ガーデンにて
ガーデンに出るとガゼボの中に女の影が見えた。キセラはそちらへと向かう。
女はこちらへと振り向いた。
「久しぶり、キセラ」
女は立ち上がる。
彼女は王室の次女であるエム シファンだ。
胸あたりまで伸びた少しウェーブのかかった髪色はキセラと同じ薄茶色だ。しかし、似ているのはそれくらいで、キセラと違い、目はくっきりとしていて、少し面長で背も高い。キセラはどちらかと言うと儚い美しさがあるが、彼女には理知的な美しさがあった。少々、低身長のキセラは彼女を見上げる。
「お久しぶりでございます」
キセラはトウコ以外であれば、どんな身分に対しても敬語で会話する。例え、使用人であっても、赤子であってもだ。
「何で私が此処に来たかって驚いているでしょう」
「はい」
キセラもガゼボの中に入り、椅子に座った。
「招待状は見た?」
「ええ、お母様のですよね」
「そう。宮殿内は大騒ぎよ。皆んな、あーだこーだ噂話をして今日の午前はその話題で持ちきりだったっていうのに、貴方は一歩も外に出てないじゃない」
「他の皆さんは外に出てたのですか?」
シファンは頷く。
「招待状を受け取った者同士で井戸端会議をしてる。でもキセラの姿が一つも見えなかったから、アスナは心配していたのよ」
アスナとはこの王族の長女である。アスナは用事がなくてもよくキセラの元へ行っては、今日のように庭でキセラに現在の王室のことを伝えたり、お喋りする仲であった。常に明るく失礼かもしれないが長女には思えない幼さもあった。天真爛漫と胸張って形容できる女でもあるが、気をつけなければいけないところは彼女もしっかり頭が良いと言うことだ。それでキセラは彼女との会話の中で、幾度となく痛いところを突かれた記憶がある。そしてアスナは、唯一王室とキセラを結ぶパイプでもあったのだった。
「それならば何故訪ねてくるのが、アスナではなくて私かって?」
「そうです」
「あの娘、お母様大好きだったじゃない?」
「確か、そうでしたね」
「今日の招待状でかなりショックを受けてとうとう先程、一時的に薄い虚無化症状を起こしちゃったのよ。昔の貴方みたいにね」
彼女はキセラの方を指差して言った。
虚無化。それは唯一ポリゴンに現れる病気的現象である。キセラが幼少期に病的に無気力な少女だったのは、この虚無化という現象が体内に起こった為だった。原因は正確には分かっておらず、何かショッキングなことがあればその反動で虚無化を起こすことが多いそうだが、詳しくは不明だった。しかし経験則としていづれの虚無化したポリゴンも時間が治してくれることが分かっている。
「え、まずいじゃないですか」
「多分、大丈夫よ。安静にしていたら時期に治る」
「そうなればいいのですが…」
それから、二人は取り止めのない会話をいくらかして時を過ごした。
「ポリゴンの国が栄えて随分、ポリゴンは人間らしくなった。アスナみたいに感情的になる者も少なくない。我々は人間より高尚な生物として生み出された生物だというのに、何故か皆は人間に近づこうとする。…でもね我々の特有の性質として虚無化という未知の現象がポリゴンの内にこびりついているの。思うに、人間的になり過ぎた場合そのストッパーとして虚無化というのがあるんじゃないかしら」
彼女は若干反人間な部分がある。
「だからアスナが感情的になり過ぎた分その反動として虚無化に至ったという訳ですか」
「そうよ」
「そうであれば、私は生まれたて、人間的だったということになりますね」
「うん、そうなるね」
シファンは笑った。
「それで、シファンお姉様は何しにここへ?」
「今夜の集会について貴方に話したいことがあってね」
キセラの予想は当たっていた。でなければ、あまり仲も良くない彼女が進んでここへ来る理由が他に無かった。
「私はね、他のポリゴンよりも色々と裏を知ってるの。だから、勘として今晩何か重大なことが起こるのが分かる」
