夜桜の下の約束
≪登場人物≫
高峰 雪兎(18)
影城学園三年生という表の顔と情報屋の裏の顔を持つ美少年。住む場所がないため、朔夜の家に同居中だが、朔夜の負担を少しでも減らすため喫茶店「アリスの世界」でバイトしている。男らしくない外見にコンプレックスを抱えており、朔夜の男らしい仕草がエスカレートしているのが最近の悩み。
工藤 朔夜(27)
雪兎が2年前に出会った女性。出生の影響で人間らしい感情が欠落している。女性らしくない外見と性格を気にしているが、さすがにもう直せないと諦めている。
一ノ瀬 響(27)
朔夜の大学の同級生。2年前まで高校の教師をしていたが今は退職し、喫茶店「アリスの世界」の店長をしている。世話焼きなところがあり、時也・雪兎の兄貴分的な存在。
鮎沢 時也(16)
雪兎のバイト仲間の高校生。身寄りがないため一ノ瀬家に居候している。2年前まで「アリスの世界」のバイトだった菊乃と付き合っている。
因幡 菊乃(24)
元「アリスの世界」のバイト。時也の恋人であり、雪兎にとっては悩みを相談できるお姉さん的存在。華奢な外見に似合わず空手の腕前は達人レベル。
服部 政孝(28)
雪兎が通っている影城学園高等部の養護教諭。雪兎の顧客の1人である理事長の親戚であり、雪兎と理事長のパイプ役を担っている。
武藤 若葉(16)
雪兎の学校の後輩。兄弟たちと怪盗団をやっている影響でたまに雪兎に情報を求めてくる。政孝と姉が同級生な事もあり、政孝に懐いている。
高峰 雪兎、18歳。
影城学園高等部3年生在学中だが、それは表の顔。
裏の顔は情報屋「白ウサギ」。彼によって破滅に追いやられた悪人はざっと70人ほど。そのほとんどが社会的抹殺や投獄など、悲惨な末路を辿っている。
身長165cmと18歳にしては小柄。
顔つきは目鼻立ちが整っており、可愛い形の美少年という感じ。
金髪碧眼である事から外国の血が混じっている事は間違いないが、出生不明。
両親とは生まれてすぐに絶縁しているため、家族は無し。
・・・・・・のはずなのだが、
「じゃあ、この写真に一緒に写っている奴は白ウサギとどういう関係なんだ?」
薄暗い部屋で雪兎に関する書類を読んでいた人物はそう呟いた。その人物の手の中の写真には雪兎ともう一人の人物が写っている。その人物を見つめて彼はもう一度首を傾げた。
4月某日早朝。目覚まし時計のけたたましい音が鳴り響く中、雪兎は閉じていた目をゆっくり開けた。
「・・・・・・ん~」
時計の文字盤を見ると長針と短針は午前6時半を指している。
「・・・あと5分だけ寝よ」
そう呟いて時計を枕元に置き、雪兎は掛け布団を頭まで被った。
その時、廊下から誰かが大股で歩く音が響き、それが止んだ瞬間、雪兎の部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「ユキ、いつまで寝ているつもりだ」
入ってきたのはセミロングの黒髪の美人だった。中性的な顔立ちと男勝りな口調のせいで一見すると男か女か分からないが、レディースのスーツを着ていることから辛うじて女性であることがわかる。女性はそれでも起きようとしない雪兎の掛け布団を強制的に剥ぎ取り、仰向けに寝ていた雪兎に馬乗りになった。雪兎はここまでされると思わなかったのか、彼女を押し退けようとするが、雪兎より10cm背が高い彼女の怪力の前にはその行動は無意味だった。女性は片手で雪兎の両腕を彼の頭上で拘束すると、彼の顎を指で掬い上げた。綺麗な顔が目の前に来て、雪兎は顔を真っ赤にさせた。
「どうやら、白雪姫は強引にキスで目覚めさせてもらう事をご所望なようだな」
「ちょっ、ちょっと待って!わかった!起きるからぁ!!」
雪兎がそう言うと女性は漸く雪兎を解放した。雪兎は押さえつけられて少し赤くなっている手首を擦りながら呟いた。
「・・・サク、この起こし方、心臓に悪いからもう止めようよ」
「しかし、これくらいやらなくてはお前はいつまで経っても起きないだろう」
雪兎はうっと詰まった。図星だ。雪兎は朝に弱く、高確率で目覚まし時計だけでは起きられない。その度に彼女、工藤 朔夜に先程のような方法で起こされているのだ。
「それに、何故先程の起こし方は心臓に悪いんだ?この前一緒に見たドラマの再現をしただけだろう?」
「は、恥ずかしいからだよ!僕は男なんだ!姫って呼ばれて嬉しいわけないだろ!」
「そうなのか?・・・機械の私には理解ができないが」
雪兎は朔夜の自虐的な態度に小さくため息をつくと、彼女の肩に手を置いた。
「何度も言ったはずだよ。君は人間だ。感情は確かにあるはずなんだ。それを見つけるまで僕は君から離れない。・・・2年前に約束しただろ?」
朔夜はその言葉に小さく頷いた。
「さあ、すっかり目も覚めたし、朝御飯にしよう。サクも会社、遅刻したくないだろ?」
「ああ、そうだな」
朔夜は表情を変えずにそう答えた。雪兎はその様子を見て思った。
(2年前に比べると少しは表情豊かになったけど、まだまだだな)
朔夜は人間らしい感情が欠落している。彼女の出生を考えると仕方のないことなのかもしれないが、それが余計に雪兎には不憫に思えた。そして、2年間も側にいて、一向に普通の人間らしい感情を思い出させてやれない自分に雪兎は最も歯痒さを感じているのだった。
「・・・おい、高峰。いい加減、教室で授業を受けたらどうだ?」
「毎度毎度忠告してきますけど、僕が教室に行ったことありましたっけ?」
ここは影城学園高等部の保健室。保健室の簡易ベッドに寝転がりながら雪兎は養護教諭にそう答えた。強引に起こされた後、雪兎は制服(白い学ラン)に着替え、朔夜と朝食を食べて彼女を会社に送り、まっすぐ通学した。しかし、雪兎は教室で授業を受けたことがない。高等部の科目は大体理解しているし、金髪碧眼という目立つ外見の雪兎は教室に行っても好奇の目に晒されるだけであるため、完全に保健室登校する生徒になってしまっているのだ。
影城学園高等部養護教諭、服部 政孝は再びベッドに寝転がる雪兎を見て、ボサボサな髪を掻きながら大きなため息をついた。
「まあ、確かにお前の外見は情報屋として隠密に動くには適していないかもしれないな」
その言葉からもわかるように、政孝は雪兎が情報屋であることを知っている。そもそも、この私立の学園に雪兎が通えているのも、この学園の理事長が雪兎の裏稼業の顧客の一人だからである。そして、理事長の親族である政孝は理事長と雪兎のパイプ役としてこの学園に籍を置いているのだった。
「まあ、だからこそ、お前は業界でも有名な情報屋になれたんだろうな。こちらもお前の情報にはよく助けられているからな」
政孝はそうは言ったが、雪兎にビシッと指を差して続けた。
「ただし、それとこれとは話が別だ。いつか絶対お前を授業に出させてやるからな」
「僕、もう最高学年ですよ。僕が卒業する方が先だと思いますけどね」
雪兎がそう呟いた瞬間、4時間目終了のチャイムが鳴った。雪兎はチャイムが鳴ると上体を起こして伸びをした。
「はあ~、漸くお昼か~」
「・・・それは机できちんと授業を受けた奴の台詞だと思うんだがな」
雪兎はそんな政孝の呟きを無視して、胡座をかき、パソコンを膝の上に乗せた。
「さてと、これから仕事なんだよね」
「理事長から依頼なんてあったか?」
「ああ、理事長の依頼じゃないですよ。別の人」
その時、保健室の扉が開いてショートヘアーの少女が入ってきた。少女は笑顔で政孝に駆け寄った。
「政孝おじさん、お昼ご飯、一緒に食べよ!」
「・・・若葉、何度も言ったが、暇があったら保健室に来るのやめろ。お前らの裏稼業が誰かに知れたらどうするつもりだ?」
