神の寝床
ミレオミールは勝手に歩きだすので、由乃も勝手に着いて行く。
あまり森の方や草の茂った辺りに行くのはご遠慮願いたいのだが、彼にはそんなこと関係無いので、由乃が途中で足を止めない限り、ずんずんと進んで行ってしまう。
教会の裏手に周り、ミレオミールは教会の外壁をノックするように三回叩いた。
骨と皮膚、そして堅い物が当たる重たい音が空気を揺らす。次いで人差し指で優しくその壁を撫で、由乃に「どう?」と聞いた。
「……何が? 壁が?」
「見えない、か」
「あ、魔法なのね」
こちらに――この異世界に来た当初から、由乃にも視認できる魔法とできない魔法があった。視認できる場合は、扱った魔法の特性に合わせ、綺麗な発光色が効果範囲に広がるのが解るのだが、今回はそれも無い。勿論、教会内部で見た魔法陣も映らない。
「今のは、何やったの?」
「中でやったのと同じやつだよ。魔法とも言えない、自分の魔力を一定空間に流し込んで、一時定着させただけ――って説明で、解る?」
由乃は眉間に皺を寄せる。想像力は豊かな方なので、ミレオミールの言葉から、上手い事自分を納得させた。
「何となくですね」
「それで良し」
魔法という物は、『なんとなく』でも解れば良いのだそうだ。
「魔法ってのは、構築式を組み立てて、そこに魔力を流しこんで始めて発動するもの――外では見えない。中では見えた……領域の問題かな」
ミレオミールは勝手にうんうんと頷いて、「中に戻るよ」と由乃の頭を撫でながら、軽く微笑みかけた。
中に入るのに魔法は要らない。ただ由乃が入ってしまうと、ミレオミールの魔法でこじ開けなければ、外に出るのは不可能になる。
何度かの実験の後、ミレオミール単体では檻に鍵はかからず、出入り自由なままだという結果を得ていたので、いくら内部が綺麗でも、内側に入る時、由乃は一瞬躊躇ってしまう。
泊まろうと言いだしたのは、自身にも関わらず、だ。
「ユノ」
ミレオミールは笑顔のまま、由乃に手を差し出す。此処に来るまでを含め、今回はやたらと手を繋いでいる気がするな、と由乃は思った。
当然のようにその手を取り、ミレオミールに連れられて、由乃は檻の中へ。
清涼だけど寂しい、廃れているが綺麗な、忘れられた神の棺桶。
(……溺れそう)
息苦しくは無い。綺麗な風景にももう慣れた。
揺らめく水面の床も壁も、魚の泳ぐ影も。総てを洗い流す雫の音も。
けれど、足を踏み入れる度に、涙が零れそうなほど心が揺らぐのは。
(どうして――)
「わっ!」
「わ」
由乃は転んだ。
正確には、転びそうになった。
道連れにせぬようと気を回して放した手は、それでも放れず、逆にミレオミールが由乃の身体と床を激突させない様に引っ張り上げた。由乃の肩が、地味に悲鳴を上げる。
「ユノ、ちょっと。何もない所で転ぶなんて、エトワール様でも時々しかしないんだから」
ミレオミールの言葉は、つまり。
「え、エト様は時々やらかすんだねぇ……超かわいい……」
「寝ぼけた時は、大切にしてる書物すらも蹴散らすよ、あいつは。……って、言ってる場合?」
若干声を震わしながら、浮いていた片足を地面に下ろし、ゆっくりと態勢を整えた。
酷く心臓が鳴っている。泣いてしまいそうな衝動と相まって、由乃は酷く動揺してしまっていた。
「……何ユノ、どうした? 怪我した?」
過保護に尋ねるミレオミールがいつも通りで、由乃はほっとする。短く「してない」と首を振れば、ミレオミールは信じていないと言わんばかりの笑顔で、丁度横にあった、祭壇側から数えて三列目の椅子に座らせた。
「いやほんとに、怪我してないから」
「どうだか。ユノは隠すのが無駄に得意だから」
「大方バレるってのに、酷い言われよう」
この男、自分の事は信じろと言っておいて。
由乃は心の中でも毒吐き、はぁと息を吐き出した。
「ほんとほんと、何も無いって。隠すのは得意だけど、聞かれたら狼狽えるの、ミオも知ってるでしょうにぅっちょっ」
手すりに腕を置き、体重を凭れかけさせながら呆れたように言葉を繰りだせば、
「それはもう」
ミレオミールは安心しきった様な声を出し、由乃の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
これも一応、信頼なのだろうか。
由乃が乱れた髪を手櫛で撫でつける間に、ミレオミールは、由乃が躓いたせいで弛んでしまった布を、思いっきり引っぺがした。
