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勇者伝説  作者: 之木下
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そして



「やー、やっとできました。あなたの家。じゃ、あなたで最後です。……えーっと……まぁ、名前は人に付けてもらってくださいね」

 わたしが名付けたら、あなたを使役しちゃうんで。

 あっけらかんと笑いながら、男はたったの数秒で作り上げた教会の内部に、『それ』を解き放った。『それ』は優々と壁を泳ぎ、床を跳ね、安直なデザインのステンドグラスを横切って、男の前でもう一度跳ねる。

 礼では無い。

 単純に、共に歩んだ旅路を想った、幾許かの寂寥だ。


 できる事なら、『それ』も男から名を貰いたかった。たった数年だが、『それ』にとっては一番長く傍に在った人間だったのだから。だが、使役されるのは御免だ。

 名付けるという行為には、相手の形を決めること、そして相手の存在を許す、という意味を持つ。格下からの名前の『献上』を許可することはできるが、格上からの名付けは『それ』の存在を完全に縛りあげる。

 ここで重要なのは、格下や格上というものの差異が、世界や神によって定められた物差しで決められたものではない、ということ。男は自らを『それ』よりも上位だと尊大な認識しているのだ。しかも、強ち間違いで無いという事実。

 それが、決め手。

 本人の実力と心次第で、『それ』はうっかり誰かの使役下に下されかねない、ということなのだ。


「あなた方が、この神無き土地にどう根付くのか、とても楽しみです」

 それは、途方も無い話に思えた。

 それでも男は晴れやかに笑い、至極人生を謳歌しているかのように、軽やかな足取りで建物の出口へと足を進める。

 一人、また一人と減って、最後の同行者であった『それ』。

 彼はそんな存在に対しても、悲哀や寂寞の心地無く、人生を楽観するかの如く軽薄だ。『それ』も何だか馬鹿らしくなって、すいと床を泳いだ。


「――じゃあまた、遠い未来でお会いしましょう。……もっとも、このほぼ未開の土地で人々があなたを見つけ、この地の信仰としてしっかり根付いていれば、のお話ですが」

 あなた、人がいなくては、存在がかき消えてしまうほど脆弱な、精霊にすら至れない哀れなモノですからねぇ。

 ――挑発的なことを言い、男は『それ』が怒って反撃する前に、素早くそこから姿を消してしまった。



『それ』は人のために在った。

 人無くしては自身の存在を保てない、哀れで脆弱な、小さな力の集合体。

 人に命を繋がれ、人を守り、人と共に生きる。

 そうして年数を重ねて、『それ』は存在を確かなものへと変えていく。


『遠い未来でお会いしましょう』


 その約束が、果たされる事が無いと知っていても。

 人の傍に。人に命を繋がれ、人の命を繋いで。

 そうすれば、きっと――



   □■□



 表面は、銀色と称して良いのだろうか。

 確りと映し出された世界は明確で、けれど、奥の方に水面が揺らぎ、時折暗い影が過る事がある。それが教会のいたるところで跳ねていた魚だと気付くのに、そう多くの時は要さなかった。


「……鏡?」

「そ、鏡」

 見せてくれと差し出されたミレオミールの掌に落とされた物は、掌に収まる大きさの、小さく平べったい鏡だった。ミレオミールの疑問を孕んだ表情は明確で、由乃は「フェリアとロニにもらった」と簡潔に答える。すると彼の疑問は氷解したようで、成程、と軽く口に出すと、何の変哲もなかったその鏡を、由乃へと返した。


「じゃあ、その時に『鏡には精霊が宿る』云々を聞いたわけか」

「ご明察です」

 鏡を革袋へと仕舞いながら言うと、彼は複雑な表情で微笑んでいた。それに対して首を傾げれば、何でもない、と難しい表情のまま手を振った。

 聞かせるに及ばない、という事だろう。

 先程とは違い自然極まりないミレオミールの状態に、由乃は安堵の息を悟られない様に吐き出した。


 先程のミレオミールは、由乃の目も誤魔化せない程に可怪しかった。

 由乃も別段勘が悪い方では無い。親しくなった相手の表情を察するのは、これでも得意な方だった。けれど、先程のミレオミールは、異常だった。誰が何と言おうと、異常という言葉が正しい程に。

 それでも、由乃は彼の「何でもない」に対して、それ以上の追及を止めた。

 彼がそう言うならば、それは、彼が由乃に伝えたく無いという事なのだから。

 そして今、彼が『いつもの』ミレオミールに戻ったことで、由乃は完全にそれを記憶の底に押し込んだ。彼に言われるまでも無く、由乃はミレオミールを信頼している。だからこそ、気にすることは彼に対する裏切りだ。そんなことを許せるほど、由乃は自身に対しても、他者に対しても、甘くは無かった。