「大丈夫だよ。私たちの正体に気づくような勘がいい人間、この人以外いないから」
少女、武藤 若葉は雪兎を指差して言った。雪兎は小さくため息をつくと若葉に言った。
「早く要件言って、若葉。僕だって暇じゃないんだから」
「ああ、そうだった」
「・・・暇じゃない人間はそもそもここでゴロゴロしてねえだろ」
「で、何の情報が欲しいの?」
また政孝の呟きを無視して雪兎は若葉にきいた。若葉は制服のポケットからUSBメモリを取り出すと、パソコンを操作する雪兎に駆け寄ってそれを渡した。
「あのね、2年前に倒産した実業家、工藤 惣次郎の情報が欲しいんだ」
雪兎はその言葉をきいた時、一瞬だけ動揺を見せた。その様子に若葉は首を傾げた。
「どうしたの?」
「・・・いや、何でもない」
その後、雪兎は淡々とパソコンを操作し、データをUSBメモリに入れると若葉に渡した。
「相変わらず仕事が早いね。『保健室の雪ウサギくん』」
「・・・次、そのあだ名で呼んだら二度と情報提供しないからな」
雪兎は保健室通いの生徒として名前は知れ渡っているが、その容姿を見るために保健室に来る人間には滅多に会わない。その影響で、いつの間にか生徒の間では「保健室の雪ウサギくん」というあだ名で呼ばれるようになった。もしその容姿を見られたら幸運な事が起こるとかいう噂もあり、雪兎はこの高等部内で都市伝説に近い存在になっていると彼は若葉からきいた。しかし、雪兎は容姿のコンプレックスから目立つ事が大嫌いなため、このあだ名で呼ばれるのをひどく嫌がっているのだ。
雪兎の凄んだ目付きに臆することなく若葉は「ハイハイ」と空返事をした。(この様子では次の依頼の時には忘れてそうだな)と思いながら雪兎はため息をついた。それから、若葉は政孝の「早く帰れ」という言葉を無視し、パイプ椅子に腰掛けると弁当を食べ始めた。雪兎は気に掛かる事があり、食事中の若葉にきいた。
「ところで若葉、何で工藤 惣次郎の情報を僕にききにきたわけ?君のお兄さん、確か僕の同業者だったよね?」
「崇矢兄、病院の仕事が忙しくてそれどころじゃなかったの。それに、工藤 惣次郎の事については雪兎が一番知っているだろうからって崇矢兄が言ってたから」
「・・・君のお兄さんの情報網には毎度驚かされるよ」
その時、若葉は弁当を食べ終わり、「ごちそうさま!」と言うとパイプ椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、私はこの情報を崇矢兄に送信してくるね。じゃあね!」
若葉は勢いよく保健室を出て行った。雪兎はクスッと笑った。
「相変わらず元気が有り余ってますね、若葉は」
「・・・無鉄砲って言うんだよ、ああいうのは」
政孝は大きなため息をつきながら、チラッと雪兎を見た。雪兎はその視線に気付いて尋ねた。
「何ですか?」
「お前、工藤 惣次郎との因縁の事、まだ若葉たちには黙っているつもりなのか?」
「喋ったところで、あの子達が何か出来るとは思えませんからね。彼らに盗めるのは物理的なものだけですから。それに、サクの事もあるし、今知られるのは特定の人間だけでいい」
「・・・工藤 朔夜。工藤 惣次郎の一人娘、だったな」
雪兎は政孝の言葉に小さく頷いた。
「お前が情報によって破滅させた被害者の家族と暮らすと聞いた時は本当に驚いたな。とうとう今までの行いの罪滅ぼしをする気になったのかと感心もしたが」
「・・・僕がサクと暮らしているのは罪滅ぼしなんかじゃない。もしそうならこんな裏稼業、とっくにやめてますよ」
「じゃあ、一体何のために?」
政孝の疑問に雪兎は掴み所のない笑みを浮かべて言った。
「秘密です」
雪兎は生まれてすぐに両親に教会の前に捨てられた。その教会の神父様はとても優しい人で、雪兎を実の息子のように大切に育ててくれた。しかし3年前、彼は悪徳不動産業者に騙されて自殺に追い込まれ、教会も取り壊された。大切な人も居場所も同時に失った雪兎は不動産業者を裏で操っていた人間を特定するために、情報屋として活動を始めた。そして、人脈を広げ、とうとう雪兎は黒幕の正体を突き止めたのだ。その人物こそ工藤 惣次郎だった。
工藤を破産させ、復讐を果たした雪兎にはもう何も残っていなかった。しかし、今まで自分がやってきた事が復讐を原動力にしたものだと認めたくなかった雪兎はこの裏稼業を止めなかった。そして、何人もの悪人を破滅させた頃、出会ったのが工藤の一人娘、朔夜だったのだ。
あの日の事を雪兎は忘れたことはない。2人が出会ったのは夜の桜並木だった。月明かりに照らされた桜がとても綺麗で幻想的だったのを雪兎は今でも覚えている。
「お前が情報屋白ウサギか?」
「・・・驚いたな。まさかあなたが僕の正体に気付くなんてね。工藤 朔夜さん」
雪兎はそう言った後、朔夜の手に握られた拳銃を見て続けた。
「それで、あなたは父親の復讐のために僕を殺しに来たの?」
それに答えようとしない朔夜に雪兎は向き直り、両手を広げた。
「好きにすればいいよ。この仕事を始めた時から自分がロクな死に方をしないことぐらいわかってたから」
「お前を殺しに来たわけではない」
朔夜の言葉に雪兎は少し驚きの表情を見せるときいた。
「じゃあ、本当に何しに来たの?」
「お前に会いに来ただけだ」
「会いに来ただけ?わかってる?僕はあなたの家族を貶めた人間だ。普通は憎くて仕方ない存在のはずなのに」
「・・・誰かを憎むという感情はとっくに捨てている」
雪兎は朔夜の目を見た。確かに朔夜の目には人間らしい感情など一切無かった。(まるで機械のようだ)と雪兎は思った。朔夜はそんな雪兎の気持ちなど気にも止めず続けた。
「工藤家の嫡子は家の繁栄を存続させるために感情を持つ事を禁じられる。感情があれば敵に漬け込まれる可能性が高くなるからな。私は幼い頃からずっと、そのように育てられてきた。笑うことや泣くこともみっともないと叱られ、人間らしい感情を捨てさせられた。だから、自身の行いが原因で破滅に追いやられた父には何の感情もない。ゆえに復讐なんて考えもない」
「なのに僕には興味を持ったんだ。変わってるね」
「ああ、どうやらお前は私とは別の意味で自分自身を捨てているようだからな」
雪兎はその言葉に一瞬動揺した。
「お前の仕事は大胆かつ刹那的だ。それはお前が自分自身を大切に思っていないから出来ることだろう。だが、お前は私と違って感情が無いわけではない。その理由が知りたかっただけだ」
「・・・僕にはもう失うものなんか何もないから」
雪兎は泣きそうな顔でそう答えた。
「あの人は僕を本当の家族のように大切にしてくれた。孤独な僕に居場所を与えてくれた。でもあの日、あなたのお父さんに僕は大切なものを全て奪われたんだ!」
これはただの八つ当たりだと雪兎はわかっていた。しかし、自分の心のうちを言わずにはいられなかったのだ。
「・・・そうか、それが人を憎むということなのか」
朔夜はそう呟くと、手に持っていた拳銃を雪兎に差し出した。
「・・・どういうつもり?」
「そんなに父が憎いなら代わりに私を殺せ」
その言葉に雪兎は驚いた。朔夜は少し口角を上げた。
「大丈夫だ。父が失踪してから唯一の家族だった母も3ヶ月前に亡くなり、私にはもう心配してくれる人間はいない。それに私には感情がない。お前に殺されたとしても痛くも痒くもない」
雪兎は朔夜の手から拳銃を払い落とし、それに気を取られている彼女を抱きしめた。拳銃が地面に落ち、ガシャンという重たい金属音が響いた。朔夜は雪兎が急に抱き締めてきたことに動揺を見せることすらなく淡々と言った。
