2話 始まっていた戦い
~side ソウスケ~ 2027年 2月18日
結局、息子――令は柊 杏香が持ち掛けてきた仕事を受けることにしたのだと言う。
家に帰ってきた令はテキパキと荷物を纏め、普段使っている暗器の類のチェックを始めた。ナイフ・含み針・強化ワイヤー・閃光弾・音響弾などだ。
令がその身に宿す異能力は強力無比であり、それを使えば負けることはないというのに本人はそれを嫌がっている。だからなのか、令は10才頃から俺に戦闘術を教わりたいと言い出した。
最初は俺も本気じゃなかった。なにせ俺は軍の、人には言えない部署に所属している人間だ。自分の戦闘力にはそれなりの自信があったし、まだ10才の子供には耐え切れず、すぐに音を上げると思っていた。
でも違ったのだ。アイツは本気だった。本気で異能力なんかに頼らずに戦う術を求めていた。その証拠に、まだまだ体の出来上がっていない15歳の少年は、今日やった俺との組手で1発も喰らわなかった。
まさかあんな少年に全ての攻撃を躱されるとは。
「俺も歳なのかね……」
「惣介さんはまだまだ現役でしょう。あの子が惣介さんよりも努力しただけのことですよ」
「そうだよなぁ……俺はあそこまで一生懸命にはなれなかった」
「ええ。あの子が頑張って、傷付く度に胸が引き裂かれるような思いでしたけど、それでも止めなくて良かったと、今ならそう思えます」
令は本当に凄い奴だ。アイツは11才の時、既に異能力をほぼ制御しきれていた。たしかに俺達の助けもあるにはあったが、殆どが令自身の努力の賜物だ。そこに至るまで、骨折は数え切れず、時には内臓を損傷して1週間も生死の境を彷徨ったこともある。それでも、俺達が何を言おうとやめることなく、結局は自分の力だけで異能をモノにしてしまった。
そして最も驚くべき点はその修練の間、周囲に一切の被害を与えていないことだろう。
全ての被害を自分自身へと集約させていたのだ、アイツは。それをさせていたのは恐らく――
「十数年前の記憶、か」
「令くん、今でもたまに魘されていますよね。あの島で一体何があったのでしょうか……」
島を沈めたその記憶が、今でも令には残っているのだろう。
アイツの本質は“優しさ”だから、その破壊の象徴のような光景は思い出したくないものなのかもしれない。それを再発させないためにも制御するために全力を費やし、しかもその間は周囲を破壊しないために自分を壊した。
それをさせるアイツの記憶とは一体何なのか。俺はそれが知りたい。だけどそれは令を苦しめるだけになってしまう。
助けたいのに、それが相手を傷つけてしまうという、圧倒的なその矛盾が俺達夫婦の最大の悩みだった。
「それは俺にも分からない。でも、異能力に対するあの嫌悪は相当なものだ。それを宿している自分自身も嫌いで仕方ない……って時期があったくらいに、な」
「……あの時は大変でしたね。まだ制御しきる前でしたから」
「ああ。あの異能は、ちょっと異質過ぎる。それにもしかすると――」
「第二段階へ進みつつあるかもしれませんね」
「椛も気付いていたか」
「もちろんです。もしそうなったら、私達が守らなければいけませんよ。その覚悟はありますか?」
「それこそもちろんだ。息子1人守れずに何が父親か」
「それを聞いて安心しました。場合によっては国防軍すら相手取らなくてはいけませんからね、私1人では少々心許なかったのです」
「そっちこそ、公安の奴らに追われることになるんじゃないのか? あれは軍よりも性質が悪いだろう」
そこで顔を見合わせて、2人して笑い合う。
俺達の覚悟なんてとっくに固まっているのだ。令が令でいる限り、俺達の息子であることに変わりなく、どれだけ異常な力を身に付けたとしても、たとえそれで様々な大人に狙われたとしても、俺達が命を懸けて守り抜く。
