7話 ショッピングモール
~side レイ~ 2027年 3月11日
午後14時頃。
「ねえ、次はあっちに行ってみよ」
「あのな、俺は遊びに来た訳じゃ……」
「いいから!」
……どうしてこうなった? 俺はいつも通り、白奈の護衛をするためについて来ただけの筈だ。それがどうして――
――どうして、2人っきりでのデートっぽくなっている?
事の始まりは何だったか……たしか、白奈が春物の服が欲しいと言い出したことだったか? それ自体は普通のありふれた要望だったのだが……くそっ、あいつら揃いも揃って謀りやがった。しかもあの人までそれに協力するとは思わなかった。仕事をなんだと思ってやがる。
「こ、これとかどうかな?」
「知らん。俺にファッションのこととか聞くな。全く分からねえから」
「じゃあこっちは?」
「…話を聞いてくれませんかね?」
……もう嫌だ。なんだこの地獄は。ただでさえ女の買い物に付き合うのは嫌だってのに、白奈は容赦なく俺に質問してきやがる。それくらい自分で決めろよ。同意してほしいだけなら店員にでも頼め。
そんな風に俺の気分が地面にめり込む勢いで低下している時だった。
「黒瀬 白奈と、御門 令だな?」
見知らぬ男に声を掛けられて、次の瞬間に殴られたのは。
* * *
2027年 3月11日
午前8時頃。
「そろそろ春物の服が欲しい」
白奈が突然……いや、我慢を重ねた上で、申し訳なさそうにそんなことを言ってきた。
これに対して俺達は怒るでも呆れるでもなく、
「案外遅かったな」
「私はもうちょっと早くに言い出すと思ってたんだけどなぁ」
「我慢する必要は無かったのにねー」
「だ、だったら言ってあげれば良かったじゃないですか……」
各々好き勝手な感想を言い合っていた。
「え? え?」
「あぁ、悪い。俺達はお前が服を買いたいと言い出すことくらい予想していたんだが、いくら待っても言ってこなくて不思議に思っていたんだ」
「……なんでそれ教えてくれなかったの?」
「当初のお前は甘やかすと調子に乗りそうだったからな」
「はぅっ……反論できないのが悔しい……」
言い換えれば、今の白奈なら教えても大丈夫ということなのだが……そこには気が付かなかったらしい。実を言えば外で、特に店の中での警護が面倒だから、言ってこない限り外出は控えようということで意見は一致していたのだ。
どうせバカ3人も一緒になって買い物を楽しむのだろうから、仕事をするのは俺だけになる。そこが面倒だ。それに男の俺ではついて行ける範囲に限界がある。そこに気を回すのも存外疲れるものだ。
「それで、どこに行くの? やっぱ駅前のショッピングモールとか?」
「うん。あそこなら大体揃うしね」
すでにきゃいきゃいとはしゃぎ始めている皆月。一之瀬もわくわくしているようだ。先が思いやられる。
「相川はそこまで楽しみって訳でもなさそうだな?」
「アタシは、ねぇ……別に見せる相手も居ないし」
「そんなもんか。……ん? じゃああいつらには見せる相手が居るのか?」
「…さあ? ただ単に買い物が好きなだけじゃない? 相手が気になる?」
「全然」
「あっそ。……何だろ。御門って枯れてるのかなぁ……(ボソッ)」
……おい、声を潜めてるつもりでもガッツリ聞こえてるからな?
