戦闘中
※副題の通り、一応戦闘中ですので、痛々しい表現を含みます。
後ろを歩く、か弱い女性たちが頷くところまでは確認せず、由乃は足早に、二人の男と戦闘した左側の廊下を歩く。
扉は二つ。どちらかが子供部屋なのだろうが、いきなり開けて待ち伏せをされていてはたまらない。
ドアをブチ破ることも考えたが、家主が目の前――背後にいるのに、家屋を破壊するところなど見せるのは、何と言うか、やりにくかった。
手前の部屋を先ずノックする。当たり前だが反応は無い。
ドアノブに手をかけ、少しだけ隙間を開けると、由乃はへらりと二人に笑い掛け、思いっきり扉を蹴り飛ばした。
「…………」
「…………」
「……ここは、子供部屋じゃない?」
「……違います」
「ういうい」
中に入る事はせず、扉を開け放ったまま、由乃は奥の部屋へと廊下を進んだ。
どうやら、あの笑顔が「ごめんなさい」の変わりだったらしい。
罪悪感は覚えても、基本的に「ごめん」の後を引きずらないのが由乃である。
それを良く知るユリアは、この状況に不謹慎にも半笑いになり、初めて家の扉を女の子に蹴り飛ばされる場景を見たユエは、呆れも恐怖も怒りも無く、ただぽかんと、口と瞳を真ん丸に見開いていた。
扉が外開きだったらどうしたのだろうか。疑問は浮かぶが、幸運な事に、扉は内開きである。
次はどうしようか。別段バリエーションを求めているわけではないのだが、中に人物が居る場合それだけで牽制になるのは確かである。
それに、由乃が手前の扉を蹴った時、隣の部屋から人の気配があった。
子供では無く、大人の気配。
それが今は、鳴りを潜めている。つまり、彼ら――もしくは彼女ら――は、由乃に奇襲をかける用意をしているということだろう。
「…………」
由乃は一度、窓を伝って外から行こうと考えたが、止めた。
流石に無い。問題外である。
一度溜息を吐き、時間をかけるわけにもいかないので、ユリアとユエを手で制し、何度目かになる背後の確認を促し、由乃は代案を決行した。
ノックは無し。
蹴り飛ばすのも無し。
まるで自室へ帰るが如く、自然に、ただノブを回し、普通の速度で開けた扉の隙間から、その身を中へと滑らせた。
「ッう、わあああああああ!!」
「ハローどーもーこんにちはー」
扉の陰にならない方には、酷くうろたえた、鉈を持った男がいた。疎らに毛の残った禿げ頭に、何故か赤い鼻。叫んだ声は震えていて、鉈を持つ手も細い。
振り下ろされた鉈を、由乃は真正面から受けた。
カキィンという金属音が部屋と、そして廊下に響く。由乃は上手く体を滑らせ、鉈の下から部屋の内へと身を滑らせた。鉈に込めていた力の行き場を失った鉈男は「う、わ、あ」と前につんのめり、扉に鉈が刺さって動けなくなったらしい。彼は何者なのだろうか。
身体を内部へと滑らせたと同時に、扉の陰――けれども扉を開けても当たらない位置に居た男からの攻撃を、その右手に持ったナイフで弾いた。
「それは……」
「あ、わかります?さっき拾っちゃいました。結構良いナイフですね、コレ。何故か、城から支給される、兵士の徽章?紋?マーク?がしっかりと彫り込まれてる、大量生産ながら結構な業物な、アレです」
『待て』の命令に従って、ユリアとユエは周囲を警戒しつつも、顔を出したり、部屋へ入ろうと言う意識は無いらしい。
由乃が持っているナイフは、左側にいたボウガン男の、さらに奥にいた男の得物である。
怪我をしたうえ、体が痛み始めたので、最初の目標よりも短期決戦を求めた結果、牽制目的で武器を持つことを選んだのだが。……思いの外、嫌な拾い物をしてしまったらしいと、由乃は感じた。
無ければ縋る事もないのに、あるのならば、使わざるを得ない。
ちなみに、最初の目標というのは、無傷帰還と双方NO流血且つ全員捕縛、である。
捕縛は通報を受けた憲兵がやり、鼻血は流血に含まない方向で。それでも、ボウガンの矢を相手の腕にブッ刺した時点で、既にアウトである。
鉈男は、間抜けにも扉に刺さったらしい鉈を抜こうと、焦った様子で四苦八苦していた。どうにも素人らしい。
だが、目の前の、剣の男は雰囲気からして一味違う。
良く見れば装いも、他とはどうにも違和感を覚えた。
他が機能性を重視した軽装、脅しを込めた厳つい見た目の服装、とりあえず盗った物を身に纏ったような服装であるとすれば、男も確かに軽装ではあったが、まるで『騎士の私服』のような趣である。少々――かなり汚れてはいたが。
「……あなた、騎士さんですか?」
「否、私は傭兵だ」
「傭兵さん……」
一瞬、自分の言葉が「妖精さん」に聞こえ、由乃は眉間に皺を寄せた。男はどう見ても、そんなファンシーな存在では無い。
