第二十四話 投石
オオトのレポートを一読した。散りばめられた多くの難しい言葉と深く入り組んだ話の流れによって導き出されたそのレポートの結論は、あいまいでよく分からないものだった。そのレポートは、一見すると緻密に作られているようで、形としては立派なものに見える。序論、本論、結論ときちんと分けられ、とても丁寧に組み立てられているように見える。どこか公の場で発表するつもりだったのだろうか。そのように思うほど体裁が整えられていた。彼がレポートの中で立てたいくつかの仮説。その中にはかなり大胆なものもあった。「現代社会は仮想空間」という下りには、少しはっとさせられたが、その仮説は次の二行で唐突に否定され、それきり二度と語られることはなかった。
彼の文章には、疑問符も感嘆符も特になく、終止淡々としているのだが、書いてあることをよく読み解こうとすると、そこにはある種の傲慢さのようなものが感じられた。この部分が傲慢だ、というのではなく、全体としてそれが漂っている。「こうであるはずだ」と彼は力強く主張する。その一方で、その主張について読んでいる人がどのように考えるか、どのような反論が考えられるかといったことが述べられることはない。読み手の気持ちを考えていないと言うと、それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、考えていることをいかに強く主張するかということに重きを置き過ぎているということは言えた。読み進めるほど不穏な気持ちにさせられた。
レポートの中程では、現地での調査結果についての考察がなされていた。事件の日、隊員たちは土のサンプルなどを採取し、その後、それについて調べたという。レポートには、その調査から得られた情報なのか、土の成分、また、土に含まれる微生物の種類が数多く記録されていた。特定の物質の含有率、特定の微生物の分布、そして、調査した地点ごとのそれらの比較など。そのようなことが事細かに記されていた。そして、それら多くの情報についての考察は、深く、鋭いもののように見える一方で、見方によっては、何から何まで誤りであるようにも思えた。例えば彼はレポートの中で、二つの情報を組み合わせて、それを根拠に一つの仮説を否定しているところがある。二つの情報が互いにどのように関係しているのか、さまざまな情報がある中で、その二つの情報をどうして持ち出すのか、そして、持ち出して組み合わせることでどうしてその仮説が否定できるのか。そういったことについて、ほとんど詳しく書かれていない。彼の主張の正しさは、一度疑い始めると終わりがなかった。彼は組織の本部で働いていたときも自主的にレポートを書いて、上司に提出したと言っていた。それらもこのような内容のものだったのだろうか。だとしたら、シュレッダーにかけたという上司の行為も、それほどひどいものだとは言えない気がしてきた。
オオトは序論でさまざまな視点からいくつもの仮説を立てた。そして、本論では多くの情報を持ち出して、細かく検討してみせた。結論はというと、どの仮説も「明確に真実であるとは言えない」ということだ。ため息が出た。このまま睡魔に襲われたいと思った。表示されたレポートを閉じようとする。そのとき、ふと気付いた。まだ、テキストは続いている。表示の範囲を下へ、下へと動かした。空白のページが続く。一枚、二枚、三枚と。見せたくないことが書いてあるのだろうか。十枚ほど白紙のページをやり過ごすと、ようやく文章が現れた。先程までのレポートと打って変わって、個人的なメモ書きのような状態のものだった。冒頭には小さなフォントで「投石実験について~実験結果とその考察~」という表題が記されている。「投石実験」という言葉は聞いたことがない。どのような実験なのだろう。冒頭に、「※ 注意書き」とある。その注意書きの内容は「これ以降は、数字など、客観的なデータを用いない非科学的な記載が増える。個人的な感想なども多くなる。ご容赦いただきたい」というものだった。「ご容赦いただきたい」とは、誰に向けて言っているのだろう。この文章、注意書き、誰かに読まれることを意識している。一見すると、ただのメモ書きのようでいて、実はそうではないようだ。「投石実験」に関するレポートは次のような言葉で始まっていた。
「業務に慣れてきた。始めは覚束なかった山歩きも今では随分楽になった。筋肉痛に悩まされることもほとんどない。しかし、どうも雨の中歩くのは苦手だ。雨の日の勤務は好きになれそうにない。さて、余計な話はこの辺までに。歩くのが上達し、業務の時間を大分短縮できるようになった。とは言っても、勝手に早く切り上げて帰ることはできない。終業時間は厳守しなければならない。そうは言っても、小さな山小屋で何もせず、ただ待機して過ごすのも退屈だ。そこで、余った時間をあることに充てることにした。前々からやりたいと思っていたことだ。組織からすれば、やってはならないことなのだろうが、好奇心は簡単に抑えられるものではない。地図に記された赤い円。二十六名の隊員たちが失踪したとされる領域。その中心に向かって石を投げてみるという実験だ。以下、この実験を「投石実験」と呼ぶことにする」
腕時計を見た。午前二時だった。それほど眠くはない。日記のような文体のおかげだろうか。最初のレポートよりも読んでいて苦にならない。更に読み進めることにした。