豪快だな、と由乃が感じている間に、彼は素早く床の調子を確かめる。そこにも水面は存在し、布を剥いだことによって大量の波紋が発生していた。
三回。
ミレオミールは床を叩く。
「…………」
「…………」
視線を合わせ、由乃はミレオミールの隣にしゃがむ。自身でもコンコンとノックし、他の床との違いを調べる。匙加減と言われてしまえばそれまでだが、けれど確かに、由乃もミレオミールも、その音に何かしらの違和感を捉えたのだ。
波紋が立つから解り辛い。 けれど指でなぞったところで、由乃は発見と確信をする。
ほんの少し。手で触れても殆ど解らない程度の、けれども確かに隆起した床板。
「…………ミオ、何かこう、平べったい……うっすいけど丈夫な、剣みたいなもの」
由乃の曖昧な語彙で物品を所望すれば、ミレオミールはきょとんと、一言質問を投げかけた。
「『梃子の原理』?」
「そう」
由乃は頷く。
梃子の原理は偉大であると由乃は思っていた。小学生だか中学生時代に知って以来、様々な場面で応用のきく素晴らしき理論。重い物を動かしたい時以外に、現状今日の様な、何かをこじ開けたい時等にも、酷く有効であることを、由乃は知っていた。
目の前の床。叩いた時の高い音が透明に響くのは、その下に、確かに空間が確保されている証だ。微々たる隆起は、総て等しく均一に、ズレも無く創り上げられたこの教会には異質。高音が示した位置とも合致する。故に、この床として敷き詰められた石の、隆起を確認された部分だけでも持ち上げることができれば、下部の空間を確認できると由乃は踏んだのだ。
が、ミレオミールは由乃の頬をつまんで、引っ張った。
「はにふんの」
「馬鹿だなユノは」
軽い罵倒。それにももう慣れたし、絶対的に由乃よりも賢いミレオミールに言われては、脳味噌の定義が違いすぎて怒りすら沸いてこない。
けれど、梃子の原理を馬鹿にするのならば別である。
由乃は彼の理論を信用していたし、フレミング左手の法則なんかよりも、日常的に使用することが可能な酷く身近で便利な理論なのだ。
だが、この世には、それよりも便利で簡単な法が存在する。
「俺が魔法で持ち上げればいいんだろう」
「…………」
由乃が「なるほど」と納得する前に、ミレオミールは大雑把に位置を定め、楕円形の魔法陣を展開する。
床一面に定められた魔法陣が動きそうな床を選別し、選別された床は紫がかった光の波を帯びた。
床に下ろしていた手を上げ、指でくいっと上を示す。
徐々に徐々に上がる床の範囲は広く、ミレオミールが定めた楕円以上の長方形が宙へと持ちあがった。
「おおお……重くないの?」
「石だからなぁ……結構重いんだろうけど、重力さえ如何にかしてしまえば、どれも重さなんて無いから」
浮遊魔法と同じだよ、と解を提示されるが、由乃は浮遊魔法の原理を知らないので、彼の言葉には沈黙を持って答えるしか方法が無い。
「それよりも」と言いながら、ミレオミールは持ち上げた床を観察するのを止め、由乃にステンドグラスよりも透き通った瞳を向けた。
「今のも見えてた?」
「陣? 見えた」
「そっかぁ……」
唸りつつ、ミレオミールは持ちあがった床下を確認する。其処には土が敷き詰められていたので、それもごっそりと宙に浮かし、さらに木の板を外すと、やっと非常食らしき食物が姿を現した。
「いや、そもそも、何で土が敷き詰められてたのに、音が違ってたのかって話で……」
「他と条件が違う事は一緒なんだから、音だって少なからず変わるだろう」
そういうもんなのだろうか。
まぁ、きっかけは何だっていいのだろう。見つけた物の方が肝心である。
「これは……」
「『教会は魔を寄せ付けない』から、近辺で魔族が現れたら、皆此処に逃げてたんじゃないか?」
殆ど枯れかけた食材は、一応腐ってはいなかった。食べられるとも食べたいとも思わないが、最悪の場合ならば手を伸ばしてしまうだろう領域にある。
だが、肝心である筈の朽ちた食物よりも、由乃には気になる事があった。
「ミオ、さっきの」
「うん?」
きょとんと丸くなったミレオミールの瞳を見上げながら、由乃は簡潔に聞く。
「魔法陣って、普通は見えるもの、ではないの?」
先ほどの反応は、『由乃が魔法陣を見えるようになった』事に対する物では無い。少なくとも由乃はそう思ったし、由乃の質問を聞いたミレオミールの反応も、それらを裏づけるものだった。
