外出
「どこへ行かれるんですか?」
「無論、城下ですよ、少年」
兎のようにふわふわな白い髪に、アクアマリンの瞳に、陶器の肌。
由乃の傍でふわりと浮かぶ少年は、「やっぱり」と言わんばかりの、落ちついた微笑みを浮かべた。
足を休めろ、とは何だったのか。
ミレオミールがナイルと共に城を出発した後、由乃は「思い立ったが吉日」とばかりに制服の洗濯――勿論、手洗いである――をし、洗濯場にいた使用人の少女達と戯れ、城に残留していた十二神将の元へ顔を出した後、やはり本も読めないのにじっとしているなど自分では無い、よし城下に行こう、とあっさり決断をしたのだった。
本さえあれば一日中部屋に閉じこもれる由乃ではあったが、本来は案外アウトドアな人間である。お金はあまり持っていないので、ウインドウショッピングやひやかしと言う名の散歩もすれば、近所の野良猫と戯れに行ここともあり、図書館へ出かけ本を読んだり、本屋へ出かけ本を調達することもある。最終的には、本の在る所に行きたがる習性はあったが、仕方が無いということにしておこう。
友人は多い方ではないが、知人は多い。
突然呼び出されることにも抵抗は無いし、気分だけで単身遠くまで足を運ぶ事もままある。
そして今日、現在、気分が向いてしまったおかげで、由乃は残留を求められたにも関わらず、本調子ではない足で、昨日ミレオミールと共に登った坂を下り、城下の町に向かっているのであった。
ちなみに、城下と言われると、貴族や騎士のが住まう、活気に溢れた都会を想像するかもしれない。勿論、そう言う場所も確かにあるが、由乃が向かっているのは、小さな畑や動物や森の恩恵で暮らすド田舎、である。
「ヨシノ様は、お変わりありませんね」
元の美しい造形を崩すこと無く、少年は綺麗に笑う。
彼は由乃が逃走していた一カ月間の間、見張りとして寄こされた、残留組の十二神将が一人、リュネ・ドーラお手製の『魔法人形』である。
魔法人形の基盤は、魔法生物と変わりは殆ど無い。ただ、魔法生物が一から肉体を作り上げるのに対し、魔法人形の場合は、人形という媒体を用い、それに意志と命に替わる魔力を与えるという形をとる。
そのため、下位の魔法生物を創造する魔法で、高位の魔法生物と同等の知能と、個々の意識を持つ事が可能となった。
けれども、魔法の本質は下位の物に変わりは無いため、彼らは主に忠実で、自身の個よりも、主の意志を尊重する存在に他ならない。自身の意志はあっても、そんなものはそこらへんに転がっている石でしかなく、主の意志こそが、上質で高尚な宝石なのだ。
魔法力に関しても、下位よりは優れ、高位よりは劣る程度しか持ち合わせていない。
ある程度の戦闘をすることは可能だが、基本的に彼らの仕事は使用人と変わりない。
そもそも、魔法人形などと言う物を作ろうと思ったのも、リュネ・ドーラという変わり者の気まぐれによるものなのだ。《人形》の存在はそれまで無く、言わばリュネ・ドーラこそが第一人者。彼は戦闘要員を作る気も無ければ、彼らを魔法の補助に回し、自身で魔法をぶっ放した方が、よっぽど楽に事が済むと思っている節がある。エトワールには劣るが、彼も格段に魔法力の高い人物なのだ。
そういう思考の人物が作成したのだから、人形に魔法力が無いのも、ある意味当然と呼べる結果と言える。
その魔法人形の内の一人が、陶器と兎の毛とアクアマリンから作られ、一カ月前と今日、由乃のお目付け役を命ぜられた、ウィルである。
由乃は慣れた様子で息を吐き、「ウィルも変わらないね」と言った。
「人間ってのは、変わるけど、そう簡単には変わらないものなんだよ」
「なるほど、矛盾をはらんでいらっしゃるのですね」
鋭い、と言うよりも当然の指摘にも、由乃は笑って好い加減な持論で応じる。
「矛盾や不条理こそ、人間の真髄であり、味であり、とっても迷惑でとっても面白いところだよ」
「わたくしたち《人形》(ドール)には、無い面でございます」
