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勇者伝説  作者: 之木下
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貰いもの



「あったあった、これこれ」

「?」

 フェリアが持って来たものは、小さな革の袋だった。


 小屋の様な家だが、中は案外広い。

 入ってすぐ右側に簡易な台所があり、真ん中には四人掛けのテーブル。部屋の脇にある大きな棚には、趣味の良さそうな食器や額入りの小さな旗、デザイン性の高い小物などが並び、ユリア――フェリアの母――の趣味の良さが窺えた。

 花瓶に飾られた花は、森に咲いていたものではない。恐らく、この町で栽培されたものなのだろう。ユリアは花が好きだから、時々、作ったパンと交換しているのだと、由乃には聞き覚えがあった。


 座ってろと待たされて、由乃はロニと並び、四人がけのテーブルの、二つの椅子が対面する片側を占拠していた。

 その手前――由乃の目の前で、ロニの斜め前――にフェリアも腰を下ろし、謎の革袋を提示する。コトリという、大きさに見合わない音を立てて机に置かれた革袋を、フェリアはずいと由乃に寄せた。

 何故か隣でロニはぶすくれていて、その革袋も、由乃もフェリアも見ようとしない。一体何だと言うのか。由乃は首を傾げていた。


「やる……っていうか、貰え。強制だよ。返されても、困るからね」

「えっなにそれこわい」

 正直な感想を述べれば「怖くないっつーの」とフェリアは眉を寄せた。

 ニコニコと良い笑顔をしていたのが台無しであるが、今のは完全に由乃が悪い。由乃にも、その自覚はあった。フェリアは人に嫌がる物を押し付けるような人間ではないし、自分が要らない物を無理矢理人に押し付けるような人間でも無い。完全なる由乃の失言だ。

 フォローも謝罪も入れず、由乃はとりあえず革袋へ手を伸ばした。言い訳よりも、彼女の想いを受け取るのが先だという判断のためである。


 手のひらサイズのソレは薄すぎず厚すぎず、固く、大きさの割に、やはり少し重量が勝る。

 由乃は、焦らす方でも物怖じする方でも無い。素早く革袋を逆さにして、中身を右の掌へと落とす様に露にした。

 出て来た物は――


「…………鏡?」

 丸く平べったい金属は、眉を顰めてしまうくらいに確りと、由乃の顔を映していた。傾ければロニのぶすっとした顔を、フェリアの戻った満面の笑みを、彼女の家を背景に、現実と寸分違わぬ姿を映し出す。

 鏡面に指紋が付くのは嫌な性質たちなので、映る面を触れない様に、元の革袋へと戻した。

「そ、鏡」

「……何故に?」

 にこやかに肯定するフェリアに、由乃はやはり首を傾げる。身だしなみに気を使え、という事だろうか。それならば、一応だが、城の自室にもちゃんと姿見があるし、外に出る際は必ず鏡を見るようにしていた。今日だって、ノートを置くために、エトワールの部屋から出て真っ直ぐ自室へ向かい、一度鏡を見て乱れを整えてから外へ出て来たと言うのに。


 由乃がつらつらと悪い方向に思考を巡らせていると、「あーあ」とロニが不満げな声を漏らした。

「鏡、僕がヨシノに渡そうと思ってたのに……姉さん、ずるいです」

「ずるくないよ。アタシが先にあげたからって、お前が渡しちゃいけないことにもなんないし……」

「鏡なんて、二つも三つも持ち歩きません」

 確かに。正論に思え、由乃がうんうんと鏡を見ながら頷いてしまえば、ロニは「ほらぁ」と項垂れた。

 何がどうかは解らないが、彼は心底由乃に鏡をプレゼントしたかったらしい。けれどフェリアに罪は無く、もたもたしていた自分に呆れ、落ち込むしかない、と。

 子供らしい言動が、申し訳ないが、何だか微笑ましいと由乃は思う。露になった後頭部を由乃が優しく撫でてやれば、頬はふくらましたまま、それでも顔を上げたので、人差し指で頬を突きそこに溜まった空気を抜いてやった。


「でも、なんで鏡?」

 突いたことの仕返しか、片腕にひっついて離れなくなった等身大のロニぬいぐるみを半分無視しながら、由乃は聞く。

 フェリアはきょとんとし、それでも直ぐに得心が行ったらしく、「あぁ」と頷く。

 でも、その説明をしたのは、フェリアではなかった。

「カルロディウスの風習だよ。鏡には精霊様が宿るから、戦地へ赴く、死ぬ向かう人へ、ちゃんとかえってきますようにっていうお守りなの」

「はーなるほ」


 つまり、フェリアは由乃にお守りをくれたのだ。

 いつ遠征に行ってしまうか解らない由乃に、ちゃんと生きて帰って来てくれるように、と。

 ――否、もしかしたら、『還って』、かもしれない。死んで、肉体から離れても魂が迷わない様に――と言った、おまじないよりも宗教的な何かしらが絡んでいるのかもしれない、と由乃は勘ぐる。