ミレオミールは浮かべた床石、土、板を眺めながら、そらをくるくると回したり、あちらこちらへと操って見せた。
「今、構築式は?」
「見えてません」
簡潔な質問に簡潔に答えれば、「それが正しい」とミレオミールは答えた。
「そもそも、構築式ってやつは『見る』物じゃない。『読む』もんなんだ。まぁ、これは少し和台が違う部分もあるんだけれど……いくら魔法力があっても、相手の構築式が『見え』ちゃったら、解決方法は直ぐに見つかるし、魔法のかかってる小道具や、封印具の破壊も容易に行われてしまう」
確かに、相手が魔法を使う度に魔法陣――構築式が姿を現すとすれば、隠密的な魔法を行使することはできず、その魔法の弱点を、相手に晒していることと同義と言えよう。
構築式は、その名の通り『魔法を構築する式』なのだ。
ロボットでいう、プログラム。
構築式に無い魔法を行使することはできず、逆に言えば、構築式さえ組み立てることができれば、何でもできる。組み立てることは、容易ではないが。
だが、壊すのは簡単だ。
魔法は構築式と魔力から成る。ならば、魔力の供給を断つか、構築式を破壊するか、だ。細かく言うと封印魔法やら構築式の書き換えやら、他にも色々あるが、大別すれば、この二つである。
「まぁ俺のはごちゃごちゃ好き勝手複雑にやってるから、見られた程度で対処できるような簡単な構築式は組まないんだけど……」
さらりと、ミレオミールは己の性格の悪さを暴露する。
「ん? 何? 構築式って元々ある式を扱うもんじゃないの? 応用していくもんなの? 個性に満ち溢れてるの?」
「ん? あー……面倒だな。今度城に帰ってから教えるんじゃだめ? どうしても今?」
「ミオが忘れないでくれるなら、今度で良いよ」
「了解」
ミレオミールは由乃の頭を撫で、その左手を、枯れた食物の上に翳し、魔法陣を展開した。
「見えた?」
「見えた」
答えると、ミレオミールは水気を失った食物を浮かしながら、苦い顔で笑う。
「さっきも言ったけど、本来、構築式はパッと見えて良いもんじゃないんだ。見せるもんでも無いし、隠してるわけじゃないけど、『普通は見えない物』、なんだよ」
普通は見えない物。
魔法使いでも、魔術師でも、例え、大魔術師だとしても。
相手が素人でも、玄人でも。自身の展開した魔法であったとしても。
普通は。
それに、とミレオミールは言葉を付け足した。
「ある程度の予備動作も無く魔法を使うのって、相手が吃驚して楽しいのに、ユノに式が見えちゃうんじゃ、バレバレでちっとも楽しくない」
大した我儘である。
「それでも、最初の――壁や床を確かめた魔法は、見えて正しいよ。浮遊魔法に比べて、式も簡素だっただろう?」
「言われてみれば……そうね」
先ほど見た大きな楕円の、幾重にも円や直線、文字列や数式や記号の重なったものに比べ、ミレオミールが壁や床を調べる時に展開したものは、基本形態が円で、文字列――由乃には模様の羅列にしか見えないが――も幾分すっきりとしていた。
「あれは態々、自分に解り易い様に、見える様に設定したものだ。だから、ユノに見えるのも、ある意味当たり前だったんだけど――ユノ、『入り口にも』って言ったから」
あれは、普通の――式を見える様に設定しない、『普通の』魔法だったのだと、ミレオミールは言う。それが由乃に見えたと言う事は、つまり、『普通では無い』という事なのだ。
由乃を普通じゃなくしているのは、この、教会という空間。
「出れば元に戻るけど……由乃も気付かないうちに、由乃に影響を及ぼす空間ってのも、考え物だよな。どうするユノ? ほんとに今日、ここで夜を明かすの」
「勿論」
由乃は即答した。
理由は無い。勘である。
己の勘をそこまで信用できるのかと問われると、由乃はきっと押し黙ってしまうだろう。けれど、五感すべてが告げるのだ。
この場所は、由乃の『敵』では無い――と。
ミレオミールの心配は最もだ。この場所は、得体が知れない。
そんな所で夜を明かすなど愚の骨頂だし、ミレオミールの魔法さえあれば、森を通らずとも町から往復することが可能になる。正しい判断がどちらかなど、一目瞭然も良いところだ。
(でも――)
――ピチャン
落ちる雫の音は、まるで泣いているみたいだった。
特定の誰かを呼ぶかのような水の音。誰を、どうして、何のために?
