帰還
「――要するに『勇者』って、貧乏くじ以外の何物でも無いよね」
少女――八色由乃が勇者を始めて、二週間が経った。
その間由乃がやってきたことと言えば、勇者に必須のアイテムである『勇者の剣』を扱うための訓練や、ある意味本職と言える魔獣退治や、勇者という名を良いように使われた雑用等、である。
雑用の種類も様々で、子守や草むしり、動物の世話に至るまで、やれそうなことは何でもやらされた。
その経験に対する愚痴を由乃は発したが、言葉の割に、口調は穏やかだ。
「民は勇者を信仰してる割に、友好的だからね」
それに応えるのは、由乃と旅の道中を共にしている青年、ミレオミールだった。
はははと笑う声は軽やかで、由乃の鋭い指摘にも全く動じない。
彼はこの国の出身では無いので、この国での扱いについて不平を洩らされようが、はっきり言って、彼自身は全く痛くも痒くも無いのだ。
「神格化されるのも嫌だけど、ボランティアさせられるのも嫌だなぁ」
やれやれ、という様子で由乃が言えば、ミレオミールはきょとんという表情で由乃を窺う。
「ボランティア?」
「見返りを求めない、献身的な行い?」
「なるほど」
疑問の答えを得て、彼は納得したように頷く。
「強制されてするもんじゃないってことか」
「そうそう。自発的に行ってこそ、意義のある行為なわけです、よーぉ……」
ぐっとしっかり体を伸ばし終え、由乃はミレオミールを一度見やる。
元来彼は察しが良い。今回も、言葉は無いが、彼は由乃に向いていた体を、行く方向へ向け、歩き始めた。
由乃もそれに続く。
現在二人は、カルロディウス国の首都へと帰る道中にあった。
南西部の山に夜な夜な魔獣が出ると言う話が、拠点としている城まで届き、ならば行くか、という軽いノリで、二人は南西部まで遠征に出た、その帰り。
城下町を抜け、逃走経路として何度も使用した山道を登る。城は城下町よりも高所に建っているため、毎度帰るのが面倒だ、と言うのが、たった二人の総意だった。
二人とも正面切って注目されるのが苦手なため、帰る時も出る時も、いつも裏道を通る。その裏道が山道であるため、やはり普通の道を歩くより、疲労の度合いは高い。人が通るために開かれた道であるので、辛いのはある程度急な坂だけではあるが。
「ユノ、怪我は大丈夫?」
不意に振り返り、淡い透き通った空色の虹彩が、由乃を捕えた。
南西部での役目を終え、さて帰るかとなった時、二人は小さなアクシデントに見舞われた。
本来の目的は無傷で無事に終えることができたのだが、そのアクシデントのおかげで、由乃は傷を負い、足やら手やら、どこかしらを痛めていた。
ちなみに、ミレオミールに傷は一切無い。これは由乃の落ち度であり、自身の失敗が招いた結果であり、ミレオミールに非は一切無いのだ。
それでも、ミレオミールは度々、由乃に安否を尋ねた。
律義だなぁ、と由乃は思う。ただ歩いているだけなのだから、悪化のしようも無いのだけれど。
「平気だよ。歩けてるしね」
強いて言うならば、傷は痛むし、内緒にしている少し捻った足は痛い。が、強いて言う必要を、由乃は感じては居なかった。
そもそも、南西部から首都――現在歩いているこの裏山――まで、普通に旅をすれば五日はかかる。けれど、その隙を埋めて、由乃はミレオミールの魔法によりたったの三十分で城に帰れると言うのだ。
そんなことをさせた上、態々彼に在りもしない罪の意識を感じさせる必要は、これっぽっちも無いのだ。
ミレオミールは苦笑しながら、由乃の背に軽く手を添える。
「相手が相手だから、念には念を、ね……ユノは回復魔法を使わせてくれないし」
実のところ、ミレオミールは世界屈指の大魔術師である。
これが一般的な魔法使いであるならば、道程を縮めるにしても、こんな短時間でここまで移動することは不可能だ。
一人ならばまだ何とかなっただろうが、彼は由乃というお荷物を抱えたまま、あっさりとそれをやってのけた。
彼にとってはそれが当たり前らしいうえ、由乃は魔法に詳しく無い。
どの程度ならば一般的で、どの程度からが異常なのか、由乃には全くわからない。
むしろ、まるで立って歩いて走るが如く、腕の一振り、指を鳴らしただけ、手を叩いただけで魔法を行使する彼の、何を見て魔法の上位下位を見極めろと言うのか。
魔法の存在を知っていたとしても、魔法についての知識を蓄えていない人間ならば、由乃で無くとも、違いなど解らないことだろう。
ただ、由乃は察しが良い。
なんとなく、いつもとは違う魔法を行使して道を縮めてくれたことから、そこに労わりだけは感じていた。だからこそ、これ以上迷惑をかけさせる気は、由乃には毛頭無かった。
勿論、そういった気遣い以外の理由も、ちゃんとあるのだが。
由乃は、眉間に皺を寄せて拒否を主張する。
「そんな得体のしれないもの、使われちゃたまらないわよ」
これを言うのも、何度目になるだろうか。
ミレオミールのことは、由乃も信頼している。けれど、魔法に関しては別である。
回復魔法は、確かに便利そうだ。由乃は痛いことが好きではないし、できればその痛みを取り除いて欲しい、とも思う。
けれど、回復魔法は――論外だ。
「……そんな意見もらったの、ユノが初めて」
ミレオミールの表情からは、うんざりという言葉が伝わってくるようだった。
彼は肩から力を抜き、後頭部を軽く叩く。
「強情め」
「ありがとう」
健康オタクの気持ちが、今なら解る。由乃は常々、回復魔法の話を聞く度、そう思っていた。
「それに、もうお城見えるし、大丈夫でしょ」
由乃の指さす先。
高く聳える城の屋根ではなく、見えたのは、城をぐるりと取り囲む城壁だった。
「…………」
「…………」
お互い、止まったままだった足を意図的に止め、沈黙する。
城に帰ってこられたのは嬉しい。嬉しい、が、実のところ、面倒な問題が一つ、この城で待っているのだ。
「…………どうする、ユノ」
「…………賭けよう。私は怒られるに賭ける」
「怒られるのは決定事項だよ。賭けにならないし、俺も賭けるなら怒られる方にする」
「じゃあ台詞で。『この馬鹿が!』かなぁ」
「……じゃあ俺は、『この馬鹿どもが!』かな」
「あっそれずるい!」
「先に選択したのはユノだよ。で、何を賭けるの?」
「……そうだなぁ、お互いに、今日のお菓子でどーよ」
「そのくらいだね」
「…………」
「…………」
世間話を続けたいところではあったが、お互いに、これ以上引き延ばした所で結果が変わることは無いということを、嫌と言うほどに知っていた。
相手がまだ世間話をしようと言うのなら、会話を続ける気はあった。けれど、残念ながら、由乃もミレオミールも、引き際を見誤る、空気の読めない人間では無かったのだ。
「……行こうか……」
「……あーー……やだなぁ」
促したのは、良き保護者、ミレオミールである。
痛みが増したような気のする重たい足を持ち上げて、由乃とミレオミールは、ひっそりと、本当にひっそりと、裏門から帰還したのであった。
進行速度はゆっくりです