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勇者伝説  作者: 之木下
18/40

魔導士様



――広範囲の旱魃なんかだったりになると、扱うことはあるけど……そうだな。術者の力量にもよるけど、人間の中で、一人でやれそうな人は、あんまり見たこと無いかな――


事もなげに、ミレオミールはそう言った。

いつも通りの飄々とした笑顔で、当然と言うように、笑いながら。

それはつまり、『できる』という事なのだ。この会話で、一切の否定も無いと言う事は。

彼は絶対に、できないことを『できる』とは言わない。

もしも『広範囲の旱魃に対して、雨を降らせることしかできない』のなら、彼はそう予防線を張っただろう。

でも、そうしなかった。だから、由乃は確信したのだ。

彼ならば、ミレオミールならば、総てをどうにかすることができる。

希代の大魔術師で、大魔導士、ミレオミール。由乃のお供であり、何度も由乃を助けてくれた――


由乃は、ミレオミールの事を、この世で一番、信頼していた。






『――雨?あぁ、それなら今やってるとこだけど』

「…………………………………………はぁ!?」


どこかの宿屋の一室らしい。

ナイルが作った水鏡越しの彼は風呂上がりらしく、頬は健康的に赤らみ、肩にかかったタオルと共に普段細く一つに括られている髪が流れ、その毛先はしっとりと大量の水分を含んでいた。

付けっぱなしで湯あみをしても錆びないピアスに、魔法の便利さを感じる由乃である。クッキーや料理の保存やら、こういった細々とした利便は、純粋に羨ましい。


髪をわしわしと大雑把に拭きながらさらりと落とされた台詞に、ナイルを含む一同は固まり、そしてただその感嘆詞だけを吐き出した。

唯一由乃だけが「やっぱりか」という顔をして、一つ息を吐く。魔法に関係の無い本代表として、山と積まれた本の中の一冊。頂点にそれがいたのは、最近それを読んだから。元々既に依頼されていたのか、ただの気紛れか、それとも『こういう事態』を予測していたのかは、定かではないが。


「待て、どういうことだ。何でどうしてそうなってる。と言うか、何がどうなっている」

『待て、はこっちの台詞だよ。落ちつきなってナイル。冷静沈着最年少十二神将のホワイトナイト様が聞いて呆れる』

「ほわいと、ないと?」

『詳しくはユノに』

混乱するナイルに対し、ミレオミールはいつも通りマイペースだ。眉を寄せて小首を傾げるナイルに、自分の名前を出すのをやめてほしいと由乃は本気で思った。確かにその言葉を愚痴と共に吐き出したのは由乃だが、説明しろと言われても、思い付きと語呂で言葉を繋いだだけだし、説明したくも無い。出した言葉は消えないが、相手に伝わりさえしなければ問題無いのを、彼は知らないのだろうか。

由乃も眉を寄せ、困惑の睨みを利かせるナイルの視線から逃げた。


ナイルが他所見している間に、鏡には誰も居なくなっていた。気付いたナイルがミレオミールを呼ぶ声も無視して、鏡から離れた彼は、淹れたてのコーヒーを手に戻ってくる始末。本当に自由な奴である。

この通信魔法は、お互いの鏡を解しているのだが、湯気が鏡に当たろうとも、それがこちらの画面に影響することは無いらしい。ミレオミールが鏡をタオルで拭く動作をしたので、鏡はカメラと言うよりも、テレビとして扱われているのだな、と由乃は頷く。


恐らく、砂糖とミルクをたっぷりと混ぜてあるだろうコーヒーを一口啜り、未だ水気を含む髪を無視して、彼はナイル達一同に微笑みかけた。

『城を出る前、レティセンシア様に会ってさー』

レティセンシアとは、十二神将の内の一人である。フルネームはレティセンシア・フベラ。通称レティ、男性である。由乃は遠目からちらりとしか見た事の無い人物だが、身長が高く、ボロボロの外套で体を覆い隠し、極悪そうな武器と、くっきりとついた隈と、視線だけで殺せそうな鋭い目つきが特徴の、よく知らない人である。噂では、一切声を出さないとか何とか。噂でなく、彼は一切言葉を話さない。超寡黙系男子である。