これは令を引き取った時から夫婦2人で決めていたことだ。令はいつか必ず、無名の子供で居られなくなる。その破滅的な力で有名になる日が来る。
……まぁ、俺達が何もしなくても、アイツは自分の力だけで乗り越えてしまうかもしれないけどな。
「……今夜、1杯誘ってみるか」
「程々にしてくださいよ? 令くんはともかく、惣介さんは弱いんですから」
「…むしろ令はなんであんなに強いんだ? ケロッとした顔で酒を楽しみやがるんだぞ?」
「さあ? 私としては、むしろ惣介さんが弱すぎると思いますけど」
「そういや椛も強いよなぁ……」
この家では何をしても俺が一番下だ。軍では同期の中でもかなりの有望株と言われているんだけど、我が家のレベルはそれを軽く凌駕しているから比べるだけ馬鹿馬鹿しい。
「椛」
「なんですか?」
「令が俺達の息子で良かったな」
「そうですね。令くんが私の子で私は幸せです。血の繋がりなんて関係ありません。正真正銘の家族であり親子ですから」
「………………」
椛も俺も、あることが原因で子供が作れない身体になってしまったから、令にその代わりを求めていた部分もあった。
だけど令が10才の時――まだ俺に戦闘術を教えてほしいと言う前だった――に血液型から血が繋がっていないことを指摘され、なし崩し的に事実をありのままに伝えた。それでも令は、全く変わらなかったのだ。
『血が繋がっていなくても、ぼくはお父さんとお母さんしか知らないから』
そう言って異能力の制御訓練をいつも通りに始めた令を見て、俺達が一体どれだけ救われたことか。この時初めて令を失うかもしれないという恐怖を感じたのだ。
やっと本当の親になれた。そんな気がした。
「あの子は強いです。ちょっと強過ぎるから……精神が摩耗し始めています」
「そうだな」
「でも私達ではダメなんです。あの子は何故か私達に恩義を感じているようなので」
「……俺達が感謝するべきなのに、な」
「だから、あの子を支えてくれる、大切な存在が必要です。……少々複雑ですが、あの子が心を許せるのならどんな女性でも構いません」
「そこまで言うか……令がパートナーの選択に失敗するとは思えないけど」
「分かりませんよ? あの子はモテますから」
「……そうなのか?」
「あら、聞いてませんか? もう令くんは経験済みだそうですよ? 12才の時に」
「なんだとっ!?」
バカな! 不純異性交遊も程々にしろよ! なんて羨ま――じゃない。あんな歳で間違いが起こったらどうするつもりなんだ。
「どうやら初めては女性に襲われたそうです。仕事で助けた女性が令くんに惚れてしまったのでしょう。……それはそれとして、羨ましいとはどういうことですか? 惣介さん?」
「………………」
なんで心の声を正確に聞き取っているんだ……
「女の勘です」
「いや、その、な? 俺も若い頃にそこまで遊んだ訳じゃないから……」
「ふぅ……まぁいいでしょう。実は私も、さすがに早過ぎるのではないかと心配になりまして、常識や良識をしっかりと持っているのか試す意味を込めて、令くんを誘ってみたことがあるんです」
「なんだとっ!!???」
なんか妻がとんでもないことを告白してきたんだけど!?
「け、結果は……?」
「ふふ、残念ながら女性としては見れないって言われました」
「そ、そうか」
どうやら我が息子はしっかりとした良識を持っていたようだ。実際は血が繋がっていないから法的には何ら問題が無いとはいえ、やはり親子ではそれ以外の問題が色々とある。
「だけどなぁ……令が乗ってきたらどうするつもりだったんだ?」
「そんな猿みたいに盛っていたら、ちょっとシメようと考えていました」
「……そ、そうですか」
もしかして令は椛の狙いというか、その後の展開が見えていたから断ったんじゃなかろうか……?