それに俺は枯れてない。人並みの欲ぐらいは俺にだってある。ただお前らが対象じゃないだけだ。
「あー、それもいいねー」
「こういうのも良いかもしれません」
「あたしはこっちの方が」
「おい、駄弁ってないで行くぞ。どうせ長くなるんだろ?」
その一言に相川以外のファッション誌を見ていた面々は、バツが悪そうに目を逸らした。やはり長くなるのか。別に立っているだけなら楽なんだが、こいつら俺に「どう思う?」とか聞いてくるからなぁ……俺はファッションとか分かんねえっつーの。
今回は相川に任せよう。いつもは腐っていて使えないのだから、こういう時に役立ってもらわないと何のためにここに居るのか分からなくなる。
「……おお、そうだ、そうしよう」
「へ? 令、どうしたの?」
「俺は今回、店の中には入らない。店内ではお前らが警護しろ。いい経験になるだろうよ」
「「「怠慢だ!(です!)」」」
「うるせえ! 偶には仕事しやがれ!」
「してるもん! シロちゃんとお話ししてるもん!」
「幼児退行すんな! しかもそれだけが仕事じゃねえよ!」
誰がお前らの分まで報告書を作っていると思ってんだ。しかも細かい金の使い道とかが不明確だから経費で落とすのが大変なんだぞ! またお前らの財布を軽くしてやろうか? 実際は軽くならんけど。
「ま、まぁまぁ。令だって女性服売り場とかは抵抗あるだろうし、あたし達だって気を遣っちゃうでしょ?」
「むぅ……最近のシロちゃんは御門に甘いと思いますっ」
「賛成!」
「さ、賛成…」
「そそそそそそんなことないわよ! 令にはただ感謝してるだけなんだから!」
「………………」
俺はどうすればいいんだ? というかこいつらは買い物に行かないのか? もうそろそろ9時になろうとしているんだが。出来れば今日だけで全部揃えてくれると嬉しいんだけど。
~しばらくお待ちください~
「はぁ…はぁ……」
「ぜぇ…ぜぇ……」
「……なあ、相川」
「アタシに聞かれても困るよ」
「一之瀬」
「わ、私は関係ないですぅ!」
だよな。分かってるよそれくらい。2人とも嘘も間違いも言っていない。
勝手にエキサイトしたのは皆月と白奈の2人だけだ。それはこの目で見ているのだが……それを見て相川と一之瀬は明らかに楽しんでいたから、何か納得できない。
「はぁ……そろそろ落ち着いたか?」
「み、御門…」
「なんだよ?」
「シロちゃんって、体力、凄いね……」
「知るかアホ。もう11時だぞ。行く気があるのか無いのかハッキリしろ」
「えっ、もう、そんな時間、なの?」
「かれこれ2時間だ」
「「???」」
「お前らが遊んでいた時間が、2時間だ。その時間を使って、服の1枚や2枚くらい選べたんじゃないのか?」
「「ぅ……ごめんなさい」」
「別に謝る必要は無いけどな。ただ、お前らが買い物をする時間が減っただけで」
だから謝るとしたら、何気に楽しみしている一之瀬に謝るべきだろう。俺としては今のこの状況の方が楽でいい。
「で? 行くのか? 行かないのか?」
「い、行きたいです……」
「んじゃあ早く準備しろ」
この声に相川も一之瀬もダッシュで隣の部屋に行った。あいつらの服は全て移動済みだからな。というかこいつら、なんで態々俺の部屋に来てたんだ? 普通に朝食を食ってたから気にもしなかったぞ。……あれ? 不法侵入っぽくね?
「……いやいや、今さら気にしたところで意味ないだろ。俺が向こうに行くよりは良いしな」
さすがに現・女性宅に入るのは躊躇わられる。こっちの部屋は、どちらかというとシェアハウスみたいな感覚だったからまだ良かった。そもそもの話、会話すらしたことのない思春期の男女が同じ屋根の下で暮らす方がおかしいのだ。
だから出会った当初の白奈の拒絶は至極真っ当なものだったと言える。何故か杏香さんがいきり立って、大人気なくも論破していたが。言っていたことの90%くらいは正しかったんだけどね。でも白奈のあれは感情論ではなくトラウマだったと思うんだよなぁ……。
「御門ー? 準備できたよー」
「…準備は早いのか。尽く予想を覆してくれるな」
なんで準備には20分しか掛からねえんだよ。あの2時間は何だったの?