 ミレオミールが、いつか述べてくれた時。その時受け入れてやることさえできれば、それでいい。


「……まぁ、いっか」

 複雑な表情を、溜息の様な吐息と共に吐き出すのは、ミレオミールだ。

 何か由乃の行動に思うところがあったらしいが、それを飲み込み、彼は長椅子から立ちあがる。どうにも不満を覚えた由乃はそれに続かず、言葉よりも雄弁な視線を投げかければ、ミレオミールは苦笑して「帰ったら」とだけ告げた。

 あやす様に由乃の頭を一撫でして行く手は、まるで子供扱いだ。けれど確かに、自身の行動が拗ねた子供のようであった事を由乃は自覚する。反省し、彼の言葉を信じて椅子を降り、光射す協会の外へと、揃って並んで身を躍らせたのだが。


「…………まぁ、そうなるわな」

「予想の範囲内ではあるね」

 由乃とミレオミールは、互いにがくりと肩を落とす。

 目前に置かれた状況は、ミレオミールの言う通り、予想に難くない事態だった。けれど、失念していた。


 魔を寄せ付けない領域。それは、水霊『ネロ』の力が教会を中心にして働いていたからにすぎない。今、ネロは由乃の鏡へと移り、その力は教会という場から離れた。鏡を持った由乃を中心に影響を及ぼす事もなく、場から離れて、希薄になったネロの気配は、鏡の内で己の力を高めるように、ひっそりと身を休めている。


 それはつまり、この場にあった結界が、完全に消えた事を証明している。ネロの力は鏡の内に封印されてしまったかのような状態で、由乃に対しても、周囲に対しても、どこに作用する事もない。

 最早由乃に魔方陣――構築式を窺う事はできず、それは既に、教会内で確認を終えていた。その事からも、ネロの力が鎮まっていることを、確信を持って言う事ができる。


 だから、この状況は、予想できた事なのだ。

 ただ失念していただけ。

 ただ、考えたく無かっただけ、なのだ。


「……中型多めなのは助かるかなぁ」

「大型は数体……小型も案外多いね。先に数減らしておこうか、ユノ」

「良い。これくらい出来るようになっとかないと……支援サポートだけ、お願い」

 言いながら、由乃は鏡をポケットへと戻し、その手で鞘を抑え、ゆっくりと剣を引きぬいた。

 その剣は、如何見ても鞘に収まる筈の無い長さの刀身を見せる。見る者が予想するよりも長い抜き動作を経て、積もる雪のように純白の身を衆目に晒す。鞘は真紅に金の装飾と煌びやかだが、剣本体は純白に一切の陰りも見せずに澄み渡る。鍔の装飾は荊と十字。カルロディウス国の誇る国宝に相応しい、気高い剣だ。

 過去数度により剣は持ち主に合わせ色や形を変えたが、これが本来の姿であるとエトワールは告げた。


 一番最初の、勇者の剣。

 魔を祓うための、勇者よしのの剣。


 由乃は横に払うように抜いた剣を天へと掲げ、長さの割に羽根のような軽さの剣を目前へ示す様に振るう。陽を反射した光が尾を引き、一瞬の軌跡を残す。

 銃刀法――銃砲刀剣類所持等取締法(じゅうほうとうけんるいしょじとうとりしまりほう)の在る世界に生きて来た由乃は、武器を持って戦った経験が殆どない。寧ろ言えば、戦った経験も殆どない。基本的に馬鹿をやらかす集団に奇襲を仕掛け、逃走。卑怯かつ卑劣な手段と言われても仕方の無い戦闘しか経験が無く、命を奪う目的で創られた本物の武器を持つのは、この国に来て初めての出来事だった。

 最初は、その剣を抜くだけでも覚悟が要った。

 玩具では無い、模造品でも無い。単純に、命を奪う事を前提として創り上げられた物を、自身が扱う。

 その事が、由乃の心を酷く蝕んだ。けれど。


「……ところでミオさん」

「何ですか『勇者』様」

「その呼び方止めてください『魔導師』様」

 目前に並ぶ魔獣たち。数は二十前後。

 的がでかい大型が数体に、単純な物理攻撃力と瞬発力、両方を兼ね備えた中型を主体に、足元に細かく、大きな蜥蜴や鼠、兎と言った小型の速度重視の魔獣が地を這っている。

 大きさに関係無く皆四足で、獣型。細部の違いは見てとれるが、基本性能の違いは無さそうだった。

 皆一様に、自然には生まれない、黒と発光するような紫色の模様を持っていた。由乃の知る似通った動物達とは違い、何処かに棘が生えていたり、角を持っていたり、牙がやたらと発達していたり、禍々しい外見に統一されている。