「・・・何故泣いている?」
いつの間にか雪兎は泣いていた。先程「父の代わりに私を殺せ」と言った朔夜の機械的な表情にはこの世で生きる事に対する諦めが映っていた。それはまるで、大事な人を失った時の自分自身を見ているようで、雪兎は泣かずにはいられなかった。
「・・・あなたが泣きたくても泣けないから代わりに泣いてるんだよ」
「私は機械と同じだ。泣きたいなどとは」
「あなたは機械じゃない」
その言葉に朔夜は少し驚きの表情になった。雪兎は朔夜の手を握ると、目を見据えて言った。
「あなたは人間だし、もうあなたに感情を捨てるように強要する人間は居ないんだ。感情だってこれから取り戻していけばいい」
「・・・それならば、頼みがある」
朔夜は雪兎の手を握り返して続けた。
「私に感情を教えて欲しい」
その劇的な出会いから2年が経過し、雪兎と朔夜は一緒に暮らしているが、未だに朔夜が人間らしい部分を見せたことはない。特に人に怒る、人を憎むと言った負の感情を見せたことは一度もない。それは時間の経過が何とかしてくれるとして、雪兎が今最も頭を悩ませているのは、朔夜の感情を蘇らせるために一緒にドラマや映画を見ている影響で、朔夜の雪兎に対する態度に急激な変化が起きている事である。
一緒に暮らし始めた頃、朔夜は雪兎に「ドラマの再現をすれば人間の感情について理解できるのではないか」と提案した。雪兎はその言葉を聞いた時、てっきり自分が男役をやるのだろうと思っていたため、あっさり了承したが、実際は逆だった。朔夜はアニメの王子や恋愛ドラマのヒーローとして振る舞い、雪兎をお姫様扱いしてきたのだ。何度も逆にしてほしいとお願いしたが、朔夜に「では、お前は私の再現よりもハイスペックなヒーローの再現が出来るのか?」と問いかけられ、雪兎は答える事が出来ず、ずっとお姫様扱いのままだ。最近では朔夜の男らしい態度は更にエスカレートし、雪兎は毎朝貞操の危機に晒されている。
(まあ、それが嫌なら自力で起きろって感じなんだけどね)
今、雪兎はそう思いながら、朔夜の勤める会社の前でスマホを弄っている。政孝に朔夜と一緒に暮らしている理由を聞かれ、はぐらかした雪兎は放課後まで保健室で過ごし、いつも通り朔夜を会社まで迎えに来ていた。朔夜はビジネス街の中心にある会社で事務職をしている。ちなみに、朔夜は残業というものをしたことがない。彼女は感情が欠落している事を除くと有能なのだ。
(・・・まだかな。出来れば早く来て欲しいな)
雪兎がそう思っているのにも訳があった。それは・・・
「ねえ君、今暇?」
「暇なら俺たちとどっか行かない?」
雪兎が顔を上げると大学生らしい男が2人立っていた。雪兎はため息をつきながら再びスマホに顔を俯けて答えた。
「悪いけど、人を待ってるんだ。そういうのなら他を当たって」
「別にいいじゃん。君みたいに可愛い子を待たせる奴なんかほっといて、俺たちと遊ぼうぜ」
男のうち1人が雪兎の腕を掴んだ。雪兎は身の危険を感じて振りほどこうとするが、相手の力が強すぎて振りほどけない。さすがにまずいと感じた雪兎は暴れた。
「離せ!!」
「無駄だよ。こいつレスリングやってるから」
それでも雪兎は必死に暴れたが無駄だった。その時、急に男の手が雪兎の腕から外れた。雪兎が顔を上げると、いつの間にか朔夜がいて雪兎を拘束していた男の腕を捻りあげていた。
「おい!何だテメエ!」
「そちらこそ、誰の許可を得てユキに触れている?ユキはお前たちのような下賎な輩が触れていい存在ではない」
朔夜の怪力と鋭い目付きに男たちは怯え、逃げていった。雪兎はホッとすると、朔夜に向き直った。
「サク、ありがとう」
「嫌がっている人間に付きまとう奴を成敗するのは人として当然の事だ、と前に見た映画で主人公が言っていたからな」
(・・・まあ、やっぱりそうだよね)
雪兎がこの外見のせいでさっきのような男たちに絡まれるのは今日が初めてではない。その度に朔夜がナイスタイミングで駆けつけては相手を追い払っているのだが、朔夜が雪兎を助けている理由はあくまで「それが人として当然の行いだから」だ。決して「雪兎が大切だから相手に怒りが湧いた」とかそういう理由ではない。
「・・・もう2年も一緒に暮らしてるんだから、もうそろそろ僕の事で怒ってくれてもいいのにな」
「?どうした、ユキ」
「何でもない。さあ、早く帰ろう」
朔夜は雪兎の言葉に頷くとナチュラルに車道側に回った。
「サク、わざわざ車道側に行かなくても僕は大丈夫だよ」
「いや、もしかしたら走っている車が突然私たちの横で止まってお前が連れ去られる可能性もあるからな」
「ないよ!アニメやマンガじゃあるまいし!!」
その時、朔夜が急に立ち止まって後ろを振り返った。雪兎は、そのまま動かない朔夜にきいた。
「どうしたの?サク」
「・・・いや、何でもない」
(気のせいか。先程、誰かの視線を感じたのだが)
朔夜はそう思ったが、人一倍殺気には敏感な雪兎が何の反応も示していないと言うことは敵意ではないと判断し、前を向いた。
2人が歩いていくとビルの陰から2人の人物が出てきた。そのうち身長の高い方の男が大きく息を吐いた。
「心臓が止まるかと思った。一体何なんだ、あの女は」
「はったりだったんじゃないのか?」
「いや、あの女の目見ただろ!間違いなく俺たちに気づいてるぞ。どうするんだ、俺たちの存在はあの子に知られたらまずいのに」
「お前は相変わらず気が小さいな。大丈夫だよ。俺たちがやっていることは犯罪じゃないんだ。なんとでもなるさ」
ビクビクする身長の高い男にもう片方の男がそう言った。それから2人は今度こそ雪兎と朔夜に勘づかれないように離れて後を追った。
それから2週間後の土曜日、朔夜は珍しく1人で出掛けた。朔夜が向かった場所は会社のビルの地下にある喫茶店だった。喫茶店の看板には「アリスの世界」と書いてある。店の扉を開けると店の名前にぴったりのレトロな内装の空間が広がっており、カウンターには黒い詰襟の服を着た茶髪の男性が立っている。朔夜はその男性の前のカウンター席に座った。すると、男性は食器を磨いていた手を止めた。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「ホットコーヒー」
「いつものブレンドか?」
「ああ」
「了解」
男性はコーヒーを淹れながら朔夜に話しかけてきた。
「それにしても珍しいな、お前が1人でここに来るなんて。雪兎はどうした?」
「時也くんと菊乃ちゃんと朝に出掛けた」
朔夜の素っ気ない返事に男性は小さなため息をついた。
「相変わらず可愛げがねえな、お前は。そんなんじゃあ嫁に行けないぞ。お前ももう27なんだし、もう少し考えたらどうだ?」
「大きなお世話だ。そしてお前は相変わらず詰襟の服が似合わないな、一ノ瀬」
「ほっとけ、これは前店長の趣味だよ」
喫茶店「アリスの世界」の店長、一ノ瀬 響はそう毒づきながらコーヒーを朔夜の前に置いた。朔夜がそれを飲んで一息つくと、響はきいた。
「それで、何でここに来たんだ?何かなきゃあ、お前はここに来ないだろう?」
「・・・ここ2週間ほど誰かに見られている気がするのだ」
「ストーカーか?」
「いや、少し違う。ストーカーならば何かしらこちらに自分の存在をアピールしそうなコンタクトをしてくるものだが、そういうものが何もない。どうやら、向こうはこちらをただ見ているだけらしい」
「そりゃあ、気持ち悪いな」
「しかも、1人だけではない。相手が少なくとも10人以上いるグループであることは間違いない。毎日見張る役割をローテーションしているらしい」
響はその言葉に大きなため息をついた。
