辟方の戦い
今回少し長くなっています。
流血シーンがあります。
直接的な描写はしていませんが、苦手な方は回避して下さい。
辟方は苛ついていた。
何が何でも矢面に立って戦おうとする褒姒は、強敵と戦うことを楽しみにしている戦闘狂というよりは、死地を求めてがむしゃらに戦いに向かう狂戦士のようで、はっきり言って見ていて気分が悪い。
その不快感が胸を焼いて無性に腹が立った。
(大体何故そんなにも死に急ぐ……?)
「辟方、前!!」
考えに耽っていた辟方は褒姒の叫び声ではっと我に返る。すると、目の前に襲撃者の剣が迫っていた。
どう考えても避けきれないその剣戟から急所を外すために、辟方はわざと体勢を崩してその剣を腕に受けようとする。
だが、ぐいっと繋いでいる手を引っ張られて辟方の身体も共に後ろへと引き摺られた。それでどうにか相手の剣を避ける。
それと同時に褒姒がどこからか取り出した短剣を至近距離から相手へと投げ付けて襲撃者を無効化した。
「助かった」
「危ないからせめて私の後ろに――」
体勢を立て直して礼を言った辟方は、続く褒姒の抗議を無視して再び走り出し、前方の乱戦地帯に突っ込んでいく。
ため息をついて仕方なさそうについて来る褒姒をチラッと顧みてから、辟方は気を引き締めた。
(考えるのは後だ。まずは状況の打開だな)
乱戦地帯で順調に敵を下しているのは上将軍の項燕と隊長格の二名。一人でなんとか対抗している者と複数人で対抗している者が半々、残りは既に倒されて地面に転がっている。後から追ってくる三人は投げるものがなくなったのか、剣を片手に大人しく追ってきている。
(最悪時間を稼げばどうにでもなりそうだが……)
だが、それでは褒姒も戦わなくてはならなくなる。
見える範囲に配置されていた王都警備兵は既に此処にいる。大宗廟にはまだ警備兵が配置されているが、あそこの警備兵は動かせない。
そもそも王都警備隊とは王都の防衛と治安維持のための部隊だ。ただでさえ祝祭で治安が不安定になっている今、警備隊の殆どは治安維持のための人員に回されているから使えない。
残るは常に王都に駐屯している王宮及び王族警護が主体の禁軍第一軍の近衛隊だが、その中で自由に動ける人員は、現在禁軍第六軍の御史台と共に先の襲撃の裏を調べるために動いている。
(想定外の勢力の攻撃を完全に失念していたわけではないが、ここまで後手後手に回るとは……甘く考えていた、というよりは相手の方が一枚上手だったか。こちらの情報を良く調べてある)
最初の奇襲を事前に察知していたために、それを素早く治めようとそちらに人員を回したのが仇になった。元々、最初の奇襲をあれだけ簡単に防いで見せればそれが牽制となってその後の奇襲はほぼないものと考えていたのだが、まんまとその裏をかかれたようだ。
(だからと言って大人しくやられるつもりも、況してや褒姒を戦わせるつもりもないが)
そう思って辟方はふと気付く。
こちらの情報を知り、見事に裏をかいた手腕の持ち主。
だが、それにしてはこの奇襲は中途半端過ぎた。
(もしも相手が本気でこちらの命を狙っているのならばそもそもこんな方法は取らないだろう。賭けをするには危険が大き過ぎる。大体この時期に俺の命を狙っても何の益もない。それに褒姒が戦いの場に出れば変わる状況なぞ高が知れて――)
「そういうことか……」
辟方は低く呟いた。
ならば、と味方の状況を見て走る路を変えていく。
彼は、自分の考えに没頭している間も褒姒の手を引いて乱戦地帯を走り回っていた。周囲の状況を観察し、敵を警戒し、戦っている者たちを障害物として後方の襲撃者との距離を保てるよう走っている。そこに今度はある考えに沿って通過点を足していく。
