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勇者伝説  作者: 之木下
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有奇形種



「『ゆう、きけいしゅ』……?」

「そう」

 由乃がやっと辿り着いた犬と雉――では無く、猫と鳥の疑問を、ミレオミールはその一言から始めた。

「有奇形種ってのは、『奇形』を『有』する『種』族、だ。言いたいことは、解るな」

「う……ん……?」

「解ってなかった」

「ごめんなさい……」


 由乃が自身の無知と、説明の手間に謝罪を述べれば、ミレオミールは由乃の頭を撫でた。

「知ったかぶられて、後に響くより全然良い。今まで教えなかったのも俺だし、  今日は良い機会なんだろ。ちゃんと教えるから、次に繋げな」

「了解」

 面倒見のいい兄の様な表情で笑いながら言う。近場で思い当たる幼い兄妹、ミシェルに話しかけるロニの様な表情で、由乃は何となく、己の血の繋がった兄弟を思い出した。

 彼が、こんな表情を由乃に見せたことは、無かったけれど。


 元々エトワールが座っていた座布団を指し、ミレオミールは由乃をそこへ誘った。由乃は最初読んでいたノートを拾い、ミレオミールは彼の部屋にある由乃用の引き出しから筆記用具を召喚し、由乃へ渡した。

 由乃は基本的に、話を聞きながらキーワードをメモに書きこみ、後に自身で理解を深めるタイプだった。聞いただけでは忘れてしまうし、書きこみ過ぎれば話を聞き逃す。極端極端と言われる由乃ではあったが、そう言ったところはちゃんと両立して、上手くやっていた。


「『有奇形種』ってのは、さっきも言ったけど、奇形を有する種属、だ。それだけ言われて、ユノだったら何を想像する?」

「想像って…………」

 行き成り想像力を試されてしまった。

 シャーペンのノックボタン、別名帽子部分を顳顬に当てながら、暫しの間考える。


 由乃がぱっと思い浮かぶのは、合成獣、つまるところ、キメラというやつである。ライオンに跳ねを生やしたり、爬虫類の尻尾を付けたり、犬が猫の顔をしていたり。

 もしくはケンタウロスのような半人半獣や、人面犬等の都市伝説。

 有奇形種。猫と、鳥。

 由乃から言わせれば、人面なんとか系は勘弁願いたかった。せめて、人基盤でねこみみが生えていてくれた方が、よっぽどかわいいし、可愛がりたいと思える。


「……分かんなくなってきた。とりあえず、人面犬や人面魚で無ければ何でもいいや」

 正直に自身の希望を伝えれば、ミレオミールは「『じんめんけん』?」と首を傾げてしまった。おっと、藪蛇。

「どう見ても犬なのに、顔だけが人間って言う都市伝説的な妖怪かなぁ。魚も然り」

 最も、魚の方は妖怪でも都市伝説でも無いのだが、まぁ、良いだろう。

「都市伝説っていうのは、まことしやかに囁かれてるけど、実際に見た者はいない。『友達の友達が言ってたんだけど』とか『弟の友達が見たんだって』みたいな、実態の解らない、検証も難しい噂話のことだと思ってくれていいよ」

「了解」

 聞かれる前に説明を加えれば、ミレオミールはそれ以上の追及をしなかった。

 話の最中に教師と生徒が入れ替わるのが、由乃とミレオミールの特徴でもある。


「『どう見ても犬なのに、顔だけが人間』か……概ね正しいよ、ユノ」

「正しいんだ。全然嬉しく無い」

 人面猫と人面鳥を想像し、由乃は酷く落ち込んだ。由乃が言ったのは、あくまであって欲しく無い想像である。近いと言われても、落ち込む以外にできることはない。

 ぐでんと頭を机の上に投げ出すと、無防備に晒された額にミレオミールの中指がさく裂した。

「痛い!」

「話の続き。ほら、ユノは起きる」

「うぇーい」

 返事ともつかないうめき声を上げ、由乃は身体を起こす。嫌な答えが出てしまったからと言って、総て聞きたく無いと投げだすほど、由乃も子供では無い。

 ノートに『有奇形種』と『人面犬』の文字を書き、ミレオミールの顔を確りと見やる。


「ユノが何をどう嫌だと言ってるのかは知らないけど」

 ミレオミールは、人面犬が恐ろしくは無いらしい。

 彼の強固なメンタルに、由乃は心の中で惜しみない称賛を贈った。

 けれど、彼は深刻そうに眉を寄せ、頬杖をつき直す。

「……」

「……?ミオ?」

「あ、いや。うん、有奇形種、な」


 言葉を止めたミレオミールの名を呼べば、彼は気を取り直したように笑い、由乃の頭をぽんぽんと軽く叩く。

 そのまま由乃の頭から手を退かさず、彼は暫し、そのままの状態を保つ。手が遮って、由乃から彼の表情は窺えなかったが、彼が難しい顔をしていることだけは、経験から由乃にも解る事だった。

