんだが、今は時間がねえし、聞いたってミラと同じく都合の悪い所は記憶から消してしまうんだろ?

 だったらいいや。

 まっ、でも、一つ」

 バラドはティーラーの幻影を、真っ向から睨みつけた。

「俺はお払い箱で、そこでびくついているお前そっくりなアイツが後釜なのか?

 どうなんだ?

 答えろ!!」

 先程の鎌鼬に似て、張り詰めた熱気がバラドの全身から蜃気楼の様に轟々と立ち昇る。

 鎌鼬の一波は手応えもなく返されてしまったが、同じことはさせない。

 精神には精神だ。

 バラドの気迫が一気に膨れ上がる。

 と、ティーラーの幻影がすっと視線を細めた。

『貴方は、可愛い方ですね』

 そう一言残すと、瞬時に搔き消えてしまった。

 後に残されたバラドは、不発の一撃を抱えたまま、大地が揺れる程に憤りに震えた。

 シュラクの身を呈した抑えがなかったら、周りに茂り立つ木々は残らず、猛気で裂き倒されていただろう。


 馬はシュラクによって、すぐに見つかった。

 見事な駿馬でシュラクは感嘆していたが、バラドにとっては腹立たしさが募るだけだった。

(いつか、化けの皮を剝がしてやる)

 それしか頭になかった。

 馬車が駆け去った東南へ、一心不乱で馬を飛ばす二人。

 馬を乗り潰す心配等、一欠片も浮かばなかった。

 丸一日駆け通しで、案の定どちらの馬も潰れたがタイミングよく閑散とした村に差し掛かったので、薄闇に紛れて恰幅の良い馬二頭と食料を失敬した。

 ついでに、貧相な鍛冶屋で、代々のお宝と思しき二振りの見事な長剣も頂いた。

 剣術の心得など皆無のシュラクは狼狽えたが、心配に及ばず、バラドは二刀流だっただけの事、バラドとてシュラクに剣類などもっての外との見識は持ち合わせていた。

 道程での誘導は、ティーラーの指示をシュラクが一方的に受ける形になった。

 シュラクにとっては光栄この上ない仕事だと目を輝かせていたが、バラドにしてみればとんでもなく、ただのティーラーのいい駒扱いで、積もり積もる憤慨をどう解消するか悶々としていた。

 実際、ミラの事を考えると、抑えきれない動揺が口から全身の毛穴から、止めどなく溢れ出る様で。

 今、この時間をミラは再生の苦しみにのたうっているのかと思うと、ただ前へ、前へ、ミラに近づく、それしか出来ない自分に苛立った。

 馬と食料と武器を提供してくれた村を遥か後にし、追手のない事を確認した時には、既に夜半近くになっていた。

 巨大な白い月が、黒い木々の間から覗く。

 夜目が利くバラドと違い、シュラクは暗闇を疾走する馬にしがみ付くしかなかった。

 そして、二人を乗せた馬は、既に限界だった。

「バラド!馬は!もう!だめだ!」

「うるせー!聞こえてる!」

 予測通りの、怒鳴り声。

 それでもバラドは馬の脚を止めるきっかけを、求めていたのだろう。

「あーー!ちきしょう!」と、一声叫ぶと、馬の歩調を緩めた。

 しばらく歩くと、無数の大木が太い根をうねり突き出す林で、二人はやっと休息を取る事にした。

 鞍を解いた馬をしっかり木に繋ぐと、シュラクの起こした焚火の前にバラドは大袈裟に腰を下ろした。

 簡単な食事の後、ごろりと横になると、シュラクの顔をまじまじと見据えて大きく息を吐いた。

「どうしたのですか?」

 道程、裂かれんばかりの憤りを感じていたシュラクは、余りの豹変ぶりに気が緩む。

 バラドは上目遣いにシュラクを見ると、苦笑に近い笑い皺を目元に浮かべた。

 焚火の炎影が、揺れる。

「明日には、ミラに会えるんだろうな」

「ええ、明日の昼には着くと言われました」

「ティーラー。

 ティーラー。

 ティーラーか。

 何でそーなる。

 あいつを不気味だとは思わないのか?

