葛藤と忠誠
“ライティング”の明かりが暗い通路を照らす中、スコッチを先頭にベリーニを背負った俺とミモザが続く。
調査依頼書には対象となる遺跡で発見した数点のアイテムや鉱物を持ち帰る、という項目があるのだが、アイテムはスコッチが見つけていたので探す手間が省けた。
いつの間にと思ったが、先行していた時に見つけたらしい。
鉱物の方はボス部屋の緑光石を何個かと手頃な地面を掘り適当な数を所持している。
他にもマッピングだったり、出現する魔物の属性や種類、遺跡の内部構造や状態といった様々な項目が並んでおり、その達成率により報酬が決定する仕組みだ。
ちなみにあの蟷螂擬きはライトニングマンティスという大虫型種で雑魚では無いが、寿命を30年縮めて倒すような敵では無いそうだ。
あの雷撃の波は雷撃衝という技でちゃんと結界を張れば難なく耐えられるのだと。
話は戻るのだが、ミモザが死んでしまったと思った時は人生で初めてあんなに激怒したと思う。
要はただキレて暴れた結果、不毛な事をやらかしてしまったような感じだ。
魂が融合し伸び代が多いなら寿命も伸びていて欲しいものだ。
マジで。
「何を考え込んでいるんですか?」
「ん……ちょっとな」
「では質問をしても宜しいでしょうか」
「なんだ?」
「グローリーエンチャントですが、あれは混沌の福音と呼ばれる魔族に伝わる禁呪の内の一つとして知られています。それを唯の人間に過ぎないご主人様がどうして知り得たのですか? もしやヴィジャクラ様がお目覚めに?」
「……いや、違う。あの時の事はあまり覚えていないんだけど……」
そこから俺はあの時の出来事を朧げながら話していった。
心の中で怒りが膨れ、頭に浮かんだ言葉を口に出したらその禁呪が発動した事。
スコッチとの稽古など頭から飛び、本能的に刃を振り回していた事などなど。
「ミモザ様が死んだと誤認し、プッツンしてわけも分からずワードオブカオスを使用したって事ですか? それも低俗な大虫型種如きに寿命30年削って? 救い様の無い馬鹿ですね貴方は」
一通り聞いたスコッチの反応がコレだ。
そこまで言うか。
俺だって……。
「ですが」
「あん?」
スコッチはそこで足を止め、こちらに振り返り温かな笑顔を湛えながら言った。
「ご主人様のそういう優しい性根、嫌いじゃありませんよ」
その眩しい笑顔はとても人懐っこく、思わずドキリとしてしまった。
「これは推測の域を出ませんが、魔剣槍に封じられているヴィジャクラ様の魂の知識がご主人様の怒りに感応し流入したのだと思います。もしこれから先同じような現象が起きた場合は無闇に使用しない方が上策かと」
「あ、あぁ。そうだな」
ひんやりとした空気が顔を撫でる。
時折、どこからか染み出した地下水が、雫となって落ちる涼やかな音が響く通路を歩き続ける。
結構な高さを転げ落ちたらしく、進めど進めど入口に辿り着く気配が無い。
気配が無いといえば魔物の姿もまったく見ない、どこかに潜んでいる、というような気配すら感じない。
魔物の残骸が壁に張り付いていたり、砕かれた石像らしき物や、体内から爆発したような無残な姿になった魔物等はちらほら見かけるのだが動いているのは一体も見かけない。
強力な冒険者がここを通ったのだろうか、ここに来るまでいくつも分岐が有ったし、ここを攻略しに来ている一団がいるのだろう。
しかしここは遺跡と呼ぶにはいささか原始的な気がする。
壁はごつごつした岩だらけだし、ぬかるんだ地面や水浸しになっていたフロアもあった。
上へと続く通路も階段ではなく土剥き出しの坂だったし。
天井はやや高いがつららのような岩が垂れ下がっており、ちょっとした鍾乳洞のような感じだ。
そうそう、ここにはトラップが無いとの情報だったのだが、1層に2、3個はトラップが存在する。
上へ行くにつれその数は減っていったのだが、ライトニングマンティスがいた層には20個程トラップがあった。