彼がそこを通るように、戦況と併せて細々と走る路を変えながら進んでいると、目の前の戦闘を避けるためにちょうど向きを変えた視線の向こう、建物の窓からちらりと見えたものに辟方は思わず呻いた。
見たくもないものが見えた。そして悟る。
「あんのクソたぬきが……っ!!」
怒りで思わず褒姒の手を握っていた手に力が入った。だが、褒姒は何の声も漏らすことなくされるが侭になっていたため、彼は気付かない。
辟方は後ろを振り返って、その強さのまま褒姒を引き寄せると、後に続く護衛に命じる。
「お前たちは後ろの二人を足止めしろ!!」
「「「はっ!!」」」
「辟方?!」
「お前はこっちだ」
目を丸くして、立ち止まってしまった褒姒の手を引いて辟方は再び走り出した。
前方に敵を下して戦い終えた兵士がいるのを見て声を掛ける。
「そこのお前! ついて来い!」
巨漢の兵士は無言で軽く頭を下げると、剣を片手に走って後をついてくる。
「まっちょまん……」
褒姒が兵士を見つめつつ、呆然と訳の分からない単語を呟いたが、問い質す暇がないのでそのまま聞き流した。
辟方はそのまま予定通り通過点を通り、乱戦地帯を抜けたところで立ち止まる。
褒姒を半身で庇いながら後を振り返ると、隊長と思わしき襲撃者が乱戦地帯を抜けて来たところだった。
すぐさま巨漢の兵士が二人の前に立って剣を構える。
すると、襲撃者は剣を構えつつにやりと笑った。
「茜帝さん。鬼ごっこは終わりかい?」
「……。さあな」
「くっくっ、正直意外だったぜ? あんたが逃げるとは思わなかった」
「そうか」
何の反応も返さない辟方の様子に、当てが外れたのか、襲撃者は意外そうに目を細める。
「……ふぅん? あんたはおれに何も聞かないんだな?」
「必要ないからな」
「へぇ? 余裕だなぁ……そんなんじゃあ足元掬われるぜ?」
襲撃者は、相変わらず冷たく返す辟方ににやりと笑って忠告してきた。
その白々しい態度に辟方はため息を付きたくなる。
「主に伝えるといい。『いい加減にしろ』と」
「くっくっ、冴えない遺言だな、っと!!」
楽しそうに笑った彼は、短剣を飛ばすと同時に踏み込んできた。
巨漢の兵士がすぐさま短剣を叩き落し、迫る剣を受け止める。だが、襲撃者は右手の剣を拮抗させることなく身体を回転させると、いつの間にか持っていた左手の短剣で死角から攻撃を仕掛けてくる。
肘を引いて肘打ちし、それを避けた彼とは逆回りに身体を回転させた兵士が、その勢いのまま下から短剣を弾くと、衝撃に腕を取られた襲撃者が後に飛び退いた。
「ふぅん。なかなかやるけど、まだまだおれの相手じゃないなぁ」
「……」
「……無視? つまんないな、あんた」
兵士に語りかけるも、沈黙を通す彼に興が殺がれた襲撃者は素早く仕掛けてくる。
その様子を見つめながら、辟方はじりじりと少しずつ移動していた。不自然に見えないように襲撃者が警戒する位置に来た時に、褒姒を庇いながら道の真ん中から端の方へと動いていく。
「何か仕掛けるの?」
辟方と乱戦地帯の兵士の動きで気付いたのだろう。褒姒が声を潜めて聞いてきた。
「ああ。合図をしたら端に寄れ」
「あの兵士は知ってるの?」
「知らん。が、機を見て下がらせる」
不審気な褒姒の視線が背中に突き刺さる。
「……大丈夫なの?」
「ああ」
「何で言い切れるわけ?」
「彼は兵士だ。命じれば従う」
「……」
「不満そうだな?」
辟方がチラリと背後を振り返ると、じと目で睨んでくる褒姒がいた。
あまりにも予想通りの態度に苦笑してしまう。
すると、笑われたと思ったのか褒姒が唇を尖らせて横を向いた。
「……だって、それじゃあ彼は人じゃなくて駒みたい」
「お前は本当に箱入りだな。いや、どちらかと言うと子供か?」
「なっ?!」
どういう意味?! と続けようとした褒姒の口が唐突に閉じられる。
