それはもう着々と
受験期で更新が遅くなりそーです(-。-;
(少し拝借しますね…)
心の中でそう呟き、トウコはキセラのクローゼットにあった黒色のポロシャツをハンガーから取り外した。そして自分のベッドの中にそれを隠した。自分は一体何をしているのだろうと心の中で何度も疑問が生じたが、そんな心情は知らぬ振りをして虎視眈々と準備を進めていく。
(キセラが側にいない。こんな機会は滅多にない…!)
暫くの間、彼女は諸々の作業をした。そして全ての事をやり終える。まだキセラは帰ってきていない。
トウコはこれからどうするか考えた。
(裏山に行くのは時間がかかる。その間にキセラが帰ってきて不審に思われたら困る。また、遭難でもしたらもっと厄介だ…裏山は取消しだな)
彼女は大きな部屋の中を動き回る。考え事をする時、無意識に体が動いてしまう。
(そうだ)
彼女はペンと紙を取り出して、置き手紙を書いた。
新しい本を借りに中央部図書院に行っています。
とーこ
そしてペンをしまい、再び部屋をぐるぐる回る。
(よし、大丈夫だ)
トウコは、部屋を出て目的地へと向かった。
キセラの部屋には本がない。彼女は一度読んだ本は二度と忘れないので蔵書しておく必要がないのだ。だから彼女の空いた棚を代わりにトウコが使っていた。しかし、その棚の本も大分読み飽きてきた頃だった。
しかし、これだけが今から図書院に行く目的ではない。図書院にあれがあるかは定かであったが、物は試しだ。
中央部図書院はその名の通り、王宮内のど真ん中に併設されている。エム マイの子ども達の宮殿がその周りを囲むようにしてある、そんな構造を王宮はしている。そして、王族の核となる女王の住まいがそんな栄えた建築物達から一歩離れた寂しい森の中にある。一言で言えば人間らしくない配置であった。
中央部図書院は一般利用も可能だった。トウコは王宮内の者ではあるものの、立ち位置が不透明で説明もしづらい役である。図書院を利用する時は大体キセラがいたから検問を通すこともなかったが、今回は一人なので、一般客を装った方がスムーズだろう。
図書院に行くまでの道のりの周囲の景色は、自然が人工物のように整理され美しく並んでいる風景がずっと広がっていた。その自然の合間に幾つかの宮殿がある。やはり、全ての景色はとてつもなく豪華で労力がかかった代物であった。何故、ポリゴンの癖してこんな無駄に煌びやかな建物群を創り上げたのかは不明である。ポリゴンも人間もそんなに変わらないのではないかと錯覚してしまう。
王宮内の中央部に到着すると目的の建物があった。図書院の中に入ると、雰囲気が一気に変わる。これでもか、という高い天井と巨大なガラス戸から入ってくる陽の光が部屋一面を照らしていた。ガラス戸の反対側の壁には本棚が一面に張り付いていてそこは日陰になっていて陽が当たらないようになっている。ガラス戸の方はテーブルと椅子があり、数名のポリゴンがそこで座って本を読んでいた。真夏になれば暑すぎて窓際には座れなくなるという現象が起こるので、夏の合間はブラインドがかかっている。今は9月。夏も過ぎいよいよ秋といった時期なので、ブラインドはかかっていなかった。
この図書院はこれだけではない。地下二階になっており、そこは全て適正な温度を調節して保っている蔵書庫である。本当に保存しておくべき書物は全て地下にあるのだ。
そして、トウコの目的の物は地下にあるはずだった。
まず、中へ入ると司書が待ち構えている。王宮内の者なら、役職と名前と王宮内関係者専用のバッジを提示すれば入ることができる。特にキセラのような王族ならこの手続きも不要になり、顔パスで入場が可能だ。では一般客ならどうか。住所と諸々の個人情報を提示すれば、それで入場可能である。2回目以降は発行してもらった専用のカードを提示するだけで良い。
トウコはバッジを持っていたが、いかんせん役職が居候という変梃な肩書きしかないので一般客として入場することにする。そしてカード発行のために、自分のデタラメな個人情報を登録用紙に書いた。
住所は、6年以上前、キセラに出会う前に住んでいた家の住所を覚えていたのでそれを書き、名前はどうするか迷ったが、名前は正直に書くことにした。そしてそれ以外の諸々の情報は適当に書いた。書き終えると、目の前の司書に渡す。
眼鏡をかけた女だった。当然彼女もポリゴンな訳だが眼鏡をかけていることに驚いた。
(ポリゴンも眼鏡をかけるのか…)
しかしながら、キセラのいない単独行動はやや緊張するものだ。
キセラによると、人間にしかない体臭というものはないらしいが、口調や態度から出る人間臭さというものは分かってしまうらしい。これは自分では分からない。意図的に人間臭さを排除して社会生活をすれば良いのだが、それが難しいのだ。自分自身で気づかずに人間の雰囲気が滲み出てしまう。今日生き残っている数少ない人間は日々必死に人間味を無くすことに努力してきた。毎日、バレないようにビクビクしながら自分自身を覆い隠すのだ。
気の毒だ。トウコは身勝手に思う。6年前運良くキセラに拾われてから、彼女はキセラの城でずっと引きこもりながら暮らしていた。何度か外に出ることはあったが、全部キセラが側にいた。だから他の人間と比べ、比較的ぬるま湯の中で暮らすことができたのだ。
しかし今回は違う。誰もそばにいない。完全単独行動だ。もちろん緊張する。ただそれが楽しいと思う自分もいた。
「では、カードを発行しますので、もうしばらくお待ちください」
女は毎度のように手際よく作業をし始めた。
彼女は司書の女が手続きをしている所を見つめていた。彼女はパソコンでトウコが記入した紙を見ながら文字を打っている。
(無事に終わればいいのだけれど…)
しかし、その時、淡々と手続きをこなしていた司書が急に動きをやめた。トウコはなんだろう、と疑問に思う。
そして女は目を見開いてこちらの方へ振り向いた。それはもう異様な目で。
トウコの体に一気に緊張が走った。
(なにかバレることしたか…?)
