懇願
暫く話しこんで打ち解けた後、兵士たちの搬送の様子を窺っていたナイルが総てを終えて由乃達の元へと訪れた。
勿論、三人の処遇である。
「……とりあえず、お前たちも一度城へ連行させてもらう。どんなに瑣末な事柄えあろうと、お前たちがこの一件に関わってしまった事実は消せない。最低でも、一日は牢屋に入ってもらう事になるが――そこの馬鹿も言っているし、そう、長引く事は無いだろう。こんなのでも勇者だ。何も知らない小娘だが、発言力はある」
「殴るぞ」
横の由乃を指さしながら、ナイルは見張りの三人に指摘する。
三人は酷く驚いた表情で顔を見合わせ、バラバラに「ありがとうございます」と頭を下げる。
では、と残していた数名の城内兵士に指示を出し、見張りたちに兵士の後ろに乗るように促すが、彼らは「待ってください!」とその場にいきなり膝をついた。
「申し訳ございません。罪を犯し、それを嬢ちゃ……ゆ、勇者様にかばっていただき、出過ぎた行いである事は百、いや千も承知――けれど!あなたさまを、この国の一端を担う、十二柱の内のお一人――一柱とお見受けいたしまして、罪人なれど、我ら民の願いをお聞きいただきたく……!」
そこで一度言葉は途切れる。由乃と話していた金髪の男を筆頭に、後ろの二人も、金髪と同じように頭を垂れた。所謂土下座。由乃は土下座をする人間を生で見るのは初めてだった。
「……ナイル様、何か始まったです」
酷く平坦な声が出てしまったのは、別に引いているからではない。たんに思考が追いつかないだけである。
「見れば解る……えぇと、何事だ。とりあえず、頭を上げてくれ」
そう言われても、あっさり顔を上げないのが、顔を下げている方の常である。
まとめると、見張りの言い分はこうだ。
南の田舎町から出稼ぎに出てきたは良いが、王都は馴染めず、中々職は見当たらなかった。そんなある日、故郷の妹達から手紙が届く。春に珍しい日照りが起こり、水不足が危ぶまれている、と。
まとまった雨の降る季節はまだ遠く、流石に無いとは思うが、思いたいが、このまま降らないようなことでもあれば、農作物は枯れるし、動物は育たない。駐在兵士にも話したから、領主にも伝わっている筈で、領主にも伝わっているとなれば、城の誰かにも伝わっている筈だと言う。けれども、待てども待てども結果は来ず、状況は悪化するばかり。まだ春と言えど、気温はどんどん上がって行く。川の水量も、心なしか少なくなっているように見える。頼れるのは、今王都にいる兄しかいない。
そう言われては、長男である男はいてもたってもいられず、「国が駄目なら自分で国にいる魔法使いを雇い、故郷まで派遣してやればいいのでは」と思い、金払いの良かったこの話しに飛び付いた――と。
由乃は首をかしげつつ、ナイルの方を向いた。けれどナイルは由乃の予想以上に深刻な顔で考え込んでおり、逆に由乃が驚かされる状況になった。
由乃の国にも、当たり前だが水不足という難題は存在する。そのために国はダムを作ったり、早いうちから注意喚起をして、一人一人が水を蓄えたり、節約したりと創意工夫を取り組んでいた事を、由乃もふんわりと記憶していた。だが。
「水不足……か……それは何処の地域だ?」
「は、はい!南の……南東の方でございます!その辺りでは、もう四カ月も雨が降っていないらしく……!」
四カ月。
由乃がここに来るよりも、ずっと前から。
水不足。今はまだ春で、王都では目立った川の旱魃も見られない。草木もちゃんと茂っていたし、確かに、由乃が雨を見たことは無かったが――
「…………」
ふと、思い出す。
――でも、なんで水?