「……んっ、そろそろ令くんの準備も終わりそうですね。私は晩ご飯の用意をしてきます」
「ああ、分かった」
そう言って椛はキッチンへと向かって行った。
さて、俺の方はどうやって話を切り出すかな。……酒飲みながら話すか。その方がお互いに楽だろう。よし、それで決まりだ。だから――
――だから、息子よ。少しの間だけ、1人で頑張ってくれ。
* * *
~side レイ~ 2027年 2月19日
「うー、寒っ。今日は一段と冷えるな」
『生身の人間は大変だにゃあ』
「お前もファイヤーウォールに突っ込めば逆だけど理解できるだろうよ」
『別にあれは炎じゃないじぇ?』
「知ってるよアホ!」
そんな可哀想なものを見るような目を向けないでほしい。
……今日は護衛対象である黒瀬 白奈との顔合わせの日だ。先ほど杏香さんから連絡が来て知ったんだけど、その親である黒瀬 善蔵さんも態々予定を空けて顔合わせの場に来れるようにしたらしい。まぁ1人娘だしな、心配する気持ちも分からなくはない。
集合場所のマンションが見えて来たなー、と思っていたら杏香さんや皆月、相川と一之瀬まで全員がすでに集まっていた。
なんかダラダラ歩いて行くのも悪いので軽く駆けて行く。
「ん、来たか」
「俺が最後でしたか。なんかすいません」
「いいのいいの。むしろこっちが早すぎたくらいだからねぇ」
「……まだ時間の30分も前だしな」
そう、今はまだ朝の7時半。俺はかなり余裕を持ってここに来た筈なのに、示し合わせたように俺以外が集合済みなのはどういうことなのか。
「なはは……まぁ、いいじゃないの。別に御門を除け者にした訳じゃないから、さ」
「そうなのか? …どちらにしろ、そこまで気にはしてないけどな」
だとしたらなんでこんな時間に4人もの女性が集まるのか、不思議でならない……が、気にするなと言っているのだから気にしない方が吉なのだろう。女がはぐらかすことを深く追及しても躱されるか、碌なことにならないかの二択しかない。
ふむ、しかし何故だ? なんとなくだが相川が疲れているように見える。こいつは腐ってはいるけども自己管理くらいは出来た筈だ。つまりここに来てから疲労が溜まったということなんだろうけど……分からん。任務に支障がないなら考える必要はないか。
「それより、一之瀬のその格好は何なんだ?」
「ふぇ!? どどどこか変ですかね…?」
「いや、どこが変と聞かれると全体的に、と答えざるを得ないんだが……」
一之瀬は厚着をしていた。そりゃそうだろう、今日の予想最低気温は氷点下1℃である。
でもな? だからといって、そのモコモコしたコートを3枚も重ね着するのはおかしいと思うんだ、俺は。
その所為で、小柄な一之瀬は服を着ているというよりも、服に食われているような有様になっている。シルエットはまるでバランスボールであり、一番外側のコートは引っ張られ過ぎて今にも裂けそうだ。
「あぅ……あのあの、私って冷え性でして……」
「だから手も5倍くらいにまで膨れ上がってたのか」
「はぅ……」
胴体も凄いが手もかなり凄いことになっているのだ。多分、厚めの手袋を4~5枚は重ねている。
こんな格好で護衛任務とか無理だろ。むしろ邪魔だから蹴飛ばして転がすかもしれない。
「ぷっはははは! もー、萌々(もも)ちゃん可愛すぎー!」
「ひあぁ!? ちょっ、紗さん、やめ……ってどこ触ってるんですか! こんなに重ね着してるのに!?」
うん。一之瀬よ、皆月の手は実に巧妙にコートの中へと入り込んで行ったぞ。伊達に忍者の末裔を自称していないからな、そいつは。
「杏香さん、このまますぐに行きますか?」
「そうだな。向こうは忙しい身だし、早いに越したことはない」
「んじゃ行きましょうか」
「待て。あの3人はどうするつもりだ?」
そう言って杏香さんが指差す先には、
地面にしゃがみ込んで、まさにバランスボールのような形態をとり、防御態勢を整えている一之瀬と、
それに果敢に挑み、ちょくちょく成功して服の中をまさぐっている皆月に、
何故かそれを熱心にスケッチしながらハァハァしている、腐っている上に他人の百合が大好物な変態(相川)が1人。
