後始末
「まだ寝るな。仕事は残っているんだ」
眠ろうとしていた由乃の首根っこをひっつかんで起こしたのは、真っ白な髪に紫の瞳、服装まで白と紫に統一された、ナイル・ディウスその人である。
□■□
その後はわりとすぐに治まった。
憲兵の中に見えていた白と紫の色彩は、由乃の予想を違うこと無くナイルであった。駆けつけた兵士の中には城で働く者も混じっていて、由乃の推測した『集団サボタージュ現象』の裏には、ナイルに連れられて城を離れていた、というれっきとした勤労にあった。どこにもサボりなんて無かったのだ。
由乃は疑惑を撤回し、心の内で謝罪を述べた。
何故ナイルがここにいるのか、というのは、彼にとって、あまり触れられたくない事実だろう。
由乃が言えることは「やっぱり」に尽きる。一番最初に由乃が顔面を蹴り倒した男は、過去由乃の目の前で鎖につながれ、城の牢へと投獄された人間だった。由乃の目の前で、ということから解るように、その人物は、今から最長でも一カ月と二週間しか牢に入っていない事になる。が、そんな短時間で牢から出られるのなら、最初から投獄などされる筈が無い。
(…………脱獄)
つまりはそう言う事だ。
ミレオミールの述べた「鬼ごっこ」は、脱獄した囚人たちを捕えるために城を離れた、ナイルのことを指していたのだろう。彼らが兵士たちの使う武器を有していたのも、何かしら盗んできた、というところか。
彼らの処置は被害者の保護から始まり、屋敷内部に残った者の捕縛。疲れきった由乃を強制的に、比較的冷静にその場を観察していた、肝の据わったユリアに協力を願い、現場から逃走した者がいないかを確認しながら、全員に縄と鎖をかけた。
扱いに困ったのは傭兵だった。
悪者だろうが、国民は国民。悪人だろうが破落戸だろうが、勇者の剣を目にすれば、彼らが何らかの感情――若干の罪悪感か、はたまた敵愾心か――を覚えるらしいことは、二週間前から由乃が知っている事実である。
だが、彼は違う。
勇者の剣を携える由乃を見て、エトワールの魔法に捕らわれているにも関わらず、彼は由乃に対してだけ、凍えた殺意を向け続けた。勇者を侮り、軽い気持ちで刃を向ける悪漢は少なくない。けれど、勇者に対して憎しみを強める存在など、由乃は出会ったことが無かった。それほどに、彼はイレギュラーな憎しみを、勇者に対して抱えているのだろう。
(…………あの人、勇者のせいで牢に入っちゃったのかな……)
由乃が勇者であるように、勇者と言う物が聖人君子でも正義感溢れる者でも無く、ただの一人間であることを、由乃は良く知っていた。
彼の武力を警戒し、檻ごと搬送することに決めたのは、きっと正しい判断だったのだろう。
「勇者様、だったのですね」
兵士たちが到着した事により、ユエは緊張と恐怖が力と共に一気に抜け落ち、その場にしゃがみこんだまま動けなくなってしまった。「腰が抜けました~」と眉をハの字にして弱々しく微笑むユエは、はっきり言って可愛かった。これが人妻とは、世も末である、と由乃は世界の在り方を呪った。しかも、二次の母である。
男性よりも女性の方が良いだろうとは、息子であるロニと、姉妹であるユリアのアドバイスだ。男性の兵士たちは近づけるべきでないと、事件に関わった全員で、憲兵の用意した椅子に腰かけさせてやった時、彼女は由乃に口を開いた。やはり、ユリアは由乃に関して、ユエに何も言っていなかったらしい。
「助けてくださって、本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げられたが、由乃からしてみたら、彼女の救出は友人を助ける序に他ならなかった。一気に申し訳ない気持ちになり、テンパって謝りながら逃げるという失態を犯し、暫しうなだれる歯目になった。
「やだ!怪我したヨシノの説教も済んでないのに、アタシ帰るとか絶対やだから!」
被害者は事情聴取の後直ぐに家に帰される事になった。渋ったのはフェリアである。帰れと言われても、手当を終えた由乃から離れようとしなかったのだ。雑巾を絞るかのように腕を握られ、由乃が痛みに呻いていたのを彼女は知らない。
フェリアは大人の男性の強さを良く知っていた。事が始まる前、由乃を思い止まらせようと語った事は、恐らく経験によるものなのだろう。
「昔、ユエおばさんが嫁いで無くて、まだ一緒に暮らしてた時……ちょっと、ね」
由乃が質問すれば、フェリアは笑いながら言おうとして、失敗していた。内容を具体的に話す事は無かった。きっと、彼女にとっても、未だに消化しきれていないほど、醜悪で凶悪な傷となっているのだろう。
