悪役を演じてみたら、思わぬ事態を引き起こした。
「――まあ。貴女どの家のご令嬢でいらして? もう今年度の社交デビューの時期は終わりましたし、御姿を拝見させて頂きましたが、とっくにデビュタントは終えていらっしゃるご年齢に見えるのだけれども。わたくし、あなたとは初めましてよね?」
「……え、え……あ、はい……」
ざわり、とホールが一際騒がしくなる。
社交の場に訪れるような貴族なんて、大概がゴシップ好きだ。そんな彼らの今まさに、目の前で――何かが起ころうとしているのだから。当然といえば当然だろう。
当事者であるうちの一人。薄いピンク色のやわらかな髪に青い目をした、可愛らしい顔立ちの少女は怯えている。
対しもう一人。飴色の髪に緑色の目をした、少し気の強そうな顔の少女は話し掛けながら、上から下まで怯えている少女を、見た。まるで品定めするように。
「っセリア嬢! ルナが怯えてるじゃないか!」
緊張感が辺りを支配する中、まるでそんなものなどないと言わんばかりの勢いで、二人に近付く人物が、一人。
声を荒げながら、ルナと呼んだ――蜂蜜色髪を持った、怯えている――少女の肩を抱き、その正面に立っていた飴色の髪の少女――セリアをきっと睨む。
「お久し振りで御座いますわ、殿下。確か……三ヶ月程前に王妃様が主催なされた、お茶会以来でしょうか」
「そんな事は今、どうでもいい。セリア嬢……君は一体何をルナに言ったんだ? 今すぐに答えろ」
「いいえ、何も。ただ、何処のご令嬢かご確認させて頂いただけですわ。わたくし、これでも記憶力は良い方でして。年頃のご令嬢、御子息は当然の事ながらお名前もお顔も、存じ上げているのですけれど。そこの……確かルナ様と仰りましたわね。彼女は、お顔も名前も存じ上げなかったものですから。確認をさせて頂いたまでの事ですわ」
セリアは優雅ににっこりと微笑み、殿下と呼んだ少年に丁寧に説明する。何もなかったのだと。
けれども殿下と呼ばれた少年は如何やらそれでは納得出来なかったらしい。眉を吊り上げ、尚一層セリアに厳しい眼差しを向けて。
「嘘を付け。大方、俺がルナに入れ込んでいるのを見聞きしたか何かで、詰め寄っていたのだろう。でなければ、ルナがこんなに怯える訳がない!」
セリアを威嚇せんばかり、一際大きな声を上げた。
「……殿下。このような場で、そんなにも大きな声を出し、憶測で物を語るのは、褒められるべきことではありません。殿下ならお分かりになっていますでしょう?」
――だが。セリアは殿下と呼ばれている少年の意に反して、怯えるどころか呆れたと言わんばかりの表情を浮かべて、言う。
それがまた誰が聞いても、嗜めるような言い方であったのが気に食わなかったのだろう。カッと顔を赤くさせて、大きな声を出す為か。息を吸い込んだのだけれども。
「ジュード様。あの……あたしは、大丈夫ですから」
ルナが控えめに、そして震えながらも殿下と呼ばれていた少年――ジュードの服の裾を引っ張りそう言ったが故。ジュードは吸い込んだ息をただ吐き出すだけに留めて、セリアに向けたのとは正反対の優しい、優しい眼差しをルナに向ける。
「ルナ、彼女に気を使う必要は何もない。君は何も悪くないんだから」
「ええ、全く持ってその通りですわ、殿下。……まあ、ルナ嬢にも多少の責は御座いますが」
「ほう……セリア嬢。君は自らの罪を認めるというのか?」
宥め、安心させるかのようなジュードの言葉に同意したのは、意外にもジュードに責め立てられているセリアであった。
目を細めて、ルナからセリアに視線を移す。ジュードのその視線は、セリアの真意を探らんと言わんばかりのもの。分かり易すぎる視線に、セリアは態とらしく息を吐き出す。
「……恋は盲目とは良く言ったものですね。お聞きしとう御座いますが、わたくしの罪とは一体何で御座いましょう?」
「筆頭公爵家令嬢である君が、一平民に過ぎないルナを虐めた。それだけで十分罪だ。我ら王族貴族は平民あってこそなのだから」
ホールの空気が、凍り付いた。
それが分かっていないのはきっと――ジュードだけ。でなければ先の発言は、絶対に出来なかった筈である。
「――ジュード・オルセウス"元"王太子殿下。貴方は本当に……いえ、然し取り返しの付かぬかことをして下さいましたね。まさかそれほどまでに、ハッキリとお言葉にされるとは……読みが甘かったわたくしのミスです」
セリアは。一瞬はっと息を呑み、そうして、悲痛な面持ちでありながらも淡々とした声色で言葉を紡ぐ。
「君は一体何を言っているんだ? 俺が婚約者である君を放っておきながら、ルナを愛しているのが気に食わないのか?」
