『勇者の剣』
「なるほどね……」
それは由乃が勇者になることを決めて、次の日の事。
意識が思考に飛んでいるせいか、彼は幾分舌足らずに納得を口にした。
満足したのかと思い由乃は顔を上げるが、どうやらそれは違ったらしい。柄に、刀身に。鍔の細工や柄頭。色々な角度から、時には光に透かしながら、意味があるのか最早解らない観察に観察を重ね、その「なるほど」から約一時間後。由乃が転寝しそうになっている所に、魔導師はやっとそれを返してきた。
「ありがとユノ。色々と面白い事になってるみたいだ」
楽しそうに笑う魔導師に、由乃は「はぁ」と曖昧に返事をする。未だ「ユノ」という呼び名は浸透せず、違和感だけが耳から背筋を抜けて行く。由乃も魔導師たる彼に「ミオ」というあだ名を付けたは良いが、馴染まず「『魔導師』様」と呼んでしまう事が多々あった。敬語も抜けず、どうにもむず痒い。
その点、彼は順応性が高いというか、切り替えが早いというか。
そうと決めた瞬間から、彼は由乃を「ユノ」と呼ぶ。あまりの切り替えの素早さと据わりの良さに、由乃は只管驚くばかりだった。
それでも、居心地が悪いという事はないのだが。
魔導師が返し、由乃が受け取った物。
それは、由乃が喚ばれたカルロディウス国の国宝、通称『勇者の剣』である。
勇者にしか扱えないから、勇者の剣。扱えないと言うよりは、鞘から抜く事が出来ない、という根本的な問題らしい。過去何度も試されたらしいが、この国の人間にも、他国の人間であるミレオミールにも、この剣を抜く事はできなかったのだとか。
魔導師は常日頃から考えていたと言う。
何故、勇者にしか抜く事が出来ないのか。
何故、新たな勇者に剣が渡ると、姿を変えるのか。
どんな魔法がかかっているのか。そして、どんなふうに、由乃が扱って行くのか。
魔導師には、それを研究して行くのが楽しみでたまらないらしい。
「面白いことと言いますが……一体全体、ぶっちゃけどういう感じで?」
時折素で出てしまう敬語を交えながら、それでも気持ち的には心底砕けた態度で由乃は問う。魔導師もそれが解るのか、注意を加えること無く「ん」と楽しげに微笑んだ。
愉快というより愉悦を含んだ笑みを湛え、彼は本当に嬉しそうに、本当に楽しそうに、由乃が鞘へと仕舞った剣を指さした。
「それね、ユノ。形を変えることで、現在の持ち主――抜いた人間の想いを反映する、そういう魔法が掛けられている」
魔導師は軽く言うが、それがつまり如何いう事なのか。
由乃は解らず、首を傾げる。だからどうした、というか、だからなんだ、というか。自身の心を、想いを反映すると言われても。唯一つ由乃に言える事があるとすれば、自身の心はこれほど綺麗に白を保ってはいないだろう、ということくらいだ。いや、これを機に純白な心の持ち主として嘯くのも良いかもしれない。
由乃の思考が解るのか、彼はクスリと笑い「色は多分、あんまり関係が無いよ」と言う。
では、やはり何が如何。
煮え切らない思考に、由乃は魔導師に訝しげな視線を送った。
「……ユノは案外せっかちだね」
「私はですね、魔法に対して素人なんですよ、玄人の『魔導師』様?」
「ミオって呼ぶんだろう? 魔導師と呼ぶなら、俺は答えない」
「わー……もう、私なんでこんな面倒な人間相手にしてるの……」
「聞こえてる聞こえてる」
気にした風も無い返しに、由乃も毒気を抜かれて息を吐く。
「で、何が一体如何でどのように私の心を反映した姿なのかな?」
一息に聞くと、魔導師はやはり微笑んだ。
ただ、その微笑みが。
どこか、酷く遠くの方を見ているような感覚。
どこか、親しい友と再会したかのような、暖かな色。
――それらを一瞬で消し去ると、魔導師はまるで教えを授ける人生の師のような達観した面持ちで、厨房から貰って来たクッキーを食べながら、由乃に淡々と語り出した。
「形――色を変えるのは、解り易く前任とは異なることを表そうとしているんだと思う。だから、『前の人と違う』というだけで、色は関係無い。でも、鞘に収まらない総てが純白なんだから、多分、ユノのその色が正しいんだと思うよ。もしかしたら、変化の種類が限定されていて、一周しただけかも。
――想いを反映するってのはね……その剣が、ユノの願いを、叶えようとしている所だ」
