15話 悪意
翌日、昼休み。
俺と昨日と同じ一階の空き教室で愛葉さんと会っていた。
「じゃあまずは私からかな。昨日帰ってから佐藤君の小説を詳細に分析したんだけど……」
「え、そんなことしたのか?」
「そういう交換条件だったでしょ」
「別に愛葉さんが受けやすいように言った方便だから、本気で受け取らなくて良かったのに」
「方便でも約束は約束よ。それとも愛葉先生の指導は迷惑?」
「いえ、そんなことないです。よろしくお願いします、先生!」
「よろしい。では――」
隅に積まれていた机を一つ引っ張り出して俺たち二人は対面に座り、愛葉さんはノートを取り出す。……って、ノート? あれにまとめてきたっていうのか、結構本格的だな。
そこから愛葉さん……先生のアドバイスが始まった。
文法上のミスから、表現や構成など指摘は多岐に渡る。
例えばこんな一幕もあった。
「5話目のここ『俺の目の前の机の上の水晶に触れて』ってあるけど」
「え? ……ああ『の』が続きすぎってことか?」
「注視すれば分かるのね」
「書いているときは思った通りに書いてたけど、言われてみると目が滑るな」
「あまり同じ言葉が続くのは読むリズムが崩れるから変えた方がいいよ」
「となると……あれ、どうやって『の』を削ればいいんだ?」
「そもそも『俺の』で始まると主語が長すぎてその意味でも良くないかな。だから開始は『俺は』で主語を俺だと示した方がいいと思う」
「なるほど」
「あとは『目の前の』って表現はあってもいいけど無くても通じると思う」
「『俺は机の上の水晶に触れて』……あーこれでも伝わるな。けど『目の前の』って入れたい気がする」
「それなら『机の上の』って表現を『の』が続かないようにして『机に置いてある』ってすればいいんじゃない?」
「『俺は目の前の机に置いてある水晶に触れて』……か。おー最初よりも読みやすい」
「まあ細かいところだけどね。気にならない人は気にならないだろうし。でも引っかかる人もいるだろうから直した方が無難だと思うな」
「勉強になります、先生」
スマートフォンから編集画面に入り忘れない内に文面を修正する。
……って、フリック入力慣れないな。やっぱりキーボードから入力する方が俺には合っている。
「じゃあ次のアドバイスだけど……」
手間取った俺を待ってから愛葉さんは口を開く。
「いや、そこから先はまた今度にしてくれ。もう昼休みも半分過ぎたし、そろそろ愛葉さんの番に移らないと」
「昼休みも半分……え、嘘っ!? もうそんな時間経ったの!?」
「俺も今入力していて時計が目に入ってな。気づいて驚いた」
「こうやって現実で創作の話するの初めてだからつい弾んじゃった」
「俺も有意義な時間だったから早く感じたな」
耳に痛い指摘が多かったが、勉強になることも多かった。
やはり愛葉さんの創作能力は高い。
だからこそ作品に人気が無いのも謎だったし、それに――。
「そういえばまた今度って言ったけど……こうやってまた話してくれるってこと?」
愛葉さんはアドバイスをまとめていたノートをしまいながら俺の言葉尻に答える。
「そうだな……今からする質問の答え次第かな」
「質問……?」
「アドバイスを始める前に一つ質問に答えてほしいんだ」
俺は昨日掴んだ疑惑を問う。
「愛葉さん、君は相互評価クラスタの一員じゃないのか?」
「え、何で分かったの? すごいね」
重々しい俺の雰囲気に対して、返ってきたのは軽い口調。
「何故、か……。君のユーザーページから書いた感想や付けた評価を見た。そこにあったのはここ最近不自然にランキング上位へと打ち上がった作品ばかりだった」
「不自然……あーそうだよね。クラスタのみんなには悪いけどとんでもなく面白い作品ってわけでもないし。SNSでバズったとかまとめサイトでまとめられたとかだったらランキング上位に来るのも分かるけど、それもないから不自然と。うん、佐藤君の言うとおりだよ」
ランキングの分析もしている愛葉さんの言葉は俺と同じものだった。
「だから考えられるのは残り一つ。あろうユーザー同士が示し合わせてポイントを入れること、相互評価クラスタを使った場合だ。その作品たちに感想や評価をした愛葉さんはクラスタの一員ってことになる」
