籠城
――傭兵は、気絶こそしなかったものの、体を震わせながら、片膝をついた。
「おのれ、童……貴様、騎士道に、あるまじき……」
「私は騎士じゃねーんですよ、幸運なが、ら!」
くるくると左手でナイフを弄びながら、強化した左手のナイフの柄で、彼の首の後ろに打撃を加える。序に隅で丸くなっていた男も気絶させておく。無益な殺生も戦いも御免だが、不確定要素は排除し、火種は消しておくべきものである。
男たちを引きずって廊下に出し、ユリアとユエを部屋の中へ入れる。
束の間の休息は、恐らく長くは続かないだろう。元々、由乃は非力だ。ウィルの魔法もそれほど強い物では無く、拳にちょっと鉄板を二・三枚仕込んだ程度の威力しか無い。
最初にひざ蹴りした者はともかく、ダイニングから出てきたスキンヘッド。あの男はひとまず股間を蹴っただけだったので、そろそろ動き始めても、なんらおかしくは無い。
「ロニ、ミシェル!」
可愛らしくお淑やかな見た目をしたユエが、床に這いつくばりながら、子供達の名を呼ぶ。覗きこんだベッドの下から返事は無く、ユエはきょろきょろと青褪めた顔で室内を見回し、次にクローゼットの扉を開けた。
「……さっき廊下に居る間、他の部屋から物音がしたり、男が起きたり、変な事は無かったですか?」
「ありませんでしたよ。多分」
「よかった」
対照的に、ユリアはかなり復活しているようだった。流石は、あのフェリアの母、である。彼女とフェリアの性格は良く似ていて、協調性と順応性がとても高い、あっけらかんと、さっぱりとした女性である。大抵の恐怖も、過ぎ去ってしまえば、彼女の中では一笑で吹き飛ばされるものに過ぎない。
由乃はユリアから離れ、ユエの方へと近寄る。
「ユエおばさま、お子さんいらっしゃいますか?」
「いない……どこにも、いないの……」
「ふむ……」
隠れていそうなところは、ユエが既に探しつくしている筈だ。と言うか、この部屋には探すべき場所が少ない。それは同時に、隠れる場所が少ない事を意味する。
「……」
ならば、あの傭兵と、弱そうな男。
あの二人が既に見つけて、誰かに引き渡した――そういう考えは、生まれないだろうか。
兵士の男、何故か家全体に人をやり、総ての窓のカーテンを閉めきり、外と内を隔絶するやり方、そして、『復讐』――
「……あ、上」
「上?」
「うえ?」
考えこんでいた由乃は、不意に顔を上げて、天井を見つめ始めた。
ユリアとユエは共に目を丸くして、視線を由乃と天井で往復させた。
視線を意に介さず、由乃はクローゼットの横に在る、おもちゃ箱に足をかけた。木で創られたその箱は、見た目以上に丈夫。それを踏み台に、クローゼットの上に上がった。
その様子に、ユリアは笑い、ユエはおろおろとうろたえた。
「ヨシノ様、危ないですよー」
「お、お茶目もほどほどにしてくださいませ……」
案外暢気な事を言う奥さま方である。
戦闘ではアドレナリンでも出ていたのだろうか。あまり気にならなかった傷の痛みが、段々と顕著になり始める。けれど痛いなどと言っていられる場合でも無い。
クローゼットの上に寝転び、狭い隙間でコンコンと天井をノックする。
「こんにちはー勇者印の宅配便でぇーす」
「宅配便?勇者印?」と下で同じように首を傾げている姉妹が、少し愛おしい。そしてここだけの話、ユエと由乃は初対面であるので、彼女は由乃の正体を知らない。ユリアが何か伝えていて知っている可能性が無いわけでもないが、ユリアもユリアでそういうことを吹聴する性質ではないので、やはり知らないのだろうと由乃は思っていた。
挨拶はしたので、動きそうな天井板を勝手に外し、小柄ながらも、流石に狭い入口に上半身を滑らせれば、がたんごとんと慌てたような音が聞こえてきた。隠れているのなら、完全に失敗である。
だがそれは、つまり無事、ということだ。
「出ておいで。みんな無事だよ。由乃様が保証したげる」
答えも聞かずに、由乃はその場から体を引っ込め、クローゼットの上から飛び降りた。
できるなら、このクローゼットを扉の前に置き、籠城を決め込みたかったのだが、音の主が降りてくるまで、それも無理そうな雰囲気である。
由乃が開けた天井裏への出入り口から、小さな足が現れる。
次第に下半身が出て、クローゼットに足をつくと、しゃがみ込み、全身をあらわにした。
現れたのは、小さな少女である。