呆れ半分疲れ半分くらいの気持ちで出ると……うん、いつも私服姿を見ているからか全く新鮮味を感じない。というかその格好も前に見たことがある。だから準備が早かったのか。こっちに来た時にはすでに化粧済みだったしな。
「じゃあ行こっか」
「……おい」
「うん? なに?」
「いや、なんで俺の手を掴む?」
「へ?」
白奈の視線が徐々に下がっていく。そして何故か繋がっているお互いの手を発見。
「~~~っ! ~~~~~~っっ!!!!」
途端に真っ赤になって喚きだした……が、全くその声が聞こえない。
す、凄いな。これ、もしかして超音波じゃないか? ちょっと耳鳴りっぽい「キーン…」って音が微かに聞こえる。それよりも、あまりの大音量に俺の耳がぶっ壊れた可能性の方が高いが。
「ていっ」
「カフッ!?」
「……落ち着いたか?」
「けほっ、けほっ……落ち着いたけど、女の子の喉を突くのはどうかと思うんだ」
「色気のない方法じゃないと余計に悪化したと思うが?」
なんで無意識の内に俺の手を掴んだのかは知らんが、さすがに俺でも白奈が羞恥から超音波を出したのは分かる。それを解除するにはそんな気分にならない場を作ってやればいいだけの話だ。
凄くどうでもいいが、普通に会話できていることから俺の耳は壊れていなかったようだと、ちょっとだけホッとした。だとすると白奈が超音波を出していたことになるが、気にするだけ無駄か。
「ほら、行くぞ。暗くなる前に帰るんだから早くしろ」
「えー……そんな早く帰るの?」
「別にお前らが暗闇でも役に立つなら良いんだけどな」
「痛烈な嫌味がツラいです……」
たしかこの3人は夜戦や暗幕戦闘の訓練を受けていなかった筈だ。
街灯とかはたしかにあるが、逆に言えば相手だってそんなところでは襲ってこない。どうしても発生してしまう暗闇で襲撃した方が成功率も高いからな。だから『灯りがあるから大丈夫でしょ?』とかは通用しない。その程度のことなら3人も理解していたようだが。
「令は夜でも戦えるの?」
「むしろ俺はそっちが専門だしな」
俺は非力だ。総合的な戦闘力なら相当なものだという自負はあるが、腕力などは恐らく相川にも負ける。あいつはあれでもかなり鍛えているからな。
それはともかく、俺はまだまだ身体が未成熟だからか物理的な力が少ない。だから真面目に正面から戦うと力負けする可能性がある。それを補うために、俺は奇襲や夜戦、暗器や罠など搦め手で倒す術を学んだ。もちろん自衛のために戦闘術も学んだけど。
だから俺は意外と珍しい『暗闇での奇襲が可能な異能力者』として事務所に登録されていたりする。
「へー……それって凄いの?」
「別にそこまで凄いって訳でもない。訓練すればお前でもそこそこにはなるんじゃないか?」
「シロちゃん、御門は簡単に言うけど、これはそんなに簡単な話じゃないんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「あ、あの……行かないんですか…?」
「「「……あ」」」
俺も忘れてた。これじゃあ偉そうな事は言えないな。いや、俺的には本当に、時間が削れて嬉しい展開なのだが。
* * *
そしてやっと辿り着いた駅前のショッピングモール。
5階建てで東西に1.3㎞もある巨大な複合商業施設だ。常に人で溢れかえっているので俺は滅多に来ない。というかまだ2回しか来たことがない。
寒い寒いと言いながら歩き続け、あともう少しで入れるというところで皆月に電話が掛かってきた。
「もう! こんなときに誰――って、所長?」
「珍しいな。早く出た方が良いんじゃねえの?」
「あ、うん……はい、もしもし」
それから5分ほど、頷いたり質問したりしてやっと会話が終わった。
「ともちゃん、ももちゃん、所長が一度戻って来いだって」
「「はぁ?」」
「ど、どうしてですか……?」
俺と相川の声が重なった。一之瀬は重ならなかったが、思ったことは同じようだ。
つまり疑問。杏香さんは俺達が護衛任務に就いていることを知っているのに、何故それを呼び戻すのか。さらに言えば、3人を一度に呼ばなくても1人ずつ呼べばいいのでは? という疑問も抱いてしまう。