このクソ寒い早朝にバカが混沌空間を作り出していた。
「あれを俺にどうしろと?」
「……いや、済まんな。たしかに人類には荷が勝ちすぎるか」
「そういうことです。どうせ放っておいても来るんですから、2人だけで先に行っちゃいましょう」
「そうだな、そうしよう」
俺と杏香さんは何も見ていなかったことにして、護衛対象が住んでいるという高層マンションに向かった。
余談だが、目的地には杏香さんの車で移動したので、あのバカ3人は――特に金が無いとボヤいていた変態が――タクシー代で財布が軽くなったと嘆いていた。
バカを言うなお前ら。電子マネーが主流の現代で、どうやったら財布が軽くなるというのだ。そう指摘してやったらさらにブチブチと文句を言って来た。かなりウザかった。
* * *
「初めまして。僕が今回、君達に護衛の依頼をした黒瀬 善蔵です」
そう挨拶するのは、まだ40代の男性だった。大仰な名前から勝手に威厳ある爺を想像していたけど、それはさすがに失礼だったか。
……それよりも、なんかここは居心地が悪いな。今俺達が話しているのは護衛対象が住んでいるマンションのエントランスにある休憩スペースの一角だ。見た目はありふれた、それこそ都内ならどこでも見られそうな場所だ。
それなのに、なんだか薄いフィルターを通して見られているような、気配の薄い嫌な視線を無数に感じる。
「これはご丁寧に。私はこの子達の上司です」
「皆月 紗です」
「相川 巴です」
「い、一之瀬 萌々と申します」
「………………(キョロキョロ)」
うーむ……これってちょっとヤバくないか? だってここって対象が隠れ住んでいるんだよな? だったら居場所がバレている時点でほぼ詰みに……
「どうした御門。自己紹介くらいはしろ」
「所長、ここに黒瀬 白奈さんは住んでいるんですよね?」
「そうだ。それはここに来るまでに説明した――」
「だったらすぐに引っ越した方が良い」
いきなりの俺の言葉にこの場の全員が怪訝な視線を寄越してくる。どうやらこの不快感には俺しか気付いていないようだ。とりあえず見回して見つけた物や、推測なんかのあれこれを説明しようとした……ところで、ここのスタッフか何かが水を持ってきた。
「長くなるようですので、お水のサービスでございます」
「そうか。ありがとう」
「いえ。ごゆっくりとお寛ぎ下さいませ」
そう言って去っていく女性スタッフ。俺はその人の言葉に違和感を抱いていた。今は考える時間が無いから漠然としていて分からないけど、これを見過ごしてはいけないと本能が叫んでいる。
「待て」
「御門?」
「はい。なんでございましょうか」
だから俺はその女を、仕事口調で呼び止めたんだと思う。そうなったのは「待て」の一言だけだったけども。
「俺は水要らないからさ、お姉さんが代わりに飲んじゃっていいよ」
「っ…それでは下げさせて頂きますね」
「いや、片付けてとは頼んでない。代わりに飲めって言ってんだよ」
「……チッ! ガキがはぁっ!?」
「皆月! 黒瀬氏を守れ! 残り2人は最低限の警戒をしながら対象の部屋まで急げ!」
「「「了解!」」」
豹変した女性スタッフは俺が瞬時に足を払い、そのままの勢いで後頭部を床に叩き付けて意識を刈り取った。
バカトリオもさすがにいくつかの修羅場を経験しているだけあって、俺が仕事口調になった瞬間から臨戦態勢に入っていた。だから俺の指示にもすぐに応えて、その通りに動き出してくれたのだ。
「な、なんだ、何が起こっている?」
「黒瀬さん、ここは危ないので外に出ましょう」
「しかし娘が……っ!?」
ばちゃあ……と粘着質な液体が落ちた音とともに、獣のような悲鳴が広いエントランスに響く。
原因は俺が襲い掛かってきた男の腕を斬り落としたから。ナイフではなくワイヤーを使ってだ。1/10㎜という極細の強化繊維は、人の腕など巻き付けて引っ張るだけで簡単に落としてしまう。
「黒瀬 善蔵さん。娘さんは俺達が責任を持って、無傷の状態で連れ出します。だからここから離れてください。貴方が駄々をこねた分だけ娘さんが危険に晒されると心得てください。お願いします」