「…………」
沈黙で、続きを促す。
魔導師は強くはない、けれども壮大で、畏怖すべき遠い冬の空のような美しい瞳で、由乃をただ見つめた。
由乃は、その視線から、瞳を逸らさなかった。
やがて、魔導師はゆっくりと瞼を下ろす。口元に笑みを湛えたまま、彼は再度、剣を――由乃を指さした。
「それは剣で、確かに刃だ。刃物で、武器で、何かの命を断つために生まれて来た道具。けれど――標的は、飽くまで『魔』のみ。普通の人間ではなく、『勇者の敵』のみを排除するための剣。ユノ、お前のその剣にはね――」
魔法の一切を殺す、そんな能力が、備わっているよ――
□■□
力は乏しく、避ける、逃げるが主流の由乃の戦い方に、剣は上手く使われてくれた。
教会の前で由乃を囲む魔獣は、既に片手で収まる程度の数にまで減っていた。数匹は既に手負いで、血では無く、魔力と思しき淡い光が煙草の煙のように傷口から漂っている。
魔法を殺す、とは言っても、それは一撃必殺と呼べる絶対的なものではない。
由乃の剣は、魔法の『構築式』を破壊する能力を持っている。だが、触れただけで総てをぶち壊すような最強能力では決して無い。『構築式』の構造を由乃は良く知らないが、ミレオミール曰く、「箱の中に箱」のイメージ、だそうだ。マトリョーシカのようなものかと問うたら、逆にそれは何だと根掘り葉掘り聞かれた事も記憶に新しい。
『「構築式」ってものは、名前の通り「式」なんだ。数字を導き出す式があるだろう? それと同じ。一足す一は等しく二。もしくは、料理法の表でも思い起こしてくれれば……うん。やっぱりそれが一番解り易いかな』
カレーを作るには、馬鈴薯、人参、玉葱、肉、エトセトラ。カレーの香辛料をふんだんに使い、香りや味を見ながら調え、ナンで食べるか米に掛けて食べるか、それも自由だ。
『ユノの剣はね、その内、上手い事やれば一気にカレーの香辛料をぶちまける事ができる。香辛料の無いカレーなんて、既にゆでた野菜だろう? つまりもう、それはカレーじゃないし、カレーにはなれない。だから「カレーを作るための式」は一番必要な部分を失い、瓦解する。それと同じように、魔法生物の核たる「構築式」を破壊することで、その魔法は霧散する』
解るような解らない様な。ミレオミールの言葉に頷きながら、香辛料を失ったカレーを想像する。確かに、ただの野菜煮だった。味付けが無いから、スープやシチューにもなれはしない。
『この内、馬鈴薯や人参に相当する「構築式」を割いた場合。この場合、カレーはまだ成立する。具は唯の装飾品で、あっても無くてもカレーはカレー足り得るから。食べた時に具が無くても、味と香りがカレーなら、それはカレーだからね』
由乃は具無しカレーが好きだったので、そこは大きく頷いておいた。
つまり――
構築式には、一定の主核たる重要な式が存在する。
その式を崩されれば、その魔法は魔法として成立しなくなり、崩壊する。
だが核では無い、装飾品のような不必要な式を付け足す事により、核たる式に触れられぬよう鎧を纏わせる事が可能。マトリョーシカのように装飾たる無意味な構築式で重要なものを覆い、隠す。一番奥に置くことも、七つの人形の内三つ目の人形を重要とすることも可能。その辺りは使用者に因るのだろう。
剣はどんな式でも無条件に破壊する事ができる。だが、その核である式に触れなければ、独立した鎧の装飾を撫でるだけで、魔法を崩壊させることは叶わない。
けれど。
由乃の剣だけが唯一、どの構築式をも貫通し、核に触れる事が出来る。
由乃の勇者の剣は、その理屈の上に成り立っていた。
故に元々魔法のみで成立している下位の魔法生物たる魔獣では、どんな大きさをしていようとも、どんなに堅そうな皮膚をしていようとも、由乃の剣の前では空気を切る事と同様の軽さで事足りる。
上手く核を捉えれば一瞬で。
緩く薙ぐだけでも、それは触れた傍から魔獣の装甲を削いで行く。
敵の数を削いだ分、逆に彼等も伸び伸びと由乃に襲いかかってきた。
彼等の標的が教会内部にあることを察した由乃は、そこから注意を逸らす事はなかったが、ミレオミールが教会を覆うように結界を張ったことに気付くと、由乃も安心して敵と対峙するようになった。一つ気にかかる点があるとすれば、ミレオミールの姿が見えない点だ。
