不機嫌
本人の目の前で行われていた、由乃の結婚相手予測ゲームは酷くアッサリと終わりを告げたので、由乃はやっと疑問を口に出すことができた。
「それよりも、私気になってるんだけど」
横向きに膝に乗せたロニの腰をしっかりと支えながら、二人に軽く問いかける。
「精霊様って?何?」
双方が、きょとんと瞳を丸くして、首を傾げた。
何故鏡かと問うた時、ロニは「精霊様が宿るからお守りになる」と言った。
異文化コミュニケーション。由乃の国に精霊は実在せず――概念は存在するので実在しているのかもしれないが、由乃は全く感知できていないし、関知もしていない――鏡に宿ると言うのも謎である。お守りと言われたからにはお守りなのだろうが、それよりも、『精霊様』という単語を聞いたのが、カルロディウスに来てから始めてだったので、気になってしまったのだ。
エトワールの部屋でも思ったことだが、由乃はこの国で、神に準ずる存在の名を聞いたことが無かった。ここカルロディウスは、魔を退けた唯一にして絶対の存在、勇者の元へ集い、それが段々と国を形作って行った特殊な国だ。故に、彼らは勇者を崇拝し、崇め奉っているのだろう。が、それはともかく、である。
勇者は今、由乃である。
勇者以外に様付けする発言を、聞き捨てならない、ということは決して無い。元来、由乃は『勇者』という役柄を全うする気はあったが、自身が本物の『勇者』足りえないとも思っていた。人々に崇拝されるのは居心地が悪く、様付けされ敬愛されるのももどかしさを覚える。それでも、彼らの『勇者』に対する信頼は絶対。それはもう、由乃が若干引く程度に。その『勇者』こそが、残念ながら由乃なのだから。
その国民から出る、勇者以外を尊ぶ発言。
由乃の好奇心が刺激されるのも、当たり前と言うものだろう。
むしろ、エトワールの部屋で気になり始めてから、ずっと興味を持っていたのだ。聞く機会をずっと窺っていたと言っても、過言ではない。
フェリアとロニが視線をまじわせ、ロニが一度頷くと、フェリアが二度頷いて、冷蔵庫――魔法式――へ向かっていった。由乃がそれを目で追っていると、ロニが上着を握り、小さく引く。
緑の瞳は、野山の草木のように若々しく、まるで春の陽を浴びたかのように、綺麗に煌めいていた。
「『精霊様は、神様が国に遣わした力の根源。神様にはこの世に干渉する力は無く、魔を退ける術を持ちませんが、精霊様には、魔を寄せ付けない力が宿っておられるのです』」
「ロニが敬語だ~」
しっかりとした説明に、懐かしさを感じて呟けば、ロニは眉間に皺を寄せた。当たり前である。ロニがしている説明は、教科書を朗読するのと変わらないのだから。
「聞いたのはヨシノでしょ。ちゃんと聞いて」
「はい、すみません」
年下のロニに叱られ、もぞもぞと座り直す由乃。
知らないことを教えてもらう場合、教わる相手が何歳であろうと、敬意を持って教えを賜るべき。これは母から教わった、八色家の家訓である。
フェリアがテーブルに良く冷えた麦茶――麦茶!――を注いだコップを人数分置き、お礼を言いつつ、ロニの説明は続いた。
「基本はさっきので説明が終わりなんだけど……そうだなぁ、精霊様や神様っていうのは、この大陸共通の知識なんだ。ここ、カルロディウスでは勇者様のお立場というか、痕跡っていうかが強く残っておいでなんだけど、他の国に行くと、やっぱり勇者より精霊様、そして神様のお力が強かったりするね」
「へー」
勇者の名のもとに成った国である。勇者の名が強くなるのは当たり前なのだろうが、各国似たような信仰をしていることは、由乃には興味深かった。
「大陸で、同一の神を崇めてるの?」
確認すれば、ロニは頷いた。
「一応、そうなってるみたい。でも、各地に授けられた精霊様は皆、形容も名も、恩恵も勿論違うんだ。例えば、南の辺りでは『精霊テロス』様が一般的かなぁ。豊穣を司る精霊様で、この辺りにも教会があるよ。水の国に行けば水の恩恵を齎す神様が多くて、陽の国では太陽や熱、光の神が絶対であり、崇めるところがおおいかなぁ……」
絶対であり唯一である神と、その力である精霊。
全く持って知り及ばない所であったが、この国にも、確かに信仰はあったのだ。
