1話 さて、よくある話の始まりです、か?
…暗い。
何も見えない空間。
そこに俺は居た。
居るという表現が正しいのか。
これは夢なのか。
感覚がなくそれすらも分からない。
意識だけがある、そんな状況だ。
こんな夢もあるのか。
そう、思っていた時、ふと、直接脳内に語りかけられるような、そんな声が響いた。
ーーお前が望むものは何だ。
ーー金か。
ーー力か。
ーー女か。
頭に響くような、胸に響くような、どこか懐かしい、落ち着いた低い声。
聞いたことがないと思うのに、知っている。
そんな不思議な声に、問われて考えた。
俺が望むもの?
そんな急に言われても何もないな。
俺はただ、日々を平穏に過ごせればそれでいい。
昔から欲求があまりない子だと言われて来た。
誕生日やクリスマスなどに、何かプレゼントを依頼したことがないらしい。
決して裕福で満たされていたからという訳ではない。
サラリーマンの父と、パートの母と、兄と弟妹と俺の6人家族。
兄からのおさがりで充分服やおもちゃはあったのかもしれないが、新しいおもちゃとか、おやつをねだることもなかったらしい。
兄や弟妹たちが親に毎日色々とおねだりしている横で、俺はいつもぼんやりと立っていた。
社会人として働きはじめた今も、何かを強く欲しいと思うことはなく、強いてあげるなら、俺は今まで通りに過ごしたいと思っている。
社畜と言われようが、上司に言われのない叱責をされようが、家族に早く結婚して孫の顔を見せろと急かされようが、俺は毎日をただ平穏に過ごしたいだけだ。
多すぎる金もいらない。
権力なんてもってのほかだ。
暴力も論外。
まぁ女ってか…ふつうに彼女とかは欲しい気はするが…別に望むってほど切望しているわけでもない。
ただ1つだけだ。俺と俺の周囲が笑顔でいられるような世界であればいい。
人は1人では生きてはいけない。
誰かに支えられながら、誰かを支えて生きて行く。
けれど、現実的に、全員が幸せになれる、そんな世界なんてありえない。
だから俺は、俺の手が届く範囲だけでいい、それだけでいいから、笑顔でいられるような世界を望む。
…なんて、何カッコつけてんだ俺は。
恥ずかしい気持ちが湧き上がる。
夢の中とはいえ、どんな聖人君子だよ、って言われるよな。
俺はそんな出来た人間じゃないっての。
誰に聞かれてるわけでもないのに言い訳をしながら、ふと我にかえって考える。
変な質問だよな。
最近こんな哲学じみた本でも読んだかな?
ーー望むのは、金でも力でもなく、世界の調和か。
…ん?え、いやいや。なんか大事にされてないか?
そんな大それた願いなんてない、俺はフツーに、平穏に生きられればいいだけだから、そんな凄い望みなんてないって。
ーーでは、お前が失ったものの代わりに。
これを託そう。お前の望む世界が叶わんことを。
ーーそして彼女を。
どうか、どうか、我らの愛し子を。
その言葉と同時に、周囲が一瞬で光に包まれた。
そのまま、急浮上する感覚とともに、ゆっくりと全身の感覚が蘇ってくる。
そして、頬に何か温かいものが触れる感覚に、俺はゆっくりと目を開いた。
その視界に現れたのは、なんだか見覚えのあるような、金色に輝く長い髪を持つ美少女の顔。
頬に当たる温かな感触は、目の前美少女の大きく美しい蒼い瞳から零れ落ちる涙のようだ。
…どうしたんだ…なんで泣いてる?
「…泣くな…目が零れ落ちちまうぞ…」
ぼんやりとした思考のまま、手を伸ばして少女の涙を掬う。
そんな俺の手を握り、その美少女は涙を流しながらも、ほんの少しだけ、笑みを浮かべた。
俺もつられて笑みを浮かべる。
そして、だんだんはっきりしてくる視界と意識の中、自分の置かれた状況に気がついた俺は、今度は困惑しながら美少女の顔を見上げる。
…え、何この状況。
なんで俺、こんな大自然の中で、お隣に住む超絶美少女で有名な鏑木 瑞葉さんに膝枕されちゃってんの?
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