だからこそ、例え五体満足で無事な由乃の様子を見ても、フェリアは離れがたかったのだ。けれど、そうもいかない。総て終えれば由乃は城に帰る。ずっと一緒にいるわけにはいかないのだ。大きく溜息を吐いたユリアがフェリアを引きずるように連れ帰り、フェリアは「次怪我したら殴るから!」と怪我の酷くなりそうな事を言い捨てて帰路についた。
ユエ、ロニ、ミシェルの三人は、彼らの住まう帰るべき家自体が現場であるという状況に在る。いくら修繕をし、戦闘の痕跡を消したとしても、奴らがここに来たという現実、そして風景が、彼女たちから消える事は無い。けれど、安心は誰かに与えられるような物では無い。彼女たち自身が、どうにか勝ち取らなければならないものなのだ。
せめてもと、ナイルは一緒にここまでやって来た兵士の一人に警護を任せた。彼は町の駐在兵士であるエイベル・アフェット。ユエの夫で、ロニとミシェルの父親である。ナイルは彼に暫くの休暇を言い渡し、家族と共にいさせてやる時間を与えた。
余談ではあるが、最後にロニは、いつものように可愛らしく微笑むと「ありがと、ヨシノ」と頬に軽く口づけて走り去って行った。彼が将来女性を泣かすような職業に就きませんようにと、由乃は願わずにはいられなかった。
「で、後はおにいさんたち……」
「そうだ……ですね」
日も傾き、世界が橙色に染まって行く中、総ての破落戸達を捕縛し終え、城内勤務兵士たちによる城への護送が始まった。
駐在兵士である憲兵達は拠点へと戻され、由乃によって捕えられる事の無かった見張りの三人は、居心地が悪そうに頭や顔を掻きながら、全員が由乃の横で視線を明後日の方向へ向けていた。
由乃が勇者であると知ってしまった以上、カルロディウス国民としては、そういう反応を取るしかないのだ。
勇者の剣はただの剣では無い。
それは性能についてもだが、魔族にのみ発揮される由乃曰く「チート能力」については、今触れても意味が無いので割愛。
勇者の剣は、それを持つ者が勇者であると示す、言わば目印であり、名札のようなものなのだ。
カルロディウス国民は、幼少の頃より勇者の伝説を教えられて育つ。
神よりも勇者を信仰し、勇者を慕う。
伝説は教えを説くような研究書のようなものから、事のあらましをシンプルに、けれども道徳的に教える絵本まで、様々な物がある。
その書物らに、等しく鮮明に載っているのが、勇者の剣だ。
文字だけならば、描写を細かく。
絵本や挿絵のある物なら、写実以外の何物でもない絵がしっかりと、総ての本に克明に記されているものなのだ。
ミレオミールの持つ勇者関連の書物を総て掘り出し、挿絵を確認し、かつ総てミレオミールに読ませた経歴を持つ由乃には、その事がとても良く解っていた。
故に、アフェット家の前で見張りをしている彼らの前に現れる時、由乃は剣を持ったままでは向かえ無かったのだ。
彼らには、警戒をされてはならなかった。ただの町民と間違えてもらわなくてはならなのだ。世間話をし、彼らをぶちのめすか、無視をしてさっさと内側に入り込むか。
話した結果、由乃は彼らを悪人ではないと判断し、制限の在る魔法を無駄に減らすこと無く、ただ適当に叫ぶだけで内側に入り込む事が可能だったのだが。
由乃は彼らを悪人ではないと判断した。「お嬢ちゃん」と呼び、笑顔で世間話に興じてくれた彼を、そして彼の友人である彼らを、好意的に感じられた。
「…………」
小さく息を吐く。
勇者とバレてしまったのだから、それも終わりだろう。
彼らはきっと、根深く張られた勇者信仰の思想に基づき、自身の行いを恥じるのだろう。と言うか、由乃に対して敬語で話すようになり、もう二度と「お嬢ちゃん」と気安く呼ぶ事も無いだろう思うと、由乃は何だか寂しくなった。
信仰の度合いは人それぞれだ。悪漢たちのように軽んじる者もいるし、フレドのように勇者の存在を手放しに喜ぶ者もいれば、恐れ多いと近寄ってこない者も。けれど、彼らの中に一様に存在するのが、認識である。
『勇者』という存在として認識されてしまえば、それを覆すことは、困難。
「あ、あの……」
「ん?あ、はい。なんですか」
予想外な事に、気安くは無いものの、彼は由乃に話しかけてきた。きょとんと瞳を丸くする由乃と、チラチラと後ろの二人と目で会話をする金髪の男。
後ろの二人から、強い視線で頷かれ、男は意を決したように、由乃へと向き直った。
「おじょ……ゆ、勇者様は、一体どこで、俺たちが金目当ての……その、奴らに雇われただけだと、お気づきに……?」
只管に低姿勢で面白い。
奥の二人にも視線をやれば、目を合わせない様にと双方明後日の方向を見ていた。面白い。
「……別に、知らなくても良いんじゃないですか、そんなの。お宅らは助かったわけなんですから」
「い、いや、気になるので……できれば、お教え願いたく……」
「…………」
面白い。
吹き出しそうになるのを堪えつつ、由乃は「ならば」と交換条件を提示した。
