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勇者伝説  作者: 之木下
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美しい檻



 ――どうか私に祈らないでほしい。

    私は言葉を持たぬ意志。

    地上はとうに燃え尽きて。

    水中にすら存在を許されぬ罪。



   □■□



 最初の戦慄は、一体何だったのか。

「あ、出られる」

「マジでか」

 解決策は、とても簡単に見つかった。


「焦って損したね」

「ほんとに」

 流石に内部に留まる気は起きず、二人は一度外へと躍り出た。入口の前で屯して、由乃はそろりと、前へと手を伸ばす。

「……入れる」

 見えない壁は、無い。


 日没が近いので、暫しそのまま話し合う。

 元々、今日の予定は現場の確認だけだった。

 目的地にさえ着ければ恩の字。着いてしまえば後は転移魔法に必要な陣を敷き、それを行き来しながら、夜は近場の村の宿へ泊まり、日が出るのと同時にこちらにやってくる。そういう寸法だった。


 ――この場は、異常だ。解決策は見つかっても、長いすべき場所では無い。

 それがミレオミールの見解で、由乃も大凡おおよそ似たようなことを思った。けれど。

「何かあったら、自分で責任をとる。悪い気は、しないの。私は此処に泊まってみる」

 それが、由乃の答えだった。

 ミレオミールは難しい顔で頭を掻く。そして、直ぐに諦めたような微笑みに変わり、「なら俺も」と由乃の頭を撫でた。


 だが、その前に。

 ミレオミールは由乃に待機を命じ、自分だけ教会内部へと戻る。

 目前の謎を解かねば、この場の危険度を正確に測る事は出来ない。世界の果てで蝶が羽ばたいただけで、中央に血の雨が降る惨事になる事もある。たった一歩だが、人生というものは、その小さな動作だけで左右されてしまう程、曖昧なものだ。

 心配しつつ様子を窺うが、彼の手は何の障害も無く見えない壁を突き抜けた。


「…………」

 目を細め、ミレオミールは普通に身体を外へ出すと、「次、ユノね」と肩を叩く。


 微塵の葛藤も無く、由乃は小さく頷いて教会内部へ戻る。ミレオミールが大丈夫だったのなら、自分も大丈夫だろう、という観測だ。

 だが。


「…………わーお」

 出られない。


 色々試した結果、つまりこの教会は、由乃を閉じ込めたいのだという結論に至った。




「何でだ」

「それはこっちが聞きたいな」

 それでもやはり、一番聞きたいのは由乃である。なんてったって当事者だ。何故自身が、来たことも、聞いたことも無い教会に呼ばれ、閉じ込められる羽目になったのか。出られるけれども。

 既に外界はオレンジ色。ステンドグラスは青色なのに、差し込む光はオレンジ色で、硝子に遮られ多分弱くなった橙と青の光が教会内に反射し、辺りを疎らに照らし上げた。


「隊の人にも、水の音を聞いた人はいたんでしょ?」

「そうらしい」

「じゃあもしかしたら、その人たちも閉じ込められてる可能性が、あったわけなのかな」

「可能性はあったんじゃないかな……けど、共通点は何なんだ? 隊に女性はいなかったし、あいつらは勇者じゃない。魔法を扱える奴の中にも、音を聞いたと主張する奴はいた……出身地も当然バラバラだし、身長も、年齢も十人十色。共通点が無いなら、共通しないものを探した方が早いのか? 教会だから神に近い部分か? でもカルロディウスでは勇者信仰が強いし……いや、それでも神に対する信仰も残って――」

「…………」


 思考タイムに入ってしまった。由乃は溜息をついて、既に出る方法の確立された檻の中、最初に座っていた長椅子に、仰向けに寝転んだ。ミレオミールも内部に居て、同じように長椅子に腰かけている。一応隣には居るのだが、彼は部屋の中央に伸びた赤い絨毯を跨いだ向こう側の椅子に居るので、寝転んでも、彼の邪魔をすることは無い。


 寝転んだのは眠るためではない。由乃の睡眠欲は、先の騒ぎですっかり鳴りを潜めてしまった。寝ておけばよかった気もするが、本日此処を寝床にすることは、既に決まっている。変な時間に眠るより、やはり夜、規則正しく寝た方が疲れも取れるというものだろう。例え寝付きの悪そうな、ただの長椅子だとしても。


