朝の気配
地上で何が起ころうと、空の蒼さだけは変わらなかった。空は全てを知らぬ振りをして、否、全てを知っていたかのように動じない。
早朝に目覚めてしまったトウコは宮廷内の庭のベンチに腰を下ろし、目を細めながら朝の空気をただ感じていた。
彼女は今いる国、キョメル帝国の歴史を思い出していた。
直近に起こった世界大戦は今年でちょうど150年前になった。殆どの国は消滅し、生き残った国々も国内で暴動が多発し、誰が敵で誰が味方か、そしてもはや自分の意志さえも分からぬまま内戦が続いている状態だった。どこの国も平和とは言い難い時代であった。
世界は混沌期に入ったのだ。
もう誰も他国になど興味はない。母国の紛争に手一杯だった。
160年前、世界大戦が起こる直前、この国、キョメル帝国は一足先に完全なる鎖国をした。どこの国とも連絡を通じず、何者にも干渉しない完璧な鎖国を完成したのだ。幸運にもキョメル国に干渉しようとする他国はおらず、いても追い返すことのできるくらいの国力を誇っていた。また、完璧な統率と統率者の度重なる英断により全ての地域は王朝政府に統制されるようになり、その後の120年間は長い目で見れば平和な国を作り上げていた。それもこれも他国と無駄に干渉しなかった鎖国による功績だと皆は言っていた。
他の国の情勢は鎖国のおかげで知らないが、多分地球上で一番この国が平穏を保っていただろう。
…40年前までは。
確かに完璧な統制で揺るがない経済基盤をこの国は誇っていた。それは今後何百年と変わらないと誰もが信じていた。しかし、40年前、得体の知れない生命体の到来によって人々が信じていた当たり前が簡単に崩れ去った。
この世の中で物を考え、他人に意思を伝達することができる生物は人間だけだ、という観念が40年前を持って消えてしまったのだ。
新しい生命体の到来、その名も『ポリゴン』は突如としてこの国を侵略し、人間を抹殺していった。
彼らは人間と変わりない容姿を持った。
彼らは言葉を発した。
彼らは高度な知能水準を誇った。
彼らに我々人間の勝ち目は無かった。
一瞬にして揺るぎない帝国、キョメル国は崩れ去ったのだ。
鎖国であるキョメル国は勿論他国に助けを求めることは出来ない。無論、他国は自国のことで精一杯だった。
キョメル国内の人口が3分の1にまで減少した頃、ポリゴンは抹殺を辞め、ポリゴンによるポリゴンの国を作り始めた。つまりキョメル国を乗っ取っり始めたのだ。生存した人類は、殺されることはなかったが、迫害を受けるようになり、奴隷と化した。
そうして見た目は変わらないが、実態はポリゴンによって制圧された新キョメル国が完成した。40年経った今、ポリゴンの国は変わらず続き、繁栄を保っている。もう人間は子孫を残すことも無くなり、人間は絶滅したと言っていいだろう。
それがキョメル国の現状である。
ところで、今無表情で空を見上げている少女、トウコはまごうことなき人間であった。
しかし見るところ彼女の身体は傷一つなく、健康体そのものであり、迫害を受けている様子はなかった。
夜の蒼さが残留する早朝はだんだん薄くなっていき、新しい朝日を迎えようとしていた。生まれた時からずっと変わらない景色である。しかし、この景色はいつでも終焉を迎える可能性を秘めていることを忘れてはならない。
(不安定な事象が安定して続いていると、時々不安定であることを忘れてしまう。生きるって不安定なのに…。)
「トウコ」
背後から声が聞こえた。
彼女は振り返る。
少女が立っていた。
色素の薄く、線の細い少女が眠そうに目を擦っている。
そんな彼女はどう見ても人間のように見えるけれど、人間を模したポリゴンであった。
「おはよう」
トウコは言う。
「起きたら部屋にいないからびっくりした」
少女は言った。トウコは彼女の元へと近づく。
「早くに目覚めてしまって、庭に出ていたの」
「何度も言うけど、勝手に部屋から出ないでね」
少女は涼やかな声で言う。朝よりも澄んだ声だった。
「庭に出るくらい駄目?」
「駄目よ」
少女は笑う。そして落ちた髪を耳にかけ直しながら言った。
「貴方は私のペットなんだから」
シノサキトウコは、ポリゴンを統率する王族の三女であるキセラという少女に拾われた17歳の少女である。そして今に至るまで動く人間標本として彼女に飼われているのである。