西日の反射
『キセラはキセラだよ』
これは王族三女であるキセラのよく言う文句である。ことある事に彼女はこの言葉を呟く。
その彼女に飼われているトウコだが、不思議とこれまで悪い気を覚えたことがなかった。それはキセラが彼女に危害を加えることを全くしなかったからだろうか。否、トウコは彼女の性格がなんとなく好きだったからだ。奔放だが、何処か揺るぎない芯があり、本音が分からない彼女が魅力的に思えたのだ。だから、彼女と過ごしている時間は心地良かった。彼女に危害を加えられても構わない、と思うほど…。
朝は終わる。当然の如く昼は来る。
「そうだ」
キセラは呟いた。トウコとキセラしかいない大きな一室。天井は酷く高く、何か音を立てればすぐに反響する。日が少し傾いて二人を覗くように、光が部屋に刺さる。
「今日の晩は、裏山に出かけることになったから」
キセラは言った。
「裏山?」
キセラは頷く。
「この王宮の裏山に古びた館があるの」
「え、それって立ち入り禁止の女王様の屋敷じゃないの」
「そう。これ見て」
彼女はテーブルに置いてある手紙をトウコに見せた。
それは、かの屋敷への招待状であった。中を開ける。
キセラさん
突然事ではありますが、今晩、20:00に渓谷の館にて集会を開きたいと思います。今晩だけは立ち入り禁止を解禁致します。是非いらしてください。今後についてお話ししたいことがあります。この招待状は、エムの一族のみに送られています。恐れ入りますが、招待状の持たぬポリゴンを集会に連れて来ないように。
今宵、10年ぶりに私の姿を公に表すことになるでしょう。
キョメル帝国 1代目女王 エム マイ
娘に宛てた手紙とは思えない程、丁寧な口調で語られた招待状である。
トウコは驚いた。
この国はマイの夫、国王エム ロウによって統治されてきた。ところが10年前、エム ロウは死んだ。
ポリゴンに病気などと言った現象は存在しない。また、人間より遥かに修復能力も高い。つまり殆どのポリゴンは寿命で亡くなることが多いのだ。ポリゴンの国が栄えてまだ30年、当時を生きるポリゴンは死という体験と程遠かった。当然今も40年になった訳だが、死は遠い存在である。
エム ロウの死因は不明である。しかし、病死が存在しないポリゴンの世でまだ若いロウが死んだのは殺意のある他殺が原因といっても同然であった。誰もがロウを殺した犯人を探そうと意気込んだが、犯人はおろか、彼の死因も死亡時刻も死体も不明なまま彼の死は闇に葬られたのだった。国王を殺したのはマイではないかと陰ながら囁く者もいた。それ程に、彼の死は突然で呆気なかった。
そしてロウが死んだその年、王妃マイは女王マイとなった。彼女の国の統治は非常に素晴らしく、ロウより優秀であると言う者もいた。この国の繁栄は今も彼女のお陰で続いている。
しかし、女王になったマイは表舞台に立つことはなかった。子にも顔を見せず今日に至るまで、山奥の別荘、通称『渓谷の館』で暮らしているのである。
この国は専制君主制である。女王は少数の執事と共に暮らしてはいるものの、外部の者と誰にも会わず、全ての指示を渓谷の館から出し、10年間国を統治するなんて、誠に不思議な話である。しかしそれを彼女はやってのけた。
今や女王は、誰とも会っていないのにも関わらず、尊敬の威を国内全員から向けられていた。
そして今宵、そんな彼女が遂に姿を現すのだ。
そんな異常事態をキセラはあまりにも普通な感じでトウコに伝える。
「キ、キセラ、今日女王に会うの…?」
「うん」
彼女はいつも通りだった。
「もっと驚くべきだと思うよ…こんな異常事態」
「私は、いつも無感情なトウコがそんなにも感情的になってる今の方が異常事態だと思うのだけれど。何、女王に関心があるの?」
「そりゃ、あるよ…キセラも10年ぶりにお母様に会いたいでしょう?」
「うーん」
彼女はそうでもないように唸る。
「別に、かな」
彼女は特異パターンだ。
全てを仕切り国内を裏で統率する女王は誰だって興味が湧く。血の通った娘でさえ会う事の許されなかった女王が10年越しに姿を現すのだ。誰だって気になる。無論、娘であればもっとだ。
「それよりも、あそこがどのような屋敷になっているのかが気になる。ずっと立ち入り禁止だったし。どうやって国を統治していたのだろう。そういう興味がまず湧く」
「キセラらしいね…」トウコは言った。
「キセラはキセラだもの」
キセラは微笑む。
「ただ、一つ懸念点がある」
「何?」
「貴方の存在だよ、トウコ。女王が王宮内をどこまで把握しているか分からない。多分今のところ誰にもバレていないようだから大丈夫だと思うけど、王室に居候が居るって事自体可笑しいし、何か言及されるかもしれないな」