それは皆月も分かっているのだろう。すぐに説明してくれた。
「なんかね、シロちゃんのお父さんが事務所に来たんだって」
「え?」
「それで、娘に会わせてほしいって言うんだけど、さすがにそこまで動かすのは危険が増えるってことで所長が宥めたんだって」
ナイス杏香さん。そして黒瀬パパはここに来てどうしたんだ? 娘成分でも不足しているのだろうか。
「そしたら今度は、娘の現状を知りたいって言ってきたんだって。情報漏洩とか怖いし、それにも所長は反対したんだけど、さっきのことを断っちゃったからこっちは断り切れなかったみたいで」
「なるほど。しかも一緒に過ごしている人から聞きたいとか言ってきた訳だ」
「そゆこと。なら1人だけ呼びますって所長が言ったら、個人の主観で話されても困るとか言い出したって」
「面倒くせえ……」
「な、なんかパパがごめんなさい……?」
「お前が謝る必要は無いけどな。……それで3人が呼ばれたのか?」
「うん。一通り話してあげれば大人しくなるだろうってさ」
いや、そんな子供じゃないんだから。曲がりなりにも県議会議員だぞ? 何が迷惑になるかぐらい判断できるだろ。
「……なんか臭いな」
「えっ、あたし臭うかな?」
「そっちじゃねえよ。お前の父親の行動がおかしい。異常と言ってもいいくらいだ」
「そうだね。だから私は3人で戻ることに賛成かな」
「ああ。俺も賛成だ。……ちょっとこっち来い」
「ん? なになに?」
ここからは白奈に聞かせるのは酷だ。もしかしたら肉親に魔の手が忍び寄っているのかもしれないのだから。
「(もしかしたら、件の精神干渉系の異能力者が関わっているかもしれない。注意しておけ)」
「(あ……そっか、そうだよね。うん、分かった)」
その可能性は考えていなかった……いや、考えたくなかったのであろう皆月は、言われた内容が内容なだけに顔を引き締めていた。そこまで緊張されても困るんだが。
しかしどうするか。3人が居ない状態でショッピングは少し厳しい気がする。どうしても1人では死角ができてしまうし、俺が入れない場所(トイレや試着室)で白奈が襲われたら防ぎようがない。その白奈をチラッと見てみる。
「令……」
少し困ったような、諦めたような表情をしていた。そんなに今回のショッピングが楽しみだったのか。
……今、これを押さえ付けると後々に響く可能性がある。もちろん悪い方向に。あの日以来初めての我が儘だということもあるし、目の前に目的があるということもあって、ここで我慢させるのは精神的に良くない。
今の危険と後の不和。どちらが損だ……? 俺的には後の不和の方が損なんだが、幸いそれを防ぐために3人が居る訳だしな……。しかし俺1人でも数的な不利があるだけで、総合的な力なら3人にも負けていないところが悩ましい。
………………。
…………。
……。
「令、今日は――」
「よし! ほら、さっさと行くぞ。お前たちは間に合わないとは思うが、出来るだけ急いで戻って来てくれ」
「ふふっ、了解であります」
「え? え?」
俺は結局、後の不和の方が損だと判断した。そっちは俺の手で解決できないからな。3人が居なかったらそこで詰んでしまう。
「ほら、どうした? 買い物に行きたかったんだろ?」
「え、あれ、でも……え? ちょっと待って、え?」
「という訳でシロちゃん、存分に楽しんできたまえ」
「なんでお前は上から目線だよ?」
「からかってるだけー」
そう言って皆月達は行ってしまった。なんて勝手な奴らなんだ。
「じゃあ行くか」
「う、うん……」
現在は12時のちょっと前。話が出てから4時間、やっとのことで俺達はショッピングモールに入ったのだった。
中は予想通り人でごった返していた。木曜日という微妙な日だというのに……暇人が多過ぎるだろう。
まぁ、さすがに高校生以下の姿は少ない。大部分は主婦や大学生で、俺達は若干目立つかもしれないな。さっさと目的の店に入ってしまおう。
「おい、しろ――」
「わぁぁぁ……! ねえ、早く行こっ!」
「は? おいちょっ……」
なんだなんだどうした。何故にお前はそんなに目をキラッキラさせてるんだ? ここって他よりちょっとデカいだけの普通のショッピングモールだぞ?