 ジリジリとお互いの出方を窺う中、由乃とミレオミールは、まるで余裕綽々と言った様子で、それでも視線は目前の『敵』から外さずに、冗談混じりの会話をしていた。

「ここは『ネロ』が守ってきた領域で……でも、もう近隣に人はいないんだよね」

 孤独になったと言った女性。彼女は人では無く、『ネロ』が創りだした幻影。

 もしくは、『ネロ』自身だ。

「ならどうして、魔獣はここを狙ってたんだろう」


 持ち込まれた依頼は、『魔族の感知されない領域の秘密を暴く』といった物だった。

 周囲の魔獣は粗方討伐されたと聞いたのに、その領域――森へと忍び込むまでに、由乃とミレオミールは幾度も魔獣の姿を視認していた。

 何故?

 ここは態々、十二神将であり国一の武人である、ティグリス率いる精鋭の数部隊が、魔獣の討伐に来ていたと言うのに。


 そんな由乃の疑問に、ミレオミールは「あぁ」と事も無げに声を漏らす。

「それは――と、先ずは正面の殲滅が先だよユノ!」

 ミレオミールは半歩退き、由乃はミレオミールの支援を受けた脚で地を蹴った。

 先に動いたのは、敵の方だ。走り出した正面の中型と、それに呼応して周囲を囲む小中型が縦横無尽に走り回る。

「森に何匹隠れてるかもユノには解らないんだから、最後まで気を抜かずに、いつもの速効と奇襲と器用な動きで倒しておいで」

「一言以上に、余計なんだよ! ミオは!」

 鋭く光る白銀で宙を薙ぎ払いながら、由乃は茶化すような声に、律義に文句を返した。



   □■□



 はっきり言って、由乃はそれほど強くは無い。

 彼女が普通の、勇者の剣を抜く事の出来ない普通のカルロディウス国の一般市民であったなら、彼女は一生、剣などという武器を持つことは無かったのだろう。

 由乃は良くも悪くも平凡で、平凡が故に、些かの差異はあるが、平凡な少女としての人生を歩んできた。


 戦の経験は無く、戦場に立った事もなく、武器を振った事もない。

 この地にて幾許かの経験を積んではいたが、所詮はその程度。

 確定された型も無く、年間通して身に叩きこんだ技術も無い。

 由乃にとっての戦闘は、所詮不意打ちに叩いて逃げるだけのお粗末な物でしか無いのだ。

 ――勇者の剣が、無ければ。


「――ッせい!」

 細かく素早い小型の魔獣は、宙に浮いた所を一薙ぎすれば一掃できる。脚が発達している性質の魔獣たちなので、基本的に宙空の移動は鍛えられていないのだ。重力に作用する魔力は持たない。

 偶に羽を持つ種類もいるが、今は数匹しか見られない。それに小型魔獣達も己の弱点を理解している故、そう簡単に地面から脚を上げたりはしない。

 故に、そこをつく。

 小型魔獣の主な仕事は、対象の足場を崩す事。

 気紛れに走り回る事により、跳ねた場合の着地点の喪失や、移動手段――つまり脚に対する攻撃。

 彼等は基本地を這いずり、よしのの脚を狙って突撃をかます。

 ならば――


 教会の玄関から走り出し、二歩目で加減された高さまで飛ぶ。

 空中で器用に体勢を整えると、由乃は頭から地面へと落ち、勇者の剣を真っ直ぐ地面へと突き立てた。

「――!」

 魔獣が高音の悲鳴を短く上げると、数匹の小型魔獣その身を光へと変える。着地を狙った攻撃は、回避も容易い。衝撃と足場の悪さ、そして剣の次に下ろす足の安全さえ気をつけていれば、問題無いのだ。

 たった数匹の勝ち星だが、稼ぎは稼ぎ。元々小型魔獣はそう多く無かったので、たった数匹の対処でも足場の確保は万全に近い。

 目視できる小型魔獣は五匹前後で、問題は、小型から中型、もしくは大型の連携に在る。


 小型が足場を失くし、空中へと投げ出された肉体に、機動、物理攻撃共に優れた中型魔獣が襲いかかる。地面に剣を刺している時点で、剣で魔獣を払うことは不可能。それを見越しての羽の生えた小型二匹と、中型一匹が由乃へと襲いかかる。