 でも、しかたねぇ。

 今はあいつの言う通りにしないと、ミラに会えねぇんだろ」

 バラドはそう言うと、悪戯な眼差しでシュラクを見た。

「俺はミラと夫婦やってた事がある。

 半年足らずだったが。

 いや、その内の二ヶ月間、俺は戦争へ行ってたっけ。

 それでも、幸せだった。

 生きてる間の幸せの全部を使い切った。

 生きてるって言ってもよ、俺はとっくに死んでいるはずの人間だから、変だよな」

 突然の話に、シュラク固まった。

 薄々は感じてはいたものの、聞きたくはなかった。

 焚火の煙にバラドの姿が霞む。

「やけになって、くたばりかけてた俺の命を拾ったのがミラだったが、そっからがいけねぇ。

 すぐ、俺を殺そうとしやがる。

 何度もだ。

 だが、ためらう、やめる、いつもだ。

 おかげであん時は生傷がたえねぇくて…」

「なぜ、今、そんな話を…」

「ミラは俺の記憶を読んだんだろう、俺は盗賊一族の出だが、それは表向きの話で、いろんな国に雇われる暗殺が本業だ。

 生まれた時から、殺し、盗み、なんでもやらされた。

 そんで、いろいろあってよ、俺は一族を皆殺にしちまった。

 いや、あれは間違いかもしれねぇが、俺がやったんだ。

 オヤジも、お袋も、仲間も、妹も、弟も、みんな俺が殺しちまった。

 それからは、めちゃくちゃだ。

 殺しも、盗みも、強姦も。

 すぐに地獄から迎えが来ると解っていたから、それを待った。

 だが、来たのは、ミラだった。

 あいつは、天使か死神か。

 あいつ自身も自暴自棄になっていて、俺はこいつになら殺されてもいいと思ってな、付きまとった。

 いや、いや。

 迷いながら苦しむあいつを見て、楽しんでいたんだ」

 バラドの目は、既にシュラクを見ていなかった。

「俺の手は血だらけだ。

 ミラも自分を呪っていた。

 自分のせいで、たくさん死んだ。

 お前と同じ、大量殺人者だ、と言って笑ったんだ。

 それで俺はぶち切れた。

 あいつを強引に犯したんだ。

 嫌がるあいつを力づくで何度も犯した。

 それで、気付いたんだ、俺を。

 俺が何を、望んでいるか。

 ミラがどんなに綺麗か。

 ミラも気付いた。

 俺の心の中を知って。

 それから、少しずつだ、気持ちが合うようになって。

 お互いに欲しいものを、相手の中に見つけたんだと思う。

 神の拘束の薄い村を見つけて、空き家を借りて、このままこっそり紛れて暮らそうと誓った。

 ミラはすぐに身籠った。

 仕事も見つかった。

 ミラの料理は何でもかんでも焼くだけの料理だったが、いつも腹いっぱい食った。

 美人の新妻がいるって、毎日誰かが世話を焼きに来た。

 ミラは、声を出して笑っていた。

 永遠に、続くと、思った」

 ガッツ!

 焚火の組んだ木が、炭となり崩れた。

「何が、有ったのですか?」

 シュラクは、崩れた木を組み直し新たな木枝をくべるバラドの太い手を見つめた。

「聞くか?