推定四歳。手足が短く、胴も短い。金寄りのブラウンの髪は左右で緩やかに結われ、ふわりと手前に流されていた。
濃いアメジストの瞳は潤んでいて、それでも涙を零さない様に瞬きを禁じていたためか、白目が端が充血して、ピンク色に染まっていた。
部屋を見渡した瞬間、小動物のようにまるっこく、儚い少女の表情が、固く強張った恐怖から、柔らかく綻んだ笑顔に変わる。
「おかあさん!」
「ミシェル!」
先程まで青褪めて絶望的な表情ばかりしていたユエも、クローゼットからそのまま母へと駆け寄ろうとして落っこちて来たミシェルを抱きとめ、安心しきったような笑顔から、ぼろぼろと涙を零し始めた。
由乃が母子の愛に感動しながら、「良い話だねぇ」「いや、悪漢に襲われてんだから、全然良い話じゃないですよ」なんて言うやりとりを交わしていると、屋根裏からはもう二本の足が現れた。
「ヨシノ!」
ひょっこりと、ミシェルよりも窮屈そうに現れたのは、ミシェルの兄、ロニである。
髪は母譲りの金色に、瞳はエメラルド。顔立ちも髪質も、大方母親から受け継いだものらしく、少年というよりも、繊細な少女の様な印象を持たせる。
けれども彼は、見た目に似合わぬ俊足と、中々漢らしい逞しさを併せ持っていた。程良く頭も柔らかいので、恐らく、子供部屋で「隠れていなさい」と母に告げられた時、咄嗟に屋根裏に登ったのも、彼の機転によるものだろう。
彼はクローゼットから飛び降りようとして、途中で止まった。
変な格好でつんのめる彼に首を傾げていれば、証拠隠滅とばかりに天井板を直し、それが終わると、母では無く、名を呼んだ由乃の元へとかけてきた。
「ロニ……そこは母を呼びなさいよ」
「母さんはミシェルに夢中だから、ヨシノにはせっかく僕が来てあげたのに」
嬉しいでしょ?と小首を傾げて微笑む姿は、完全に己の容姿の使い道を知っている、策士のものだった。
「ていうか、ヨシノ、服どうしたの?ヘンな服じゃないんだ。ヘンなのー」
「畜生何だこの子!」
変なのか変じゃないのか、はっきりしてほしい。そう伝えれば、「髪型はすごく斬新になったね」と来たものだ。
すっかりと忘れてしまっていた髪に刺さったボウガンの矢を抜き、何かに使えるだろうと、服の腹の部分に、縫物途中の針のように刺しておく。
黒い服を着て来たことが幸いしたらしく、彼が由乃の怪我に気付く様子は無い。無用な心配をかけなくて済んで、由乃は少しほっとした。
ユリアとロニの協力を得て、クローゼットを扉の前へと動かし終わる頃、母子の熱い抱擁と噎泣も終わりを告げた。
「ロニ」
「おにいちゃん」
鼻声で、鼻も目元も真っ赤にした母と妹に呼ばれたロニは、一瞬肩を震わせた。
握られていた由乃の服に振動が伝わり、一瞬考えた後、由乃は彼の背中を軽く押した。
驚いたような表情で由乃を見るロニに軽く笑んで応えれば、逡巡の後、彼は小走りに家族に近寄り、「お母さん……ミシェル……」と小さく呟いた。
ユエはふわりと、聖女のように微笑んで見せた。
鼻の赤さも、瞼の腫れも無視して、それはとても、とても美しい笑顔だった。
ユエはそっとロニの手を取り、真綿のように自身の掌でくるんだ。
「ロニ、お兄ちゃん、よく、ミシェルを守ってくれたわね」
「…………はい」
ロニは視線を落とす。母の顔は見ず、包まれた手にも焦点を当てず、ただ、自身の足元を、じっと。
「ロニ――ありがとう」
「!」
「ありがとお、おにいちゃん」
「――うんっ」
母と妹の言葉に、緊張と共に涙腺まで緩み、ロニは笑いながら、一筋だけ涙を零した。
ユリアと共に見守る母と子供達の暖かい絆に、由乃は鼻の奥にツンと何かが突き抜けるのを感じた。
鼻水が出て、乾き気味な瞳が潤う。
「ぐずっ……いいね、家族の絆……私こういうの弱いの……」
「この家族は、色々ありますからね……はぁ、アタシも、早く旦那と娘に会いたいわ」
旦那はフレドで、娘はフェリア、である。
「あっ」
「?どうしましたヨシノ様……ハッまさか傷が!開きましたか!?痛みますか!?救急箱取って来ますか!!??」
「わっわ……揺すらないで痛いですおばさま……」
本気で救急箱を取りに走ろうとするユリアを宥める。救急箱はリビングにあるらしく、取りに行くとなれば、クローゼットを退かさなくてはならないのだ。
「!」
フェリアのことをユリアに伝えようとしたのだが、そういうわけにもいかなくなった。