「女王に?」
「うん、トウコが人間だってバレたら一巻の終わり。貴方も私も処刑される。女王が皆んなの言う通り、かなり優秀な人物だとしたら、王宮内にも知られていない事実をもしかしたら把握しているかもしれない。今日の集会がもし私たちのことだったら、ちょっと考えないと」
言葉こそ怖かったが、彼女はフランクに言った。
そう、トウコはこの王宮内で身寄りのないポリゴンの居候として長らく住んでいた。
キセラという少女はトウコに出会うまで、非常に内向的な性格だったようで、誰とも言葉を交わそうともせず、無気力な女の子であったらしい。それは王族内でも問題視される程だった。一日中動かず、椅子に座り続ける日々が何日も続いていたというのだ。しかし、トウコと出会ってからは、驚くように性格が一変したのだ。以前の彼女とは打って変わって全く別人のように活動的な少女となった。つまり、トウコの存在が彼女を変えたのだ。これは王族にとって救いの矢でもあった。それが理由でトウコはキセラの活動の原動力としてずっと側にいることを王朝に許され、今に至る。
とは言うものの、全く無関係なポリゴンが王宮内に住んでいるのはかなり数奇な状態であった。
時刻は昼過ぎを示している。彼女の側にいるようになって段々と今度はトウコの方が生気を失われるようになった。何か動けばすぐ疲れるようになったし、空を見上げるだけでもうなんでもいいように思えるようになった。
多分、もう彼女は死んでも良い。死に対する執着、否、生に対する執着がなくなったのだ。だから、今日の集会で何がどうなっても構わないと少し思っている彼女がいる。
「お腹空いてない?」
キセラは言った。
「空いてないかな」
「トウコも最近ポリゴンっぽくなってきたね」
「そうかな」
「でも、人間は食事が大事なんでしょう?栄養をちゃんと摂らないと。今朝収穫した薩摩芋があるから食べなさい」
「うん」
ポリゴンは食事を摂らない。人間と同じく睡眠は必要だが、逆に彼らにとって睡眠は食事の役割も賄っていた。
ポリゴンには疫病が効かない。飢饉も効かない。だから、国内で紛争が起こる理由もない。これが国内がずっと平和を保っている大きな理由の一つであった。
キセラの宮殿の一角にガーデンがある。多くは花々が植え慣れているがそのうちの角の方にトウコの為の農園がひっそりと作られていた。
薩摩芋とフルーツが生えている。6年間彼女はその二つだけで過ごしていた。ポリゴンは食事を取らないので勿論キッチンなどはない。庭の一角にある薪で火を作り、焼き芋を作るしか調理方法は無いのだ。しかしそれでトウコは良かった。生きることに執着がないので食事にも当然執着などなかった。
「やっぱりお腹空いてないから良いよ。その分、晩にいっぱい食べるし。そっちの方が効率いいでしょう?」
「今晩は私いないの。言ったでしょう?」
キセラはテーブルの招待状に目を向ける。
「一人で食べるよ」
「火の扱いを一人でやらすのは危険よ…」
「まあそうだけど…それで、渓谷の館ってどこにあるの?」
「よっぽど関心があるみたいね。案外近くよ。文字通り山を登って行った先の渓谷の真横に館があるの。小さい頃一度行ったことがあるけど、とても綺麗な場所だったよ」
「へぇ」
「トウコもついてくる?興味があるんだったら」
「は?」
「隠れてついてくればいいじゃない。身を隠してればこっそり集会に忍び込めるかも」
彼女は真面目に言った。
「いや、そんなことする前に護衛に見つかって捕まるだけだよ。え、冗談よね?」
「冗談じゃないよ。案外トウコの頭だったら切り抜けられると思う」
キセラは腕を机につけて手を顔に乗せた。
「買い被りすぎ…」トウコは少し笑った。
その時、部屋の扉を叩くノックの音が聞こえた。
「キセラ様、そちらにいらっしゃりますか」
使用人の声だった。
「はーい、いますよ」
キセラは扉の方に顔を向けた。
「何の御用?」
「此方、第5宮殿に来訪者が今し方来られました。シファンお嬢様です」
「シファンお姉様…?」
キセラは小さく呟く。そして扉の向こうに聞こえるように大きな声で言った。
「今すぐに着替えますので、お姉様を西方のガーデンの方に通してあげて下さい」
「かしこまりました」
「…面倒だな」
彼女は呟く。
「とりあえず、焚き火の匂いがしたらまずいから薩摩芋は今食べないでね」
トウコは頷く。
キセラは間も無くして部屋を出て行った。トウコは一人になる。彼女は久しぶりに頭を使って考え事をした。彼女は呟く。
「エム マイ…」