名もなき、精霊の眷属、水霊『ネロ』。
この名前は、この教会に程近い、森の手前で農作業をしている家族から聞いた物だ。南西部は農作や酪農が盛んである。広大な土地に豊かな土壌、安定した土地は農作に優れ、市場に流通する作物は、殆どが南西部で作られると言っても過言ではない。
途中で出会った家族も、近くの町に住まう農業一家だ。けれど、別段教会に近くも無く、信仰深いということは無い。
(それなのに、あの人達は、此処に祀られた存在の名を知っていた――)
名もなき眷属――名前が無いわけではない。こうして周囲に住まう人間はネロの名を知っていて、しっかりと語り継がれてきた。
由乃達が抜けた森の反対側。教会の奥に見えた道は未だ荒れず、人が往復するには、なんら問題無く開けていた。
「ユノ、片付けて良い?」
「えっあ、うん……あっストップちょっと待って」
「『ストップ』?」
「止まれということ」
由乃が言うと、興味が言語にそれたからか、それとも由乃の言葉に反応したのか、ミレオミールは動作を停止させた。
「どうしたのさ」
ミレオミールが気紛れに食物の一部を退かしたことにより、床下収納の底が顔を覗かせていた。
由乃が覗きこんでいるところに、ミレオミールも顔を寄せて覗きこむ。見えるのは底で、乾いた土と埃に汚れた、隙間の隙間の開いたただの木の板である。
――ピチャン
「ミオ、この下、何かある」
「うん?」
由乃の淡々と告げる口調に、ミレオミールは首をかしげつつ、それでも由乃と同じように、収納の底を見つめた。見えるのは木の板と、板同士の開けた隙間から覗く、暗い色の土だけ。
だが、ミレオミールの判断は早い。
陣が展開し、既に色々な物が浮いた空中に、食物と、土倉ではだめだったのだろうか、重ねたられた木箱と、そしてその下の土をごっそりと、約一メートル程掘り返し、浮遊させた。魔法と言う物は、近未来を凌駕する。ミレオミールにとっては日常の動作に過ぎないのだろう。由乃は言葉にこそしないが感動し、ミレオミールの服の裾を引いて、ごっそりと抜き出された土を指さした。
固まりを、解すように崩して行く。
解された土は浮かしておいても意味は無いので、そのままぽっかりと空いた穴の中へと戻す。ぎちぎちに圧縮されていたのだろう。解された土の量は一致せず、全部戻す時、上から何度も踏んで固めねば、元通りに総てを収めきることなどできない質量になっていた。
その土の中から、出てきたモノ。
「…………これは」
鎌だった。
木の柄を持ち、横にせり出した刃で、稲や雑草を刈る、あの鎌である。
正し、幾分の違いが存在する。
先ず、出てきた鎌は黒かった。柄も刃も漆黒で、闇色に暗く、柄と刃を繋ぐ部分だけに、申し訳程度の赤い宝石が装飾に使われていた。
そしてそれは――由乃の身長よりも少し長い。
どう見ても、稲や雑草を刈るためのものでは、無い。
「『――罪、背負いし者、そしてそれを生み出せし者。共に魔の徒とし、神の名のもとに断罪す。教会、血を清め、祓い――』」
由乃にも、聞き覚えのある一説だった。
五日ほど前、由乃が問いただし、エトワールの室で聞いた、記述。
罪を断つ正義の名の下に、幾億もの命を狩ってきた。
「『罪人の鎌』――」
腰に添えられていたミレオミールの手に、小さく力が籠るのを、由乃は視界の端に捉えた。
次回の更新は、水曜日を予定しております。がんばって覚えます。




