降ってきた縁談
何故、こんなことになっているのだろう――?
壮麗な儀式が粛々と進み、大宗伯の朗々たる声が神殿内に響く中、当事者であるはずの管褒姒は遠くこの状況の始まりを思い出していた。
***
ことの始まりは十日程前――
日が暮れ、夕餉の時刻になった管家の邸の広い居間からは楽しげな声が漏れていた。
その日、珍しく早く帰ってきた父を交えて、褒姒は家族三人での夕餉を楽しんでいた。
久々の家族揃っての食事に満腹感と幸福感に満たされていた褒姒は、両手で茶器を抱え、嬉しそうに食後のお茶を飲んでいる。
そんな褒姒に突然、父が爆弾を落とした。
「褒姒、嫁ぎ先が決まったよ」
突然放たれた爆弾に褒姒は目を丸くする。
「誰のですか?」
誰のことを指しているのかは分かっていたが、すっとぼけて取り敢えず交わしてみる。
だが、甘くない父をそれくらいで交わせるはずもなかった。
「褒姒のだよ」
「父様……、正気ですか?」
あっさり突きつけられた答えに本気で父の正気を疑ってしまう。そんな娘の態度に全く怯むことなく、父はにこにこと笑って断言してくれた。
「正気で本気だよ」
その顔を見て悟る。
(本当に本気で言ってる……!)
彼女は父の本気に思わず眉を顰める。同時にどうすればこの話を断れるかを懸命に考えた。
だがすぐに名案など浮かぶはずもなく、今度は冗談に出来ないかと考え出す。
そんな、乗り気ではない――というか嫌そうな褒姒の様子に父の顔が悲しそうに歪んだ。
「嫌、なのかい?」
「うっ……」
それはそれは悲しそうな顔で言われると、即答で頷けず、答えに詰まってしまう。
しかも性質の悪いことに父は本気で悲しんでいるのだ。そんな父を切り捨てるだけの冷酷さも強さも持っていない褒姒は、断腸の思いで話を進める。
「……お相手の方によります」
その言葉に精一杯の想いと抵抗が詰まっていた。しかし、褒姒が話を進めたことに気を良くした父は、娘の小さな抵抗などものともせずににっこりと笑った。
「それなら大丈夫だよ。お相手は李辟方様だから」
「李……? 皇帝陛下ですか?!」
「ああ」
李姓は代々この国の国主の血筋が名乗る姓だ。つまり、李辟方――それはこの茜国の皇帝の名だった。
予想すらしていなかった名前が出て褒姒はぎょっとする。彼女は否定して欲しくて、身を乗り出して反射的に確認するが、それもあっさりと肯定されてさぁっと青褪めた。
諦めて結婚出来るような相手ではない。というか、王の妻なんてそんな重責背負いたくない。
褒姒は形振り構わず叫んでいた。
「無理です!」
「どうしてだい?」
不思議そうに聞き返す父が腹立たしい。
(分かってるくせに……!!)
