護られるということ
褒姒と辟方がわいわいと言い合っている間、大輿の周囲は乱戦状態になっていた。
襲ってきた襲撃者たちは19人、それに対する兵士は、大輿の警備として行列を共にしてきた近衛隊兵士22人と周辺の警備をしていた警備隊兵士37人ほどで、圧倒的な多勢に無勢故に早々に襲撃者たちが取り押さえられると思われた。
だが、辺り一体を警備しているはずの警備隊兵士は、情けないことに襲撃者達に瞬殺されてしまい、今や道の端に倒れ伏している。
今回の襲撃者たちは先ほどの未熟な者たちとは違い手練ばかりのようで、徒と呼ばれる入隊したばかりの見習い兵や、旅士と呼ばれる一般兵では全く太刀打ちが出来なかった。まともに相手が出来ている隊長格の面々ですら苦戦しているようだ。
だが、それでも皇帝と皇后の身柄だけは護っていた。言い争いを終えた二人の周囲をしっかりと兵が固めている。
褒姒は周囲の状況を具に観察し、冷静に状況を分析していた。
そんな彼女に辟方が声を掛ける。
「お前はこの状況をどう見る?」
「このまま向こうに変化がなければ問題ないわ」
そう言うわりには褒姒の顔色は冴えなかった。
辟方は何を警戒しているのか問い質す。
「懸念事項は何だ?」
「優秀な人間は常に策をいくつも用意しているものよ。旗色が良くないのに状況が変化しないのはおかしいわ。それに襲撃者らは皆、優秀な兵士なのよ?」
「つまり、この状況は奴らの予定通りで、ここには兵士を纏める指揮官がいないということか? だが、こういう指揮だけならば後方で行う者の方が多いだろう?」
褒姒が言外に滲ませた言葉の意味を正確に悟って返してくる辟方に無言で頷き返しながら、それでも褒姒の疑念は晴れない。
周囲の様子を見つめながら眉を寄せた。
「でも、これだけの人数なのに現場を取りまとめる隊長格がいないのはおかしいわ。そもそも遠距離から狙ってくる者がまったくいないのも変だし……」
先ほどから褒姒は違和感を感じていた。
襲撃者たちの戦い方がおかしいのだ。褒姒には、彼らの戦い方が護衛の兵士たちを極力殺さないように注意して戦っているように見えた。
だが、暗殺者が標的の護衛の命を気にするなんて聞いたことがない。
ならばそこに何か狙いがあると考えるのが自然だ。
「辟方。相手は護衛の兵士たちを引きつけているわ」
「……ならば少数精鋭による再度の奇襲があるだろう」
答えるまでに不自然な間があった。だが褒姒はそれに気付かない。
「そっちが本命ってこと? ……彼らには少し荷が勝ちそうね」
辟方の予測を聞いて褒姒は再び顔を曇らせると、周囲を固めている兵士らには聞こえぬようにぼそりと呟いた。
その声が聞こえたらしい辟方は、表情こそ変わらぬものの、顎に手を当てて考え込んでいる。
考えることを辟方に丸投げした褒姒は、再び周囲を見回して警戒し始めた。
大して時間が経たぬうちに褒姒の視界がチカッと反射した金属のきらめきを捕らえる。
褒姒は身構えると声を張り上げた。
「奇襲よ! 構えて!」
周囲の兵士らが身構えると同時に今度は後方から石礫と短剣がいくつも飛んで来た。
褒姒は再び辟方を背後に庇うように立つと、鉄扇で飛んで来る石礫と短剣を叩き落していく。兵士らも褒姒に倣い、長剣で飛来物を落としていた。
その隙に、三人の襲撃者がものすごいスピードで迫って来ていた。一人は短剣を、一人は石礫を投げつつ、残りの一人は片手に長剣を構えながら駆けて来る。
褒姒は飛来物を捌きながら、内心焦っていた。
(マズイマズイ……これはちょっと兵士らに相手は無理でしょ! このままじゃ殺られる!)
どう考えてもこのままではバッドエンドだ。辟方の命が危ない。
ならば……
「辟方」
「……」
何かを察したのか、辟方からの返事はない。だが褒姒は構わずに先を続ける。
「ごめん。さっき言ったばっかだけど約束、破らせてもらうわ」
褒姒は堂々と言い放った。
すると辟方が焦ったように怒鳴る。
「待て! お前でなくてもいいだろう!!」
「うん。でも、私の方が確実で効率が良い」
「約束は!!」
「だからごめん」
「お前な――!!」
そこで初めて褒姒は辟方を振り返った。辟方は険しい顔でこちらを睨んでいる。褒姒の想像通りの顔をしていて少し笑ってしまった。
すぐに気を引き締めて、そのまま駆け出そうとした褒姒の腕を、しかし辟方に素早く掴まれた。
だが、褒姒には前回と同じように丸め込まれる気はまったくない。褒姒は辟方の手を振り払おうとするが、それよりも早く辟方が怒鳴った。
「だからお前が行くな! 奇襲の効果を殺ぐのならばこうすれいい!! お前たちもついて来い!!」
周りの兵士たちにも声を掛け、辟方は褒姒の腕を掴んだまま大輿から駆け降りるとそのまま走り出した。周囲にいた兵士たちも慌ててついてくる。
だが、褒姒は辟方の向かう先を見て顔色を失くした。
「ちょっ! どこ向かってんのよ、馬鹿!!」
「俺を馬鹿呼ばわりとはいい度胸だな! そう言うお前の方が馬鹿だろう! 堂々と約束破棄宣言なぞしおって!」
「それは、仕方なく――」
弁解を口にしようとする褒姒の言葉を辟方の鋭い声が遮った。彼に握られている手に更に力が篭り、褒姒はその手の痛みに顔を顰める。
「違う! お前がお前の意志で破棄しようとしたんだ。言っただろうが、大人しく護られていろと。お前はもう少し兵士らを信じろ。お前の態度ははっきり言って兵士らに対する侮辱だぞ」
「そ、そんなつもりじゃ――」
「悪意がなくとも人を傷付けることは出来る」
「……っ!!」
重々しく言われた言葉は褒姒の心を抉った。その衝撃に息が止まり、警戒と緊張で力んでいた身体から力が抜けていく。
そんな褒姒の様子に気付いているのか、今度は声を荒げることなく、辟方は静かに言い聞かせる。
「彼らは兵士だ。そして兵士が命を賭けるのはそこに誇りがあるからだ」
「……」
「理解出来なくとも兵士とはそういう者だと覚えておけ」
褒姒には辟方の言葉を理解も納得も出来なかった。
だが、それでも辟方の言葉を拒否して否定してはいけないと感じさせるだけの力と雰囲気を感じた。
だから褒姒は、無言のまま小さく頷く。
頷いた褒姒に気付いたのだろう。辟方は握っていた手に一度ぎゅっと力を込めてから、少し力を抜いた。その仕草はまるで褒姒を慰めているように優しく、褒姒は、自分の前を走る辟方の大きな背中に父である夷吾とは違う頼もしさと喜びを感じるのだった。
ぼうっと、でも一心に彼の背中を見つめる褒姒の姿は、どこか幼く微笑ましかった。
二人の後ろから、警戒しつつそんな二人の様子を見ていた兵士たちは、場違いにも優しく微笑んだ後、先よりも気合いを入れ直す。
敬愛する主の伴侶となった少女。その人と為りを垣間見て、兵士たちは改めて彼らを護ろうと強く思うのであった。