「そういうことだね。いやー分かる人が見れば分かるんだ」
「………………」
「って、佐藤君どうしたの? 何か表情が怖いよ?」
ようやく愛葉さんは互いのテンションの差に気が付いたようだ。
断罪している俺に対して、世間話をしているつもりだった愛葉さん。
そのことに気が付いて……しかし、どうしてそんなことになっているのかは分からないようだ。
「相互評価クラスタはあろうのランキングを乱す悪だ。許されることじゃない」
「え、そんなこと無いって。だって本当に駄目なことなら運営が規約で規制しているはずでしょ? してないってことはやってもいいってことなんだよ」
「それはマナーだから規約に書いてないだけだ」
「だとしても人気作家になるためなら何でもする、それこそが正しいあろう作家としての姿勢だよ」
互いの意見は平行線。
ただ、このときに至っても愛葉さんの言葉は軽いままだ。自分の感情を込めずに悪意を振りまいている。
「………………」
この状況、創作家としてすぐに思いつくのは無自覚の悪意だった。
息するように悪を行える。生まれながらの悪。
物語などではよくラスボスが持っているような属性が愛葉さんにも当てはまるならこの状況も理解できる。
そうだとしたら対峙は避けられない。
その価値観を変えることはとても困難だからだ。
ゆえに対話は不成立、決戦するしかない。この属性がよくラスボスに付けられる理由だ。
だから俺は愛葉さんとの対話を諦め――――なかった。
「その理論、誰に教えてもらったんだ?」
「それなら委員長……あ、私を相互評価クラスタに誘ってくれた人だよ」
「そうか……そいつが愛葉さんを騙したんだな」
「騙す……?」
そう、愛葉さんは無自覚の悪意を持っていたりしないからだ。
むしろその逆。
愛葉さんには一欠片の悪意も存在しないのだ。
「俺の想像だけど、愛葉さんって誰かに嘘を吐いたり、騙したり、陰口を叩いたり……そういう悪いことを今まで一度もしたことがないんじゃないか?」
「……え、何で分かったの? そのせいで周りからは浮いてるんだよね。どうして女の子って集まると悪口ばかり話すんだろう、男の子ってそういうことないんでしょ?」
「女性の脳は共感を求めるっていうからな。そして世間には不満の方が多い。だからそれを吐き合って共感するってコミュニティなんだろ。
でも愛葉さんはそういうことが出来ないから『お高く止まっている』なんて言われて仲間外れにされた」
「……さっきから佐藤君がエスパー過ぎて怖いって」
化学室で席が隣になったのもその辺りが原因だろう。仲がいい人間がいるなら遅れてやってくる人がいたとしても隣の席を取っておくはずだ。
人当たりがいいから気づけなかったが、愛葉さんはクラスで浮いているというわけだ。
「それは愛葉さんの作品にも現れていたよ。舞台は中世で主人公は平民の出。そんな中王子や貴族に言い寄られて……ってこれは女性向けの人気ジャンルなんだろ?」
「そうだね、だから私も真似して書いてみたけど……」
「こういう設定の場合欠かせない人物がいる。それが悪役令嬢だ」
「悪役令嬢……」
「主人公に嫉妬して邪魔する役割のキャラだ。その妨害を乗り越えて結ばれるのが女性向けの恋愛モノの醍醐味なのに、愛葉さんの作品にはそういうキャラが存在しない」
「……分かってはいたけど、やっぱりそれが原因なんだ」
「登場人物全てが良い人過ぎる。その状態でドロドロの恋愛劇は成立しない。いくら物語の世界を上手く描けるとしても、その世界の設定自体が薄っぺらいとドラマも軽いモノになってしまう」
読者はそういうことに敏感だ。だから愛葉さんの小説は人気が出なかったのだろう。
「そっか。さっきのもエスパーじゃなくて、私の作品を読んだから分かったんだ」
「そういうことだ」
作品には作者の思想がよく現れる。愛葉さんに悪意という物が存在しないことは小説を読んだ時点で分かっていた。
なのに愛葉さんは相互評価クラスタに参加していて、先ほどは無自覚に悪意をふるまいた。その理由は誰かに……その委員長とやらに悪意を植え付けられたから。
罪を憎んで人を憎まず。
愛葉さんではない、その悪意のみを俺は断ってみせる。