「始めて知ったけど……って言うか、私、ずっとこの国には神様なんて居ないとおもってたわ」
「勇者信仰が目立つからな。いないわけじゃ無くて、目先の勇者に皆ご執心なんだよ」
フェリアが言葉を継ぐ。
由乃は頷いた。成程、その通りだ。
由乃だって、目の前に英雄が居れば、神など頼りにしないだろう。人智の及ばない力に縋りはするが、それが神のなせる業と誰が証明できるのか。
『運』とか『奇跡』とか、さらにこの世界には『魔法』とか。都合のいい言葉はいくらでもある。神の定めた事柄なのか、自身の力が引き寄せた成果なのか、確かめる術は無い。
だからと言って、いないわけでもない。
日常に神の存在など感じないが、お守りを持っていたり、受験前に参拝したり、パワースポットを巡ったり。
霊的な存在は、常に近くに在る。
人々とは異なる軸に常に存在し、時折、こちらと交わる。必要な時に縋るのは、そういうことなのだろうと、由乃は何となくそう思っていた。
ちなみに、日本の宗教における仏と神の区別が、由乃にはついていない。
ふんわりとした違いがあるのは解るものの――神は人智を超えた存在で、仏は徳を積み、成果を成した人間である、と由乃は解釈している――信仰するのが神なのか仏なのか、由乃の母国である日本は色々と入り混じっているので、由乃には些か難しすぎるのだ。
例えば、菅原道真は人だが、彼は神だ。怨霊と化し、それを鎮めるために祀り上げたら神となったと由乃は理解しているが――
もうわけわからん、と投げ出すのも、仕方ない事だと言えよう。それに、由乃はあまりそう言った事には興味が沸かなかった。否、興味はあるのだが、基本的に、複雑なものは苦手なのだ。もっと専門用語を使わず、シンプルかつ簡潔に後世に伝えるべき。由乃は常々、至る所でそう思っていた。
こちらの信仰は、勇者を除けば唯一神とその力である精霊――なんとも簡潔な繋がりだろうか。勇者の信仰も罷り通っているところを見ると、別段同じ神を必ず信仰しなければならなかったり、異教徒に鉄槌を下すようなことは無いらしい。勇者ほど大きな存在だったから、もしくは、人と神を区別し、唯一神は唯一神のまま、勇者は実存する英雄として、宗教ではなくアイドル的な象徴として許されているのかもしれないが――一つ新しい信仰を受け入れたということは、それはそういうことである。
思想の自由万歳。
神や仏に興味は無かったが、由乃にも、『自分なりの神様』というものは、確かに存在するのだ。信念、と言い換えても、遜色は無いかもしれない。
「神様には名前は無いの?」
精霊にはそれぞれ名があるのに対し、神は神としか呼ばれていない。
首を傾げた由乃に、フェリアが「無いよ」と告げる。
「神様は神様で、精霊様は精霊様。神様は唯一だけど、精霊様は地域や恩恵に種類があるから、後付けで名前が付けられたんだって」
「へー」
後付けなのか。
麦茶を飲みながら、ロニが説明を付けてくれる。フェリアは勉強が得意ではないらしく、そういう説明をするのが苦手なのだそうだ。年齢的に考えると色々問題の有る所だが、適材適所は考慮すべき点である。
「じゃあ、神様がイコールで神様で、神様を表す別の言語は存在しないわけか」
「……やめろ、頭がこんがらがる」
「僕も、ちょっとこんがらがら……がる……」
「あぁごめんごめん」
納得したように由乃が呟いていれば、双方から非難の声が上がる。
聞かせるためではない独り言だったが、聞こえてしまった物は仕方が無い。由乃が悪いわけでは無かったが、配慮が足りなかったと謝罪をすれば、フェリアは手を振り、ロニはふむと頷いた。
「……ヨシノの国の神様には、名前があるの?」
「ん?うん。まーね。そもそも、唯一神、絶対神って感じじゃないからなぁ。神様いっぱい。八百万。うよんうよんその辺にいるよ」
「へー」
日本の国には、そもそも精霊がいない。否、精霊も神の一種とされている、と言うべきだろか。実在うんぬんの話では無く、概念的にどこに分類されるか、という話として。
「…………」
木の精霊がいたことは記憶していたが、やはり名までは記憶していない。
(何だっけ……サクヤコノハナ……コノハナサクヤ……あれはただの神だっけ?……ん?『ただの神』って言い方は色々おかしい気も……なんだっけ?ククノチ……?)