「それで、対象はやっぱり雪兎か?お前みたいな最強の女を監視対象にする勇者がいるわけねえしな」
朔夜は響の言葉に頷いた。響は朔夜のコーヒーカップが空になっている事に気づき、カップにコーヒーを注いだ。
「それで、雪兎は何て言ってんだ?」
「話していない」
「・・・まさか、雪兎、気づいてねえのか?その監視の目に」
「ああ。その事から、相手が雪兎に敵意を持っていないのは間違いないが、さすがに監視体制が2週間も続くと気味が悪くてな」
「要するに、雪兎が心配なんだな」
朔夜は響の言葉を聞いて首を傾げた。
「心配?」
「違うのか?」
「困っている人間や危機的状態にある人間を助けるのは人として当然の行いだ。ただそれだけの話だ」
「おい、お前、それは」
響が何か言いかけたその時、入り口の方から声がした。
「わっ、ちょっと待って雪兎くん!」
その声の直後、扉が勢いをつけて開き、雪兎が乱入してきた。そして、その後ろから赤と黒の猫耳のパーカーを着た少年、時也と彼と色違いの白と黒の猫耳パーカーを着た少女、菊乃が入ってきた。響は急な乱入者に驚きを隠せなかったが、朔夜は相変わらず動じなかった。ただ、雪兎が興奮していることはわかったらしく、朔夜は尋ねた。
「ユキ、どうした?」
「サク、さっきの話、本当なの?僕が誰かに監視されてるって」
「本当だ」
「じゃあ、何でその事を僕に黙ってたの?・・・僕が、サクよりも弱いから?」
朔夜はそれに答えようとしない。その事が余計に雪兎の怒りを増幅させた。
「サクはいつもそうだ。困っている誰かを助けるのは『人として当然の行い』としか捉えてない。もし、狙われてるのが僕じゃなくても同じように助けるんだろう?」
「?その通りだが、それは悪いことなのか?」
雪兎は朔夜の言葉を聞いて、相手を睨み付けた。その目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「もういい!僕が何で傷ついてるのかもわからないサクなんか、ずっと機械みたいになってればいいんだ!!」
雪兎はそう吐き捨てると店を飛び出していった。
「あ、待って!雪兎くん」
時也は雪兎を追って店を出て行った。菊乃も響と朔夜を一瞥した後、2人の後を追っていった。朔夜は雪兎に言われた言葉の意味が理解できないのか、店の入り口を見つめたまま硬直している。響はその様子に小さく息を吐くと、再び空になった朔夜のコーヒーカップにコーヒーを注いだ。その音で朔夜は漸く我に返った。
「大丈夫か?工藤」
「・・・ああ、問題ない」
「ようには見えねえけどな」
朔夜の表情には雪兎の言葉に対する動揺が浮かんでいる。響は、コーヒーを前に思考停止したように動かない朔夜に続けた。
「前からききたかったんだが、お前、雪兎の事をどう思ってるんだ?」
「・・・どう、とは?」
「ああ、悪い。ざっくりしすぎだったな。雪兎の事が好きなのかって意味だ」
「好きでなければ、一緒に暮らしていない」
「じゃあ、大学の同級生の俺の事は?時也や菊乃ちゃんの事は?」
「好きに決まっているだろう」
「それだよ。雪兎が怒った理由は」
響の言葉に朔夜は首を傾げた。
「『好き』って言葉は使う相手によって大きさが異なるのが普通だが、お前の『好き』はあまりにも範囲が広すぎて全部同じになってんだ。博愛主義なんて言えば聞こえはいいんだろうが、その考えはお前の特別になりたいと思っている人間にとっては邪魔な考え以外の何者でもない、ってことだ」
朔夜は訳がわからず、沈黙している。響はフッと笑うと続けた。
「俺は精一杯のアドバイスはしたぜ。それでもわからねえなら、わかるまで考えろ。悩みを持てるのは生物の中で人間だけなんだからな」
朔夜はその言葉に頷くと考え出した。
(特別になりたいとはなんだ?私にとってユキはどんな存在だ?新しい家族であることは間違いないが、弟と呼ぶほど他人行儀な存在ではないし、勿論子供のような存在でもない。・・・それにしても、ユキを傷つけてしまって、どうしてこんなに心が苦しいんだ?)
結局、朔夜の心の中のモヤモヤしたものは響に「閉店時間だ」と声を掛けられるまで消える事はなかった。
一方、「アリスの世界」を飛び出した雪兎は店の近所の公園まで駆けてくると、漸く立ち止まった。その後ろから時也・菊乃が追い付いてきた。特に体力がない時也は肩で息をしている。
「はあ・・・はあ・・・雪兎くん、足、速いよ・・・」
「ごめん、時也くん、菊乃さん。せっかく『アリスの世界』で休憩しようって話だったのに」
「気にしないでいいよ。・・・それに、雪兎くんの気持ちも少しは分かるから」
菊乃の言葉に雪兎はただ沈黙して俯くと「ちょっと顔でも洗って頭冷やしてくる」と言い、水道に歩いていった。時也は、雪兎が離れていってしばらくすると漸く普通に話せるようになり、口を開いた。
「雪兎くん、あんなに怒ってたのに今はすごく悩んでるみたいだね」
「・・・きっと、何に怒ればいいのかわからないのよ。朔夜さんが雪兎くんに何も話してくれなかった事にか、朔夜さんが雪兎くんの気持ちを理解していなかった事にか、それともそんな状況に激昂して朔夜さんにひどい事を言ってしまった自分自身にか」
どうやら菊乃は当事者たちよりも今回の件を深く理解できているようだ。さすが社会人だな、と時也は思った。
しばらくすると、水道で顔を洗ってすっかり冷静になった雪兎が2人の元に戻ってきた。
「落ち着いた?」
「うん、何とかね」
そう言いつつも雪兎は何処か落ち着きがない様子だ。その事に気づいていた菊乃は口を開いた。
「朔夜さんに謝りたいけど、自分が100%悪いとは認めたくないから、ただ謝るだけじゃ納得出来ないんだよね?」
雪兎は驚きの表情で菊乃を見ると、小さく笑った。
「・・・僕は勘違いしてたんだ。たった2年間サクと一緒にいただけでサクの特別になれたつもりでいたんだ。サクにとっては僕も皆も同じ存在だったのに。それが悔しくて、八つ当たりでサクにあんな酷い事を・・・ほんと、何やってるんだろ、僕」
自虐的な言葉を呟き続ける雪兎に時也が言った。
「あ、あの、無理に相手を許す必要無いんじゃないかな?」
「?時也くん?」
「ただ謝るのが違うと思うならもっと最善の方法を探せばいいんだよ。悩みを持てるのは人の特権だから、って響がよく言ってる言葉をそのまま代用してるだけだけど」
「相変わらず、響さんは良いこと言うね」
菊乃はそう言うと雪兎に手を差し出した。
「私たちもとことん付き合うから、雪兎くん自身がどうしたいのか見つけようよ」
「・・・うん!」
雪兎は頷くと菊乃の手を握った。それから3人は「とにかくいつも通り過ごしてみたら何か良い案が浮かぶんじゃないかな」という時也の提案で、3人でよく出掛ける場所を回った。菊乃の買い物に付き合ったり、時也とゲーセンでゲームをしたりしているうちに時はどんどん過ぎていく。だが、その時間はとても楽しく、雪兎はずっと笑っていた。
(・・・3年前は、まさか自分がこんな風に友達と出掛けて笑えているなんて、想像もできなかったな)
3年前の雪兎は大切な人を亡くし、居場所も失い、自分にはもう復讐しか残っていないと思っていた。そして、復讐も果たして死人のようにただ無気力に毎日を過ごしている時に朔夜に出会った。あれは運命だったのではないかと雪兎は今でも思う。そして、朔夜と過ごすうちに雪兎は自分が真に求めていたものに気付いた。それは、自分の側を何があっても離れない人。
(・・・でも、サクにとって僕は側にいてくれる複数の人の1人に過ぎなかったんだとすれば、僕がここにいる意味は何なんだ?)