相変わらずジュードは空気が読めないらしい。或いは、だからこそなのか。心底不思議だと言わんばかりに首を傾げながら、何とも頓珍漢な、噛み合わぬ返しをして。
セリアは何度目かになる溜息を、本人も知らず知らずのうちに吐き出す。
「わたくしは、愛人や側妃、後宮にたくさんの女を詰め込む事を別に否定致しませんよ。貴方が真にルナ様を愛しているというのならば、流石に王位継承権の順序まではわたくしの一存でどうにもなりません故変えられませぬが、先に殿下の子を成す事も許す程度の度量はあると自負しております。……そもそも、わたくし殿下の事を別段愛してなどおりませんから、貴方が誰を愛そうと関係ないのですよね」
抑揚のない声は、聞いているものの恐怖を呼ぶ。例えそれがどんな内容であったとしても。
実際ジュードは段々と顔が青ざめている――ジュードの場合、事態の深刻化を悟った可能性というのも、なくはないが――
けれどそんなジュードなど御構い無しと言わんばかりに。セリアは話を続ける。
「だから――貴方が、王城に許可なく、一平民を上げなければ。或いはそれを、この場で公言してしまわなければ。ルナ様と殿下が結ばれ、殿下が王になるという選択肢だってあったというのに」
何処か哀れんだ目線を向けられて。そうしてようやっと、ジュードは今如何なっているか。自分がこれから如何なるのか。その全てに考えが至り。
――嵌められた。真っ先にジュードの頭に過ったのは、その言葉。
「っ……この、! お前がルナに絡まなければ、こんな事にはならなかっただろうが!」
だから、目の前に悠然と佇むセリアに吠えた。
それが如何に無駄な事で、かつ惨めで無様な姿を見せる事になると分かっていても、やめられなかったのだろう。
実際周囲の貴族、そして壇上にある玉座に座る王からの冷たい視線がジュードに刺さる。
「お前は俺の婚約者でありながら、兄上と組んだんだな? 俺ではなく、兄上と愛し合っていたから。俺を追い落とし、二人で王と王妃になろうと。だからっ――!」
「……頭を少し、お冷やしになった方が宜しいですわ」
それでも止まらず、セリアを罵倒し続けようとして。けれども途中で、底冷えするくらいに冷たいセリアの声で、遮られた。
相変わらず抑揚はない。これといって先ほどまでと変わる所は見当たらないだろう。けれども、如何しようもなく恐怖を抱くような――そんな声。
ジュードは思わず、口を開いたままセリアを凝視した。
「この際はっきりさせておきますけれど、ええ、確かにサイラス殿下とわたくしは愛し合っております。けれど、同じくらいにサイラス殿下はジュード殿下の事を、真に家族として愛していらっしゃいます。彼が貴方を追い落とすなんて……そんな事するくらいなら、最初から王太子とわたくしとの結婚話を、蹴りはしないでしょう」
「……どういう、ことだ」
「そのままの意味です。本来であればわたくしとサイラス殿下が婚約し、我が公爵家が後ろ盾となり、サイラス殿下が王太子になられる筈でした。けれど、彼は――妾腹だからと、それを辞退なされたのです。ジュード殿下なら、この国を任せられるとも言って」
水を打ったように静かだったホールが一瞬のうちに、騒がしくなる。けれどそんなこと御構い無しと言わんばかりに、セリアは話すことを止めない。
「わたくしはそれがサイラス殿下の望む事ならば、とジュード殿下に全てを託しました。わたくしの父と母、そして陛下と王妃殿下も、です。……あなたは、サイラス殿下のみならず、たくさんの人間を裏切ったのですよ」
口をはくはくとさせて、ジュードは何かを話そうとした。が、然し何も音が出て来ない。暫く繰り返して――漸く、絞り出した音は。
「…………で……、なんで、裏切った事に、なるんだ」
――会場にいる殆どの人間が、呆れてしまうような。そんな言葉だった。
「……まさか、これ程まででしたとは」
思わずといった様子で、セリアは頭を抱える。
一般常識は勿論、王となるために必要な教育は全て受けていた。その横でセリアが王妃教育を受けていたのだから、それは間違いない。
特にだらけた様子もなく、真面目に王になるのだとジュードは語っていた。だから、そう。誰もが予想しなかったのだ――こんな、初歩的な事を知らないなんて。
「ジュード。社交場には呼ばれた貴族しか出席出来ない。例え主催だとしても、平民を呼ぶなんて以ての外だ。でなければ……呼ばれたたった一人、或いは一部の平民が他から排他されてしまう。ただの一貴族ならまだ、救いようはあったかもしれないが、王城となると……分かるね?」
そっと二人の間に割って入ったのは、ジュードより背が高く、蜂蜜色の髪を持った、青年。
「サイラス殿下……」