全部引っ掛ったわけじゃない、ただ単に既に作動しているトラップを見つけては順次回避していっただけだ。
それは落とし穴であったり落とし穴であったり果ては落とし穴であったりと、見事な落とし穴縛りだった。
底が見えない穴や石槍が何本も生えている穴、百足で満たされた穴、腰までしか嵌らない馬鹿にしたような穴まで多種多様な穴が俺たちを出迎えてくれたのだ。
たまにではあるが、床石を踏み込むと横の壁から石槍がランダムに突き出てくる物や天井から溶解液が降り注ぐ確実に命を採りにきているトラップもあった。
油断させる為なのか、それとも手を抜いたのか、誰が作ったのか分からない結構陰湿な空気が漂う洞窟だった。
だがここまで綺麗にトラップを発動させるというのも、類稀な罠解除技術を持った人物がいたという事だろう。
もしこの罠達が意図せず発動したのであれば、起動させたのそ人物もまたある意味類稀な罠解除技術を持った人物だろう。
「ゴールがスタートってなんかアレだな」
「ネタバレコース一直線ね」
「だよなぁ。作動したトラップを調べるだけの簡単なお仕事だもんな」
「それにしても綺麗ね。回避される事を見越した2重のトラップまで起動させてる、正に匠の仕事よ」
「そ、そうでしょうか?」
俺達の会話が聞こえていたのか、前を歩いているスコッチが背中で反応する。
心なしか尻尾が左右に揺れて見えるのは歩いているからだろうか。
「そうよ。他にもトラップがあるかも知れないけど今まで見てきた物は全て進行を妨げる場所に設置されていたわ。少ない手順で遺跡進行に必要最低限の罠を解除するのは至難の業なのよ」
「そ、それほどでも……」
なぜお前が照れる。
スコッチの尻尾はもはや見間違いが無いくらい激しく左右に振られている。
お前か? お前なのか?
どうせあの反則級なスピードで駆け回ったって所だろうな。
起動スイッチを踏んだとしても、それが発動する前に通り過ぎればいいだけだしな、理論的には。
右足が沈む前に左足を出し左足が沈む前に水面を蹴る、それを物凄い速度で繰り返せば水面を走れる、とかどこかの拳法家が言っていた、理論的にはそうだろうけど。
普通に考えて無理だろ。
けどスコッチにそれを告げた所で帰ってくる答えは想像するに容易い。
「ご主人様の中では無理なのでしょうね、ご主人様の中では」
とか言ってくるに違いない。
異世界に転移した時、貴方は通常の人間より基礎能力が高いだなんて言われて、
「うぉマジか! もしかして俺最強? 超チートでハーレムで魔剣で勇者で成り上がるのか?!」
とか正直思ってましたよ、えぇそりゃ俺だってオタクですからそういう妄想に耽る事は多かったさ。
けど現実はどうだ、魔剣は持ってる、身体能力は確かに抜きん出ている、だがそれだけだ。
助けを待つヒロインも居ない、傾国のクーデターに巻き込まれたりもしない、窮地に陥った奴隷を助けてその子がそのまま自分の奴隷になってご主人様素敵ですなんて事も無い。
それに比べて俺の前を進むスコッチは齢1000年を超えており、死んだ魔王の側近であり、戦闘力も知識も経験も半端じゃない、俺が人型になれと言った数日後には人化の術を構築してしまう。
あいつこそある意味歩く最終兵器じゃないか。
さっきだってスコッチがいなければミモザは死んでいた、と思う。
「リュートどうしたの? そんな怖い顔して……」
「ん? あ、いや……別に……」
俺は何を考えているのだろうか。
ミモザを救ってくれたのは他でもない彼女だ、自分が何も出来ないからとあいつに矛先を向けるのはお門違いも甚だしい。
情けない、不甲斐ない、だが悔しい。
クラスメイトの魂を背負ってただ生きて行くのか?
いや……しがない17歳の高校生が何をほざく、女神達は俺に使命を与えたのではない、ただ生きてくれと、そう願っただけだ。
あぁ、魔女神が言っていた悪い知らせとはこういう事だったのか?