不意に、クローゼットに凭れていた由乃が視線を彷徨わせる。
「?ヨシノ様?」
「ちょっとお静かに」
人差し指を唇の前に掲げながら、由乃は静寂を促す。
異変に気付いたのか、親子も由乃の方へ視線をやり、きょとんと行く末を見守っていたが。
次の瞬間、静寂よりも重い緊張が、部屋の空気を変えた。
「チッ、やっぱちゃんと気絶させるべきだったなぁ」
足音だ。一人では無い、数人の物。
防音設備はしっかりと整っていないらしく、遠くから男の声も聞こえてくる始末である。
足音と怒鳴り声は二階に向かっており、絶体絶命の一歩手前、と言ったところだろうか。由乃は深く息を吐いた。
「ヨシノ様……」
「ヨシノ、これからどうするの」
ユリアの言葉を遮り、駆け寄って来たロニが由乃の服の裾を握り締め、小声で聞く。不安気なユリアの声とは違い、ロニの口調はしっかりとしていた。
それは経験から来るものだった。ロニとミシェルは、二週間前、少々ごたごたに巻き込まれ、それを由乃が力任せに解決したという前歴がある。幼いミシェルは母と共に不安そうにしているが、ロニは違う。確かに幼くはあったが、それよりも、ロニはとても賢かった。
「僕は何をすればいい?」
真摯な碧玉の瞳に在るのは、由乃に対する信頼だった。
信頼はありがたい、が、言ってしまえば、由乃は賢い方では無い。
何事も知っていなければ気が済まない性質は持ち得ていたが、残念ながら、由乃では研究者たりえないし、策士にもなれはしない。できるとすれば、直球勝負にあの手この手を隙間に詰め込む、見る人が見れば卑怯と取れる、弱いものが強いものに勝つための、臨機応変な対応だけだ。
基本的には直球勝負が好きだし、自身の力だけでねじ伏せられるのならば、それが最高にカッコイイ。けれど由乃は非力だ。それに、知識はあっても、応用がきかない。
元々戦闘とはあまり関わりの無い世界に居たのだ。応用しろと言われても、畑違い以外の何物でもないだろう。
ただ、機転は利くのだ。
鬼ごっこをする時、逃げるだけではなく、相手に向かって走って行くようなものである。
あれは、タッチさえされなければ、鬼に捕らわれることにはならない。
寸前で避ける事さえできれば、逆に相手の意表を突き、混乱と油断に繋がる。
過去数度、そのやり方で何度も檻から、凍りから、仲間を救ってきた実績もある。
しかし、今は機転を利かせている場合では無い。
由乃が考えるのは、籠城だ。
この部屋にさえ入ってこられなければ、ある程度、由乃達の生存は確立されるだろう。あとは、リュネの応援、そして憲兵の到着を待つだけだ。
人任せと罵られようが、知ったことではない。由乃は勇者である前に、一人の小娘なのだ。悪漢相手に出しぬく事はできても、総てを解決することなどできる筈も無いのだ。
(勇者……頑張らないとなぁ……)
今は駄目でも、いつかは。
「……じゃ、外が見たい。とりあえず、このクローゼットを押さえてて。まだ大丈夫だろうけど、あまり声は出さず、音も立てないように。でも、扉開けられそうになったら、呼んでね」
「わかった」
こくりと頷き、由乃はロニに場を明け渡す。
ロニはそっとクローゼットに手を当て、体重をかける。ユリアもそれに倣い、由乃がしていたように、クローゼットに凭れかかった。
由乃はカーテンが閉め切られた窓に近寄り、少しだけ顔を覗かせた。
外は長閑なものである。
木々は生い茂り、緑が輝かしく陽に照らされていた。空は青いし、土は茶色。見知った町の通行人は見当たり無く、見知らぬ見張りの男たちは、何故か逃げずに三人で話し合っている様子である。
(……逃げればいいのに)
人が好いのか、考えが足りないのか。
家の内部から飛び出してきた男――脛を蹴っただけで何故か気絶をした男だ――が片足だけで跳ねながら、見張りの三人を怒鳴りつけている様子が窺える。三人は顔を見合わせ、揃って頭を下げている。
「…………」
顔ごと視線の方向を変える。
残念ながら、流石に由乃も、廊下をかけずり回る騒がしい音を聞きながら、暢気にどうでもいいものを見ていられるような性格はしてはいない。
見通しはよろしく無い。
カーテンの隙間から覗ける範囲では、由乃の知りたい情報は知り得なかった。かといって、窓を開けて身を乗り出そうものなら、外の男に一瞬で居場所をバラしてしまうことになるだろう。
ガコン!