「まあ10年ぶりにお母様が姿を現すので重大なことは起こるだろうけど…」
「違う、そんなんじゃないよ。もっと、歴史を転覆するような何かがあるに違いない」
シファンはテーブル越しにこちらへ少しだけ身を寄せて言ったた。
「ここからが本題よ。何か異常な有事があった際、私はキセラの手を借りたいの。勿論、私も貴方に手を貸す。知ってる情報は全部言う」
気迫のある顔だった。
「いや、私に出来ることなんて何もないですよ。なんで私?」
「これから立ち向かう有事は一人じゃ対処しきれない。誰か助手が絶対必要なの。貴方は頭が切れる。私が貴方を絶対良いようにするから。二人で勝ち進めません?」
「まだ何も起こってないのに…」
キセラは苦笑いした。シファンはまるで、今宵行われる集会の詳細を知っているようだった。その上、勝ちと表現している。何か勝ち負けのある争いが今後起こるというのか…。キセラは少し憂鬱な気分になった。
しかし、何故自分を頼ろうとするのかキセラはやっぱり分からなかった。別に頭が切れると言っても他に頭の良いポリゴンならいくらでもいる。例えば、長男とか…。
「起こってからじゃあ遅いの」
シファンは真面目な顔だった。
断る理由などない。だってまだ何も起こってないのだから。
「どう?」
「それはケースバイケースってやつですね」
彼女は場の雰囲気を少し変えるために少しにっこりと笑った。
しかし雰囲気は変わらない。シファンは真面目な表情だった。
「まあ、そんなところだろうね」
「?」
「まだ何も起こってないのに、手を組む方が無理があるよね。逆に承知された方がこちらとしても困るわ。元来の目的は私が貴方と組む気があるっていう意志表示を誰よりも早く伝えたかったってことだけだから」
シファンは立ち上がった。
「でも心配しなくても、キセラは絶対私と組むことになる」
彼女は微笑んだ。
「そう自信あり気に言われるのなら、本当にそうなってしまうんだろうな…」
キセラは息を吐いた。
「ふふふ、分かってるじゃない」
「じゃあ、少し早いけれど、今日のところはこれで。私まだやることいっぱいあるの」
シファンは先程来たばかりなのに帰ろうとした。
「そうですか」
キセラは立ち上がる。
「じゃあ、また今晩〜」
シファンは手を振り楽しそうに別れを言いながら去っていった。
キセラはガーデンで一人になる。
つくづく面倒なことが増えたな、とため息をつく。しかし、大体の事態は諦めるしか方法がない。キセラはそうやって生きてきた。いつだって諦め、妥協しながら過ごしていた。それが一番楽な方法であったのだ。だから、シファンの言う有事が起こっても、キセラのすることはただ一つだ。『諦める』これ一つに限るのだろう。
否、少しはキセラも頭を働かせるべきなのか。キセラは、幼き頃の虚無化現象から立ち直った今でも実はトウコの件を除いて、無気力なまま過ごしてきた。
今、そこから脱却する時が来たのかもしれない。
しかしそれでもやっぱり面倒だ。体が怠くなる。彼女は力が抜けたように椅子に座った。
(あー怠)
キセラは庭の中で一人、舌打ちをしたのだった。
しかしながら、シファンが何故キセラに拘っているのかは未だにわからないでいた。
時刻は、13:43。
(キセラは今西方のガーデンにいるから普通に表から出た方がバレないか…)
そんなことを考えながらトウコはキセラのクローゼットを物色していた。
王室、といっても豪華なドレスを着たり、高価なアクセサリーを身につけながら優雅に過ごす連中ではない。それは一昔前の人間だ。ポリゴンは普通にジーンズを着るし、自身にとって最も動きやすい服装で日々を過ごしている。彼らは、そんな名誉やプライドじみたくだらないものは持ち合わせないのだ。
(あった)
トウコは目的の物を見つけ、クローゼットから取り出す。
それは黒色のポロシャツだった。