「じゃ、お兄さん。あ、もちろん後ろの方々もなんですけど、その馬鹿みたいな低姿勢止めてくれたら、教えてあげます。勇者である前に、私も一人の小娘なので」
と言うか、ずっと続けられたらいつか笑ってしまう。
ナイルの到着後、すぐに城へと帰ってしまった薄情なウィルも確かに丁寧ではあったが、彼は素が丁寧語なので仕方が無い。エトワールも同じく。
彼らは、『勇者だから』由乃に対して、得意でも無い丁寧を心がけているに過ぎない。勿論、信仰の気持ちに嘘は無く、掲げる気持ちも軽くは無い。だからこそだと言う事は解るが、むしろ、だからこそ、由乃は彼らに丁寧で居られるのは居心地が悪いのだ。
勇者歴二週間。
魔獣退治も、勇者として幾許かのボランティア活動はして来たが、やはりまだ、勇者として崇められる事に、由乃はまだ不慣れなのだ。
男たちは逡巡し、顔を見合わせるが、最終的に小さく頷き合い、固いながらも「よ、よろしく、嬢ちゃん」と恐る恐る言った。
由乃は満足げに笑うと、彼らに向けていた視線を前方へ戻し、少なくなった兵士や蹄の音を聞きながら、少し腫れた手首を撫でた。
「簡単に言うと、勘ですね。お兄さんたち悪い人に見え無かったし、嘘吐く度にいちいち罪悪感感じてるみたいだったし」
「はぁ……」
有難い、けれども確信などまるっきり無いであろう考えを、何故由乃は信じられたのか。
内に持て余した疑問や蟠りをどう吐き出せば良いかわからず、男たちはもごもごと空気を咀嚼した。
「それと」
顔は前方に向けたまま、視線だけを男たちに向ける。
地に足付かない曖昧さに、不安げな表情を彩る男たちに、由乃は言葉を続けた。
「ユリアおばさまのこと、知らされてないみたいだったから。あーこれは、即席チームだなって思いまして。報告連絡相談。組織に当たり前の連携がなってない。組織としては致命的ね」
真っ当な組織でも、その重要性は説かれる。アウトロー、無頼漢の集まりならば、尚更だろう。そういう人間ほど、小さな情報の行き違いも気にするものだ。
(……まぁ、もしもあいつらがただの強盗で、見張りをしていた三人に罪を押しつける予定で仕事を頼んでたとしたら、アウトだったけど……)
世の中結果がすべてである。由乃は賭けに勝ったのだ。
「お兄さんたちに話聞くまで、中で何が起こってるか、ほんとは良く解って無かったんですけどね。まぁ、ユリアおばさまのことは知らないし、全員が一緒に出かけたと言うので、これは内部はぶちのめして良いなって思いまして」
「……『全員が一緒』?」
「あ、そこ食い付きますか。良いですね。勇者ポイント三万ポイントプレゼントです」
由乃は嬉しそうに微笑み、彼らにとっては謎なことを言いながら、彼らの最大にして、最悪の失態を伝えてさしあげた。
「ユエさんは、とある事情――これ、私も知らないんですけど、とある事情により、家と、この低い塀よりも外へ出る事が、出来ないんです」
「……えっ」
男たちはぎょっとして、彼らが持たれたり座ったりしていた、低い塀を目で追った。あれは境界線。内側だけが、彼女の世界。
フェリアと同じ、何かしらのトラウマなのだろう。けれど、由乃はそれを知らない。
ユエが家の敷地から一歩たりとも出ない事は、ロニ経由で知っていたが、その内情を知りたがるほど、由乃も節操無しでは無かった。
節度は守るし、態々首を突っ込んでまでユエを外に出したい訳でも無い。彼らの家はそれで充分に保たれていたし、少し世間と違ったからって、何も悪いところなど無いのだから。
ただ、ユエが外に出たのだと言った時点で、彼らの嘘は確固たるものとなった。元々信頼などこれっぽっちも寄せてはいなかったが、楽しく追い詰める情報として、結局途中で飽きて焦れて中途半端にしてしまったが、由乃の脳内メモにきちんと書き加えられていた。
暫しの沈黙と、男たちの唸り声が小さく響く。
顎に手を当てたり、顳顬あたりをトントンと叩いたりしながら、未だ疑問は残る物のとりあえず――という感じの表情で、男たちは顔を上げた。
「…………えっと、とりあえず、俺らの――俺の嘘から」
「色々全部看破したってことで」
「良いんで……のか?」
「そうなりますね。あの時点ではまだ、中で何が起こってるかは定かじゃ無かったんですが――まぁ、元々決めてかかってましたし、本当に悪い人たちだったし、結果オーライですね。お兄さんたちの嘘に、感謝感激雨霰」
「…………」
彼らは黙り、やはり顔を見合わせた。
何を考えているかなど由乃には解らなかったが、表情にはありありと「信じらんねぇ」と書いてあったので、そう言った事を考えているのだろう。
由乃は広い心を持って、「こいつ馬鹿なんじゃねぇのか」という表情だけは、慈愛に満ちた微笑みでスルーしてさしあげることを決めた。




