第十六話 誓約
森の中にいた経緯について簡単に話した。偶然見付けた泉のこと。その泉を目指していること。コウに呼ばれて喫茶店で話をしたこと。ウェイターの話を聞いたこと。コウの登山仲間が失踪したこと。失踪したコウの仲間が送ってきた画像のこと。そして、来る途中に立ち寄ったコンビニエンスストアの前で見た空の小さな赤い点のこと。一つ一つをオオトに説明した。
「なるほどな」
オオトは深くため息をつき、大きく一回うなずいた。
「それであんな場所まで来ていたと」
「そうです」
「しかし、よく分からないことがある」
「なんですか」
「なぜ危険な場所だと分かっていながらここまでやってきたんだ。ここはちょっとした思い付きで来るようなところではない。整備された道もない。険しく、危ない場所だ」
どうしてか。泉が気になって来てみた。それ以外にはっきり言える理由はすぐに思い当たらない。しかし、強い気持ちはある。その気持ちというのがどのようなものか分からないだけで。そして、それがきっと本当の答えなのだ。分かりやすく説明できないとしても、まずは話してみることにした。
「毎日にうんざりしていたからだと思います」
オオトは黙り込む。話を続けた。
「いろんなことがうまくいっていなかったんです。あなたのように就職活動がうまくいったということもなくて、ずっとアルバイトをしてました。職場でも、特にうまくやっていたわけではありません。今回の探検のため、休みをもらおうとしたんですが、先輩を怒らせて、結局辞めてきてしまいました。休みの日も充実していたかというとそうでもない。熱中できる趣味もない。相変わらずな毎日が続き過ぎて、ちょっとした変化というか、そういったものが欲しくなったのかもしれません。地図を見ることは好きでした。地図というか、航空写真です。ネットに上がってるのを見るんです。その写真で偶然見付けた泉。そんな発見が何か生活とか、人生とか、何かを少しだけ変えてくれるんじゃないかと期待しているのかもしれません」
ストーブが発する熱のおかげで部屋の空気は大分温まっていた。狭いことさえ気にしなければ、かなり居心地のよい場所になっていた。
「そうか、大まかな事情は分かった。ところで、さっき君はちょっとした変化と言った。ちょっとした変化が欲しくなったと。君が考えているほど、これはちょっとしたものではない」
「どういうことですか」
「その前にコーヒーを飲もう。さあ、カップを」
冷めたコーヒーを一気に飲んで、空になったカップを彼に渡した。オオトは立ち上がり、やかんのお湯でもう一杯コーヒーを作ってくれた。作り終えるとオオトは再び小さな丸椅子に座り、コーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「五年前、この森で起きたこと。そして、今もこの森で続いていること。それはちょっとしたことではないんだ。私が就職する前から、あるうわさが流れていた。今年は例年よりも多くの新規採用があるといううわさだ。あの不景気にもかかわらず。なぜだかよく分からなかった。採用面接の待合室などで、人が話しているのを何度か偶然耳にしただけだったのだが。より具体的なことを知ることができたのは、内定式の懇親会でのことだった。先輩職員も交えて食事をした。自己紹介と、特技や趣味について話し合い、話題は次第に組織のことに移っていった。かなり酔っ払ってしまっていたが、何人かの先輩と話をするうちに分かった。それは、『何らかの原因で、この組織は多数の職員を失った』ということだった。だが、何が起きたのか、あのときの先輩たちは知っていたはずなのに絶対に口を割らなかった」
「五年前に行われた調査と関係があるんですか」
「そのとおり。関係があるというか、まさにそれが原因だったんだよ。その調査を行ったときに失ったんだ。この組織は職員を失った。多くの職員が、失われてしまったんだ」
失った。それは奇妙な言い方だった。何らかの事故が原因で亡くなったのなら「亡くなってしまった」と言えばよいのではないか。行方不明になったということだろうか。オオトは言った。
「この森の奥に集落がある」
「集落ですか」
「そうだ。集落だ。それは普通の村だとか、町ではない。ここから先のことを話せば組織に課された守秘義務に反してしまう。だが、君には教えておこう。教えておかなければならない気がする。組織の一員としてではなく、単に一人の人として。知っているけど教えない。そういうことが、生きるか死ぬかを決めることだってあるんだから。この集落の話もそういうことだと思ってもらって構わない」
「分かりました」
聞いておきたいと思った。カップにたっぷり入ったコーヒーを一口飲んで、オオトの話に耳を傾けた。
「就職して、本部のビルで働き始めてから私は研修を受けた。組織の決まりで、新たに採用された職員は二週間ほど都内某所の研修施設に集められ、さまざま学ぶことになる。最初の一週間はごくごく一般的なカリキュラムだ。ビジネスマナーとか、コンプライアンスとか、幹部の講話とか、まあ、そんなところだ。そして後半の一週間が、実際に起きた『ある事件』についての講義。いや、あれを講義と言っていいのだろうか。講義というよりも説明というか、弁明というか、釈明というか。そういった話で、朝の九時から夕方は五時までカリキュラムは埋め尽くされていた。これから君に話すのは、そこで話された内容の一部だ。組織からは絶対に他言するなと言われている。研修中に誓約書まで書かされた。だが、あえて教える。いいね」
言葉は出なかった。こくりと一度うなずいた。オオトは声のボリュームを落とし、話し始めた。