少年の意匠を採用されているので気付き難いが、彼はかなりおっとりとした、言ってしまえば、爺臭い気性の人物――人形だった。
エトワールと負けず劣らす。
先ほど、ウィルと合流する前に挨拶を試みた、エトワールの温和な微笑みを思い出す。由乃は心が洗われていく気分に浸った。
「城下ということは、ロニとミシェルですか」
ロニとミシェルは、城下の人間の中で一番由乃に懐き、由乃を慕い、何より、由乃が勇者になることを決意するきっかけとなった、まだ十にも満たない幼い兄妹である。
その件の時はウィルも一緒にいたため、大方の事は知っていた。
ただ、その折にウィルは大破してしまい、それ以降は暫く、主であるリュネの元で修復と休養をとっていたのだが。
由乃は頷き、そして言葉を付け足した。
「うん、そう。ロニとミシェルと……フェリアに会いにね」
綺麗な赤いショートカットの、男の子みたいな恰好をした、自身よりも身長の高い年下の少女のことを、由乃は思い出す。
彼女は、由乃が勇者になることを決めてから出会った存在だった。
『ふうん、勇者。アンタみたいなのなら、アタシの方が強そうだな』
明朗快活という言葉の似合う、あけすけな笑顔を向けたかっこいい少女。
由乃は思った。これが男だったら、惚れてた、と。
勿論、女子でも十分に可愛いのだが。
「フェリア、ですか。聞かない名前ですね」
ウィルは欠片程の興味も無さそうな微笑みを湛え、ただそれだけを言った。由乃が勇者になった後、なので、その時ウィルは絶賛療養中だったのだ。
あの頃城下に行くと言えば、ついて来るのはミレオミールの役割だった。ウィルのように、彼は絶対に必ず何が何でもついて来るようなことはしなかったが。
説明を求めた物でもなさそうだったので、由乃は敢えて何も言わない。どうせ会えば解る。人間と言うのはそういうものである。ウィルは人形だけれど。
フェリアに会うのも、いつぶりだろうか。
勇者になるにあたり、由乃には戦闘の経験が明らかに足りていなかった。そのため、遠征を始める前は、ナイルが訓練をつけていた。
勇者は『勇者の剣』で戦う事が必要条件であったため、剣など木刀や竹刀すら持った事の無い由乃は、目一杯扱かれた。
その訓練の休憩時間に脱走を試み、城下でフェリアやロニ・ミシェル兄妹と戯れ、お呼びがかかったら諦めて帰る。由乃はそういう生活を送っていた。
実質、由乃がフェリアと会った回数は、片手で数えられる程度だろうか。
「…………」
果たして、フェリアは、由乃の事をちゃんと覚えてくれているのだろうか。
少しだけ、由乃は心配になった。
有りがたい事に、由乃の心配は杞憂に終わった。
「ヨシノ!ひっさしぶり。一体何処で何をやってたんだよ」
「フェリアーお久しー」
由乃の姿を認めると、フェリアは畑を耕していた手を止め、鍬を放り出し、片手を高く掲げて駆け寄って来た。
少し伸びたけれど充分に短い赤髪に、人懐っこい笑顔。眦の上がった釣り目は猫のように愛嬌があり、金という色合いもまた猫のようだ。服装さえ整えてしまえば、女子としてもとても魅力的に飾ることができるのに、と由乃はいつも勿体なく感じていた。
(かっこいいのも捨てがたいけど、フェリアかわいいからなぁ……)
由乃の肩を叩こうとてを出したが、自身の手が土に汚れていた事に気付き、フェリアはそっとその手を退く。
気配りのできる良い子なのである。
「それにしても」
由乃に触れることは躊躇った割に、自身の腰や顔には、躊躇わず汚れた手を添える。
考えるように顎に手を当て、色々な角度からじろじろと、由乃を吟味するように眺めた。
「?何事?」
「いや…………ヨシノ、今日は珍しい服着て……無いんだなって思ってさ」
あぁ、と合点が行く。そういえば、制服以外の服で町まで下りた事は無かった。
フェリアはさっぱりとした満面の笑みを浮かべた。
「そうしてると、ちょっと男の子みたいだな、ヨシノは」
「フェリアには言われたくないなぁ……」