無造作に生えた髭、伸ばしっぱなしで、まとめる事も無く放置された長い黒髪。数日はお風呂に入っていないと予想される体と服の汚れ。汚いのはこの際仕方ないとしよう。
ただ、男はとても屈強だった。鍛え抜かれた肉体は隆々と呼ぶよりもしなやかで、無駄に長い黒髪も相まって、由乃は武士を連想した。
武士、よりは落ち武者。毛の奥で光る鋭い切れ長の目つきは、落ち武者と言うより、毛羽毛現だった。最終的に人から離れてしまったが、毛むくじゃらな顔面はともかく、立ち姿は酷く綺麗で、相当の経験を積んでいることは、由乃にも理解できた。
「傭兵って、お金次第では、こちらについてくれたり?」
希望的観測を問うてみる。が、色好い反応は得られない。
「それは認識が甘いというものだ、童よ」
「あなた何時代のどこの人よ」
思わずツッコんでしまった。
まるで時代劇で聞くような、古い日本を想起させる言葉遣い。手にした武器は刀では無く剣。峰打ちはできそうにない構造の、由乃が知る限り、あれも城に勤める兵士たちが最初に与えられる、大量生産だが業物である中々良い武器だ。
武士っぽい見た目と口調の、騎士っぽい得物を扱う、傭兵。何と言うか、不思議な状況であると由乃は思った。和洋折衷とはこのことか。
(いや、でもこの国、言葉は日本が基本っぽいんだよなぁ……)
この世の謎の一つである。
由乃の言葉の悪いツッコミに、男は眉間に皺を寄せる。
おかげで、恐ろしげな顔がさらに恐ろしく映った。
「貴様に軽んじられるほど、私は甘くは無いぞ」
「軽んじては無いですが。……とりあえず、うしろのおじさん。死にたくなかったら、鉈を置いてそこにしゃがんでてください。向かって来たり逃げたりしなけりゃ、追いかけませんから」
傭兵から一瞬たりとも目を離さず、由乃は鉈男に声をかける。彼は「ひいィ」と悲鳴を上げながら、頭を抱えて部屋の隅にしゃがみ込んだ。
この集団は、どうにもおかしい。
由乃は思う。
年代、体格、戦闘経験。どれもがてんでバラバラであった。前者二つはともかくとして、最後の一つは無視することが出来ない。即席で寄せ集めたとしか思えないのに、見張りを雇う計画的な犯行。
傭兵の男に関しては、百戦錬磨――否、百獣の王かと問いたくなるほどの威圧が放たれている。流水のように静かなものだったが、けれども確かに重く、この空気の中にずっと居たら、溺れてしまいそうな息苦しさ。恐らく、鉈男が怯えている理由は、主に彼の雰囲気だろう。
武士系騎士の彼とは反対に、鉈男は完全な素人である。どんなに控えめに見ても。恐らく、由乃以上に戦闘経験が無い。喧嘩すら、したことが無いかもしれない。
(……いや、刃物、かもしれない。あの人、初めて持ったのかな)
武器は――刃物は、一歩間違えれば、簡単に命を奪う事ができる。どんなに小さな鋏やカッターでも、刃物ならば、結局危険は同じである。
傷つけるための何かを持つならば、必要なのは、それに対する筋力や、慣れや、マニュアル等では決してない。
覚悟、だ。
この傭兵と名乗った男のように、誰かを殺す、覚悟。
「……傭兵さん、あなた、この家にあなたが来た理由、解りますか?」
隙が無く、動く気配も無い男に、由乃は問いかける。
短期決戦を望んだものの、この男相手では、きつい。
せめて時間を有意義に使いたい。そう思った結果である。
傭兵は相変わらず鋭い瞳で由乃を睨み、瞬きの一つもしない。
「知らぬ。だが、主犯らしき男の言葉によれば、復讐、と」
復讐。
それはつまり、私怨である。
この家に、この家の誰かに。
「……一人、君たちの中に、見覚えのある顔を見、ました。主犯はそいつか」
「知らぬ」
「あ、そうか。あなたは、私が下でやったことを、見てない」
「酷く暴れ回っていたようだが、私はここから出ていない」
「…………あなた、ここで何――ッ!」
何をしていたのか。
そう問おうとした由乃に、暗い幻想が、ヘドロのように由乃の身体にまとわりついた。
男が動いたのだ。
素早く、そして重く、振り下ろされた剣は、一般的なサイズのそれと変わらない、この図体のでかい男が握るには、小さすぎる大きさの得物だ。
けれど、小さなナイフで受けたそれは。
「!」
「――ほう」
由乃は、剣の軌道を変えるのが得意だった。
相手の剣に真っ向から立ち向かうには、由乃は小さく、非力である。急所ばかりを突いているから、魔法があるから、由乃はいくらか強く見える。対等に応戦することができる。が、本来彼女は小さく細く、とても弱い。
勇者の剣がなければ、魔獣など、到底倒すことのできない。そんな力しか、持っていないのだ。
だからこそ、そんな由乃が最初に覚えた事が、軌道修正である。