真剣に思い出そうとするが、どうにも記憶に霧がかかって、曖昧なものしか浮かばない。すぐに思い出すことを諦め、日本に帰った時に再度本を読めばいいか、と思い直す。帰れるかは別として。
物事に対して興味は尽きないが、由乃はミレオミールほど記憶力がすごくも、知識として蓄える気も無いのだ。それに一度読んだ本を再度読むのも楽しい物である。由乃は人間に備わった忘れるという能力を、実力テストの時以外は割と高く評価していた。
ロニが服を引く。
「ねぇ、どんな神様がいるの?」
無邪気に輝く瞳に、純粋な質問を投げかけられ、由乃は意外に思いつつも、一つ頷き、知りうる限りの神の名を教えた。と、言っても、母国の神の名前は複雑も良いところである。精々知っている名前など、太陽の神・天照大御神や、イザナギ、イザナミ、ツクヨミ、スサノオ――まぁ、言わば有名どころである。名前は知っていても何をやったかは知らないものや、こういうことをした神はいたけど名前思い出せんわ、というものまでいろいろである。
途中から神だったのか歴史の話だったのかがごちゃごちゃになり、藤原道長を神に仕立て上げてしまいそうになり、慌てて由乃は口を噤んだ。
「違った違った。豊臣秀吉……は猿だわ」
「トヨ?」
「違う毛利……」
「モー、リ?」
必死に頭を回転させるが、最早由乃の頭では、魔王織田信長が哄笑するだけだった。
そろそろ無理だな、と賢明な判断をした由乃は、ロニにギブアップを伝えようとするが、
「…………」
それより先に、フェリアの酷く苛立たしげな様子が目に飛び込んできた。
「……フェリア、どうかした?」
フェリアは一切の視線を由乃にくれず、憮然と「別に」とだけ呟いた。
縦横斜め、上下前後左右の何処からどう見ても不機嫌極まりないのに、「別に」とはこれ如何に。由乃とロニは一緒になって、首を傾げた。
どうにも今日のフェリアは唐突に不機嫌のスイッチが入る。どこにそのボタンが設置されていたのか由乃には解らないし、首を傾げているところを見ると、ロニにも解っていないのだろう。
何故?
交差した視線は雄弁で、ロニも由乃も、疑問だけが行き来して解答が無い。
気にはなるが、言いたく無い事は言わなくて良い主義の由乃である。
本人が言いたくないのに無理に聞くのは、人としてどうかと思っていた。この場にはフェリアと、由乃とロニ。原因はフェリアが勝手に何事かを思い出して怒りに身をまかせ始めた以外、由乃達にあると思うのが当然の成り行きだろう。
聞いても良いものだろうか。聞かないべきだろうか。
だが、そんな由乃の配慮と若干の怯えを無視し、ロニは賢く、とても無邪気に問いかけた。
「姉さん、さっきからどうしたの」
「……別に」
フェリアのことはロニに任せ、由乃はテーブルに置かれた麦茶を飲む事にした。
城の茶とは違って味は薄く、コップに注がれた状態で、目に見えて色が薄いのが特徴だ。この薄さが微笑ましく、故郷を思い出して喉に心地いい。
「別にじゃないですよ。そうやって拗ねてるの、ミシェルと変わりませんよ」
「拗ねてないし」
完全に拗ねてる者特有の反応を返す子供の様なフェリアに、対しロニは酷く大人だ。
「それ、完全に拗ねてる時の反応ですから」
事実の指摘。
「拗ねてないってば!」
そして逆切れ。
勢いよく机を叩いて立ち上がるフェリアに、由乃とロニは共に驚愕して沈黙する。
丸く開かれた瞳で彼女を見つめれば、次第にばつが悪くなったのか、視線を逸らして、麦茶を勢いよく飲みほした。そのままコップを水の張られた桶に突っ込み、フェリアはそのまま、外に出てしまった。
「…………」
「…………でよっか」
「そうだね」
フェリアの出て行く原因を作ってしまったのは、確実にロニである。それとは別に、家主の居ない家でくつろぐのが耐えられず、由乃はロニと手を繋いで、フェリアの後を追うように外へ出た。
ざくっざくっと土を掘り返す音が響く。
音の方へ視線をやれば、畑仕事にもどったフェリアが、荒々しい動作で鍬を振り上げては下ろし、振り上げては下ろしていた。
「…………」
完全に臍を曲げてしまったらしい。
どうするべきかと思案して居たら、不意に、繋がれた手に、力が込められるのを感じた。
「…………」
「…………」
フェリアを眺める瞳に色は無く、表情は拙い。ただ握られた手だけが雄弁で、由乃はその手を引いて歩きはじめた。