カルロディウス国は、大きく十二の領地に分けられ、それぞれの領地を、十二神将の家系がそれぞれ領主として治めていた。理由は簡単だ。彼らは、十二神将であろうが無かろうが、勇者の家系であることに変わりは無い。

見張りの男たち改め、由乃命名『見張りーズ』の故郷である南東は、丁度レティセンシアの――フベラ家の領地なのである。


『安心しなよ若造君たち。兵士はちゃんと上に報告してるし、町長村長の貴族も領主も、お前らの声をちゃんと聞いてる。レティセンシア様も、案じていらっしゃったよ』

「あっ、あの」

「えっと、その」

「は、はい!」

いきなり話しかけられてビビったらしい三人が、どもりながらも何度も首を縦に振った。

その様子が面白かったらしく、ミレオミールは噴き出して笑い転げてしまった。


『あっははは!固っ!かった!!あっはははは!そんな固いとさ、ふふっ、人生辛いよ?もっと肩の力抜いてさ、ははは、ゆるーく生きた方が、自分のため……固と肩…………あははは!』

「ミオー笑いすぎ」

ぽかんと顔を見合わせる三人が少し可哀想になり、由乃が彼らの隣から口を挟む。涙の滲んだ目尻を細い指で拭いながら、ある程度落ち着いた、けれどもやはり愉快そうな声色で、彼は言葉を放つ。

『どうせユノも笑ったんでしょ?』

惜しい。

「笑って無いよ。面白いとは思ったけど」

『五十歩百歩』

「私は歩き始めてすらいなかったから、それは適用外ね」

『同じ穴の狢』

「そこは否定しないけど、私たちは悪事なんて働いてないさ」

『それは同感』

「軽口をたたき合ってる場合か。ヨシノ、下がれ」


由乃はナイルよりも後方にいるので、これ以上下がれと言われても困るのだが。

たった数時間会わなかっただけなのだが、案外、ミレオミールの存在は、由乃にとって大きなものだったらしい。

先の戦闘で彼の大切さ――嫌な言い方をすれば、便利さをつぶさに感じてしまった事もあり、今後彼の存在に依存するような事になってしまう事を、由乃は恐れた。人を利便で量るのは、最低である。

ふうと溜息を吐けば、横から金髪の男が顔を寄せる。


「ゆう――嬢……ちゃん、この国の柱であらせられるナイル様――」

どうでもいいが、十二神将で統一してほしい、と由乃は思う。十二神将は由乃が勝手に呼んでいるだけなので、これはかなりの暴論と言えたが。

「――と普通に話してて、そこらへんの魔術師かき集めてもできないようなことを一人でなさるあの人は、何?」

「何、と問われても……えっと、魔法都市なんたらから来た、魔導士のチート野郎です。私はあいつが勇者すればいいと思ってます。強い、速い、ヤバイ。ね、そう思うでしょ」

彼らは「魔法都市……魔導士……」と呟きながら、ゆっくりと顔色を変えて行った。

「ままま魔法都市、の、ま、まま魔導士、様!?」

「そうそう」

青くなった顔から更に色を失くす。さぁっと血の気の引く音が聞こえてきそうな変わり具合に、由乃はやっぱりすごい立ち位置なんだな、と何となく理解した。

だが、男たちはそれどころではない。


魔法都市バルの魔導士と言えば、魔法都市の大魔術師の中でもエリート中のエリート。どんなにすごい魔導士だとしても、その称号を得られずに一生を終える者もいる、とんでもない魔法力を備えた存在なのである。