「くっ………………分かった。皆月さん、だったかな? 情けないが僕を守ってほしい。僕はここで死ぬ訳にはいかないんだ」
「承りました。ではこちらに来てください。ほら、所長も」
「私は戦えるんだが……仕方ないか。御門!」
「なんですか?」
今もわらわらと敵が湧いて出てきているんだから話しかけないでほしい。というか心配で気が散るから早く脱出してくれ。
「ここは任せた! だが、お前が怪我したら私が椛に殺されることを忘れるなよ!?」
「……りょーかい」
もしかしたらあの事務所にまともな人間は居ないのかもしれないと、俺はこの時、割と真剣に悩んだ。もちろん敵さんをなぎ倒しながら。
「…ふぅ、やっと行ってくれたか」
「フッ、味方はみんな逃げちゃったぜ? ボウヤ」
「はぁ?」
こいつら、相川と一之瀬が走って行くのを見なかったのだろうか。……見なかったのかもしれないな。だって最初にやられた女からしてバカ丸出しだったし。
「まぁいいや。とりあえずお前らは壁にめり込んでて。後で警察の人が回収しに来てくれるから」
「あぁ? 何言ってん――」
およそ30人。俺を取り囲んでいたそいつらは、例外なく俺を中心に吹き飛んだ。
前触れも、音も、風も、動作すら無いその攻撃を避けられる人間なんて殆ど存在しない。俺の両親と、事務所の奴らくらいだ。あとは公安とか軍とか、検事や特捜部の一部の連中か。……こうして考えると意外と居るな。
「異能を使うのは好きじゃないんだけど……そうも言ってられないか」
ここの奴らはバカだったが、完璧にマンションのエントランス・スタッフとして潜入していた。恐らく三竜会の構成員だと思うんだけど……こりゃあ力の入れ様が予想以上だな。
だが一応はセキュリティレベルの高さを謳っているマンションだけあって、部屋への侵入は果たせなかったのだろう。でなければ、ここでスタッフのフリをし続けている事の説明が出来ない。
そうでなくても現在騒がれているアイドルなのだ。ここで誘拐・失踪など三竜会でも面倒な事案になるに違いない。
「御門さん!」
「おう、一之瀬か。こっちは終わったぞ」
「さ、さすがですね…」
「それで? なんでそいつを背負ってんだ、相川」
「ちっとね、錯乱気味だったから眠ってもらったの」
「……まぁ、無理もないか」
身に覚えのない写真が流出し、それが原因でネットは大荒れ、ブログはもちろん炎上。所属事務所も庇うことなく即座に謹慎処分を言い渡し、ニュースでは若者の未来とか性の乱れとかでの題材に取り上げられ叩かれる始末。
味方が誰も居ない。
強いて言うなら父親がそうなのかもしれないが、あれだって実際に会ってみたら親の義務に従っているだけのように見えた。さすがにこの境遇には同情を禁じ得ないな。
そして、それの原因と思われる精神系の異能者に、一段と強い憎悪を覚える。今回はマジで発散しないとヤバいかもしれない。もちろんこの騒動の原因にだ。
「よし、じゃあ先に行け、外で3人が待ってる」
「御門さんは?」
「俺は背後警戒。お前らがここから出たら俺も行く」
「分かりました」
まさか最初からこんな騒ぎになるとは……。先が不安過ぎる。そして考えていたよりも根が深そうだ。無事に高校入学を果たすためにも、原因をキッチリと取り除いて早々に終わらせなければならない。
それにしても……あー、警察の皆さんには大変申し訳ないけど、血塗れのエントランスの掃除は任せました。壁とかの弁償は三竜会に頼んでください。
みたいな感じの文章を適当な紙に書いて、入り口のガラスに張り付けておいた。
しっかしここは、なんというかホテルみたいな作りのエントランスだよな。都会のマンションにしては珍しい。受付とかが何のためにあるのか不明だが、もしかするとホテルをそのままマンションに転用したのかもしれないな。
そんな無駄な事を考えていたら、杏香さんから早く来いとのメールを頂戴してしまったので、俺はそそくさとその場を後にした。
* * *
~side シロナ~ 2027年 2月20日
「う……うぅん……?」
「白奈? 白奈っ!」
「ぇ……あれ、ママ?」
「ええそうよ。……もう、本当に心配したんだからっ」
え? え? 何この状況?