けれど、彼は由乃が必死になって戦っている間も自由に振る舞う。行き成り姿を消すのは寧ろ通常運転で、それでも支援は忘れないのだから、少し離れた所に居ようが由乃の安心は変わらない。どうしても躱せない攻撃は、必ず淡く発光した壁が阻んでくれる。
壁は、ミレオミールが創り上げた魔法の盾だ。
的確に、そして最低限。
ミレオミールの壁も由乃の剣で切れるので、彼の壁が捉えた外敵を、壁ごと叩いた数も少なくは無い。
逆に言えば、壁の回数分、由乃が死にかけたと言っても、過言ではないのだろう。
「――よっしゃ来い! いややっぱり来るな! あ、でも自分から行きたくないからやっぱり来い!」
白く輝く剣を確りと突き付け、約三メートル向こうの魔獣達へと高らかに叫ぶ。
幾許の戦闘慣れをしようとも、絶対の盾があろうとも、命のやりとりにおいて、冷静でいろと言うほうが無理な話である。特に、逃げるでもなく敵を殲滅しなくてはならない戦い。
冷静を保っていれば、逆に心が壊れてしまう。
勢いに任せて武器を振りきらねば、興奮でもしていなければ、こんな闘い、長く続けられる筈も無いのだ。
高らかに叫ばれる言葉はどうにも滑稽で、それを由乃も自覚している。戦いにそぐわない事を言っている自覚もある。だがまぁ、そこは気にする必要はないだろう。相手方に気にされるのも困るし、滑稽である自身を悔いる気持ちもない。
心持は違うが、由乃は喧嘩をふっかける時も、喧嘩から逃げる時も似たような物だ。このペースが由乃のペースであり、それを崩すのはよろしくない。冷静とは少し異なるかもしれないが、冷静を保つためにいつもの自分を模倣する。そして本当に冷静になれるのならば、戦場に置いて重要な事とも言えるだろう。
(……言えないかもしれないけども)
脈動するように強くなってきた頭痛が、偶に由乃を現実に引き戻すのが嫌な感じだ。
目前で、魔獣が跳ねる。
剣を振る間もなく距離を詰められ、後ろではなく由乃は横へと身体を逸らした。
敵もそれを見越していたようで、第二陣。そちらは由乃も予測できたので、器用に身体を回転させ剣を振る。それでも、所詮は予測だ。目視していない攻撃がどこに飛ぶかなど、由乃に解る筈もない。
機動を削ぎに来た魔獣の尾を断ちつつ、『壁』が由乃の左足を守る。
「ッ!」
いくら振るだけで敵を滅せられると言っても、自慢の機動がなければ、由乃は人形よりも容易く喉元を噛みちぎられてしまうだろう。
事なきを得た左足だが、魔獣も中々一筋縄ではいかない。
牙はミレオミールが防いでくれた。だが、由乃が切断した尾。短くなったそれは鞭のように撓りながら、由乃の脹脛を削いだ。
痛い事は、嫌いだ。けれど、それを我慢して動かなくては、もっと酷い傷を負う。
庇いすぎるて失敗するような事もなく、由乃は連続する攻撃を総て避け――偶に反撃を加えたが、掠っただけで数を減らすには至らなかった――どうにか体勢を立て直し、再度刃を構えて厳しい瞳で威嚇する。
周囲に注意を払いながら、由乃は自身の怪我に意識を向けた。
尾を断った中型の魔獣は、その尻尾の毛が針のように鋭くなっていた。制服のスカートは長くないが、靴下も、意外に厚いブーツも履いている。易々と破れるような物では無い筈で、もし尾を半分まで断っていなかった場合を思うと、由乃は背筋に悪寒が走るのを止められなかった。バレたら友人にも怒られる。帰路が憂鬱になり、由乃は溜息を吐きながらも、動き出した敵に合わせ、躊躇うこと無く左足を踏み出した。
アドレナリンに感謝する。脳内麻薬が分泌していなければ、由乃は痛みに泣き叫び、目も当てられない状態となった事だろう。
さて、彼女の目下の心配は、唯一に絞られた。
小形の最後の一匹――小さいので逆に捉えにくい――を滅し、中型の動きを避け、下手に動かず待機している大型の動向を捕えながら、器用に自身の優位を崩さぬように剣を振る。
脚の痛みを遠くに感じる中、逆に酷く痛む頭痛の中、由乃は脳の一部で、ぼんやりと思考を巡らせた。
姿は見えない。支援はある。
けれど――遠い。
――ミレオミールが、いない。
次回の更新は、土曜日を予定しております。