――念のためだよ
最近、と言うか、今日あったフェリアとの会話、だ。
旱魃は見られないけれど、フェリアたちも、楽観視をしてはいないのだ。これから訪れるかもしれない天災の可能性にいち早く対策を立てている、ということなのだろう。
相変わらず、ナイルは厳しい顔で考え込んでいた。
頼み込む男たちも真剣そのもので、由乃だけがその話しについていけない。
大変な事だと言うのは、解る。水は命。命は水と大地から育まれる。だからこそ、彼らがこれだけ必死に頭を下げ、ナイルが熟案しているのだ。
けれど――
「……ナイル様、考え込むのは解るけど……これ深刻な問題なんですか?」
ナイルの耳元に顔を寄せて問えば、彼は「何を馬鹿な」という顔で言う。
「当たり前だ!水は生命の源だぞ!?お前だって水が無くては生きていけないだろう」
「いやそういうことじゃねーですよ、ちげーよ違いますよ」
全力で否定すると、ナイルは怪訝そうに眉をしかめた。そうじゃない。そのくらいは、由乃もちゃんと解ってる。
由乃は首を振って、一度深呼吸をした。理由は無い。なんとなく、だ。
「水不足が大変なのは、解ります。私も経験ありますし、水が無いと食物が育たなかったりして大変です……でも、彼らはお金を溜めて、魔法使いさんたちを雇おうとしてたわけですよね?つまりこれ、魔法で解決が可能ってことですよね?なら、誰かしら人を派遣すりゃいい事じゃないですか」
ミレオミールも言っていた。魔法で雨を降らせる方法は、あるのだと。
ならば話しは簡単である。雨を降らせればいいのだ。
けれど、ナイルは首を横に振った。
眉間に刻んだ皺は、由乃に対する物では無い。
「魔法使い――いや、最低でも魔術師が必要だ。けれど、国中の魔術師を集めた所で、その魔法は、恐らく、成功させられることは無いだろう」
「……………えっ」
由乃は耳を疑った。
それは地面に正座をしていた三人も同じで、思考が真っ白になった、と言わんばかりのぽかん顔で、ナイルの言葉をゆっくりと咀嚼していた。
たっぷり五回ほど瞬きをしてやっと、由乃はたった一文字に、総ての驚きを詰め込んで、ナイルに主張する事が出来た。
ナイルの顔は神妙だ。嘘を吐いている様子では無いし、そもそも、ナイルはそうそう嘘を吐く事が無い。彼は冷静沈着を語られてはいるが、怒りながら説教をする程度に直情型で――つまるところ、彼はとても素直なのだ。ハッタリをかますような事は出来ても、この重大場面で嘘を吐くような、善良な市民を騙して自身の利を取るような、最低な人間とは全く違うのである。
ならば、ナイルの言葉は本当なのか。
眉間には、まるで彫刻刀で彫り込まれたかのような深い亀裂が左右の眉を隔てているし、瞳を閉じて真剣に思い悩む様も、これが嘘だと言うのなら、由乃はもう二度とナイルを信用することはできないだろう。
「でも……」
「でも、じゃない。今カルロディウスに、それを解消できる魔術師も、魔法使いもいない。……私や、エトワール様でさえ不可能。それが現実だ」
ナイルの言葉は鋭く、それは男たちへと突き刺さった。
現実は理想の前に立ちはだかる、遙かに高い壁だ。人が理想に辿り着くには、現実を避けては通れない。見ないふりもできない。乗り越えるしかなく、それ以外の方法で、理想と言う物を追い求める事は、できないのだ。
ふっと顔の厳を緩め、ナイルは男たちの前に膝を着く。
「安心しろ。現実は現実だが、対策を立てないつもりはないし、切り捨てる気も無い」
そっと肩に手を添え、笑みこそ見せないが、真剣な表情で、ただ伝える。
「我々は、このカルロディウス国を支えるために生まれし、国の一端を担う十二柱の存在――その一柱である私は、民を見捨てるような真似のど、決してしな」
「だからちょっと話しを聞けと言ってるでしょうが」
ナイルの真っ白な後頭部へ足をかけ、地面との距離を近づけてやった。
男たちが感動し、何だか良い感じにまとまりそうになっている雰囲気を、由乃は故意にぶち壊す。
まとまられては困るのだ。由乃の疑問は、まだ片付いていない。
「人の頭を踏むな!礼儀以前の問題だろう!」
「五月蠅いなあ。ナイル様以外の頭を踏んだ事はありませんよ。要はナイル様は特別ってことです」
「舌先三寸、口八丁で、私が納得するとでも思うのか!?」
「口八丁は褒め言葉ですね。ありがとうございます。と言うか、話を聞かないナイル様が悪いんです。私、人の話を聞かない人と、説明がお座成りな現状況が五本の指に入るくらい嫌いなんです。マジで。真面目に」
なので、少し由乃の機嫌は悪い。
人の話は聞かないし、ナイルはナイルで、何がどう駄目なのかがはっきりしない。
城内であれば、ここで喧嘩が勃発していた事だろう。幸運な事にここは城外で、しかも民の目があった。勇者と十二神将の喧嘩など、民を不安にさせるようなことを、ナイルが容認する筈が無い。
ナイルは暫し訝しげに沈黙し、由乃に体を向けて、「なんだ」と問うた。
「要は、雨を降らせれば良いんですよね、魔法で」
またその話しか、とでも言いたげに眉を寄せ、ナイルは頷く。
「そうだ。だが――」
「いやだから話聞けっつってんですよ。ナイル様は、ちょっと私のことを馬鹿にし過ぎてる気がする。むかつきます」
「喧嘩を売ってるのか、話をしたいのかどっちだ」
「喧嘩を売ってんのはナイル様で、私は買っただけです。では本題に戻りまして」
おろおろと不安そうにする見張りたちが視界に入ってしまったので、慌てて由乃は話戻す。彼らは悪く無いのだから、ここでナイルと喧嘩をしていても仕方が無いのだ。
ナイルが最も危惧しているところを、一応由乃も解ってはいた。
一時凌ぎでは意味が無い。一度に大量の雨を何週間も、もしくは何週間分を一日で、振らせ続ける事はできない。
だからこそ、ナイルは「不可能だ」と結論を出したのだ。
根本の解決には、繋がらないのだ、と。
何日も気を張り、時間をかけて、自然発生した雨雲を確認するまで、夏を乗り切れる水を確保するまで。十二神将には、それだけ気を割ける人間はいない。
ナイルの意見は正しく、由乃の言い分の方が、押し通すには厳しい物があっただろう。けれど。
由乃は手を頭の横くらいまで挙げ、人差し指で天を示す。
「ミオが、それくらい一人でできるって言ってましたけど」
昼よりもいくらか量の増した厚い雲が、由乃たちの頭上を素早く流れて行った。