「待て待て。いきなりどうした? そんなにここって興奮する場所か?」
「へ? あ、ちがっ……」
「? 別に良いけどな。でも手は離してくれ。いざという時動きにくいから」
「っ!? ~~~~っ!!」
「またかよ……」
そんなに照れるならやるんじゃねえよ、面倒くせえ。
とにかく一度冷静にさせるためにトイレに連れて行って、割と近くで警護できる多目的トイレに白奈を放り込んでおいた。
『うー、にゃー! うー、にゃー!』
「……お前はお前で何なんだよ……って電話か。……杏香さん?」
とうとう人語を介さなくなったアイは放っておいて、俺は電話に出た。杏香さんから電話とか珍しい。急ぎなのか、それだけ大事な要件なのか。とにかく聞かなくてはいけない。
「もしもし」
『御門か。済まないな……白奈嬢は側に居るのか?』
「今は声が届かない場所に居ますが」
『そうか。御門、良く聞け』
「はい」
『さっき皆月に伝えさせたことだが』
あぁ、黒瀬パパのことか。だがそれがどうしたというのか。こう言っちゃ悪いが俺には関係ないだろうに。
『あれは……嘘だ』
「はい?」
『そういうことだ。ではな』
ブツッ。
「え? は? いやいやいやいや、意味分かんねえよ。嘘? なんで?」
いや違う。その嘘の所為で何が起こった?
簡単だ。俺と白奈が初めて2人っきりになった。それだけだ。
「……ふ、ふふふふ……」
「あ、あの令、ごめ――ひぃっ!?」
「やってくれるじゃねえか……皆月か相川だな? あのアマ共がぁ……」
ここまでされたら俺だって何が狙いかぐらい分かる。どうやらあの3人は……違うか、杏香さんを含めて4人は、俺と白奈をくっ付けたいらしい。理由は分からんがそこだけは間違いないだろう。ここで敵に襲われて俺が守り切れなかったらどうするつもりなんだ。
「れ、令…? どうしたの……?」
「? あぁ、白奈か。ちょっとイラッとくる電話があってな。お前は気にしなくていい」
「そう、なの?」
「すぅー……はぁー……ふぅ…もう大丈夫だ。さっさと用を終わらせるぞ」
あいつらがどんな狙いを持っていようと、俺には関係ない。最悪『気が付かなかった』で押し通せるしな。
俺が白奈の近くに居て、しかも気遣っているのは仕事だからだ。決して個人的に好きだからとか、そんな感情で動いている訳ではない。そもそも護衛対象に入れ込むのは厳禁だと最初に言われることだ。判断が鈍ったり、的確な思考ができなくなったりするから。
だから結論を言うと、俺に白奈とそういう関係になる気は無い。今の白奈は嫌いではないが、別に好きでもない。顔立ちが整っている人間なんて母親を始め、小さい頃から見慣れているのだ。それが今になって恋愛感情に繋がるなどあり得ない。
「令?」
「なんだ?」
「なんか……距離が」
「近過ぎると守りにくいんだよ」
「む……そればっかり。もう! 今日はそんなの気にしなくていいの!」
……あ? その言葉からしてコイツも共犯だな? ふざけやがって。そんなんだから俺はお前らが好きになれないんだよ。何故そこに気付かない?
コイツが共犯だということは、コイツは俺のことが好きなのか。どうでもいいけどな。俺の感情を無視するなら、俺だって無視するだけだ。
「ほら! 早く行くよ!」
「……はいはい」
そんな考えを心の中に隠して、俺は手を引かれるがままに店内を散策した。
* * *
そして冒頭に戻る訳だ。
「ねえ、次はあっちに行ってみよ」
「あのな、俺は遊びに来た訳じゃ……」
「いいから!」
そう言って強引に俺を服屋に引きずり込む白奈。これで何件目だよ。もう2時間は見て回っているのに1枚も服は買ってないし、何しに来たんだ?
