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泉を探して  作者: roak
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第四十四話 外側

「彼らは『何もない』と考えているんだ」

「何もない、ですか」

「そうだ。人も、家も、森も、川も、土も。あるような気がするだけで実はないのだと。彼らはそう考えている」

「それは夢でも見ているということでしょうか」

「そうではない」

 そこで一度、工場長は黙り込んでしまった。その顔は、どのように説明したらよいか思案しているように見えた。ユキの方を見る。彼女は食事の手を止めて、静かに目を閉じていた。彼女にとって工場長が今している話は、別な人にもう何度も聞かされていて、聞き飽きた退屈な話なのかもしれない。

「失敬」

 工場長は服のポケットから一枚の葉を取り出した。そして、それを口の中に入れて、もぐもぐとかみ始めた。ハーブか何かだろうか。チューインガムのような味がするのだろうか。

「食後はやはりこれだね。君もどう」

 工場長はもう一枚、葉をポケットから取り出す。

「はい」

 力強く差し出されたので、つい受け取ってしまった。見たところ何の変哲もない緑色の葉だった。何か変わった色味があるわけでもなく、棘があったり穴が空いていたりするわけでもない。本当にただの一枚の葉に見えた。

「ユキはどうする?」

 かむことがためらわれたため、一緒にかまないか聞いてみた。すると、彼女は目を閉じたまま小さく首を横に振った。工場長の妻と子供は二人で顔を近付けて小さな声で何か熱心に話をしていた。工場長は言う。

「毒じゃないから安心しなさい。ガムのようなものだ。気に入ると思うんだが」

 早く食べるよう促すような口調だった。意を決して口に入れた。何も味がしない。

「かむんだ」

「はい」

 一回、二回とかむ。ひどく青臭く、強烈な苦味がした。これのどこがガムなのか。ただの葉ではないか。このようなものを食後にかんだのでは、どのような料理を楽しんだとしても、最後に台無しになってしまうではないか。好き好んでかむ気持ちが知れない。彼の味覚はどうなっているのだろうか。

「ちょっと口に合わなかったかな」

 顔の表情で察してくれたのだろう。工場長は言った。

「そうですね」

 やっとの思いで、一言発することができた。「変わった味ですね」とか言う余裕もなかった。まずい。その一言で完結する味だった。歯形の付いた葉を口から出して、皿の隅に置いた。皿の料理は、もうほとんど何も残っていなかった。気を取り直して、森の住人たちの考え方に話を戻すことにした。

「ところで、『どんな物にも心がある』という話と、さっきの『何もない』という話はどんな関係があるんですか」

 工場長は言った。

「うん。その話をしよう。この森の外について、彼らはこう考えている。何もないと。彼らは森の外には基本的に何もないと考えているんだ。何もないというと『本当に何もない』ということだ。それがずっと続く。限りなく、終わることなく、ずっとずっと続く。そう考えているんだ。森の住人たちは地球や宇宙について知らない。けれど、君も僕も地球や宇宙があることを知っている。学校で習う。だから、僕らからすれば、『宇宙の外側がどうなっているか』。そういう質問に置き換えてもいいだろう。結局のところ、知っている場所の外側がどうなっているのかという質問なのだから。その答えは、彼らの答えでは、何もないのがずっとずっと広がっているということだ。何もないのがどこまでも広がっている。これは分かりづらいかもしれない。端まで行けば、行けるところまで行けば、まだ何かがあるのではないか。そう考えてしまうかもしれない。何か壁のようなものがあるのではないかとか。もしかしたら、宇宙の外には、僕らが知らないだけで、まだまだいろいろなものがあるのかもしれない。あっと驚くような仕掛けがあるのかもしれない。この森の住人が地球や宇宙について知らないのと同じように、僕たちも知らない何かがあるのかもしれない。重大な秘密があるのかもしれない。だけど、仮にそこに何かがあったとしても、もっと外には何があるのか、もっと外には何があるのか、と次々考えていくことはできる。そうすると、最後には、本当に最後には、何もない場所がずっと続いていることになる。そういうことになるんだ。彼らの考えというのは、そういうことなんだ」

「何もないのがずっと続く、ですか」

「想像しにくいことだと思う。そこで出てくるのが、『どんな物にも心がある』という話なんだ。目を閉じて、思い浮かべてごらんなさい。そこには一切の物がないんだ。微粒子の一つもない。そうすると、どんなことが起こるか。それはつまり、心の働きをするものが何一つなくなるということなんだ。『思考』も『記憶』もない。『痛い』も『心地よい』もない。『熱い』も『冷たい』もない。空間的な『広い』、『狭い』といった感覚も、時間的な『長い』、『短い』といった感覚もないんだ。もちろん、何も聞こえないし何も見えない。とにかく、何かを外から感じ取るということが全くない。本当に何もないというのはそういうことなんだ。それがずっと続く。ずっとずっと。どうだろう。そういうのであれば、どこまでも続くということが、少しはありそうだと思えてこないか。間違っても何か壁のようなものにぶつかって、『いてっ!ああ、ここがあらゆるものの終着点か!』なんてことになるなんて考えてはいけないよ。『何かを感じるもの』を想定しちゃいけないわけだから」

「はあ、分かったような、分からないような。そうすると、この森の中の集落は一体なんなのでしょう。さっき、あなたは人も、家も、森も、あるような気がするだけで実はないと言っていましたが」

「何もないことに変わりない。何もないの種類が違うんだ」

「何もないことに種類があるんですか」

「そうだ。ここの住人によれば。これも話していこう。その前に」

 工場長はもう一枚、ポケットから葉を取り出した。口に入れてかみ始める。

「どうだ、君も、もう一枚」

「いりません」

 工場長は少し寂しげな表情を見せたあと、再び話し始めた。

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