故に、彼らは自身の才能に誇りを持ち、『たかが』大魔術師とは一線を画する存在と自負していた。

それは当然、驕りを生む。


「ま、魔導士様ってもっとこう……!」

「イバり散らしてて」

「人を人とも思って無い」

「権力を振りかざして」

「才能ひけらかして」

「権力に弱くて」

「うちの国馬鹿にしてて」

「魔法出来ない奴はクズで」

「自分が一番偉くて」

「こっちからしたら向こうがクズで」

「仁徳無さそうな」

「っていうか人として終わってるような……」

「……とりあえず、なんかすっごく悪いイメージが根強いことだけはわかった」


色々と矛盾が多い。自分が一番偉いのに権力に謙ったり、人々の中の魔導士像は一体どうなっているのだろう。

『外野、外野、聞こえてる』

「!!」

ミレオミールの指摘に、一同揃って――何故か由乃も一緒に――体を跳ねさせた。

恐る恐る男たちがミレオミールの方を窺えば、彼は面白いおもちゃを見つけたとばかりにニヤニヤと微笑んでいた。

言ってしまえば、それは彼のいつもの表情に変わりないのだが。それを知らない男たちにとっては、悪魔の微笑みに見えるらしく、一気に震えあがり、「すみませんでした!!!」と膝を折、地面に額を擦りつけて謝罪した。

「ミオ、趣味悪いよ」

溜息交じりに笑いながら諌めれば、ミレオミールはごめんごめんと軽い謝罪を入れる。


『ま、どうせその通りだしね――ナイル、今回の雨の――魔法の範囲は王都を含む南側一帯。持続は二日。これから四日、各地から術師を惜しまず、降雨の報告をさせろ。情報は速さが命だし、情報そのものも命だ。それを俺が見つつ、必要なとこには、また雨を降らせる。全部俺の独断でやるが、報告は上げる。それでいいか?』

「あぁ、構わない。ミールのことは、信頼している。……すまない、助かった」

『いーよ。今回は範囲が広いし、経過を見る必要がある。あと一カ月遅かったらナイルに話を持ってたけどな。――でも、謙遜はするな。エトワール様は魔力属性の問題があるから大変だけど、ナイルなら、南の地域を救うくらいはできる』

「……王都を含むと?」

『厳しいかな』

「……」


暫しの沈黙の後、二人の話はまとまったらしく、ナイルは振り返り、ミレオミールは由乃を手招いた。

すれ違いざまに、終わったら呼べと告げられる。どうやら彼は彼で、額に土を付けた男たちと話すことがあるらしい。お偉いさんも大変だなと思いつつ、由乃はミレオミールに向き直った。