なんでママは泣いてるの? それにここは何処? どう見ても私の部屋じゃないよね?
あたしが混乱していると、唐突にドアがガチャリと開いた。
入ってきたのはあたしと同年代の女の子で、柔らかな雰囲気が印象的かな? ショートボブの黒髪を揺らしながら、少し焦った感じで入ってきた。
「奥様、何かありましたか?」
「あ……紗さん。娘が……」
「あぁ、お目覚めになられたのですね。奥様はそのまま娘さんの近くに居てあげてください。私は所長にこのことを伝えてきますので」
「あのっ」
「なんでしょう?」
「本当に、ありがとうございました!」
「奥様、まだ何も終わっていませんよ。それに礼を言うなら私ではなく、敵の策を看破して未然に防ぎ、この拠点まで提供してくれた彼に言うべきです。では私はこれで」
ママが紗と呼んでいた女の子はそう言って軽く一礼すると、ドアの向こうへ消えて行った。
全く話が分からない。
「ねぇ、ママ。今の子は?」
「あ、そうよね。それも含めて今までにあった事も説明するわね。実は――」
そこであたしは衝撃的な事実を聞いた。マンションのエントランスにはヤクザが待機していたとか、パパが雇った護衛の人達と戦闘があったとか、さっきの女の子がその護衛の1人だとか。俄かに信じがたい出来事がママの口からいくつも出てきた。
「ちょ、ちょっと待ってママ。それって本当のことなの? その、護衛? の人達が嘘を吐いたりはしてないの?」
「本当のことよ。パパも襲われたって」
「えっ!」
「あ、怪我はしてないわ。さっきの子が守ってくれたんだって」
「そう、なの……」
その時、話が落ち着くのを待っていたかのようにドアが開かれた。
入ってきたのはさっきの女の子を含めて5人。その中に1人だけ男が混ざっている。
「お、男?」
無意識の内に、そう呟いてしまっていた。
それが聞こえたのだろう、その男子はピクっと反応すると上司らしき綺麗な女の人に、
「所長、俺は席を外させてもらいます。場合によってはこの任務から俺を外すことも視野に入れておいた方が良いかと」
そう提案していた。あたしの一言で何故その考えに至ったのかは分からないけど、それでもあたしより年下に見える男の子に気を遣われたのは理解できた。
だけどあたしは、呼び止めることがどうしても出来なくて。結局、その少年は部屋を出て行ってしまった。
「……さて、御門のことは一先ず置いておくとしてだ。気分はどうですか? 黒瀬 白奈嬢」
「…白奈でいいわ。別に気分も悪くない。貴女の名前は?」
そう聞いたら、彼女はにっこりと笑うだけで答えなかった。
……聞くなということなのだろうか。そういえばママの話にもこの人の名前は出てこなかった。
「この子達は貴女の護衛や身の回りの世話役です」
「皆月 紗です。しばらくの間、よろしくお願いします」
さっきの女の子がまずは自己紹介してきた。
しかし、こんな華奢な子で護衛なんて務まるのかしら? モデルの子と同じくらい細く引き締まっていて、この子がパパを守っていたなんてちょっと信じられない。
「相川 巴です。よろしくお願いします」