 それはそれで、嫌では無い。と言うか、素直に面白いと思う。

 故郷では自身の宗派やその内実も解らない由乃ではあるが、そういった話題は結構好きだった。魂の在り方や、捉え方。死後の世界に生者の世界。宗教に因って異なる部分。人に因って異なる、思考の違い。


「……ちょっと前に、ヨシノがおばさん家……ロニん家、乗り込んだ時さ……」

 行き成り、ずれた話をフェリアが始めた。と、由乃は思ったが、思考がずれていたのは由乃の方であった。

 由乃は無駄な思考を省き、フェリアの話に集中し始める。

 フェリアが言いだしたのは、最近由乃が首を突っ込んだ事件の話だ。

 あの時、フェリアは由乃が首を突っ込もうとするのを必死に止めた。必死になって、声を荒らげて、縋りついて――それでも由乃は止まらなかった。

 彼女の想いを受け入れず。言葉を聞き入れず。

 目前の危険に対し、些かの躊躇も持たず、足を踏み出した。


「あの時さ、解ったんだ。ヨシノは、『勇者』なんだって」

「…………」

 由乃は――『勇者』。

 まるで当然のように、人を、友人を助けに向かう、その姿は。

 小さいのに、大きな背。

 まるで知らない人のような、良く見知った、少女の姿。


 柔らかく、諦めたような、誇らしいような、寂しげな笑顔をフェリアは浮かべた。

 それはとても美しい笑顔で、とても、女性らしい美しさを湛えた笑顔だった。


「だから、アタシ……もう止めらんないなって。ヨシノは勇者だからって。もう、ヨシノが戦いから逃げてくれることは無いんだなって、思ったんだ。だったら、送り出してやるしかないなって」

 自分の知らない所で、死んで行ってしまわないように。

 無事で帰ってこられるように。

 フェリアにとっての由乃は、たった一人の友人だ。

 最初は少し、憧れを持っていた。同性の、同世代の少女。臆さず『敵』へ立ち向かう事の出来る、その強さ。

 フェリアはもじもじと優柔不断に交差させて弄んでいた自身の指で、ぎゅっと意志を固めるように、強く自身の手に力を込める。


「――アタシ、ずっと待ってるから。ヨシノ、アンタは、何があっても絶対にここに帰ってこい。生きて――絶対に、帰ってきてよ」


 真剣な瞳で、真剣な表情で、フェリアは由乃を見据えた。

 強い瞳に煌めく決意は、彼女が由乃を阻害しないための、決意。


「――そっか、わかった」

 これが彼女の決意ならば、由乃は受け取らなくてはならない。

 彼女のためでは無く、自分のために。

 フェリアという確固たる理由のために、由乃が生きなければならないと言う、決意を。

「ありがと、フェリア」

「うん、次怪我したら殴る」

「……それ、前も言ってた……」

 由乃が脱力すれば、フェリアはあははと笑った。


 そろそろ腕を返してもらおうと、あまり力を入れずに腕を引き、返せと主張する。が、逆効果だったらしく、ロニはぎゅうぎゅうと、制服と上着に包まれた由乃の細腕を折らん限りの勢いで、思いっきり締め上げた。

「いたた、痛い痛いよロニ……」

「……僕が渡したかったのに……」

 ぶつくさ言葉を募るロニだが、出遅れたのは由乃のせいではない。彼のせいでも、勿論フェリアのせいでも無いが――彼が、鏡を由乃に渡そうとその想いは、本物なのだ。


 一度鏡を机に置き、ロニに拘束されていない方の手で、彼の頭を撫でる。

「ありがと、ロニ。鏡はフェリアからだけど、きみの想いも、もらっていくね」

いつか、その想いを総て返せる日まで。


 ロニは暫く沈黙し、次第に表情から険を解いて行く。

 やがてふにゃりという擬音の似合う気の抜けた笑顔になると、「うん」と小さく頷いた。


 解放された腕は地味に痛んで、ロニすげぇ……と由乃は少し感心した。小さくても男の子、である。由乃の腕は細いので、うっかりしたら、彼でも簡単に折ることができるだろう。油断大敵、である。


「ヨシノ、ヨシノ」

「うん?」

 気取られない様に腕を擦りながら座りなおしていた由乃の袖を、ロニが引く。

「膝に乗っても良い?」

「…………」

 珍しい。

 由乃の心に浮かぶ感想は、それだけだった。

 ロニは普段から、あまり我儘を言う方では無い。我儘っぽく振る舞う事はあるが、決して心から来る、子供らしい欲求というものは訴えないのだ。

 いつもは、妹と一緒に居るからだろうか。それとも、幼いながらの賢さ故か。誰かに甘えるようなことなど、彼は自身に許さない。それを破って、彼は今、由乃に甘えようとしている。


「……いいよー来いぜー」

 由乃は締まりの無い顔に破顔し、身体をロニに向けて、両腕を広げた。

 その表情は、歓喜に満ち溢れていた。そして同時に、果てしない、底抜けの慈愛。


 こういう表情を当たり前にするから、由乃はずるい。ロニはいつもそう思っていた。

 由乃の中には、相反する無関心な優しさと、無限大な愛情が同時に存在していた。当たり前のように頭を撫でる手の暖かさや、人の家の事情を「大変そうね。私は知らない」と切り捨てていく冷たさ。自身が口を出して良い領域を厳密に定め、触れるべきでないと彼女が判断した領域には、決して立ち入らない。