「こ、これとかどうかな?」
「知らん。俺にファッションのこととか聞くな。全く分からねえから」
「じゃあこっちは?」
「…話を聞いてくれませんかね?」
俺への嫌がらせなのだろうか? そっちが楽しくてもこっちは全く楽しくないのだが。つーかウザいだけだ。
そんな時だった。背後から声を掛けられたのは。
「黒瀬 白奈と、御門 令だな?」
「っ!」
振り向いて、白奈を守れる位置に動く筈だったのだが、動く前にいきなり頬を殴られた。大して痛みは無いが今の俺はイライラしていたから、完全に火が点いてしまった。
「令!?」
「お前は黙ってろ」
相手の姿を確認する。普通のコートに普通のジーパンを身に着けている若い男だ。恐らく20代前半。顔に見覚えがある。たしか……斉藤とかいう公安の人間だった筈だ。極秘に動いているメンバーの1人。
「ほう、今ので倒れないのか」
「生憎と無駄に鍛えているんでね」
「そうか。まあいい。黒瀬 白奈は重要参考人として我々が預かる。邪魔をしたら公務執行妨害の現行犯で逮捕するからな?」
「ふざけんな若きエリート様。そっちこそ営業妨害で訴えんぞ」
今の会話で分かった。こいつはバカだ。私服警官なのに『公務』とか言っちゃってるし、逮捕権を使っての脅迫は立派な犯罪である。
しかも俺のことを問答無用で殴ってきたしな。残念ながら俺は犯罪者じゃないので、これもただの暴行だ。どうやら若くして機密部隊に入れたことから特権意識が高くなってしまっているらしい。
「ってかさ、斉藤さんよ。重要参考人ってことは任意同行だよな? つまり強制力がない」
「っ……そうだな」
名前を呼ばれた程度で動揺するなよ。敵だって相手のことは調べるんだぞ。
「なら俺達は拒否するけど、そこらへんはどう考えてこの暴挙に出た訳?」
そこが気になる。これでアホなことを言ったらボイスレコーダーを各メディアに送りつけてやる。
「そうすれば、我々はそういう目で君達を見ることになる」
「あっそ。そんなにころころと景色が変わるなら眼科に行くことを勧めるけどね」
あぁ、残念。お前はバカだ。このボイスレコーダーは高性能だから全部録音されているだろうよ。本来は出会った人間の言動をチェックするために持っていたんだが……幸運なのか不運なのか……。
「ぐっ……この!」
「ははっ、そんな脅しが通用するとでも思ったのか? もう一回国家試験受けてこいよ。それにさぁ……さっきから我々とか言ってるけど、俺と真正面から敵対することを選んだのはお前だけなんじゃねえの?」
俺がそう言ってやった瞬間。
「きゃあ!」
「へえ、炎操力か。しかもランクA相当の」
斉藤が周囲に炎を出現させた。これはランクにもよるが普通は種火なしでは使えない。しかし普通に使っているところを見ると、コイツの超能力はかなり高ランクのようだ。
「……が」
「あん?」
「アイツらが、アイツらが馬鹿なんだ! こんなガキにビビッて! 俺ならできるのに!」
なるほど。その過剰な自信を上司は抑えきれなかったと。どいつもこいつも使えない。しかも迷惑を被るのは毎回俺。そろそろいい加減にしてほしい。
「ま、そういう愚痴は上司に言ってくれ」
「お前なんかに、俺が負ける訳がないんだ!」
「そうですかー。良かったですねー」
「…っざけやがってぇぇえ!!」
「おいおい、ここは服屋だぞ?」
斉藤が炎を全開にした。まるで龍のようだと言ってやりたいが、些か迫力に欠けるので太い触手にしか見えなかったのはここだけの話だ。
とにかく逃げよう。戦っても余裕で勝てそうだが、場所が悪い上にまだ正当防衛を主張できる証拠が無い。俺は仕方なく白奈を肩に抱え上げて、通路に飛び出した。斉藤も当然のように追って来る。