セリアが横に立った人物の名をしずかに口にする。それでか。或いはサイラスの声が聞こえたからか、ジュードはハッとした様子で顔を上げて、サイラスを見た。
「……嗚呼、兄上……でもっ!」
「でももだっても、何もないよ。まあでもジュードはきっと、セリアがルナ嬢に話し掛けなければ、と言いたいんだろう?」
言いたい事を先取りされたジュードは、少し驚いた顔をしながら、けれど一つ頷く。そうだと言わんばかりに。
「残念だが、そうでもない。ジュードが近頃、平民のお嬢さんに入れ込んでるというのは……よほど引きこもりの貴族でなければ、皆知っている。その上で、ジュードを連想させるようなドレスに宝飾品。見た事もないお嬢さん。此処まで揃えば……彼女がジュードのお気に入りだというのは、誰でも察する事が出来る。現に彼女は、ずっと針の筵だった筈だよ」
ね、と同意を求めるように話を振られたルナは、小さくだが一度頷く。
それをみたジュードはもっと顔を驚愕の色に染めて、ならば何故、と呆然と口にした。
「……ジュード。セリアは君がでっち上げるだろうと思ったんだよ。ルナ嬢の家名を。余程奇特な貴族でもない限り、子爵家や男爵家の家名全てなんて覚えている訳がない。或いは、事後承諾でも良いから、最近既存の貴族の養子になったのだと、言うだろうと。――王太子たっての願いだ。少し言うことに耳を傾けてやれば、大概の家は喜んで名を貸すだろう。そうすれば……彼女はこのば限りであっても、平民ではなくなるから、少しはマシになるのでは、と、思った故の行動だろう。――……まあ、全部裏目に出てしまったが、ね」
サイラスは肩を竦めて、全てを説明する。セリアの代わりに。そうしてそれが、まるで当然だと言わんばかりに。
「そんな……、じゃあ、俺は……」
「……後は、向こうで話そう。父上たちも、待っている」
まるで罪人のようだと、誰かが言った。
無実の人間を裁こうとして、然し返り討ちにされたかのような。
哀愁漂わせながらジュードはサイラスに先導されて、ホールを後にする。ルナは如何したら良いのかと言わんばかりに辺りを見渡すが、然し誰もルナと関わろうとしない。当然といえば、当然の事なのだけれども。
けれども、正面に立っていたセリアだけは――力強く頷いて、ルナを促した。ジュードの後を追えと言わんばかりに。
ルナは一度会釈をして、走ってホールを後にする。そうして、残されたセリアは。
「お騒がせ致しました。皆様、どうぞ正式に通達がありますまで御内密に御願い致します」
口端を持ち上げて、薄っすらと笑う。
けれどその目は、笑っているようでいて、笑っていない。顔立ちも相まって、誰しもが震えた。無言の圧力を感じた、と言うのもあるだろう。
一度ぐうるりとホールを見渡してから、セリアはドレスの裾を持ち上げカテーシーを行えば、さっとスカートをはためかせてホールを後にした。
――その後。ジュード・オルセウスは突然の病に倒れ、その短い人生を終えたらしい。
ただ、王都から遠く離れた豊かな土地で、ジュードらしき男が可愛らしい女と子供を連れて歩いている姿が、ちらほらと目撃されたという。
婚約破棄断罪物の、御都合主義排他した話を書きたかったんです。(言い訳)
終わりが二パターンあって、没った方も惜しいので晒します。
ルナが退場後のセリアの台詞から。
↓
「……皆様、余興は如何でしたでしょうか? ええ、申し訳ありません。実は先日、とても可愛らしい妹を迎えまして、彼女のお披露目をさせて頂きたかったのです。ですけれど、普通にするのではつまらないからと、わたくしが駄々を捏ねて、殿下たちをお付き合いさせましたの。サイラス殿下も、ジュード殿下も迫真の演技をして下さって、わたくしとても満足しておりますわ」
――にっこりと笑って、全てが"嘘だった"事にした。
一連のやりとりを見て、あれが嘘だったと思う観衆など誰一人としていないだろう。セリアだって、分かっている筈。
けれど、こうする事によって、ジュードを、ルナを、守ろうとしたのだ。この国に住まう貴族として。勿論完璧に出来たとは、如何しても言えないけれど。
一度辺りをぐうるりと見渡して、セリアは「とても楽しい喜劇でしたでしょう?」と無邪気を装って笑いながら、誰にともなく問い掛ける。
暫し困惑から静まり返っていた。けれど次第にセリアが"劇"と称したそれに対する、賞賛の声が上がる。そうして遂には、誰もがセリアたちを褒めそやす。
筆頭公爵家令嬢であり、王太子の婚約者――つまり未来の王妃が言うのだから。誰も意を唱えられる訳がないのだ。
セリアは分かっていた。だから"こう"したのである。
薄く笑って、彼らの声に応えながらジュードたちの後を追う。
――これから、忙しくなりそうだと小さく呟いて。