「私は知らない」と切り捨てた部分も、本当の意味で知らんぷりを決め込んだりしない。口に出さないだけで気にしていて、いつもロニが間違えない様に、支え、そっと背中を押してくれるのだ。


 ロニは立ち上がり、由乃の首元に抱きつく。

「ヨシノに愛されてる人は、幸せだなぁ」

「あら、私結構ロニのこと愛してるんだけどなぁ」

「減らず口ー」

 ロニが欲しい唯一の愛情と、由乃が向ける博愛は違う。由乃にとってそれが同じ物だとするならば、それはとても残酷な事だろう。

 彼女は「愛してる」と言いながら、全く別の人にも、全く同じ愛情を注げるのだから。

 一番等いない。一番になどなれない。彼女はずっと、永遠に同等価値の愛情を降り注ぐだけで、どんなにどんな人物に「愛してる」と言われても、それを受け入れる事ができないのだ。


 残酷で、愛おしい人。ロニはその真綿の様な愛に包まれながら、心の底から溢れる幸福感に揺蕩う。

 もしも、いつか彼女が気付いてくれたら。

 その時に、ロニを選んでくれたなら。

 でも、

「……ヨシノ、もし行き遅れたら、観念して僕と結婚してくださいね」

 横向きに乗せられた由乃の膝の上で、ロニは由乃の頬にすり寄りながら、自身の想いを伝える。

 今は、まだこれでいい。これが、ロニが求められる、限界いっぱいギリギリなのだ。


「いや、無理だろ。ヨシノはミレオミールと結婚するんだし……」

「……は!?」

 予想外の言葉に、一拍遅れて由乃が驚愕の声を上げる。

 ロニの、言葉の割に心の籠った告白に答えたのは、手前に座るフェリアの方だった。フェリアは「なにを馬鹿な」と言いたげな表情で、まるで純然たる事実のように告げる。勿論由乃とミレオミールはそんな関係では無いし、そんな関係になる予定も無い。

 フェリアとミレオミールは確かに知り合いだったが、由乃と彼の関係を総て知っていると言うほど、三人で会ったことは少ないし、関係性を説明したことも無い。と由乃は思っているのだが……


「何をどうしてそんなことに……?」

 由乃は頭を抱えた。女子は恋愛の話が好きだと聞くが――由乃も自分さえ巻き込まれなければ聞くのは大好きだ――何なんとなく人と人とをくっつけて、それがさも当然の事のように言われるこの状況は、些か耐えがたいものがある。しかも、当事者にされている。

 由乃は只管に苦悩した。


 ロニは無邪気に「何で」と疑問だけを呈するが、フェリアは『その疑問にこそ疑問』という表情で、ロニの問いに答える。

「だって、勇者は最初のお供と最後結ばれるんだろ? 二人も仲良いし、そういうオチなんじゃないかなーって」

 それは、絵本やその他書物の、正しく『勇者の伝説』での話である。


「つまり、ヨシノがお供をミレオミールに選んだ時点で、ヨシノはミレオミールのプロポーズを受けたってことで――」

「いやいやちげーよ」

 極論すぎる。

 いつもは言われる側のツッコミを、由乃がフェリアに対して言う。

 真顔で冷静な由乃の否定に、フェリアは「えー?」と不満げな声を上げる。こっちの方がよっぽど不満である、と由乃はピクリとも表情を変えない。

「ミレオミール嫌いかー?」

「ミオは好きだよ。でも結婚はねーわ」

 それに結婚するならば、由乃の意見を言えばエトワールが一番いい。

 家系的な意味では面倒そうだが、人だけ見た場合、エトワールに勝る人物はいないと断言できる程度に、由乃はエトワールが大好きだった。


「そうですよ、姉さん。それにヨシノが結婚するなら、ミールさんよりエトワール様です」

「えっ、待ってロニ怖っ」

 呆れたようにフェリアにさらりと反論するロニに、由乃は本気で鳥肌を立てる。

 こいつ、由乃の思考回路趣味趣向を網羅している。確かにエトワールの話を振られれば露骨にテンションが上がる由乃だが、彼らがそういった話をすることは先ずない。そういう話をするのは、主に城内。ミレオミールか、ナイル等の、エトワールと同じ十二神将や、配下である兵士たちくらいだ。

(……なんでこの子知ってるんだろう……すごい。怖い。すごい)

 いずれ、城の諜報部に所属し、重宝されるのではないだろうか。

「…………」

 そう考えたらロニの将来が楽しみになり、由乃の恐怖は消え、逆に楽しくなり始めた。単純な人間である。


 フェリアは未だ納得がいかないという顔をしつつも、「まぁ、いいや」と話を切り上げた。広げたのはフェリアだと言うのに、彼女は酷くあっさりと引いていった。















































再開しました。よろしくお願いいたします。

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