 天井も薄い水の膜が張り、四方に散ったステンドグラスの影が反射し、教会の中だということもあって、とても幻想的だ。由乃は素直に、この場を美しいと思う。

 ――とても美しい、檻だ。


 絶対に答えに辿り着けない謎に捕らわれそうになったので、由乃は別の事を考えることにした。

 例えば、水。何故か水には、人を癒す効果がある。

 人間の殆どが水分でできているからなのか、それとも幼い頃、否、生まれる

前、母親の腹の中で、羊水と呼ばれる水に包まれていたからなのか。


 ――ピチャン


 水の落ちる音が、由乃の鼓膜を揺らす。

 清浄で、清涼な音。

 まるで身体の中に溜まる『穢れ』を洗い流すかのような感覚が、由乃の鼓動を落ちつける。

 大自然の中で、一人きりの様な。壮大な世界の内に、取り残されてしまったような。

 けれど、嫌な気持ちは、由乃には一切無い。

 元々一人が嫌いではないと言う事もあるが、それ以上に。太古の息吹を感じるかのような、自分と言う存在よりも、格上の何かが、その力を纏い、見守っているかのような。

 そんな、言葉にするのが難しい、けれども確かに自身を包み込む『何か』を感知するような、そんな雰囲気が、由乃を包み込んでいた。


 ぱしゃりと鳴った音は、人工的な物だった。

 清涼さは変わらないが、音には差が出る。

 由乃が森で聞いていたような音は、頭の奥、又は遠くの方――でも距離が近いのは肌で感じることができるという謎――で鳴るが、人工的なものはそうもいかない。

 音源がはっきりとしていて、次いで、何度か音が重なるのだ。

 足は踵からゆっくりと地を踏むから、そのちょっとした時差が、反響するように新たな音を立てる。


 土砂降りな雨音も心地よい子守唄に変わる由乃にとって、その程度の音は苦にならない。が、その音が近づいて来るのであれば、話は別だ。


「……何用で?」

「寝たのかと思った」

 寄って来ていたミレオミールは、光源を遮り、影を伴って由乃に笑いかけた。普段は腰に巻かれている布を両手で掲げて示す。由乃が身体を冷やさないように、という配慮なのだろう。中々に見上げた紳士である。


 由乃が上半身を起こそうとすれば、ミレオミールは自然な動作で由乃に手を差し出した。由乃もその手を取り、ゆっくりと身体を起こす。

「考えるのは終わったの?」

「まぁね」

 腰に布を巻き直しながら、ミレオミールはぐるりと辺りを見回す。その光景に変わりがある筈も無く、静かに水の滴る音が響くだけだった。


 そのまま由乃の隣へ腰を下ろし、彼は何も言わない。ぼうと壁だの天井だのを見つめ、言葉を紡ぐ様子は無い。

 考えるのを保留にしたか、もしくは、考えは纏まったけれど、由乃には話す気が無いのどちらかなのだろう。由乃も当事者である。と言うか、由乃の方が当事者である。考えを聞きたいとも思うのだが、ミレオミールがそれを良しとしない確固たる理由があるのなら、それに従っておいた方が得策だろう。ミレオミールは、由乃より断然に頭の回転が速いのだから。


「そう、ミオ、ちょっとお聞きしたい事が」

 最初に睡眠を取ろうという結論に至った原因を思い出し、由乃は隣のミレオミールを呼んだ。彼は「ん?」と簡潔に由乃の言葉を促す。

 由乃が足を動かすと、ピチャンと床から音が鳴る。

 波紋が広がる。それはまるで、自身の存在を、主張しているみたいに。


「ミレオミールさん」

「……何、いきなり改まって」

 由乃が少し改まると、ミレオミールはあからさまに顔を顰めた。彼にしては珍しい表情である。普段嫌いな物も笑顔で「あり得ない」と一刀両断したり、苦笑いで誤魔化す性格をしているだけに、珍景と呼んでも差し支えない珍しさである。