と大きな音が鳴った。
「ヨシノ!」
「おい、ここだ!この部屋だ!!」
ロニの呼ぶ声と、くぐもった男の声が、由乃の耳に同時に届く。
由乃の耳がもっと有能であれば、野蛮な男の叫びを雑音であるとし、ロニの鈴を転がしたような声だけを拾ってくれたことだろう。が、生憎由乃の耳は普通だった。
両方の言葉が混ざり合い、不協和音に舌打ちしたい気分になる。
もうバレてしまったなら仕方が無いと、由乃は窓を開けて体を乗り出した。
クローゼットは、女二人、子供一人、短時間で移動出来てしまうほどの重さしか無い。子供であるロニと、筋力も体重もそれほど無いユリアが支えた所で、すぐに突破されてしまうのがオチだろう。
「テメェそんな所に!」等と言う外側からの野次も無視し、由乃は左右を覗きこむ。
玄関のある側にあたる窓は、目前が直線の道路となる。そして、城からの兵が来るとすれば左。
(むりかぁ)
憲兵の駐在所があるのが、右。
土埃の立ち上る様子。上下する青と黒の波。
憲兵の鎧と制服は、青と黒――
その中にぽつんと。
白と、紫。
「――わぁ」
由乃の感嘆の声が上ずった。
「ロニ、ありがと。ユリアおばさま、お願いが!」
避けて、とジェスチャーで示すと、二人は両脇へと退く。
突破されてしまいそうに揺れているクローゼットに、由乃は躊躇い無く体当たりをした。
「!うわっ!」
「くそっナメやがって!」
「うっせうっせ!ばーかばーか!」
外の声に応えれば、油の注がれた外側で爆ぜる音がする。
酷くなる罵詈雑言に、由乃はどこ吹く風だ。好きでも嫌いでも――どちらかと言えば嫌いな奴らに何を言われようと、知ったこっちゃ無いのが由乃である。
性格の面で言えば普段は割と温厚なのだが、友人を傷つけられそうになり、自身に殺傷能力の伴う武器を向けて来た時点で、奴らは全員由乃の敵なのだ。情けをかければ殺される場面まで、温厚でいる必要は無いし、いられる訳も無い。
由乃はクローゼットを足で押さえながらユリアに顔を向け、「飛べる?」と聞いた。
「はい?」
当然、ユリアの目は点である。
日常の面でもやらかすが、こと戦闘に入ってから、ユリアは由乃の行動に驚き過ぎている気がした。
「だから、ユエさんを抱えて、窓から外に飛べますか?」
当たり前だが、瞬間、この部屋に走ったものは沈黙だった。
まるで世界から切り離されてしまったかのように、部屋の中はしんと静まり返った。
廊下からの騒がしい怒鳴り声と、ドアに体当たりする音だけが五月蠅く響き、ここが現実で、世界の内の一つだと、未だに告げる唯一の音となる。
そんな中、最初に正気に戻ったのが、ロニである。
「飛べばいいの?」
「ロニは私が抱えるので。なるべく固まってた方が良いから」
「やった」
「何がよ」
何故か嬉しそうに笑う少年と、それによって自身を取り戻すユリア。
「ちょっ……ヨシノ様、一体どういう!?」
「説明してる暇は無いよ。籠城作戦は失敗だし……あ、ベッドも立てて凭れかけさせれば良かった!――でも、フェリアがやってくれたので、外の方が安全なの。今から一階まで行って、お行儀よく玄関から外に出るわけにはいかないし、ここはもう、飛び降りた方が早いし安全なんですよ」
説明としては色々と足りなかったが、ユリアにはとりあえず、「ここに居続けるのが危ない」ということだけは伝わった。
小さく愛娘の名を呼び、瞬き一つで覚悟を決め、由乃を真正面から見返す。
「……他にやり方は、無いんですか?」
「あるけど、時間がかかる」
由乃は短気だった。
「命の場ってのは、一刻を争います。ユリアおばさま、あなたは生きたい?死にたい?見ず知らずの小汚いオッサンたちに殺される人生に、文句は無い?」
「それ、は……」
「私には、ある。――ロニ!」
「はい!」
元気の良い返事である。
ユリアの恐怖との葛藤を無視し、由乃はロニの手を取り、走りながら彼を抱きあげた。
廊下から男たちの反応が現れた時、距離をとろうと窓のすぐ横まで移動していたユエとミシェルに一瞥をくれると、宣言通り、由乃はロニを抱えたまま、頭から窓の外へと、身を滑らせた。