「何?」

『いや、やっぱり静養して無かったなって思って』

「最初から、するなんて思って無かったでしょ。ミオには色々バレバレだからね。……ウィルの手配までしてくれたみたいだし」

溜息交じりに指摘すれば、ミレオミールはまた笑った。


『流石ユノ。ちゃんとウィルを借りに行ってくれるって、信じてた』

「……んんん、何か悔しい」

由乃の方が彼を読み解いた筈なのに、ミレオミールはご満悦とばかりに頷くばかりである。余裕しか無いというか、由乃など脅威ではないと言うか。

けれど、ミレオミールの存在の大きさを思えば、由乃など取るに足らないだろうことは、理解に難くない。

思考の追跡と行動の予測は彼の十八番なので、由乃が気にする事も無い。けれど、いざ由乃がそれに成功すると、薄い反応に物足りなさを覚えた。

「……ミオ、これからはちゃんと驚いてあげるね」

『ユノ、多分それ、すっごくどうでもいい』

由乃が新たにした決意は、ミレオミールにすっぱりと切り捨てられた。


「ヨシノ」

「!はぁい」

呼んだのはナイルだった。

背後からの呼び掛けに、反射的に返事をしながら振り返る。

「なんですー」

「そろそろ城へ戻ろう。雲も増えて来た」

言葉に触発されて、由乃は天を仰ぐ。気付けば世界は暗く染まり、端が紺色に侵食された橙が、ところどころが真っ黒に焦げたピンク色の分厚い雲に覆われていた。

見える陽は雲の切れ目からだけで、夕日そのものは隠れ、常時の制服に比べて風通しが良く、肌寒い。ぶるりと一度、由乃は体を震わせた。


『ユノ』

再度背後から、酷く落ち付き払った声色で名を呼ばれ、由乃は服の上から二の腕を擦り、水鏡に対面した。

「うん?」

温かそうなコーヒーが見える。

湯気を立ち上らせ、ミレオミールがコップの淵を弾くと、薄茶色に濁った水面に波紋を起こしながらキィンと鳴いた。


笑顔だった。ミレオミールは、いつも笑顔だ。

彼は笑っていないことの方が少なく、何をするにも、何をされるにも飄々としていて、空気のように当たり前にそこにいる、透明な存在。

『――大丈夫?』

飄々としているから、忘れてしまう。

気付かないフリをして、彼が何もかもを、見透す慧眼を持っている事に。


「――大丈夫だよ」

由乃が視線を合わせてしっかりと微笑めば、ミレオミールはそれ以上何かを言う事は無かった。

ナイルの言葉もあり、短い連絡事項と挨拶を交わし、お互いに小さく手を振り、鏡を媒体にした、テレビ電話のような通信は途切れた。


『じゃーねユノ。明日の朝、回復魔法施しに行くから、楽しみにしてて』

「帰ってくんな。道中お気を付けて」


風呂上がりのミレオミールがかき消え、現れたのはそこに映った自身の顔、である。

鏡の中の由乃は盛大に眉間に皺を寄せ、一瞬だけカチ合った視線をどちらともなく素早く外し、背後で見守っていた紫の瞳を呼んだ。



□■□



日当たりのいい、庭と言うよりは洗濯するためだけに設けられたスペースで干されていた制服たちは、洗濯班の使用人の手により、由乃の部屋に届けられていた。

帰ってすぐに風呂へぶちこまれ、着用していたために汚れ、破れてしまった服は回収され、由乃がその後を知ることは無い。雑巾になるのが妥当の線だが、洗われ、繕われ、由乃の元へ戻ってくる可能性は無きにしも非ずだ。


風呂の後は容赦なく治療部屋へ。

魔術では無く医学を専攻している老医師に、怪しげな薬草を煎じた推定消毒液を傷口にかけられ、同じく怪しげな木を砕き、紫蘇のような葉にくるんだそれを煎じ、出た汁を浸した布を、腫れた手首と足首にぺたりと貼り付けられ、数分もかからずに乾いたそれらを、真っ白な包帯でしっかりと固定された。

水かと思って渡された湯呑の中身を飲めば、どうやら薬の一種だったらしく、予想外の苦味を堪えつつ、一息に全部飲みほす。解熱剤、とのこと。どうやら、傷やら捻挫やらで微熱が出ていたのを気取られていたらしい。流石、腐っても枯れても医者は医者だ。


ナイルからの説教に関しては、疲れていることと、脱獄と言う落ち度を指摘することによって相殺。今日は喧嘩をする気分でも無く、一人で歩くなとは言われたが、真っ直ぐ部屋へ帰り、大人しくしていることを指きりまでして約束すれば、彼は渋々ながら、由乃の一人帰宅を許した。

最後に「すまなかった」と頭を下げて謝るあたり、ナイルは本当に誠実な若者だった。


ざあざあと騒がしく降りしきる雨のおかげで、光源も無く真っ暗な部屋の中。テーブルに乗った制服を確認したところで、


「おかえり、ユノ」


この城にいない筈の人間が、由乃の部屋のソファにゆったりと腰かけ、猫のように微笑んでいるのを、由乃は発見した。





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