それでも父を責めることなど出来るはずもなく、けれど受け入れることも出来なくて、恨めしそうに父を睨んでしまう。
娘のその表情に、流石に気が咎めた父は困ったように笑った。
「だって貴族は嫌なんだろう?」
「……貴族は嫌いです」
「それなら王族ならいいだろう? 王族は貴族じゃない」
「っ! それは屁理屈です!!」
今度は切り捨てた娘に、父は益々困り顔で笑う。本当に困り果てている父の姿を見ていると、じわじわと罪悪感が湧き上がってくる。けれど今度ばかりは折れるわけにはいかない。自分が折れればすぐさまに皇帝との結婚が決まってしまうのだ。
ぐっと歯を食いしばり揺れそうになる心を奮い立たせる。
膠着状態になってしまった二人をみかねて、今まで様子を見守るだけだった母が口を開いた。
「后になれば責任を負うことになるわ。だから貴女が軽々しく頷けないのも当然ね」
「母様……!」
母の言葉に褒姒はぱぁっと瞳を輝かせる。だが――
「けれど、お父様の話もきちんと聞いてあげて?」
美しい顔で穏やかに微笑んでそう付け加えた母に泣きたくなる。
(そうだった……。結婚してからもう20年以上経つのに、未だにラブラブなんだった……)
公然といちゃいちゃベタベタする両親だ。父が一番な母が、父の敵になるはずがなかった。
一度持った希望を跡形もなく砕かれたせいで、思いのほかショックが大きくがっくりと項垂れてしまう。相変わらず母は強い。娘でも容赦なかった。
打ちひしがれ、居間の卓に突っ伏す褒姒を哀れに思ったのか、彼女の頭を父が優しく撫でる。
「褒姒だから大丈夫だと思ったんだよ?」
見事な飴と鞭だ。
思わずほだされそうになってしまう。
それでも褒姒は頷けなかった。
両親が自分を愛してくれていることも、大切に想ってくれていることも知っている。
自分の身と将来を案じて縁談を持ってきてくれていることも。
今までに来た縁談の話も、両親が吟味を重ねて良縁を選んでくれていた。それでも頑なに拒み続けたのは自分だ。両親はその理由を知っているからこそ、強く薦めては来なかった。
だから褒姒は両親の優しさに甘えていたのだ。いつまでもそのままではいられないと分かっていながら、問題を先送りにしてきた。そのツケがいよいよ回ってきたらしい。
簡単には断れない事情があることを察した褒姒は、顔を上げると両親を見つめた。
「事情を話して」
そんな娘の姿に二人は頬を緩める。両親が隠している事情を慮って譲歩した娘が誇らしくて愛しい。
「陛下には后も妃もいない。王に子供がいないというのは国の大事だ。今の状態のまま王が亡くなられてしまえば次の王位を巡って内乱が起きてしまう」
「……」
ここまではいいか? と視線で聞いてくる父に無言で頷く。それから黙って先を促すと父は真剣な顔をして更に続けた。
「だがそれよりも深刻なのは、空席の后の座を争って陰で動いている者たちだ。いつまでも席が埋まらないために、その争いが熾烈化している。このままでは下手をすると内乱に発展しかねない」
「そんなに?」
「残念なことにね。そして、そんな所を他国に突かれたらこの国が危ない」
「……」
「50年前の大戦以来、この国は決して豊かとは言えない。その上、近年は不作続きで民も飢えている。今は国を富ませることを優先しなければならない。そんな時に内乱など起こすわけにはいかないんだ」
そこまで深刻な事態に陥っているとは思っていなかった褒姒は驚いてしまった。何も知らなかった自分に腹が立って、膝の上で拳を握る。
そんな娘の姿に微笑みながら、母が付け足した。
「それに王宮ならば貴女も安全に暮らせるわ。王宮の守りは鉄壁だもの」
「ああ。王宮に渦巻いている、人の悪意や害意ならどうとでも対処出来るからな」
まるで簡単なことのようにあっさりと言い切る父はどうかと思う。褒姒としては頼もしい限りだが……。
しかし、国家の危機よりも後に付け足された二人の言葉の方が困った。
そんなことを言われたら、もう、断れない。
(ズルイなぁ、もう……)
心の中でそう拗ねてみる。というか、もう拗ねるしかない。
俯いてそんなことを思っていると、クスクスと笑う声が聞こえて視線を上げた。
すると、両親が揃って褒姒を見て笑っている。
どうやら心の中だけで拗ねていたはずなのに、顔にも出ていたらしい。用心して俯いていたのに全く意味がなかったようだ。
そのことに更に拗ねたくなった褒姒はあることを思いついた。このまますんなり承諾するのも癪だし、これでこの話が流れるのならばそれはそれで都合がいい。それにこれは以前にも話したことがあるし、常日頃から気にしていることでもあるからまぁいいかと簡単に決めると、両親を見つめてからにっこりと微笑んだ。
「分かりました。そのお話、御受け致します。……ただし、条件があります」
どうも。初投稿です。
いちゃいちゃする二人が書きたくて作りました。
ついでに好きなもの詰め込みまくったので、脱線しやすいです(苦笑)
試行錯誤しながら頑張りますので、どうぞ宜しくお願いします。