 俺は眠れそうにないんで話しているだけなんだが、無理して付き合う事ないぞ。

 まっ、明日はミラの居場所さえ分かればお前はもういいからな、昼寝しててもいいしな」

 バラドは組んだばかりの焦木の一つを、枝で突いて倒した。

 火の粉が上がる。

「ミラは、自分の中に誰かが居ると言い出した。

 それが腹の子を殺そうとしていると」

 俺には言ってる意味が解らなかったが、それは、すぐに、始まった。

 ミラの体は、内側から切り裂かれていった。

 ミラは必死に子どもを守ろうとしたよ。

 だが、だめだった。

 ミラは、体が独自の意志を持っていると言ったが、俺にはさっぱりだ。

 ミラの再生は酷かった。

 この前の、腕の時とはわけが違う。

 村の中には、発狂者も出た。

 村には、いられなくなった」

 バラドは、組んだ両腕に頭を埋めると、動かなくなった。

「あれから、一年だな。

 まだ、笑う声が、聞けない。

 前のように、自分の手首を切り落として、再生するのをわざと俺に見せるような馬鹿な事はしなくなったが、もっと酷い呪縛に取り付かれているみたいだ。

 それは、ティーラーか、あいつ自身か、どっちもなのか…」

 バラドは一つ伸びをすると、踏ん切りをつける勢いでその場を立った。

「すまねぇな、なんか、すっきりしたぜ。

 寝てくれ」

 そう言うと、熊並みの図体を暗闇の中へ、首の見えない程に丸まった背中が溶け込んでいく。

 一人シュラクは暗黙の中、確信に似た不安が胸を締め付ける痛みに、天を仰いだ。

 バラドはどうして急にこんな話をしたのか。

 シュラクは必ず訪れる明日が怖かった。


 

 星が、星々が、闇空を滲ませていた。

 果てのない、空虚。

 どこまでも、暗鬱で深く。

 吸い込まれる程に、清らかで冷たく。

 深く。

 広く。

 暗く。

 満天の星々の凍てつく痛みに、バラドは身を任せていた。

 シュラクといた場所からは、幾分か離れた草原。

 バラドはそこでごつい足を投げ出し、両腕を広げて寝転がり、果ての無い星空を全身に受けていた。

 目を閉じる。

 夏気を帯びた、生々しい瘴気が、鼻を掠める。

 何処かに、探している。

 この夜空の、何処かの下に居る、ミラを捜している。

<神読人>という、受けに才を持つ人種ではないバラドに、ミラを感じる事は出来ないが、その痛みは痛烈にバラドを掻き立てた。

(ミラ!

 ミラ!

 ミラ!)

 この時間に同じく存在しているミラは間違いなく、今の今、この瞬間にも再生に苦しんでいる。

 ティーラーの力等当てに出来ない。

 だからと言って、自分に何が出来ると言うのか…。

 バラドの握った拳に血が滲んでいた。

 明日、ミラに会える。

 ミラを救う。

 あの男を倒さなくては。

 ミラはどう思うだろうか、止めるか?

 それとも…。

 いや、違う!

 そんな事じゃなくて!

 これはティーラーが俺を始末するには、持って来いの舞台じゃねえか。

 酷く、そう思う。

 これが、俺が見る最後の星空だって。

 せめて、ミラと一緒に眺められたら…。

 しらしらと震える満天の銀の輝きが、ぼやけて、滲み、広がっていく。



 同じ頃、ミラは細胞の変換に伴う灼熱に身を焼かれ、精神と肉体の狭間で、この世のものならぬ地獄図に身を投じていた。

 ミラの叔父は馬車を解体して、ミラの細胞の及ぶ椅子を自城へ運び入れた。

 『湖遊城』と呼ばれるバイルフの城である。

 湖水に浮かぶ巨大な一枚岩の上に建てられたその城は

 <混沌の魔族>との契約により、バイルフがミラを囲う為に与えられた城だった。

 ミラの体は死していた。

 上半身の片側が馬車席から突き出ている。

 他の部分は、豪華な馬車席に練り込まれ、ビロード張りの席の至る所に、ミラの血管や内臓の赤い肉が浮き出ている。

 が、しかし、それは始まった。

 クッションのスプリングが食い込んだ心臓が動き出し、細胞が、血液が、皮膚を燃え爛れさす熱を発散させ、再生の仕事を始めた。

 同時に新たな意識が、いや、そもそもミラの体に潜伏していた、独自の意識が目覚めつつあった。

 誕生と再生の絶叫。

 無惨な肢体は、細胞が個々に発する熱に焼かれながら、声帯を形成していない為、音として伝わるはずのない絶叫が、精神の波動となり城の住人を次々と発狂させていく。

 バイルフは精神波を遮断する瞑想用に設えた鉛張りの部屋へ、苦しみもがくミラの肉塊を押し入れた。

 その間に発狂した従者は、命を絶たれ城外へ捨てられた。

 ミラの魂が到着したのは、鉛張りの部屋へ幽閉される寸前だった。

 叔父は気付いたのだが、ミラの魂共々閉じ込めてしまった。

 それがミラの、再生の苦痛と別意識との凄まじい肉体争奪戦の始まりだった。


 夜が明ける。

 誰の上にも、どの様な状況下であっても。

 その朝は、煌めく清風を身に纏い、地上に降り立った。


 その日が、始まる。


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