辟方もすぐに気付いて注意を前に向けると、巨漢の兵士が地面に膝をついていた。右腕から血を流し、剣も手から離れて転がっている。
襲撃者はその様子を涼しい顔で眺めていた。
「意外と保ったかな?」
ぼそりと呟いた襲撃者は巨漢の兵士への興味を失ったのか、彼を放置して辟方らの方を向く。
警戒して身構えた二人に、襲撃者は気負いなく声を掛けた。
「さて。邪魔者もいなくなったしそろそろ死のうか?」
「お前がか」
「まさか。あんただよ、茜帝」
「断る」
「あんたは面白いけど、依頼だからね。諦めてよ」
「それも断る」
辟方は言葉を返しながら、内心焦りつつ頭を急回転させていた。なるべく会話を引き伸ばして時間を稼ぎたいところだが、それにも限度があるだろう。
だが、まだ準備が整っていない。
予想以上に相手が強過ぎて、普通の兵士では時間を上手く稼げなかったようだ。
(どうする……? このままでは襲撃者らの思惑通りになる)
考えても辟方が望む方法はなく、剣も持たない彼にはどうしようもなかった。
思わず唇を噛んだ辟方の前に褒姒が立ちはだかる。
「何を――」
辟方はその手を掴んで押し留めようとする。
だが、思いの外強い力が彼の手を振り払った。
赤くなっているその手を呆然と見つめる。
「グダグダ言うな! 君が死んだら終りだろう?!」
「――っ」
「どうして私には護らせてくれないんだ!!」
褒姒の慟哭が胸を突いた。
視線の先では褒姒が赤くなった手を大切そうに握り締めて言う。
「君は私を護ってくれた。なら、今度は私の番だ」
辟方は強い決意を秘めた瞳を、魅入られたように見つめる。
「だから……、君は大人しく護られていろ!!!」
笑って言った褒姒の顔が眩しくて、辟方は思わず目を細めた。
だがすぐに、眉を八の字にして、困ったように笑ってこちらを窺う褒姒。
辟方はそんな彼女を見てもう何も言えなくなる。
「……あとで償え。それで許してやる」
「うん」
仕方なく褒姒の意を汲んで許しを出すと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
扇を閉じておくための留め金を外して鉄扇を身構える褒姒から、辟方が距離を取ると、すぐさま彼女は駆け込み、倒れた兵士から離れて戦い始める。
人を護るために駆け出した褒姒の背中を切なげに見つめながら、辟方は今自分が出来ることをするために、倒れた兵士の下へと向かった。
兵士の状態をざっと見て、手巾を取り出すと一番酷い右腕の傷口の上からきつく縛る。
「大丈夫か?」
「陛下。申し訳ありません」
傷ついた身体をゆっくりと引き起こしながら頭を下げる、生真面目な兵士の返答に辟方は苦笑してしまう。
柔らかい声音で尋ねると、しっかりとした返事が返ってきた。
「よい。それよりも動けるか?」
「はい」
「ならば端へ。ここだと巻き込まれる」
「はっ」
兵士が身体を起こすのを支えながら素早く端まで移動する。
「短剣を持っているか?」
「二本だけなら」
ゆっくりと兵士を地面に座らせながら尋ねると、素早く短剣を取り出した彼の動きを辟方が手で止めた。
「それで身を守れ。長剣は使わせてもらうぞ」
「お待ち下さい! すべきことがあるならば私が。陛下は御早く安全な場所まで避難して下さい」
「怪我人に無理をさせる気はない」
「ですが!」
「何も后のように敵と直接戦おうというのではない。だが、俺が一番釣りやすいからな」
そう言って立ち上がった辟方に鋭い静止の声を掛ける兵士。
だが、辟方には端から取り合うつもりはない。
「陛下!」
「すぐに項燕が来る。お前はここで待機しろ」
「……はっ」
「心配はいらん。直に時間切れになる」
明らかに不満を飲み込んだ顔をしている兵士の素直さに苦笑しつつ、辟方は転がっていた剣を拾って戦場へと舞い戻って行った。