このショッピングモール、大きさ以外は結構普通の作りになっている。東西に伸びている建物内部には、南北にズラッと店舗が並んでいて、その間の通路は1階から4階まで吹き抜けになっている。
通路に穴を開けるのは、その分の材料費をケチったり、広く見せて解放感を演出したり、下の階の柱を減らすためだったりするのだが、今は関係ない。そこが開いているということがラッキーだった。それだけだ。
「ちょ、令! もっと他に持ち方が――ひぁぁぁああああああ!?!!?」
「うるせえ。黙って口を閉じろ」
吹き抜けになっているから3階から飛び降りても短時間で地上まで戻れる。しかも相手はパイロキネシスだからな。念動力みたいに自己の補助が出来ない。つまり飛び降りて追って来ることが不可能……な筈だったんだけどなぁ。
斉藤は1階ずつ交互に足を掛けて追いかけてくるのだ。お前どんだけ運動能力高いんだよ。吹き抜け部分の横幅が何mあると思ってんだ? そこを飛び跳ねてくるとか超能力以上に驚きだわ。
なんて面倒な奴だ。
俺はふわりと降り立つと、そのまま駆け出す。白奈は恐怖のあまり気絶したようだが、今はむしろ都合が良いのでグッタリしていてほしい。
「逃げるのか! 逃げるんだな!?」
「うるせえなぁ……」
後ろから斉藤が何か叫んでくるが、汚過ぎてそこらの雑音にしか聞こえない。
なんであんなのが公安に入ってんだ? 新手の実験能力者とかじゃないだろうな? ……なんかそんな気がしてきた。
因みに、どうでもいいことだが白奈は異能でちょっとだけ浮かしている。つまり俺は重さを感じずに走っているのだ。さすがに人間を1人抱えて走り回るのは厳しいからな。
(ふむ……ここまで監視カメラに映っていれば、正当防衛と主張できるか? どう見ても俺達が襲われている側だしな……)
というか、そう思ってないとやってられない。貴族と一般人じゃあるまいし、反撃できないとか何の縛りプレイだよ。
「……ここは直線だし、大丈夫だろ」
俺は現在どちらかというと東側を走っている。だから背後には少なくとも700m以上の直線スペースがある筈。つまりいつも壊してしまう壁等が無い。それなら吹っ飛ばしても――
「あ、そうだ、あれを試してみよう」
そうだよ。別に飛ばさなくても相手を無力化する術はいくらでもある。どうやら俺も頭に血が上っていたらしい。冷静にならなくては。
「はぁ…はぁ……どうしたぁ? 鬼ごっこも終わりかぁ?」
「あぁ、終わりだよ。鬼は退治されるのが常だしな」
効果は一瞬。それ故に俺もしっかりと集中して異能を発動した。斉藤は俺の目が紅く光ったのを見て警戒しようとしていたが、それではもう遅い。
残念だったな斉藤。その炎を全身に纏っていれば波動が邪魔でこれは使えなかったんだが、その触手では隙間だらけだ。
「――あが%&#ぎょ$ぐげぇ!?」
「……おおう……使った俺が引くくらいの威力だな……」
斉藤はいきなり奇声を上げて倒れた。口から泡吹いてるし、どう見てもヤバイ人の完成である。周囲の人も斉藤のことを怯えて見ていた。……意外と逃げないものなんだな。
ま、原理は簡単なんだけどさ。ただ斉藤の頭を前後にシェイクしただけだし。それで脳と、当たり前だが三半規管にもダメージを与えたって訳。
「……帰るか」
結局、俺達は何も買わずにショッピングモールを後にした。
余談だが、皆月達はこっそりと後を付けていたらしい。だったら斉藤を止めろよと言いたかったが、全く気が付かなかったと言う。だったらくだらない策を練ってないで訓練でもしろよと言いたかった。