2人目は大学生かな? そんな感じの人だ。やっぱりこの人も引き締まっていて、むしろ羨ましいくらい。でも戦えそうかどうかと聞かれたら、やっぱり戦えそうにないと答えるしかない。ちょっと綺麗な、どこにでもいる女子大学生の人にしか見えないのだ。
「い、一之瀬 萌々でしゅ、はぅ……よ、よろしくお願いします……」
最後はなんか可愛いのが来た。噛んで真っ赤になって俯いていて、なんだか無性に保護欲を掻き立てられる。小動物のような見た目もそれに拍車をかけているに違いない。よし、萌々ちゃんと呼ぼう。これはもう決定事項だ。
「この3人と、先ほど出て行った少年、御門 令を含めた4人で護衛を行う予定ですが、何か気になる点はありますか?」
名を名乗らない美女が聞いてくる。そんなの決まっているでしょ。
「さっきの男の子は、彼女達と同じように?」
「そうですね。ボディーガードが仕事ですから、身近に付くことになります」
「お断りします」
「白奈っ!」
「だってママ。あたしは男の所為でこんな目に合ってるんだよ? それなのに身近に異性を置ける訳ないじゃない」
「でも……」
「参考までに言っておきますが、今回の事件に彼が居なかったら、私以外は全員殺されていた可能性があります。他の3人はまだ搦め手に対して未熟な部分がありますから、薬物などを使われると対処しきれない場合も――」
「だったら対処できる人間を呼びなさいよ!」
「それが居ないから、こうして申し上げているのですが?」
美女の声に険が宿る。
その瞳は駄々っ子を見ているようでありながら、喚き拒否することしか出来ない無能者を嘲笑ってもいるようだった。
「……ふぅ……お前は彼がどれだけ心を砕いているのか理解できていない。この部屋から進んで退出したのも、経歴に傷が付いてもいいから任務から外す可能性を考慮してくださいと言ったのも、全てはお前のためでもあるのだ、白奈嬢」
「そうやって紳士ぶってるヤツが一番怪しいんじゃない!」
あたしがそう叫んだ瞬間、凄まじい殺気とでも言えばいいのだろうか? それが目の前の美女から噴き出してきて、余すことなくあたしに叩き付けられる。
嫌な汗が出て、呼吸が浅くなり、恐ろし過ぎて目が逸らせない。
「紳士ぶってる? 違うな、それは違うぞ白奈嬢。彼はお前のために心を砕いているが、それでもこの部屋から出る必要も、任務から外れる必要もないのだ。部屋を出たのは、この場の話し合いを円滑に進めるためにお前のちっぽけな感情論に付き合っただけに過ぎない。
任務にしたって、お前に見つからないように陰からサポートするなど造作もない。そうしないのは、お前が彼の存在に感付く可能性が極僅かだが存在し、さらにはお前が余計な癇癪を起こし『お前を守る』という任務が継続できなくなる可能性があったからだ。
もしそれでも彼が紳士ぶっていると言うのならば、それはお前にではなく彼の同僚の3人に向けられた優しさでしかない。
思い上がるなよ青二才。お前は彼が居なかったらヤクザに拉致されて、薬漬けにされた後に、風俗街に落とされていたのだ。もちろんその前にヤクザ共の輪姦があるがな。
これだけ言われてもなお彼を侮辱すると言うのならばこの場で私がお前を叩き斬るつもりだが、さてお前はそれでも男だからという理由で、ただの薄っぺらい感情論で彼を侮辱するか?」
…あたしは首を横に振ることしか出来なかった。