 狼、もしくは虎や獅子と言った四足歩行の動物のような体躯。強靭な爪と牙を持ち、幸運な事に羽の在る合成キメラ型では無い。

 恐らく、森を抜けるのに羽が不要だったのだろう。寧ろ鳥型魔獣が森の上空からいっぱいで押し寄せた方が、魔獣的には楽だったのではないかと邪推するが、地を取ったのは彼等――もしくは彼等のおさの方。空中からの攻撃を警戒する余裕は、経験の少ない由乃には無い。なので、羽系の少ない敵に感謝するしか無いだろう。幸運だった。


 体勢は逆さまで、剣は地面。

 自重分深く刺さっている剣は、地面に刺さらない木刀ですら支えとしてしまう由乃にとって、格好の柱となる。


 柄から手を離さずに、縮めた身を水平に回転させ、小型魔獣を一匹巻き込んで、中型の鋭い牙を避けて下顎に踵を叩きこむ。それは光にはならず、一匹残った小型が小さな光に弾かれて、違う方向から飛んできたさらなる中型には、素早くベルトから取り外した鞘を叩きこんだ。こういう場合のために、取り外しは簡単になっているのだ。

 どれも光にはならないが、空中の危機を切り抜け、由乃は剣を地中から引き抜きながら後退する。

 ミレオミールも後方に備えてくれている。剣さえあれば、どうにかこの場を切り抜けられる事を、由乃は経験から知っていた。


 魔獣は、下位の魔法生物。

 その血は魔力。その肉は肉に在らず、幻に近しい構築式。


 着地からそのまま膝を突いてしゃがみ込み、その勢い故に曲がることは出来ても後退することは出来ない小型魔獣を薙ぎ払う。地面すれすれに払われた剣は、一匹を残し小形を掃討した。二匹は掠っただけであったが、それがこの剣の強みである。

 そのまま前転し、飛んできた中型の下をくぐって避けると、前左右から中型魔獣が襲いかかる。

 後方では先程避けた魔獣が体勢を整えていて、つまり由乃の逃げ道は限られていて。


 由乃は左方へ身体を横転させた。右手に持った剣を空中に翳しながら、唯一低く飛び牙を剥いてきた角の生えた狼に、まるで切りかかるような鋭さも無い刃を振った。

 まるで弱いその剣は――正確に魔獣の肉を抉り、一匹目の中型を霧散させる。

 直ぐに立ち上がって中型魔獣に構えた由乃の後ろから、大型魔獣が駆け寄る。

 ドスドスと五月蠅い震動がそれを伝え、由乃が背後に気を取られた内に前方に、総数三匹となった中型魔獣の二匹が退路を塞ぎにかかる。もう一匹は、どこぞで暗躍していることだろう。時計回りに身体を回転させながら、由乃は数歩後退した。


(――ちっ連携うめーな)

 と言うか、素早い。心の中で舌打ちをするが、由乃はそう焦ってはいない。

 中型の内一匹が、その鼻っ面を光る透明な壁に叩きつけた。残った一匹は怯むこと無く由乃の項を捉えようと牙を剥き――尚も身体の回転を止めなかった由乃の瞳が中型魔獣を捉えると、下から振り上げた右腕の剣が、その身を確りと引き裂いた。

 二匹目が光りに変わる。

 分の悪さを知った他の魔獣も、状況を見るよりも警戒を強め、大型魔獣の攻撃に巻きこまれない様に地を蹴った。


 一つ、良い事を知っている。

 大型魔獣は、その猪に似た体格――正し大きさは五倍くらいある――から読み取れるように、力押しの突撃がほとんどだ。足腰の形が違えば酷く繊細な動きで進行方向を変えることが可能だが、由乃と対峙するタイプは、それができない。

 やることは一つ。

 考えるまでもなく、由乃は大型魔獣に突撃した。

 突撃した、と言っても、既に大型魔獣との距離は殆どない。

 たった一歩を大型魔獣へと向けて飛び出すと、二歩目で身体を回転させ、その巨体の側面に深く剣を突き立て、あとは大型魔獣のスピードと自身の脚に任せ走るだけだ。


 大型魔獣が一匹、光に変わる。

 一時の勝利に酔いしれず、由乃はほぼ万全となった大地を踏みしめ、囲む魔獣を警戒しながら、教会入り口付近に溜まった魔獣達に剣を向けた。



































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