幕間 結婚前夜 ――花嫁の両親の場合――
「褒姒は?」
「部屋に戻ったよ」
返事をしながら寝室に入ると長椅子に座っていた三娘が立ち上がって笑顔で迎えてくれる。それに同じように笑顔で応えながら夷吾は彼女の肩を引き寄せると、すべらかな頬に口付けを落とした。
嬉しそうに微笑む三娘の肩を抱いたまま、夷吾はさっきまで彼女が座っていた長椅子に共に腰を落とす。
「心配かい?」
「いいえ。私とあなたの娘ですもの、心配なんてしていないわ。ただ……」
「寂しい?」
三娘が言い淀んだ想いを夷吾が代弁した。
すると、困ったように笑った彼女は軽く肩を竦めて彼の問いかけを認める。
そんな彼女を愛しそうに微笑んだ夷吾は、少し俯いてぽつりと本音を漏らした。
「私もだよ」
彼は滅多に弱音を吐かない。
それを知っている三娘は彼の漏らした弱音を聞いて、慰めるように彼のこめかみに口付けた。その意味に気付いた夷吾は三娘を見つめて、こっちを見るなというように瞼に口付ける。
「あの子はずっと家に留まってくれると思っていたのに」
言外にあなたのせいですよ、と責められて夷吾は思わず苦笑する。
妻にベタ惚れしている彼は、素直に謝るしかなかった。
「許してくれ……」
それでも睨んでくる妻に、恥も外聞も投げ捨てて夷吾は懇願する。
そのあまりにも情けない顔に、三娘は堪えきれずにクスクスと笑い声を漏らした。
「許します」
その答えを聞いて夷吾はほっと安堵した。
「分かっているわ。それに婚姻が決まらなかったら、きっとあの子はもっと遠くへ行ってしまったもの」
「ああ、旅に出ることを考えていたようだからな」
褒姒は気付かれていないと思っていたようだったが、夷吾も三娘も彼女が家を出ようとしていたことに勘付いていた。
彼女はこっそりと街で仕事をして旅費を溜めたり、馴染みの商人に旅の話を詳しく聞いたりして旅の準備をしていたのだ。
それに気付いた父は内心でかなり慌て、どうすれば彼女を引き止められるのかを必死で考えた。
結局、博打のような縁談話を持ち込んでの賭けに出るしかなかったのは我ながら情けなかったが、引き止めるのには成功したのは幸いだった。
ただし、方法が方法だけに夷吾としてはかなり複雑な面持ちだったが――。
「あんな子供に嫁がせることになるなんて……」
「あら、顔はいいわよ? 案外お似合いなんじゃないかしら」
夷吾が苦く零したその愚痴に、ころころと三娘が笑う。
彼女に婿の肩を持たれて、夷吾はこの世の終わりのような顔をして吐き捨てる。
「止めてくれ」
「あなただって陛下のことは認めているじゃない」
「それとこれとは別だ」
憮然とした顔で拗ねる夷吾という珍しい彼を見た三娘は声を上げて笑った。
妻のその態度に、夷吾は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あなたよりも陛下の方が偉いものね。文句が言えないから拗ねているのでしょう?」
「そんなことは――」
「あるでしょう?」
夷吾が否定しようとした言葉を遮って、三娘はそんな風に聞いた。
訊ねる口調ではあったが、明らかに自分の言葉が正しいと確信している。
にっこりと笑って見つめてくる彼女に、夷吾はため息をつきつつ白旗を上げた。
「私たちは変わらないわ。今まで通りあの子を見守っていればいいのよ」
「そうだな」
言い聞かせるような口調の三娘に苦笑を返しながら答えた。
仕方がない。
もう自分たちに出来ることはそれ位だけなのだから――。
短いですが両親編。
この後、父は治まりきらない娘を奪われる不満と寂しさを思いっきり曝け出し、朝まで母に慰めてもらうのでした。
母は最後まで笑って聞いていたそうです。
ある意味ちょっと恐ろしい(笑)