褒姒という娘(1)
辟方視点です。
辟方は寝台の上に座ると深々とため息を付いた。
昨夜は常よりも早く寝たはずなのに、目覚めても何故か疲れていた。
横を見ると、すぴすぷとおかしな寝息を立てて、無邪気に眠っている褒姒が見えて無意識に眉を顰める。彼女の寝顔は幼く、これだけなら無知な箱入り娘にしか見えない。
だがしかし。
彼女の頭が乗っている枕の下には、実用的な短剣が隠されているのを辟方は知っている。というか、昨夜偶然見つけてしまった。
皇帝が通う寝室には武器の類が持ち込めないようになっている。ましてや彼女は今日後宮に来たばかりで、身元は分かっていても警戒されている人間だ。持ち物は厳しく検査されるし、今着ている夜着はこちらで用意した物だから、そこに仕込むことはほぼ不可能だ。侍女を懐柔すれば持ち込みも可能だろうが、簡単に懐柔できるような者は皇帝や皇后の近くにはいない。
とすれば、自分で持ち込んだことになる。はっきり言ってそんな隙はない。あるならば、暗殺者が続々と押しかけ、武に長けていない己の命は当に尽きていただろう。にも関わらず、武器はある。昨夜の千本然り、枕下の短剣然り。
はっきり言って彼女が本気でこちらの命を狙ってきたら死ぬ自信がある。断言出来ることが果てしなく情けないが……。
しかも彼女は、予想外にも嬉しい告白を大声で叫んでおきながら、自分が押し倒して迫っても顔を赤らめもしなかった。本当に慣れていないのかと疑問に思うほど動揺は見られず、こちらを真っ直ぐに睨みつけてただただ怒っていた。
なのに、だ。
暗殺者が来ると聞いただけで満面の笑みを浮かべ、頬を赤らめていた。
何なんだ、この差は?
自分は何処の誰とも知れぬ暗殺者以下なのだろうか?
俺、皇帝なのに……。
確かに権力欲のない娘を妻にと所望した。だからと言って、李辟方に全く興味を持っていない娘の言動は地味に彼を傷付けていた。その傷を、暗殺者云々の彼女の表情が見事に抉っていった。
何故こんな娘が己の妻なのだろう――?
複雑な心境にくっきりと眉間に皺を刻みながら、辟方は卓の上に避けておいた“花”を掴む。それは、昨夜この室を訪れた際に彼が持ってきた李花だった。
婚姻の儀の内の一つ、『華連夜』。
花嫁が嫁いで来た初夜から数えて三夜、続けて花嫁の室に花婿が通う儀式である。
儀式のしきたりで、花婿は部屋を訪れる際に切花を一輪持っていく。翌朝、寝台の上に茎を折った花が置いてあると、それが二人が契り花婿が“花”を手折った証とされる。
因みに、あまり例はないが、契ることが出来なかった花婿は、持ってきた切花をそのまま持って帰ることになる。それが“花”を手折れなかった証となるのだ。
昨夜は結局、二人で話し合った後に褒姒が寝入ってしまった。独り取り残された辟方は、帰る訳にも行かず、仕方なく同じ寝台に入って眠った。
つまり、彼らは契っていないのだ。とすれば、彼は花をそのまま持って帰るのがしきたりになる。
しかし。
このまま花を持って帰るのは、契れなかったことを公表することに等しい。それは出来ない、と男としての自尊心が邪魔をする。
暫く手に持った花を見つめたまま迷っていたが、辟方は軽く手に力を込めて茎をしっかりと折ると、それを寝台の上に静かに置いた。
そっと屈んで眠る褒姒の顔にかかる髪の毛をそっと横へ除けると、そのまま寝室を後にした。
まとめると長かったので、切りました。
続きは明日更新します。