その疑問は結局夜まで消えることはなかった。
午後6時になり、3人は昼に来た公園に戻ってきた。ベンチに3人で腰掛けて暗くなりつつある空を見上げていると、菊乃が雪兎に問いかけた。
「それで、答えは出た?雪兎くん」
「えっと・・・それがまだ」
「でも、今の状態で朔夜さんに会うの、気まずいよね?」
時也の言葉に雪兎は小さく頷いた。
「雪兎くん、今日は僕の家(一ノ瀬家)に泊まる?響には僕から連絡するから」
「・・・うん、そうするよ。ごめんね、時也くん」
「謝らなくていいよ。明日は日曜日で休日だし、響も事情を知ってるから承諾してくれるだろうし。じゃあ、連絡してくる」
時也はスマホを取り出すとベンチから離れていった。
「時也くんの家に泊まるなら朔夜さんにも連絡した方がいいよね。でも、その様子だと朔夜さんと話すのは難しいだろうし、私が代わりに連絡してくるね」
「迷惑かけてごめんね、菊乃さん」
「これくらいどうってことないよ」
菊乃は笑顔でそう言うとベンチから離れて、朔夜に連絡し始めた。
「もしもし、朔夜さん?雪兎くんなんだけど、今日は時也くんの家に泊まるって・・・うん、・・・それから」
少し離れた場所で2人が電話をし始めると、雪兎は大きく息をはいてベンチの背もたれにもたれ掛かった。
その時、雪兎は自分への殺気を感じ、素早くベンチから離れた。その瞬間、鉄パイプがさっきまで雪兎が座っていた場所に降り下ろされ、ベンチの背もたれが破壊される大きな音が夜の公園に響いた。時也と菊乃はその音に驚き、ベンチの方を振り返ると、そこには鉄パイプを持ち覆面をした謎の人物が立っていた。その人物は再び雪兎に鉄パイプを振り下ろそうとしたが、菊乃が間に割り込み、鉄パイプでの攻撃を両腕をクロスさせて防御した。間を置かず、菊乃は相手に渾身の回し蹴りを食らわせたが、相手はそれをあっさりかわした。
(!かわされた!?)
菊乃がそれに驚いている隙に相手は逃げていった。
「あっ、待ちなさい!」
「菊乃、今は深追いしない方がいいよ!」
時也の言葉に菊乃ははっとすると、相手を追うのを諦めた。冷静になって考えると、確かに何の対策や作戦も無しに自分の蹴りをかわした相手を追うのは無謀だと、判断したからだ。時也は菊乃が止まった事にホッとすると自分が肩を支えている雪兎にきいた。
「雪兎くん、大丈夫?」
「うん、相手が殺気丸出しだったお陰で間一髪で攻撃を避けられたから」
そう言いつつも雪兎はまだ動揺している。時也は菊乃に向き直った。
「菊乃、どうする?」
「とにかく、響さんと朔夜さんに連絡して合流しよう。さっきの奴にまた襲われても私たちだけじゃ対処できないから」
時也と菊乃は響と朔夜に電話をして事情を説明し、雪兎を守りつつ時也の家に無事に帰ってきた。家には既に響が帰ってきていて3人を中に入れた。
「あれ?朔夜さんは?」
「自分の家で待ってる、だってさ。今はまだ、雪兎に会える状況じゃねえみたいだ」
雪兎はその言葉に表情を暗くしたが、響に頭を撫でられた。
「あまり気に病むことはないぞ、雪兎。あの後、あいつ閉店時間までずっと考え込んでたんだ。お前が何で怒ったのかについてな」
雪兎は顔を上げた。
「今までのあいつならこんな事、絶対しなかったよ。あいつも変わろうとしてるんだ。それは分かってやってくれ」
雪兎は響の言葉に素直に頷いた。その後、4人はリビングに移動し、今回の雪兎が襲われた件について話し合うことにした。菊乃から概要を聞いた響は大きなため息をついた。
「雪兎が殺気に敏感で良かった。そうじゃなければ大惨事になっていたな」
「うん、それに相手はすごく強い奴だったよ。スピードも威力もある菊乃の回し蹴りをあっさり避けてたし」
時也の言葉に菊乃は肯定するように頷いた。
「それで雪兎、犯人に心当たりは?」
「ありすぎて特定は無理」
「だろうな」
この3年間で雪兎の情報によって破滅に追いやられた人間は約70人。その人間の身内を入れれば余裕で100人を超える。そんな中から犯人を特定するなんてどう考えても不可能だ。
「打つ手なしか。どうしたものかな」
「・・・まだ手はあるよ」
雪兎の呟きに3人は一斉に振り向いた。
「どんな手だ?」
「犯人の狙いは僕だ。僕が1人で行動すれば犯人は簡単に引っ掛かるはずだよ」
「お前、まさか、囮になるつもりか?」
雪兎は頷いた。響は首を横に振った。
「ダメだ、無茶にも程がある。相手は空手の達人の菊乃ちゃんの攻撃をかわす強者だぞ。万が一、お前が1人の時に襲われたらどうするつもりだ?」
「・・・逃げる」
「相手から完全に逃げ切れる保証もないのにか?」
響の言葉に雪兎は完全に沈黙した。響は大きなため息をつくと雪兎の頭を撫でた。
「俺たちを巻き込むまいとする気持ちは分かるが、少し落ち着け。当事者のお前がそんなに焦ってたら意味ねえだろ?」
雪兎は俯けていた顔を上げた。
「そうだよ、雪兎くん。約束したでしょ、一緒に答えを探すって。私たちは最後まで付き合うよ」
「今回の件だって、雪兎くんが1人で背負う必要なんかないよ。犯人を捕まえるのに僕たちの力が必要なら頼ってよ」
菊乃と時也にそう言われ、雪兎は漸く逸る気持ちを抑えることが出来た。
「・・・わかった、皆の力を借りるよ」
「じゃあ早速作戦会議だな」
響の言葉に3人は頷いた。その時、菊乃が手を上げて発言した。
「あの、囮作戦に少し似てるけど良い作戦があるよ」
「どんな作戦?」
時也の疑問の声に菊乃は笑顔で答えた。
「替玉作戦だよ」
菊乃の作戦は結構単純だった。菊乃が雪兎に変装して1人で外を歩き、その後ろから響と朔夜が後をつけて不審者が出たら3人で応戦する。その間、本物の雪兎は時也と一ノ瀬家で待機、というものだった。それから1時間後、雪兎に変装した菊乃は近所の公園を1人で歩いていた。その少し後ろから響と朔夜が付いていっている。朔夜は珍しく不安そうな顔で響に確認した。
「一ノ瀬、本当にこの作戦で大丈夫なのか?」
「ああ、犯人が雪兎狙いならこの方法が一番有効だからな」
「・・・それにしても、ユキを殺そうとしたその犯人、何者なのだろうな。もし相手がユキに殺意を持っているのなら、ここ2週間で私が感じていた気配の正体とは一致しないのだが」
「ああ、そこは俺も疑問だったんだ。お前は複数の人間の視線を感じたと言っていたが、雪兎を襲ってきた奴は単独犯だった。雪兎を殺すつもりなら大人数で襲った方が確実なはずだ。それに、どんなに殺気を隠しても敏感な雪兎なら気配に気づくはずだが、雪兎は襲われるまで気づいていないようだった」
響の言葉に朔夜は頷いた。響は朔夜の少し落ち着かない様子を見て、クスッと笑った。
「まだ悩みは消えていないようだな」
「そんなに簡単に消えるのなら苦労していない。どんなに考えてもユキが私にとってどういう存在なのかわからないんだ。ただの新しい家族なんて他人行儀なものでもないし、友人と呼ぶには近すぎる存在。そして、こんな微妙な位置にいるのはユキだけだ。それが余計に分からなくなっている原因かもしれないが」
「・・・なんだ、もうほとんど答え出てるじゃねえか」
響の呟きに朔夜は首を傾げたが、響は「何でもねえよ」と返した。その時、前を歩いている菊乃の前に複数の人物が立ちはだかった。響と朔夜は素早く菊乃の元に駆けつけた。謎の人物たちは急な2人の登場に驚いたのか、1歩後ろに下がった。菊乃は被っていたウィッグを取ると、目の前の団体に話しかけた。
「残念だけど、私は偽物だよ」