着用しているのは男ものだから仕方ないのだが、由乃が苦笑して返せば、「アタシはいーの」と由乃の肩を叩き、ついで「あっ」と表情をしゅんと萎ませた。
「ごめん、汚した」
「いーよいーよ。洗濯狂のアーラが喜ぶだけだわ」
「……アーラ?……洗濯『教』?新しい宗教か何か?」
「お洗濯大好きな、お城のお友達。とてもかわいい」
はぁ、と未だ疑問そうな返事を返しながら、「それはそうと」と、由乃の背後に視線をやる。
「こいつは?」
指で差したのは、由乃の背後に浮かぶ、ウィルである。
本来の身長は由乃よりも低い癖に、三から四十センチほど浮いているおかげで、彼は丁度、フィリアと同じくらいの身長になっていた。基本的に、浮遊、飛行が主な移動手段なのである。
指さされたくらいで動じはしないウィルは、「初めまして」と丁寧にお辞儀をした。
「わたくし、ウィルと申します。ヨシノ様がミレオミール様不在で変な事をしないように、見張り役としてご同行させていただいております」
「ちょっと待って変な事って何よ」「あれ、ミール居ないんだ」
ウィルの失礼極まりない言葉に、由乃とフィリアは同時に言葉を紡いだ。
まったく違う事を言っているおかげで、最早雑音でしかない。が、人形であるウィルには、あまり関係が無い。
「ミレオミール様は現在、諸事情により、お留守番なのですよ」
お留守番というか、そもそも城に居ないのだが。
そこまで言う必要は無い、ということだろう。ウィルはその在り方として、第一に主の安全が優先となる。好意も嫌悪も総て無視して、彼は――彼らは、忠実に、親だけを愛していた。
これは警戒心の現れ、と言うか、当たり前に行う、主人の守護を徹底している構えなのである。自身にとって凶となりうるかもしれない情報を伏せ、息をするように嘘をついた。それだけなのだ。
フェリアに答えた次に、ウィルは由乃に顔を向けた。
白と青を基準に作られた彼は美しく、顔の造形はまるで少女の様。そんな少年が綻ぶように微笑んで、それが可愛くない筈は無いのだが。
「ヨシノ様の変な事は、ミレオミール様無しで、うっかり死んでしまうようなことですよ」
そんな風に言うから、由乃としては何も面白く無い。
「しっかり答え無くていいわよ。しないわよ、私死にたがりじゃないんだから」
それに、城下は至って平和そのものである。
魔獣の存在は認められていないし、不審者を見たという情報も、由乃は聞いていない。見回り兵士の数こそ少ないが、城からの増援を呼び込み易く、現に由乃も数十分走れば辿りつけられる距離にある。少々無茶をしたところで、リュネは無理だとしても、エトワールならば、救援に来るか、救援を寄こしてくれることだろう。
その「少々無茶をする」前提のある思考こそが、由乃が心配される所以だと言う事に、由乃は全く気付いていないのだが。
「で、どこに行ってたかはともかく、ヨシノは何しに来たんだよ」
忘れられかけていた、フェリアのウィルに対する自己紹介を終え、畑に戻って作業を再開したところで、フェリアは土を掘り返しながら由乃に聞いた。
由乃の腰程度の高さしかない柵の中で、山の森から運んできた腐葉土と畑の土を混ぜっ返す。茶色い土と、真っ黒に近い土が混ざる様が、見ていて何となく楽しい。
柵に凭れかかり、体の重心を移動させながら遊んでいる由乃は、問いかけに少し詰まった。
何しに来たと問われても、別に理由があるわけではない。ただ、時間もあるしやる事も無いし――強いて挙げるならば鍛錬だが、今朝ミレオミールから静養を言い渡された――勉強をしようにも文字は読めないし、十二神将がほぼ不在だから、それに伴い兵士たちも疎らである。ぶっちゃけてしまうと、十二神将というお偉いさんの目が無いために起こる、大量サボタージュ現象なのではないかと、由乃は疑っていた。
