2.
月曜日。
俺が婚約者スュンの尻を凝視して彼女に怒られた翌朝、俺は布団の中で半ば夢、半ば覚醒の状態で、スュンの下乳から腹、臍のした辺りまでを撫で下ろしたり、撫で上げたりして遊んでいた。
突然、強烈な電流がスュンの体を撫でていた俺の指先から腕、肩、全身へと駆け巡った。
そりゃ、もう、バチッ! って音が聞こえたぐらい。
俺は布団を蹴って文字通り跳びあがり、そのままベッドから寝室の床に落ち、激痛の余韻で床の上を全裸で転げまわった。
「ぐはぁぁぁ!」
俺が振りチンで床の上を転げまわっていると、同じく全裸で寝ていたスュンが、のっそりと上半身を起こして俺を見下ろした。
「うーん……どうしたの? 突然変な声で叫んだりして……」
寝ぼけ眼をこすりながら、スュンは俺に尋ねた。
「……くそっ! どうしたの……じゃねぇだろ! 酷いじゃないか! 突然、電撃魔法を喰らわせるなんて!」
「はぁ? 電撃魔法? 何を言ってるの……?」
などと、スュンは惚けたことを言った。
(……何なんだよ……昨日の仕返しか?)俺は、電撃を喰らった手を抑えて振りチンで立ち上がりながら思ったが、一方で、たかが尻を凝視したくらいで、ここまでするだろうか? と疑問に思っていた。
第一、あれから一緒に買い物に行って、一緒に夕飯を食って、その頃には、とっくに機嫌も直って、夜はこのベッドの中で楽しくする事したじゃないか……それもこれも全部見せかけで、彼女は無防備な俺に電撃魔法を喰らわせるタイミングを虎視眈々と狙っていたとでも言うのか?
いやいや、さすがにそんな性の悪い女じゃない。
俺は、もう一度、ぼーっと俺を見つめているスュンを見つめ返した。
女の嘘は見抜きにくいというが、しかし、何となく彼女は本当に何も知らないような気がした。
「シャワー……浴びてくる」
俺は言い残して、とりあえず寝室を出た。
熱い湯でも浴びながら、頭の中を整理しよう……そう思った。
(電撃は、彼女を撫でていた指先から全身に流れた)
蛇口をひねって湯の温度を調節しながら、俺は考えた。
(すると、やはりあれは魔法種族であるスュンが放った電撃魔法である可能性が高い……しかし、彼女には、そんなことをする理由が無い……イタズラ? 昨日の仕返し? ただ尻を見つめていたというだけで?)
頭にシャンプーを垂らしながら、さらに考えた。
(いやいや、さすがにそれは大げさ過ぎるだろう……性格的にも、スュンはそんな事をする女じゃない……じゃあ? 何でだ? ……例えば……無意識、とか? でも、なぜ?)
考えは何時までたっても同じところをぐるぐる回った。
シャワーを浴びて、さっぱりして、服を着た。
俺が浴室を出たあと、入れ替わりでスュンがシャワーを浴びている間に二人分の朝飯を作った。
俺はガキの頃から剣術道場に住み込んで厳しい修行生活を何年も続けた。規則正しい生活も修行のうちだった。当然、その中には朝昼晩三食の用意も含まれる。
道場を出た直後の一年間だけは、気が緩んで自堕落な生活をしてしまったが、それ以後は心を入れかえて可能な限り修業時代と同じ規則正しい生活を心がけている。
彼女と同居して以降も、たいてい俺の方が起きるのが早く、俺が朝飯を作る事が多かった。
今日は日本式の朝食で行こうと思い、漬物を切り、鮭をグリルに入れ、豆腐の味噌汁を作った。鮭は一切れ。俺専用だ。スュンは(必ずしも菜食主義者という訳ではなかったが)肉・魚をあまり食べない。その代わり、スュン用に納豆を冷蔵庫から出して、パックから小鉢に移した。
外国人なのに、スュンは納豆をよく食べる。発酵食品は結構好きらしかった。
昆布だけで出汁を取った味噌汁が出来上がったところで、シャワーを浴びて着替えたスュンが来てテーブルに座った。
「さっきは、どうしたの? 私びっくりしちゃった」スュンが俺に尋ねた。