その瞬間、相手のうち、屈強な男が3人がかりで菊乃に襲いかかったが、武術の達人3人に敵うわけがなく、あっけなく倒された。戦力を削がれて戦意喪失している団体のリーダー格に朔夜が話しかけた。
「ここ数日、私とユキを監視していたのはお前たちだな?その理由を教えろ」
「そ、それは」
「どうしても言えないということか」
朔夜はスマホを取り出し、急に相手の写真を撮った。
「な、何をするつもりだ?」
「ユキに頼んでお前たちの素性を調べてもらう。ユキの情報収集能力ならば、写真ひとつでお前たちの素性など容易に割り出せるだろうからな」
「そ、それだけは勘弁してくれ!」
「では、正直に話せ。お前たちは何故ユキを監視していた?」
朔夜の凄むような目付きに負け、リーダーは周りを見渡すとため息をついて口を開いた。
「俺たちは影城学園高等部の『雪ウサギを見守る会』の会員なんだ」
その明かされた素性が意味不明すぎて3人は沈黙した。響は相手の胸ぐらを掴んだ。
「・・・おい、この期に及んで何わけ分からねえこと言ってんだ?」
「わ、わかった!ちゃんと話すから!!」
響のオーラに怯えながらリーダーは話し出した。
「俺たちが通っている影城学園高等部には保健室登校している高峰 雪兎っていう生徒がいて、その生徒の容姿を見る事が出来たら幸福になれるとかいう噂があるんだ。俺たちは皆、たまたま保健室に用があって幸運にも彼の外見を見る事が出来た人間で、そして全員彼に惚れてしまったんだ」
3人は衝撃の告白にただ黙るしかなかった。
「一方で俺たちは不安だった。彼の容姿を知れば、彼を手込めにしようとする不届きな奴が絶対出てくる、と。そこで俺たちは集い、彼を脅かす輩がいないか見張ることにしたんだ。勿論、抜け駆けをする奴を出さないためにただ見守るだけでそれ以上の事はしないと言う条件付きでな」
「さっき、雪兎に変装した菊乃ちゃんの前に大人数で立ちはだかったのはそれ以上の事じゃないって言いてえのか?」
「それは・・・その・・・皆でやったら条件を破ることにならないんじゃないかってことで」
「人類補完計画みてえな事言うな!」
「雪ウサギを見守る会」の会員と響が言い争っている間も朔夜はずっと考えていた。
(こいつらはユキを殺すために付きまとっていたわけではない。では、ユキを殺そうとした奴は一体?)
「・・・まさか、人間じゃない、なんて事はないよね?」
菊乃の呟きにその場にいた全員が一斉に菊乃を見た。菊乃はその集まってきた視線に少し動揺しながら続けた。
「だ、だって、もし相手が人間じゃないなら殺意なんて概念もないだろうし、無意識に相手を襲う事も有るんじゃないかなと思って。そういう映画、前やってたし。人工知能を持ったロボットたちが人間を抹殺しようとする洋画」
その言葉を聞いた瞬間、朔夜は急に駈け出した。
「おい、工藤!」
「待って!朔夜さん!」
響と菊乃が朔夜の後を追う。響は朔夜に追いついて、きいた。
「どうしたんだ?急に走り出して」
「犯人がやっとわかった」
その言葉に驚く響と菊乃に朔夜は続けた。
「犯人は恐らく、私のような奴だ」
一方、一ノ瀬家で待機中の雪兎と時也はリビングのソファーに向かい合わせで座り、何もせずにただ黙っていた。雪兎は菊乃に服を貸したため、時也の服(白いウサ耳パーカーとジーパン)を着ている。俯いたまま心配そうな顔をしている雪兎に時也が話し掛けた。
「心配しなくても大丈夫だよ」
時也の言葉に雪兎は顔を上げた。
「菊乃は強いし、たとえ何かあっても響と朔夜さんが守ってくれるよ。それに、これは菊乃が考えた作戦だから、きっと上手くいくって僕は信じてる」
「・・・時也くんはすごいね。こんな深刻な状況でも菊乃さんの事を信じてるんだから」
「そりゃあ、菊乃は僕のこの世で一番大事な人だからね」
「『この世で一番大事な人』か・・・」
時也が言った言葉は短いけれど、断言するのは中々難しいワードだ。
(僕は彼と同じようにサクの事を『この世で一番大事な人』だって断言できるんだろうか)
押し黙った雪兎に時也は首をかしげた。
「どうしたの?僕、なんか変な事言った?」
「いや、何でもない。それよりも時也くん、ききたいことがあるんだけど」
「何?」
「僕とサクの関係は第三者である君にはどんな関係に見えた?」
時也は予想外の疑問が来て驚きの表情になった。
「今日1日ずっと考えてたんだけど、僕とサクはただお互いに頼る人間がいなかった状態で出会ったから、誰かに側にいてほしいっていう思いが強かった。だから、互いに依存していただけなんじゃないかってそんな考えしか浮かばなかった。・・・そして、もしその考えが正しいなら僕たちは一緒にいるべきじゃないって考えも頭を過って・・・もう、どうすればいいのか全然わからなくて」
「お互いに依存するのってそんなに悪い事かな?」
雪兎は時也の言葉に頭を上げた。
「片方がずっと相手に頼りっぱなしでもう片方が頼られる事に依存してるなら『共依存』だけど、お互いに足りない部分を補いあってるならそれは悪いことじゃないよ。そして、そこにお互い愛情があって、初めて『恋愛』になるんじゃないかって僕は思う。まあ、僕はまだ菊乃に守られっぱなしだから偉そうなことは言えないけどね」
時也は雪兎を見据えて続けた。
「それに、雪兎くんと朔夜さんの関係を他人がどう思おうが、本人たちの気持ちを最優先するべきでしょ?雪兎くんは一体どうしたいの?世間の目とか僕たち他人の気持ちとか全部無視して、雪兎くんが朔夜さんの側にいたいのか、大事なのはそこだよ」
「・・・僕は」
雪兎が何か言いかけたその時、突然リビングの窓が割れた。2人は突然響いたその音に驚きつつも危険を察知して窓の方向を向きながら後ろに下がった。窓が割れた音の後にカチャッという窓の鍵が開く音がして誰かが家に侵入してきた。その人物は公園で雪兎を襲った覆面の人物だった。時也は1歩前に進み出て、侵入者に震える声で怒鳴った。
「お、おい!お前は何者だ!?何で雪兎くんを狙うんだ!?答えろ!!」
覆面の人物は何も答えず、ジリジリと2人に近づいてきている。ある程度距離を積めると相手は2人に襲い掛かり、時也は相手が突進してきた弾みでリビングの壁に叩きつけられた。
「時也くん!」
雪兎が時也に気をとられていると相手は雪兎を押し倒し、首を絞めてきた。その強い力に雪兎は苦しそうに呻いた。そして、相手から感じる明らかな殺意。雪兎は意識が朦朧としてくる中、不意に呟いた。
「・・・たす、けて・・・サク」
その瞬間、リビングの扉が勢いをつけて開き、朔夜が突入してきて雪兎の首を絞めていた人物を蹴り飛ばした。相手が吹っ飛ぶと、咳き込んでいる雪兎に朔夜は駆け寄った。
「大丈夫か?ユキ」
「ッゴホ!ゴホ!・・・ハア・・・大丈夫、だよ」
雪兎が無事だと分かって安心したのか、朔夜はホッと息をついた。一方、朔夜のすぐ後にリビングに駆け込んできた菊乃と響はリビングの隅に蹲っている時也に駆け寄った。
「時也くん!」「時也、しっかりしろ!」
時也は2人の声を聴いて目を開けた。菊乃は時也をこんな目に遭わせた人物を殴ろうとしたが、時也に止められた。
「菊乃、落ち着いて!僕は大丈夫だから。それに、今回はあの2人に任せた方が良さそうだからさ」
時也の言葉を聴いて菊乃は漸く怒りを収めた。
その時、朔夜に吹っ飛ばされた相手が立ち上がった。朔夜は雪兎を後ろに庇うと相手を見据えて言った。
「もう、止めませんか?こんな事しても、あの日失ったあなたの大事な物は何も帰ってきませんよ。・・・父さん」