料理長や、他の仲良しな知り合いの所に行くのもアリかとは思ったのだが、城を歩き回ると言うのが、何だか嫌だった。制服を洗濯したおかげでいつもと服装が違うので、それをいちいち指摘されるのが気に障ったのかもしれない。部屋でゆっくりしているにも、睡眠は昨日十分以上にとってしまったため、することが無い。新しい本も無い。
暫く顔も見てないし。そんな気持ちになり、由乃はウィルを連れ、城下へ降りることを決めたのだ。
「…………理由、別に無いや。フェリアに顔覚えられてなかったらやだから、確認に来たとか、そんな感じよ」
考え抜いた結果、そんなことしか出て来ない。実際、覚えられていなかったら、なんて愚考もした。フェリアの性格上、それは本当に愚かな思考だったが、それは、忘れられたら嫌だなと思う程度に、由乃がフェリアのことを大好きな証でもある。
仄暗い感情に左右されるのは嫌いだが、その気持ちの根底にあるものを否定する気は、由乃には無い。
と言うか、由乃はフェリアが好きだ。
かわいいし、かっこいいし、両親想いで、友達想い。
フェリアは最初驚愕し、次いで、破顔した。
「アタシが、ヨシノのこと忘れるはずがないだろ?そもそも、アンタは当代勇者なんだ。顔を忘れろって方が、無理あるよ」
「確かに」
盲点だった、と言うか、忘れていた、と言うか。
特にフェリアは、出会った瞬間から由乃のことを名前で呼ぶし、畏まった言葉遣いでも無いから。
「遠征行ってたんだろ?噂は聞いてるし、母さんたちも、ヨシノの顔見れなくて、寂しそうだった」
「勇者のお顔を、じゃなくて?」
「ばーか」
「あうっ」
皮肉っぽく言い返せば、フェリアは楽しげに由乃の額を小突いた。
愉快そうな笑顔が心地いい。
砂漠の都市のようにカラッと晴れた地に吹く、乾いた風の心地よさ。そういった感じの少女、フェリア。
(うん、好き)
是非とも、結婚式には呼んでほしい。全力で祝福したい。そんなことを思いながら、ふと、由乃は気付く。
「フェリア、そういえば、おばさまたちは?」
「母さん?あぁ、母さんはロニとミシェルん家で、父さんは森の川から、水を運んでるよ」
「なるほど」
フェリアの家は、両親と、一人娘のフェリアの三人暮らしである。
普段は父親と二人で畑仕事をしているのだが、今日はフェリア一人だった。母親は大抵、フェリアが由乃と話しているのを察知すると、顔を出し、お手製のお菓子を振る舞ってくれたものだが、それも無い。
どういうことかと尋ねれば、帰って来たのは、無難なものだった。納得しかない。
ロニとミシェルの家は、フェリアの家から幾分離れた所にある。
由乃が山を下ると、途中にある小さな平原で小さな兄妹に良く遭遇したものだが、今日はそれが無かった。無事下山し、町から一番離れたフェリアの家に辿り着いてしまったが、なるほど、旧知の来客があるのなら、いくら元気があり余っている子供達と言えど、時間を共有したいという気持ちは生まれるものだろう。
うんうん、とひとしきり由乃が頷いていると、不意にフェリアが由乃の奥を見つめ、高く挙げた手を振った。
「父さん!おかえり、ヨシノ来てるよ」
「マジかだ!」
「え、あ、おじさま。どうもー」
不自由な足を駆使して、小走りで駆け寄る中年男の奇妙な叫びに、必要なツッコミは無い。野暮な解説を入れるとすれば、「マジか!?」とう疑問と「マジだ!」という断定がいっぺんに押し寄せた結果、出てしまった言葉なのである。
由乃の傍を浮遊する真っ白な少年を見事に無視し、諸手を上げて喜ぶフェリアの父――フレドに、由乃は小さく手を振って応える。
奇声を発しながら高まったテンションを発散していたと思ったら、次は静まり、両掌を顔の前で合わせ、小さくお辞儀をした。
「いやあヨシノ様!お久しぶりでございますね!」
ぱっと顔を上げたかと思えば、丁寧な言葉で、とても親しげに彼は由乃に話しかけた。
「いや、お久しぶりですけども……」
「慣れろよヨシノ。いつものことだろ」
フェリアの切り捨てるような一言に、由乃は乾いた笑いと共に少しだけ肩を落としたのだった。