「んん? ああ、いや……別に……」
俺は言葉を濁しながら、椀に味噌汁をよそってスュンに渡した……いや……渡そうとした。
椀を渡そうとした俺の手とスュンの手が一定距離内まで近づいたとき、またあれが起きた。
いきなり椀を持った手から全身へ電流が走り、たまらず俺は椀を放り投げて手を抑えた。
反射的にバック・ステップして辛うじて服に味噌汁が掛かるのを避けたスュンが、「ど、どうしたの?」と驚きの声を上げる。ちなみにスュンは少女時代から〈魔法剣士〉の訓練を受けている。反射神経はそれなりに良い。
「どうしたの、って……スュン……いきなりお前の手から電撃が……」俺は呻き声交じりに答えた。
「電撃? わたしが? 嘘でしょう? ふざけているの?」
「いたたたた……俺の、この姿を見て、ふざけていると思うのか?」
「ああ……まあ、本気みたい。本当に痛がっているみたいだけど……だから、一体どうしたっていうのよ? 電撃? 電撃って、どういうこと? 私、そんな魔法、使っていないけど……っていうか、使うはずも無いじゃない。あなたに向かって、そんな危険な魔法……」
「じゃあ、何で、俺の手とお前の手が近づいた瞬間、電撃が走ったんだ?」
「せ、静電気? とか? いや、そんな訳ないよね……私の方は何ともないし……」
「そんな、ちゃちな物じゃねぇよ。もっとこう、激しく全身にビリビリビリッ……って」
(くそっ、まったく……何だってんだ?)やっと全身を貫く電気ショックから立ち直った俺は、今朝二度も発生したこの怪現象について考えだした。
「と……とにかく、こぼれたお味噌汁を拭きましょう」
スュンが洗面台で湿らせた雑巾を持って来て、床を拭き始めた。
「あ、ああ。そうだな」
俺も碗やら、こぼれた豆腐やらを拾って、豆腐は生ごみ箱に捨て、椀を洗い、改めて味噌汁をよそってテーブルのスュンの席の前に置いた。
「とにかく、朝飯を済ませよう」
俺がそう言うと、スュンも頷いて席に着き、俺ら二人は黙々と朝食を食べ始めた。
今日は二人とも仕事がある。
ゆっくりと考えている暇は無い。
同居して以降、たいてい俺たちは一緒にアパートを出る。
俺は玄関からアパートの共有部分である廊下に出て、後から出てきたスュンが鍵を掛けるのを見守った。ちなみにスュンの持っている合鍵は純金製の特注品だ。
彼女だけでなくエルフという人種は全員、遺伝的に金属アレルギー体質なんだそうだ。
金、銀、プラチナなど、イオン化傾向の低い、いわゆる貴金属類にしか触れる事ができない。
……まあドアノブなどは手を使わずに魔法を使って回したりするから、この金属だらけの日本でも実生活には問題が無いわけだが。
「お待たせ。行きましょう」
言いながら、スュンは俺のほうへ体を近づけてきた。
俺たちは、一緒に歩くときは、町でもアパートの廊下でも、他の通行人や車両の邪魔にならない限りは、お互いの肩がくっつく位の距離で二人並んで歩く。
まあ、それくらいは許して欲しい。ほとんど新婚みたいなもんですから。
……で、その時も、スュンは何気なく俺に肩を寄せてきたわけだが……
その瞬間、例の電撃が来た。バチッ! ……って。
俺はアパートの共有部分の廊下で思わず「グワッ」と大声で叫んで跳びあがり、反射的にスュンの体から遠ざかった。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
スュンも、反射的に俺の心配をして、駆け寄って来た。
そこで再び、バチッ!
「ぐはっ!」
俺がまた跳びあがる。
その時になって、ようやく俺もスュンも気づいた。
距離だ。俺とスュンの体が一定距離以内に近づくと、なぜか分からないがこの電撃魔法が発動するんだ。
そして……これまた、なぜか分からないが、一方的に、俺の体にだけ電流が走る。