相手の剣を受け、自身の剣を傾け、その上を滑らせる事によって、自身に当たらない様に、そして相手の体勢を崩す。そういう方法だ。
短く小さなナイフではあるが、それはできなくは無い。小賢しい技術力に関しては、訓練をつけていたナイルを凌駕するほどの資質が、由乃にはあった。
問題は、由乃の力と体格の方だ。
最初と同じように、由乃は腰を落としながら警戒し、傭兵は乱れの無い動きで、酷く綺麗に剣を構える。
「貴様、見た目の割に経験を積んでいるようだ」
「てめーさま相手に構えてる時点で、気付くべきですね」
「言うな」
クッと、傭兵は笑った。
こっちは何も面白く無い。
そう思いながら、由乃は痺れた右手に、左手を添える。
彼の剣は、由乃の手には酷く重かった。部屋に入った時の攻撃は、かなり加減されていたのだろう。
上手い事滑らせたは良いが、まともに受け止めた右手は痺れ、手首は重く熱を発する。
しかも相手はバランスを崩す前に持ち直したうえ、距離を取って冷厳と構え立つ。由乃は態勢を立て直すことで精いっぱいだったのに、だ。悔しい。とても悔しい。
死神かよ、と由乃は思う。
彼の持つ雰囲気は、攻撃の意志を持った瞬間、まるでそれだけで死を予感させる、猛烈で鮮烈な殺意があった。完全に由乃を殺すつもりで振り下ろされた剣。由乃は絶対に死なないつもりで、金縛りにも似た殺気をどうにか振り切り、彼の過重な一撃を逃げる事もできず受ける羽目になった。
死ななかっただけ良しとはするが、ナイフでの戦闘は、最早見せかけだ。手首を痛めた以上、由乃がこの刀子を繰ることは、できない。相手もそれには気付いているのだろうが、得物を放るなら、相手が向かってきた時に投げつけてやるのが利口だろう。
(ユリアおばさま、ユエさん、ロニ、ミシェル――外にはウィルと、見張りの三人、あと、フェリア)
守らなければ、ならないもの。
ロニとミシェルとフェリアは友達だ。友達を守るのに、理由なんてものは必要ない。
例え勇者じゃなくても、戦う力が無かったとしても、由乃はきっと立ち向かった。由乃はそういう人間なのだから。
ユリアの証言によれば、ロニとミシェルというあの幼子たちが、この部屋のどこかに居るらしい。
クローゼット。小さな勉強机。木でできたおもちゃ箱。子供一人が寝るには大きすぎるベッドは、兄妹が二人で眠るためのものだろう。
隠れるとしたら、何処にいる?
オーソドックスに、クローゼットか、ベッドの下か――
(……いや)
どこにいようが、由乃がやらなければならないことは、一つ。
由乃が死なず、誰も死なず、皆が平和な世界に戻る事だ。
彼らの心に、酷い傷を、由乃自身で穿つような、そんなことだけは。
ウィルがリュネとコンタクトが取れたのだから、恐らく、城にこの騒動は伝わっているだろう。気まぐれなリュネが、エトワールに対して報告を怠らなければ、きっと。
町に駐在している憲兵よりは遠くとも、城を裏から出れば、あとは下り坂だから、かなりの速度が出せるはずである。転ばなければ。
(時間稼ぎ……も、できるけど……)
危い。
いくら城に伝わったとはいえ、時間稼ぎに興じる余裕は――由乃の心にはある、ものの、それは由乃に限った話でしか無い。
身を寄せ合う人妻の姉妹に、恐らく身を寄せ合っているであろう兄妹。下にまとめた男たちと、隅で震えているオッサンに、恐らく逃げたであろう見張りの男と、目の前の傭兵。
由乃は、守るためにここにいるのだから。
一度、由乃は深く、深く息を吐き、肺の中を空にした。
二秒程新しい空気を取り込み、由乃はゆらりと前へ進み出た。
魔法力は使わなかったので、それほど速く無い。それで良い。そう距離もない空間で、曲がる事も、不意に体の向きを変えることも、フェイントを挟む事もせず、ただ真っ直ぐに、傭兵へと突進した。
利があるとすれば、彼が由乃の戦法を知らないことにある。
外である意味正しい現状を叫んで以降、人数に対してかなりの短時間で彼の元までやってきたのだから、短期戦を好むことはもうバレているだろう。が、やり方までは、恐らく知られていない。
もう由乃には、その予想と、自身の反射神経に賭けるのみだった。
真っ向から彼に対峙しても、由乃では勝てない。これは絶対だ。
突進を試みる由乃を見て、傭兵は興味を失ったような酷く冷めた目をして、体に合わない剣を、軽く振った。
速く、鋭く空気を切る音聞きながら、由乃は一歩どころか元の位置までバク転で下がる。
そして魔法力を込めた足で――今度こそ本気の速度で、傭兵に突進した。
「!」
「あなたが人間で、男で良かったー」
彼が剣を振う前に、前転で彼の股下に潜み、流石に魔法力は使わずに。
バネのように体全部の力を使い、由乃は股間を蹴りあげた。