 先ほどの深刻そうな表情。

 由乃の発言から、今後についての懸念が発生してしまったらしい。

(……でも、今まで一度も「猫と鳥を探せ」的な事、言われたことは無いしなぁ)

 単純に、人面猫と人面鳥も、避けて通れば良い話である。


 けれど、ミレオミールはそう思っていないらしい。

 何か、あるのだろうか。

 由乃の思いもつかない何かが、『有奇形種』という種属の中に、何か。


「ありました」

 唐突にお気楽な声で由乃の思考を肯定したのは、ミレオミールでも勿論由乃でも無く、部屋の書物を漁っていたエトワールだった。

 一冊の書物を、発見した事による満足感からか、ほくほくとした笑顔で、けれど眉を下げてその身に抱き、二人の元へと心なしか駆け足でやって来た。


「こちらですね」

 持ってきた書物を、二人に見えるように向きを整え、卓袱台の上に広げる。

 当然ながら、由乃には読めない。こう言う時、本当に不便である。そろそろ文字を学ぶべきだろうか。


 人相が悪くなるくらいに眉間に皺を寄せて、文字と思しき記号を睨みつけていれば、ミレオミールが笑いながら由乃の頭を押さえつけた。

「だから、文字を学べば良いのに」

「……母国語以外とは、相性が悪いんだってば……」

 むしろ言えば、母国語とも、相性は悪いのだが。

「――まぁ、見えなくて良い時も、ある」

「……ん?何?」

「何にも」

 ミレオミールが呟いた言葉が聞こえず聞き返せば、しらを切られてしまった。由乃も別段糾弾するつもりは無く、歯切れは悪いが、意識を本の方へ持って行くことにした。


 身体を起こし、少々不貞腐れながらも、その記号を距離をとって睨む。やはり書いてあることは解らず、それでも、由乃の隣――ミレオミールの対面に腰を下ろしたエトワールは、人差し指で記号を示しながら、音読し始めた。

「『此の地、古くより獣の血を受け継ぐもの在り。我らと混ざり、彼奴きゃつらは姿を潜めたが、稀にその業を負う者現れたり――』このあたりが、有奇形種に対する記述となりますね」

 鈴を転がすような声で謡うように言葉を紡ぐエトワールだが、その描写は、由乃にとってはホラーに他ならない。

 人の腹から、人面犬が生まれてくるという図式。


 もしも由乃が子供を産んで、その子供が人面犬だったとしたら。


 暗い由乃の思考を肯定するように、エトワールは達観した笑みを浮かべ始めた。

 次に続く言葉を彼が読もうと口を開いた時、最初の音を発する前に、その書物をミレオミールが奪った。


「『――罪、背負いし者、そしてそれを生み出せし者。共に魔の徒とし、神の名のもとに断罪す。教会、血を清め、祓い、罪人つみびとの鎌を――』文章は、ここで途切れている、か……。これは、何の書物?」