トウコは緊張のあまり何も言葉が出ず体が硬直してしまった。そして数秒ののち、なんとか小さな声で、
「…どうされました?」
と言った。司書は目を見開いたままである。数秒の沈黙。そして、思い出しかのように、
「い、いえ。なんでもありません。もう少々お待ちください」
と言った。
キセラは、ガーデンから帰ってきて部屋に戻るとトウコがいないことに気づいた。そしてすぐにテーブルに置いてある置き手紙を見つけた。
どうやらトウコは図書院に行っているようだった。彼女はトウコが一人なことを少しだけ心配した。
(…まあ、トウコなら大丈夫か)
そう思い、とりあえずいつも座っている膝掛け付きの椅子にどっぷりと座り込み、目を瞑った。
何故だろう、今、彼女は異常に疲れていた。朝から異様なことが起きすぎたせいだろうか。
(少し眠ろう…)
微睡のなかで彼女は夢なのか考え事なのか分からない狭間で白昼夢を見る。幾何学的な図形が空間の中で飛んでいて自分はそれを目で追っていた。果たしてこれが夢なのか、それとも現実なのか分からない。ただ、宙に浮かんでいるそれを捕らえようとなんとか追おうとするが中々できないことがもどかしかった。絶妙で奇妙な白昼夢を彼女は見ていた。
いつしか図形を追っている内に、自分が幾何学模様の世界に迷いこんだみたいになる。目を開ける。しかし幾何学は終わらなかった。目を閉じても同じだ。とうとう彼女は幾何学の世界から出れなくなっていた。
(気持ち悪い…)
頭痛がする。目は閉じている筈なのに、目がぐるぐると回っているようだった。
図形が飛んで、立体になって、膨らんで、切断され、踊っている。
何も見ていない。
目は閉じている。
けれど脳が絶え間なくイメージする。
図形。
立体。
舞。
切断。
生成。
無限。
キセラはとうとう耐えきれなかった。
どうにか脱出しなくてはならない。
(キセラはキセラ…)
彼女はそう心の中で唱えた。
目は閉じても開けても変わらない。キセラは叫ぶ。
目を醒ませ!
見慣れた部屋があった。自分は椅子に座っている。
彼女は呆然とする。
現実か?
彼女はしばらく椅子に座ったままであった。
どうやら虚無化に入りかけていたようだった。
久しぶりである。
頭はぼんやりとしている。
ふと、あの娘が居ないことに気がついた。
「トウコ?」
彼女は呟いた。
返事はなかった。
彼女はテーブルの上の置き手紙を発見した。
新しい本を借りに中央部図書院に行っています。
とーこ
歯車のように記憶が動き出す。そうだ。思い出した。今朝の招待状やシファンの来訪もトウコの珍しい外出も、全て思い出した。ずっと忘れていたようだった。
しかし今は覚えてる。脳は正常、むしろクリア。全てがリセットされたように気持ちはすっきりとしていた。
そして頭はゆっくりと回転し始める。
(確かシファンが今日は招待状の件で王族達は外へ出て井戸端会議をしていると言っていたな…)
今日は特別、ボリゴンの出が多い日だ。
キセラは、トウコを迎えに行くことを決心した。そして、部屋を飛び出した。
まるで、白昼夢で見た幾何学図形の世界が未だこの部屋には残存していて、その世界に囚われないよう逃げるかのように。