「帰ろうロニ。送ってくよ」
「……でも……」
それほど速度は無いが、ずんずん勝手に進んでいく由乃に引かれ、ロニは小さく後ろを振り返る。彼の瞳に映るフェリアは、相も変わらず畑を耕しており、気付いているであろう二人に視線をやることは無かった。
フェリアの怒っているアピールは、言葉を発さないことだ。何を言っても完全無視。あまりにしつこくすれば舌打ちで牽制し、怒りが持続する間、誰の話も絶対に耳に入れることは無い。
「……今のフェリアに、何言っても無駄。それに、ロニは悪くないよ。あれは逆切れ。普段あの程度であそこまでキレる子じゃないし……だから、また今度、フェリアが謝ってきたら、ロニが許してあげればいいの」
腹を立てさせた方が一方的に悪いと言うことは、絶対にない。彼女を怒らせた原因が何だったのかは解らないが、少なくとも、ロニも由乃もただ会話を楽しんでいただけだ。誰かを貶すような事も言っていない。むしろ、最後の方は歴史上の人物の名称を挙げていたにすぎないのだ。
ロニと由乃の会話に、フェリアが勝手に不機嫌になった。それだけである。
それをロニが謝るのは、見当違いも良いところだ。由乃の言葉通り、彼は何にも悪くは無いのだから。
「…………」
無表情でいようとして、それでも少し、眉間に皺を寄せて不安そうにするロニ。彼は人の感情に敏感だ。怒られ、嫌われることを酷く恐れている。フェリアの事も、まだ原因が解らないから怒れないが、彼女の原因の解らない怒りで、ロニにこんな顔をさせるのは、絶対に間違っていると由乃は思う。
「……ほら、大丈夫。フェリアはロニの従姉妹でお姉さんなんでしょ」
繋いでいない方の手で、彼の頭を乱暴に撫でる。
ロニは「わっわぁっ」とつんのめりながら、ぐしゃぐしゃになった自身の髪を手櫛で整える。若干睨むように由乃を見上げるが、それでも繋いだ手を離さないロニの様子に迫力など皆無であった。
「……落ち込んだら、その分、後でフェリアが気にするよ」
「…………」
「ろーにー」
気にするなと言われて、気にしなくなるものではない。それは、解る。
けれど、由乃が嫌なのだ。
子供の癖に、理性で涙を押し留めてしまうロニ。
泣きたく無い気持ちは、由乃にも良く理解ができた。特に彼は、何でも一人で頑張ろうとする傾向がある。だからこそ、泣いてしまったら、立ち上がれない。どんなに頑張りたくても、足は鉛のように重く、身体は鎖に捕らわれたかのように動かない
「…………」
一人、では。
由乃は足を止め、少しだけ屈む。
由乃とロニの身長差は約二十センチメートルで、顔一個分ほどだ。だから逆に、視線を合わせるには中腰になるしかない。曲がった腰に負荷はかかるが、そんなことは腰を痛めてから気にすればいい。
「でやっ」
「わあっ」
奇妙な掛け声でロニの肩に腕を巻き付け、先ほどとは違い、丁寧に頭を撫でてやる。
「大丈夫……もし駄目なら、私がどうにかするよ」
できる気はさらさらしていないのだが、由乃はロニの耳元で、優しくそう語りかけた。
ロニが元気になるのなら、それでいい。今は。
ロニは暫しされるがままになっており、けれど、由乃が離れて笑顔を向けると、彼女の首に飛びついた。
「ぐえっちょっ絞まる絞まる……!」
細い二の腕は、由乃の首を圧し折らん勢いでぎゅうぎゅうと力を込められる。彼の肩を叩いてギブアップを表明するも、ロニの圧は留まるところを知らない。中腰の姿勢も響き、段々と腰に痛みも感じ始めた。
解放を諦め、由乃は上手い事身体を屈めると、ロニの膝の裏に腕を通し、彼の身体を抱き上げた。
「……うぅ、ロニ、結構重いね」
身長差、たったの二十センチである。ロニは細身の子供ではあったが、由乃も同様に華奢だった。殴るセンスはあれど、筋肉が付いているわけではない。
首に顔を埋めるようにしているロニはされるがままだった。由乃が抱き上げ、あやすように背を撫でながら歩を進めても、振動に対する文句すら無い。
「……今度また、一緒にフェリアんとこ、行こっか」
ミシェルと二人では、彼は総てを内に押しこめなくてはならない。
ロニは『兄』なのだ。妹の前では、唯一の。彼が縋る事のできる、唯一の『役目』。
小さく頷くのを感じ、更に喉が絞まるのを感じながら。
由乃はしっかりとロニを抱え直し、彼の家へと続く一本道を、ゆっくりと歩いて行った。
※次回更新は、土曜日を予定しております。