「気持ち悪いなぁ」

「殴るぞ」

「ちょ、違う違う」

 売られた喧嘩はある程度買う主義である。

 由乃はミレオミールの辛辣な一言に拳を握り、椅子の座面に膝立ちになりながら殴りかかろうとしたが、彼は左腕を盾にしながら身体を逸らし、由乃に言葉の訂正を入れた。


「気持ち悪いのは、ユノにミレオミールって呼ばれることであって、ユノ本体が気持ち悪いわけじゃないから」

 果たしてそれはフォローになっているのだろうか。

 由乃は暫し考え、一応ここも神前なのだと思い出し、拳を下ろした。

「いいや、で、そう、魔法なんだけどさ」

「魔法?」


 由乃はどう言ったものかと思案する。説明は苦手なのだ。

 先ほど見た物を告げるだけでも、由乃には一苦労である。国語の成績は良かったのに、こういうところでは全く発揮されない。読書感想文はあらすじを書いて文字数を稼ぐし、作文は毎年同じ物を適度に脚色して提出するという体たらくだ。

 ウウンと唸り、名案が一つ。

 実践をさせよう。


「ミオ、さっきあれ、こう、魔法を」

「『魔法を』?」

「壁や床に、トンって……あ、あと、入口にも」

「壁に……?」

 首を傾げていたミレオミールだが、得心が行ったらしく、「あぁ」と短く告げて上半身を折った。


 そのまま床を指で軽く叩くと、叩いた位置を中心に、掌くらいの大きさの真円が発生し、水はその円にぶつかりながら波紋を広げた。


「これ?」

 ミレオミールが由乃に確認を取るうちに、その円は役目を終えて消えた。円のあった位置にまた水が流れ込み、それによって生じた波紋もゆっくりと消え、ただの揺れる水面へと還る。

「それそれ。それなのだけれど」

 何度見ても、衝撃的だった。

 由乃は今までに、何度もミレオミールの魔法を見たことがあったのだが、こんな事態は初めてである。


 由乃には魔法の資質が無い。

 元々魔法と言う概念が、物語の中にしか存在しない世界に生まれた事にも起因するのかもしれないが、由乃には、魔法を扱う魔力の他、魔法を視認する能力も極めて低かった。

 だから、初めてだったのだ。

 彼の扱う魔法が、ただの光では無く、『魔法陣』という特定の魔法を扱うための、解り易い姿を取って現れたのを見たのは。


 故に、それを聞いたミレオミールは、動揺など微塵も見せずに、けれども確かに、由乃に解る程度には、これでもかという程驚いていた。

「『構築式』が見える?」

「……っていうか、魔法陣?」

 先ず『構築式』という物の見た目を、由乃は知らない。

 由乃にとって視認出来たソレを言い表す言葉は、先入観として『魔法陣』が適切である。こちらでは『構築式』という物で魔法の核や枠組みを形成するらしいのだが、魔法の資質も無ければあまり勉強する必要の無い由乃にとって、唐突に見えた物を言い当てろ、と言う方が過酷というものだろう。


 見えた円形の陣。二重三重に円が重なり、隙間には文字や数列のようなものが並んでいた。その文字はこちらの言語ですら無く、ましてや由乃が知る言語でも無い。

 頑張れば、地球上のどこかしらに似た文字を見つけられたかもしれないが、由乃はそれほど言語に強くない。母国語すらままならないと思っているのに、他の語学に現を抜かしている場合では無いのだ。


 見えてしまった魔法陣。

 これの意味するところは何か。


 由乃はミレオミールを見上げるが、彼は顎に手を当てて、何某かを考えている様子である。

 最近こんなんばっかか。由乃は彼の思考がまとまるまで、待つことにした。頭の良い人間の思考を邪魔するのは、由乃にとっても得にはならない。むしろ、損だ。


「ユノ、外」

「外?」

 由乃を置いて立ち上がり、最早くすんで汚れたヴァージンロードの逆走を始める。由乃が首を傾げれば、途中で止まり由乃の方を向いて、「おいで」と一言声をかけると、入り口前で待機し始めた。

 待たせるのは性に合わない。

 由乃は「あめふり」の歌のように足音を鳴らして駆けながら、ミレオミールの隣に並んだ。


 由乃が来たのを確認すると、ミレオミールはついと人差し指で宙を掻く。まるで目の前に存在する、近未来に良くある宙に浮かんだ光る画面を操作するかのような動作である。由乃はアレにとても強い憧れを抱いていたのだが、お披露目には時間が足りない様だし、現在こちらに居る由乃がそれに立ち会えるかも怪しい物だ。


 入口の見えない壁は、ミレオミールの魔法を割けるように口を開ける。

 先ほど、床や壁の水を弾いたのと同じ原理、らしい。時間制限はあるが、素早く二人は外へと身体を滑らせ、日も落ちかけた自然の中へと飛び出した。






















次回更新は、土曜日を予定しております。

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