幕間 突きつけられた条件1
本編が始まる前の話です。
「陛下、聞いていますか?」
「あ? 聞いてない」
主であり、この国の皇帝でもある李辟方の気の抜けた返事に、此方の力も抜けてしまいそうになる。
今、この皇帝の執務室には側近である孔叔牙しかいないのでいいものを、こんな姿は諸官には見せられない。大事な忠臣を失い、隙を窺っている奸臣に好機を与えてしまいそうだ。
ただ、その気持ちも分からなくはないので、諌めることはせずに苦笑するに留めた。
「これ以上后位を空けておくわけには参りません。それについては私も冢宰に賛同します」
「分かっている。……が、憂鬱なことに変わりはない」
健全な青年である主が、女性を忌避するほど嫌がる様に同情を禁じえず、叔牙はつい期待させるようなことを言ってしまう。
「しかし、今までの方たちとは違うと思いますよ」
「そう言えばお前は相手の女を知っているんだったな」
「ええ。少し変わっていますが、面白い方ですよ?」
「それは褒め言葉か?」
呆れたように聞いてきた辟方に微笑みつつ頷いた。だが、叔牙の言葉に興味を持った様子は全くなく、まだ嫌そうに眉を顰めている。
とはいえ、問答無用で拒む様子はないので一応は納得しているらしい。本気で嫌ならば、これまでのように誰が何を言っても聞く耳を持たないからだ。
(流石に冢宰の泣き落としは効いたようですね……)
冢宰である管夷吾も、今まで決して表に出すことはなかった愛娘を推薦することで身を切っている。その覚悟が、結婚はしないとまで言い張っていた辟方を説得したのだ。
「そう言えば、冢宰から文が届いております」
「何だ?」
主に促されてそれを開いて読むと、叔牙は思いっきり眉を顰めた。側近の珍しい様子に辟方が怪訝な顔をする。
文を読み終えた叔牙は少し困ったように笑いながら、それを辟方に差し出した。滅多に変わらない側近の表情を変えた文に何が書かれているのか、むくむくと好奇心が湧き、それを受け取るといそいそと読んだ。
曰く――
初めまして、陛下。この度縁談相手になってしまいました管褒姒と申します。
この結婚を承諾するにあたっていくつか条件を付けさせていただきます。
一つ、護衛は必要ありません。邪魔です。
一つ、定期的に休暇をいただきます。
一つ、私の奇行には目を瞑って下さい。
一つ、性交の際には必ず目隠しをしていただきます。
以上のことを踏まえた上で話を進めて下さい。承諾出来ない事項がありましたなら、父、管夷吾と相談なさって下さい。私の意向は全て父に伝えてあります。
本題だけですが、これで失礼致します。
管褒姒
――
「お変わりないようですね」
この文を読んでそんな感想を言った叔牙に、辟方は思い切り呆れた。
「なんなんだ、色気も素気もないこの文は? まるで男が書いたみたいじゃないか。しかも、護衛は邪魔だとか休暇をよこせとか。あまつさえ、奇行をすることは決定なのか? 加えて、これはなんだ? 貴族の子女が性交の方法を堂々と要求するな!」
常識を知る者としては当然の疑問であり、反応である。だが、彼女の奇行を知る叔牙からすると、理解は出来ないまでもそれほど驚くことではなかった。
(流石に四つ目の条件には驚きましたが……他は概ね想定の範囲内ですね。とは言え、ここまで直接的に要求してくるとは思いませんでしたが……)
文を読んで、理解出来ないという顔をして悩んでいる主を見守りながらそんなことを思っていた。
考え込んでいた辟方は自分なりの答えを見つけて、叔牙に問う。
「これは遠回しに縁談が嫌だという意思表示か?」
「いえ……嫌ならはっきりと断るでしょう。承諾すると明記している以上、納得なさっていると思いますよ」
「ではこれは本気で本人が望んで書いたのか?」
「おそらくは」
「……そんな変人と俺は結婚するのか?」
そんな呟きに叔牙は言葉を詰まらせた。その言葉が真実である以上、何を言っても空しいだけだ。
その先では、辟方が困惑しつつも密かにショックを受けていた。心の声が漏れている。
「いくら婚姻が自由にならないとはいえ、俺は変態を娶るのか……?」
予想以上に沈んでいる様子に、叔牙は気を紛らわせるように微笑んで言った。
「しかし彼女が権力にも財力にも興味がないのは事実ですよ。それに陛下の嫌いな媚びるタイプの女性でもありません」
「生理的に無理でなければそれでいいのか? どれだけ妥協せねばならないんだ……」
良い面を見せて励まそうとした目論見は見事に外れ、彼は余計にショックを受けてしまった。こうなると何を言っても逆効果になる気がして叔牙は苦笑する他なかった。
王様って可哀想な人種ですよね。
自分で書いといてなんですが、つくづくそう思います。