あの世界でのうのうと生きて、もしくは死んでいればこんな葛藤や劣等感、焦燥感、何かフラグでも立つのではないかという期待もしないで良かったのかも知れないな。
「俺は……どうしたら良いんだろうな……」
「ど、どうしたのよいきなり……」
「ちょっと考え事してただけさ」
「何もしないで良いのでは無いですか?」
千切れんばかりに振られていた尻尾はそのなりを潜め、代わりに冷ややかな声でスコッチが前を進みながら言う。
「意味が、分からないんだが」
言葉の真意を読み取れず、鸚鵡返しのように彼女へ問いかける。
「そのままの意味です。ご主人様がどこから来たのかは私の知る処ではありませんし、詮索する気もありません。ですがご主人様はご主人様です、貴方が何をしようと何処へ行かれようと私はお供する所存です。急いては事を仕損じる、今は亡きヴィジャクラ様がよく仰っていた言葉です。当時は深く考えた事もありませんでしたが永い時を得て分かった事があります」
スコッチの言葉にはどこか冬の空のような寂しさを感じさせるニュアンスが含まれていた。
「それは……?」
「待つ事、ですかね」
「「はぁ??」」
予想より遥かに普通な答えにミモザと俺は互いに顔を見合わせ、素っ頓狂な声をあげてしまう。
それを恥ずかしそうに肩を竦めながら彼女は続けた。
「あんまり急いじゃだめですよ、って事です」
読んで字の如しの事を言われてもピンと来ない、何が言いたいのだろう。
「こうも仰ってました。大局を見極めね者に女神が微笑む事は無い、と。ご主人様は恐らく自分の存在意義を喪失しているのだと思われます。ですが個人に存在意義があるとすればそれは目的を見つけた時に自ずと見えてくるモノだと私は思っております。ですので大局を見据えるには急いても悪手ばかりでしょう、であればこそ――」
「落ち着いてその瞬間を待て、と言いたいのか」
「左様でございます。この世界には多種多様な眷族が縄張りを主張し合い、泥沼のような争いを続けている所がそれこそ星の数ほど存在します。何分この世界は広すぎる故に、強力な力を持つ魔族でさえ100%知りえておりません。他に目を向ければ広大な土地など腐るほどあると言うのに」
「隣の花は赤い……か」
「どういう意味?」
「隣の人が持っている物は良く見えるって例えだよ」
「その通りです。秩序はあっても混沌は無くならない、混沌は世界の理、秩序から生まれる混沌さえ存在するのですから」
「その混沌から存在意義を見つけ出せって所か」
「そこはご想像にお任せ致しますよ。若いという事は知らないという事、世界も、他人も、己の心でさえも知らない。……何が幸せなのかという事も」
「お前が言うとなんか説得力あるな」
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます」
そうは言ったものの、スコッチの尻尾は歩調に合わせてゆらゆらと揺れるだけで、褒められて嬉しい、とは思っていないようだ。
1000年を孤独に生きた彼女の本心は俺が考えるよりも複雑な思いを抱えているのだろうか。
あぁ、ラノベ的展開よ、俺は待つぞ、お前はきっと来てくれる。
奴隷や勇者も手ぐすね引いて待っていろ。
俺はその時に備え、鍛錬を積もう、広い心を持とう、じっくりどっかり待っていてやろう。
「そういえば」
「どうした」
ふと足を止めたスコッチがくるりと向き直り、方膝を着いて俺に傅く。
一体なんのつもりだ?
「ここで正式に忠誠を誓おうと思います。貴方を主人とし僕となる誓いを」
垂れていた頭を上げ、強い光を湛えた瞳が真っ直ぐ俺の瞳を射抜く。
「左手を」
俺は促されるまま、ベリーニを押さえていた左手を離しゆっくりと彼女の前に持っていく。
スコッチは出された手に恭しく両手を添え、その桜の花びらのような可憐な唇で左手の甲に軽く口付けをした。
「私、黒き砂塵のラットドラゴンであるスコティッシュ・フォン・バルトフェルドは、貴方を主と認め、敬い、従属し、時には剣に、時には盾となり貴方と共に生きるとここに誓います」
一語一句かみ締めるような彼女の声。
様式美のような台詞を全て言い終えると、俺の左手を仰々しく頭上に翳した。
「以上が忠誠の儀式となります。改めて申し上げますが……」
「あ、あぁ」
背筋を伸ばしたまま真っ直ぐに立ち上がったスコッチが首を少し傾げながらはにかみを混ぜた満面の笑みで俺に告げる。
「よろしくお願いしますね。私のご主人様」
不意に見せられた彼女の笑顔は、オアシスの水面から反射する陽の光のようにキラキラと眩しく輝いていた。