雪兎を含め、その場にいた皆は朔夜の言葉に驚きを隠せなかった。相手は正体を見破られ、覆面を取った。その下の顔は工藤 惣次郎その人だった。工藤は娘にきいた。
「いつ、私だと気付いた?」
「菊乃ちゃんの言葉のお陰だ」
「えっ!私?」
菊乃は急に名前が出てきてつい声が出た。その後、菊乃はその場にいた全員に一斉に振り向かれ、「すいません、話を続けてください」と言うとまた黙った。
「ユキは殺意に敏感な人間だ。木を隠すなら森の中というようにはいかない。だが、菊乃ちゃんが言ったように犯人に殺意という概念がない、要するにユキに出会う前の私のように『犯人に感情がない』なら話は別だ。あなたは私と同じく工藤家の嫡子。生まれつき感情を制限されていた影響で、いつのまにか感情の起伏をコントロールできるようになっていたのではありませんか?」
工藤は朔夜の推理を肯定するように頷いた。雪兎は工藤に恐る恐るきいた。
「でも、どうして今になって僕を殺そうとなんて」
「・・・お前が私から何もかも奪ったからだ」
工藤は雪兎を睨み付けた。
「お前が情報をリークしたせいで私は社会的地位も名誉も全てを失った!浮浪者として惨めな生活を強いられ、誰も信用できず、ただ孤独に生きる事を強要された!そして2年経ち、この町に戻ってきて漸くお前を見つけたと思ったら、お前はまるで罪滅ぼしでもするかのように娘と暮らしていた。その時に思い付いたのだ。今度はお前から何もかもを奪ってやるとな!!」
「僕がサクと暮らし始めたのは罪滅ぼしのためじゃない」
「黙れ!お前に朔夜の何がわかる!?」
「あなたこそ、ユキや私の事を何もわかっていない!」
急に響いた朔夜の大声に、その場にいた人々は沈黙した。朔夜は生まれて初めて大声を出したため、深呼吸すると続けた。
「あなたがいなくなった後、私や母がどれだけ大変な目に遭ったか知らないだろう。あなたの残した借金返済に追われ、どんなに苦しくてもあなたが軽薄な人間関係ばかり築いてきたせいで誰も助けてなどくれなかった。友達だってそこにいる一ノ瀬以外は全員離れていき、母が病気で亡くなってからは本当に孤独だった」
朔夜は苦しそうだった。当時の事を思い出しているのだろう。
「そんな時、父を破滅させた情報屋であるユキの事を知った。ユキは私とそっくりだった。ただ目的もなくその日その日を生きていて、いつか死ねればそれでいいという生き方をしていた。ただ一つだけ違うとすれば、ユキには感情があった。だから私からユキに感情を教えてほしいと頼んだのだ」
「そいつは間接的だがお前を苦しめた男だぞ。憎くないのか?」
「私に感情を持つなと強要していたくせにユキの事を憎めとは、相変わらず傲慢だな」
朔夜に睨み付けられ、工藤は押し黙った。
「確かに他人から見れば私とユキの関係は複雑かもしれない。だが、ユキはあなたと違って、いつまでも人並みに感情を持てない私とずっと一緒にいてくれた。泣くことや笑うことを満足にできない私の代わりに泣いたり笑ったりしてくれた」
朔夜は雪兎を抱き締めた。
「ユキは私の感情そのものだ。私からユキを、感情を再び奪おうとするならたとえ親であろうと私は許さない!」
「・・・サク」
朔夜が生まれて初めて雪兎のために怒っている。不本意かもしれないが、雪兎はそれが嬉しくて朔夜を抱き締め返した。それを見た工藤は俯いて呟いた。
「私は最低な父親だな。復讐に取り憑かれ、再び娘から幸せを奪おうとしていたのか」
工藤はそう呟いた後、2人を見据えて続けた。
「朔夜、私はこの町を出て行く。そして、もう二度とお前たちの前に現れない」
「・・・父さんはこれからどうするつもりですか?」
「取り敢えず、お前たちのように生きる理由を探してみようと思っている。私は全てを失ったが、ゼロからスタートできると考えれば『何もない』ということが悪いことだとは思えなくてな」
最後に工藤は雪兎に振り向いた。
「白ウサギ、最後に父親としてお礼を言わせてほしい。朔夜と共にいてくれてありがとう」
工藤は2人に背を向けてリビングを出て行った。その場に沈黙が降り、ずっと傍観していた響がやっと口を開いた。
「良かったのか?警察に通報しなくて」
「警察にあの人を突き出せばユキの裏稼業の事がばれてしまう。もしそうなれば、ユキは極刑を免れないだろう。それがわかっていたからあの人は自分が消える事を選択したのだ」
「よくわかったな。工藤」
「あの人の血が私の中に半分流れている事は事実だからな。何となくわかるのだ。・・・それよりも、ユキが無事で本当に良かった」
雪兎はそれを聞くと照れるように笑った。
「うん、助けてくれてありがとう、サク」
その次の週の水曜日の放課後、雪兎が相変わらず保健室でのんびりしていると、若葉が元気よく保健室に入ってきて、部屋の中をキョロキョロ見渡して呟いた。
「あれ?政孝おじさんは?」
「職員会議」
「そう、それは好都合だね」
若葉の言葉に雪兎は首をかしげた。若葉は持っていたトートバッグからジュエリーケースを2つ取り出して雪兎に渡した。
「?何これ?」
「開けてみてよ」
雪兎はジュエリーケースを両方開けた。片方のケースの中にはたくさんの0.5カラットのダイヤで作られた桜の花のネックレスが、そしてもう片方のケースの中には同じダイヤで作られた雪の結晶のネックレスが入っていた。そして、桜のネックレスの中央には5カラットのピンクダイヤ、雪の結晶のネックレスの中央には同じく5カラットのアイスブルーのカラーダイヤがある。その繊細かつ見事なアクセサリーに雪兎は感心した。
「すごく綺麗だね」
「でしょ?昨日の仕事の戦利品なの」
「・・・ちょっと待って、て言うことはこのネックレスたちは」
「盗品」
雪兎は、当たり前のように言った若葉とは対称に慌ててケースを閉めた。
「どうしたの?そんな慌てる必要ある?」
「いや、これが普通の反応だから!それ以前に、よく昨日盗んできた物を学校に持ってこれるな!」
「今回だけだよ。だってそれは雪兎に渡すために持ってきたんだから」
雪兎は益々意味がわからなかった。若葉は小さくため息をつくと続けた。
「その2つのネックレス、資産家だった工藤 惣次郎が特注で作らせた物なんだって。桜の方は『Cherry Blossom』、雪の結晶の方は『Crystal of Snow』って名前がついてるみたい」
雪兎はその言葉を聞いて驚きの表情でネックレスを再度見ると、考え出した。
(これ、よく見たら2つとも女性用だ。・・・そう言えば、サクのお母さんの名前、確か『美雪』だったような)
「雪兎、何考え込んでるの?」
「いや、何でもない。ただ、何でこれを僕に持ってきたのか考えてただけ」
「それ、工藤 朔夜さんに渡して。私たち、盗品のほとんどは持ち主に返してるんだけど、工藤 惣次郎は失踪して所在不明、奥さんも亡くなってるから娘さんに返そうと思って。・・・もう、工藤 惣次郎の娘さんと同居してるならそう言ってくれればいいのに」
「ていうか、僕とサクが同居してることを君はどうやって知ったの?」
「崇矢兄が雪兎の事を調べてる時に朔夜さんと一緒に写っている写真を入手して、それでわかったんだって」
「ああ、そう」
何で自分の事を調べていたのかに関しては雪兎は詳しくきかなかった。自分が「情報屋」という肩書きが無ければ胡散臭い奴だという自覚があるからだ。若葉はネックレスを指差しながら言った。