「始まりの魔王出現時よりも、前の記述を書き記したものです。元より、この部屋にありました。恐らく、祖先が集めた物と、思われます」

「此処は宝の山だな、レト」

「そう言っていただけますと、管理してきた甲斐があります」

 気軽に会話を続けてはいたが、ミレオミールの機嫌が急降下していることは、誰の目にも明らかだった。


 もしも由乃が子供を産んで、その子供が、人の形をしていなかったとしたら。

 どうして、その子供を受け入れる事ができるだろう。


 人である由乃から、人ではない形の存在。

 人の形をしていない事こそが、罪の証。

 そして、その子供共々、彼らは『それ』を断罪の名を以って、自身を正当化させ、殺害されてきた歴史。


「胸糞が悪い」

 ミレオミールが、何でもないようないつもの笑顔で、そう吐き捨てる。

 嘲笑では無く、怒りでも無い。

 ただ淡々と、軽蔑しきった眼差しだった。


 ミレオミールの言葉に、その通りだと、由乃は思った。

 けれど、同時に。

 由乃は、その人たちの事を、ただ非難することはできなかった。

 殺されても仕方が無い――とは思わない。生まれや性別等、本人にはどうしようもない理由で嫌悪を表されても、本人にはどうする事も出来ないのだ。

 けれど、それに近い迫害を受ける理由は、歴然と解ってしまうのだ。

 同じ人の形をしていても、差別というものは存在する。

 ただ足が遅いというだけで。ただ足が速いというだけで。ただ頭が悪いというだけで。ただ頭が良いというだけで。


 ただ、由乃が勇者だというだけで――


 差別は、在る。

 無くならない。

 誰も認めたくないし、誰もされたくない。けれど、それは確かに存在し、誰の中にもあり、そして誰からも取り除く事の出来ない、無意識から起る、人間の醜悪。


 でも、確かに。

 限り無く少なくすることは、できる。


「――古い書物、ってことは……今は、行われて無いんですよね?」

 由乃が問いかけたのは、二人から顔を背けたミレオミールでは無く、眉を下げ、悲しそうに、それでも達観した笑顔を見せていた、エトワールの方である。

 彼は数秒時を止め、次いで解れるように、固かった表情を雪解けの暖かさに変えた。

「――はい。わたくしの小さい頃は解りませんが、今では、そういった事は、殆ど行われておりません」

 殆ど、という言葉が、少し怖いけれど。

「……それなら、よかった」

 由乃も、エトワールの暖かさに溶かされ、微かに笑んだ。


 由乃自身の内に生まれた差別を、今この瞬間、どうこうすることは出来ない。

 それでも、由乃は確かに、彼らに在る生存権を喜んだ。

 人面犬にお目にかかりたくないとしても、それでも、彼らの死が嬉しいなんて。

 そんなことは、決して無いのだ。


「ミオ」

 未だ顔を背け、由乃からは全く表情も窺えなくなったミレオミールの名を呼ぶ。

 ゆっくりと、時間をかけて振り向いた彼の表情は、なんだかぶすくれていた。

 拗ねたような、何か粗相をしでかしたような、子供の表情だった。


 何その顔、とツッコミを入れることは、流石に無かった。空気は吸う物であるという自論を持つ由乃にも、そのくらいの空気を読む心配りくらいあるのだ。

「ミオ、有難ね」

 それだけを告げれば、ミレオミールの表情は段々と変わり、きょとんとした表情から、最後にはふっという笑顔に変わり、「いいえ」とだけ吐き出した。


 その短い一言が、この場の空気を一掃する。


「――さて、ユノ、時間いいの?」

「ん?……あー、もうこんな時間か……」

 ミレオミールに促され、ナイルから貰った懐中時計で時間を確かめる。

 高校の入学祝に母に買ってもらった時計は、ナイルとの訓練で壊れてしまったので、お詫びにとプレゼントしてくれた物だった。元々懐中時計に憧れを持っていたので、嬉しはあったが、常備するには高価すぎ、由乃には不相応にも思えた。

 内緒だが、腕時計はミレオミールが魔法で直してくれたので、遠征にはやはりそっちを使っているのである。


「ご用事ですか?」

 エトワールの問いに、由乃は短く返す。

「城下に……ちょっと……」

「…………お一人で、ですか?」

 ミレオミールが時間を促した割に自身は何の準備もしていないことで、彼が由乃に同行しないであろうことを見抜くエトワール。国で一番偉いのは十二神将だが、その十二神将の筆頭である彼にとって、慧眼は標準装備Sである。こんな単純な事で評価されても、彼は嬉しく無いだろうけれど。


 由乃に投げられた問いに答えるのは、由乃では無く、ミレオミールだ。

 彼は柔らかい手首を駆使して、ひらひらと毎度のごとくその掌を振る。


「心配ないよ。こないだみたいなことは起こらないし、起こさせない」

 力強い言葉には、確信と覚悟が、うっすらと見てとれた。

 由乃は首に下げ、服の内側へと入れていた指輪に鎖を通したネックレスを取り出し、エトワールに示す。彼は納得したように微笑み、頷いた。

 それに、とミレオミール。

「逃げた輩も、大方ナイル様が捕縛してたはずだし」

「それは存じております。昨日の昼前、ナイルがご報告に来てくださいました。脱獄した総ての人物、捕縛完了しました、と」

 エトワールのその誇らしげな様は、彼がそうと言われるのが解るほど、父性に満ちたものだった。彼にとって、十二神将は等しく自身の子なのだ。


 よし、と立ち上がり、制服と、上着に寄ってしまった皺を叩く事によって伸ばしつつ、腰についた剣も、しっくりくる位置へ直す。

 そのままノートを拾い、筆記用具をミレオミールへ渡し、由乃は畳のスペースから出た。

「じゃあ、エト様、本日は、お邪魔いたしました」

「いえ、何のおもてなしもできませんで」

「とんでもないです」

 エトワールの謙遜に、由乃は本気で頭を下げる。彼の謙遜は謙遜でなく、心から本気でそう思っているから厄介なのだ。

 最後にもう一度ミレオミールに視線をやれば、彼の手にはもう筆箱は無く、きっと彼の部屋へと戻っていることだろう。


「ミオも、ほどほどにね。じゃあ、行って来ます」

 言葉の途中で身体の向きを変え、音を殺して小走りに玄関――エトワールの部屋の扉へ向かいながら、顔はミレオミールへ向けたまま小さく手を振る。

「何か合ったら、ちゃんと喚べよ」

「わーってるー」

 『か』の音の消えた返事は、ブーツを履くのに四苦八苦しているからだろう。

 数分もせずに履き終えると、由乃は立ち上がり、もう一度「お邪魔しました」とエトワールに視線を合わせ、彼が頷くと、にこりと笑って、扉の外へ出て行った。





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