第四話 感性
電話に出た木ノ下は、
「泊まらないと厳しい気がするけど、道具に関してはアウトドア用品の店に聞いてみたらどうかな」
と言った。そして、「バーベキューやハイキングは仲間たちとよくやるが、本格的な登山となると、ほとんど経験がないので詳しくない」、「久しぶりに連絡があって嬉しいよ」、「今まで元気だった?」というようなことを言った。とりとめもなく十分ほど話をして、互いに言いたいこともなくなって、短い沈黙をやり過ごしたあと、「じゃあ、また」と言って電話を終えた。会話したのは数年ぶりのことだったが、木ノ下の声は変わっていなかった。懐かしさを感じて少し安心した。
近くにアウトドア用品の店はないか。インターネットで調べてみた。二店見付かった。品ぞろえにはこだわらない。それなりの靴、テント、寝袋、リュックなどがそろえられればよい。そうだ、それなりでよいのだ。二店のうち自宅から近い方の店へ行くことにした。早速、着替えて家を出た。家の前に停めている車に乗り込む。四年前、中古で買った小型自動車だ。少し狭いが、居心地はそれほど悪くない。大きな故障もなく、きちんと走ってくれる。エアコンもよく効く。泉を探す旅の日も、途中まではこいつの世話になるつもりだ。
車で国道を進む。十分ほどで店に着いた。四角い形をした大きな店。それは、よく見たことのある店だった。今まで何度も近くを通りかかっていながら、用がなかったので、立ち寄ったことがなかった。ホームページの画像で見たとおり壁は一面、深い青緑色に塗られていた。車を降りて、店の出入口へ向かう。自動ドアのガラス越しにさまざまな商品が並んでいるのが見えた。欲しいものが置かれているコーナーは店内のどこか。自動ドア付近に設置された店内案内板で一つ一つ確かめた。そして、どのように店内を見て回り、品物を購入するのが効率的かを考える。特に急いでいるというわけではない。ただ、時間をかけて店内を巡り、買い物を楽しむという気にはならなかった。「泉の正体を早く知りたい」という強い思いが、心を占めているからだろうか。
店内を歩き、まずは靴のコーナーへ。靴は最も大切な道具だと思った。足に合わないものを選んでしまい、けがをしてしまっては大変だ。時間をかけて選びたかった。二十分ほどコーナーの端から端まで商品を見た。だが、なかなか決まらない。悩んでいると、店員が声をかけてきた。
「試しにどれか履いてみますか」
「どれを選んだらいいのか分からなくなってしまって」
と答えた。すると、これから登る予定の山はどこか、登山の経験はどの程度あるのか店員は聞いてきた。どこを登るのか。特に回答を用意していなかった。特定の山に登るのではなく、地図で偶然見付けた不思議な泉を探しに行くのだと正直に言えば、この店員に失笑されるかもしれないと思った。だから、近所の低めの山の名前を適当に答えた。それは中学生のころ、学校行事で登った山だった。また、本格的な登山経験はなく、今回の登山がほとんど初めてだと答えた。このようなところで見栄を張り、嘘を付いても意味がない。すると店員は、
「うん、分かった」
と言い、次から次へと靴を持ってきて、片っ端から試着させてくれた。更に
「感性が大事なのだ。フィットを求める感性を重んずれば、自ずとベストなチョイスにたどり着く」
と熱く語った。八足目の靴を履いたとき、体中に電気が流れたかのような衝撃を覚えた。これこそが「ベストなチョイス」だと確信した。この靴は、この日のために陳列されていたのだ。これこそが運命的な出会いと言えるものなのだ。そのようにさえ思った。
「靴はこれにします」
と語気を強めて店員に伝えた。
「まいどあり!」
と店員はにっこり笑って返答した。直感的に分かったのだろう。この客は「ベストなチョイス」にたどり着いたと。ふとその靴の値札を見た。六万八千円と書かれていた。