「その中央のダイヤ、すごく希少価値が高いらしいよ。同じカラット数のダイヤモンドでもそれぞれ光沢が違ったり少しだけ重さが違うのが普通だけど、その2つはまるで双子のように全ての数値が同じなんだって。そして、ピンクダイヤとアイスブルーのカラーダイヤの宝石言葉は『永遠の愛』」
「永遠の愛?」
「工藤 惣次郎がそれを送ろうとした相手、彼にとってとても大切な人たちだったんだね」
若葉の言葉に雪兎は小さく頷いた。若葉は、笑顔の雪兎にニヤッとすると続けた。
「それで、雪兎は朔夜さんの事好きなの?」
「な、何で君にそんな事言わなきゃいけないわけ!?」
「いいじゃん。このネックレスのお礼にしては安い方だよ」
どんなに渋っても「ねえねえ~」としつこい若葉に雪兎は根負けした。
「ああ、もう、わかったよ、言うから!・・・サクは僕にとって自分の命以外は何を犠牲にしても側にいたい存在、だよ」
それを聞いて沈黙した若葉を雪兎は真っ赤な顔で睨み付けた。
「せめて何か言ってくれる?すごく気まずいんだけど」
「いや、雪兎が何を犠牲にしても守りたいなんて言うところ初めて見たから、驚いただけ。それにしても、『命以外は』ってどういう事?」
「だって、何かを守るために自分が死んでしまったら意味無いから」
「・・・プッ、アハハハ!そこは雪兎らしい」
「わ、笑うなよ、若葉!」
それから、笑い続ける若葉と顔を真っ赤にした雪兎はずっと言い合いを続けていた。しばらくして職員会議から帰ってきた政孝に「保健室で騒ぐんじゃねえ!」と2人まとめて説教を食らったのは言うまでもない。
その日の午後7時過ぎ、雪兎は一度家に帰って私服に着替えると、朔夜を会社に迎えに行った。何故この時間帯なのかというと、今日は初めての残業らしく、7時くらいになるだろうと連絡があったからだ。
朔夜は初めて怒りを知った日からまた少しだけ感情を取り戻し、ドラマや映画で感動する事は出来るようになった。変化はあまり無いように見えるが、どんな作品をみても何の反応も示さなかった頃に比べると大進歩だと雪兎は考えていた。
雪兎がそんな事を思っていると、仕事を終えた朔夜が出てきた。
「サク、仕事お疲れ様」
「いつも迎えに来てくれてすまないな」
「これぐらいどうってことないよ」
その時、朔夜はビルの方向を振り向いた。
「どうしたの?また視線を感じるの?」
「いや、あの日以来視線を感じなくなったから、逆に不安でな」
「あいつらなら大丈夫だよ。二度と僕たちに干渉してこないようにしておいたから」
朔夜はその言葉を聞いて安心した。雪兎は凄腕の情報屋だ。素性さえ分かれば、相手の後ろめたい事の1つや2つは簡単に見つけるという確信があったからだ。
「さて、帰るか。今日は私が料理当番だったな」
「あ、あのさ、サク」
雪兎は、家路に着こうとしていた朔夜を止めた。
「どうした?」
「帰る前に行きたい所があるんだ。いいかな?」
「構わないが、どこに行くつもりだ?」
「・・・僕たちの思い出の場所だよ」
それから雪兎と朔夜は家の方向とは反対方向に40分ほど歩き、目的地にたどり着いた。そこは雪兎と朔夜が初めて会った桜並木だった。今年は遅咲きだったせいか、もう4月中旬だというのに桜はまだ満開だ。そして、夜空に綺麗な満月が浮かび、とても幻想的な風景となっている。
「・・・まるで、2年前に戻ったようだ。あの時も満開の桜を月明かりが照らしていた」
朔夜の呟きに雪兎は肯定するように頷いた。しばらく桜を眺めていた朔夜は雪兎に振り向いた。
「それで、何故ここに私を連れてきたんだ?」
「これを渡そうと思って」
雪兎は若葉から受け取ったジュエリーケース2つを取り出した。朔夜は首をかしげながらそれを開け、中に入っているネックレスを見た。
「このネックレスは?」
「工藤 惣次郎が特注で造らせた品らしい。知り合いがある金持ちの家で見つけたんだけど、工藤の娘であるサクに渡してほしいって」
「だが、いいのか?こんな高そうなもの、私がもらっても」
「いいんだよ。それは工藤 惣次郎が君とお母さんのために造らせた物なんだから」
「・・・父さんが、私たちのために?」
朔夜は信じられないとでもいうように再びネックレスを見つめた。
「その真ん中のダイヤの宝石言葉は2つとも『永遠の愛』なんだってさ。きっと、工藤 惣次郎は君たちに自分の家族への愛情を分かってほしかったんじゃないかな」
「・・・そうか、あの人はただ不器用なだけだったのだな」
気づけば朔夜は目から涙が零れていた。雪兎が朔夜の涙を見たのはこれが初めてだった。
「さ、サク、大丈夫?」
「ああ、平気だ。・・・涙を流すのはいつ以来だろうか」
朔夜は涙を拭った。それから、話を逸らすかのように朔夜はネックレスを見ながら呟いた。
「しかし、私の物だと言われても扱いに困るものだな。父さんのプレゼントならば売るわけにもいかないし、身に付けるにしても私にはこんな女らしい物は似合わないだろうし」
「そんな事無いよ!」
雪兎はそう言うと、ジュエリーケースから桜のネックレスを取り出し、朔夜の首に掛けた。
「うん、やっぱり似合ってる。サクは自分が女らしいと思ってないかもしれないけど、どんなに勇敢でも男勝りでも、サクは僕にとって誰よりも魅力的な女の人だよ」
朔夜はその言葉に頬を赤くした。雪兎はその反応が新鮮で、クスッと笑った。
「普段こっちが照れさせられてるからそのお返しだよ。まあ、さっきの言葉に嘘はないけどね」
雪兎は「さあ帰ろう」と言って朔夜に背を向けた。朔夜は帰ろうとする雪兎の腕を掴んで止めると、後ろから手をまわして彼のカッターシャツのボタンを第一ボタンまで外した。急に首元を開けられ、雪兎は困惑した。
「え?何?」
「そうしないとせっかくのダイヤの雪の結晶が見えないからな」
朔夜は雪兎の首に雪の結晶のネックレスを掛けた。
「それはユキに付けていてほしい。もう母は亡くなっているし、片方だけ持ち主がいないのではネックレスが可哀想だからな」
朔夜は雪兎の前に回ると、雪兎がつけているネックレスの雪の結晶に触れた。
「それに、この宝石の宝石言葉は『永遠の愛』なのだろう。この桜並木の下で約束を交わした私たちにぴったりの宝石ではないか」
「でも、いいの?違う人への愛情の証のために造られたものなのに」
「父親が娘を愛し、夫が妻を愛するのは当然の事だ。そんな当然の事に証など必要ないだろう」
当たり前のように言う朔夜に雪兎は「そうだね」と呟くと、自分のつけているネックレスを見なから呟いた。
「これ、まるで楔のようだね。約束を破ったら今度は永遠に呪われそう」
「そんな事を気にするなんて、いつか破るつもりなのか?」
「まさか。言ったでしょ?さっきの言葉に嘘はないって」
雪兎は少し背伸びすると朔夜の唇にキスをした。
「君は僕にとって何よりも大切な人だから」
「・・・ズルいな、お前は。こんな時だけ男らしいのだからな」
「何度も言うけど、僕は男だよ。好きな人の前ではカッコつけたいんだ」
雪兎が照れ臭そうにそう言うと、朔夜は確認するように呟いた。
「では、たとえ私が感情を完全に取り戻してもずっと私の側にいてくれるか?」
「うん、約束するよ。この宝石に誓ってね」
それを聞くと朔夜は今までの中で一番の笑顔になった。
「では、私はこの世で最も幸せだな」
その笑顔に見惚れている雪兎の隙をつき、朔夜は雪兎に口付けをした。
「私もお前に誓おう。私たちはずっと一緒だ」
「うん、約束だよ。サク」
こうして、ずっと側にいてくれる人を求めていた2人は桜の下で再び約束を交わした。
新しい約束で繋がれた2人を祝福するかのように桜の花吹雪が月夜に舞っていた。