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勇者はいない。  作者: 美雁
第一章
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◇004 回想に耽る。

さっさと行こう、と前とも後ろとも知れない方向を差した圭吾に、玲弥は重い口を開いた。

――それは、再会の喜びに浸って忘れていたかった現実を目の前にして、再燃した恐怖と漠然とした不安だった。


「――どこへ、行くんだ?」


こんな――訳のわからない現状で、どこに行けばいいと思うんだ、とすがるようなその声に圭吾はくるりと振り向いた。


圭吾は生まれてこの方恐怖と不安、そして孤独と面することばかりだった。

だから適応力は人一倍あるつもりだし、こういう時に黙ってばかりいても意味はないと思っている。

実際、留まっていてはあの耳障りな鎧に追いかけられることになるかもしれないのだ。

精神的に疲労している二人とともにあれから逃げられると思えるほど、圭吾は楽観的ではなかった。


「取り敢えず、ここを離れよう。歩きがてら現状確認しようぜ、な?」


それでも顔は笑みを浮かべ、鈍感そうな顔で言う彼に、玲弥はどことなくほっとした。

玲弥自身は知覚していなかったが、クラスメートにどれほどつらく当たられてもへらへらと笑っていた圭吾がここで深刻そうな顔をしてしまえば、玲弥の不安はすぐに弾けてしまっただろう。


「――解った。行こう」





最後の一人が彼女の前に跪いた。

その蒼白に歪んだ顔を、ルイナは見ることもできず、見ようともせず、ただ報告を促した。

全身鎧を身に着けている割に機敏な動きで彼は居住まいをただし、顔を伏せたまま震えた声を吐き出す。


「だ、第五小隊隊長、フォルク・ヴェイセラです……彼の者を捕獲することは、で、できませんでした」


フォルクは知っていた。

上司であるこの幼い少女は気性が荒く、ともすればこの一度の失敗で首を切られかねないことを、そして物理的に物も言わさずそれを成すことができる力を持っていることを。


フォルクは隊長になって今年で六年になる。

入れ替わりの多いこの部隊ではかなりの古株である。

ここまで文字通り“生きながらえてきた”のは、偏にその運の良さと従順な性格からであることを、彼自身よく解っていた。

ルイナは自分に逆らうものを良しとしない。

ゆえに従順なフォルクはルイナの目に留まらないまでも部下の一人としては一番信頼を置かれていると言っても過言ではない。

――あくまで、“無能”な部下の中では、という前置きが必要になるが。


そして、その“無能”な中では信頼を置かれている彼でも任務に失敗すれば、彼女の杖の餌食になることすら、フォルクは解っている。

ここまでか、と案外冷静な頭の中でフォルクは呟いた。

どうせこの部隊に配属になったとき、覚悟は決めていた。

きつく目を閉じた彼の耳に上司の言葉が聞こえてくる。


「そう」


存外に穏やかで冷静なその声に、地面を見つめていたフォルクはぽかんとしてしまった。

そう、だと?

ルイナは何度も言うように気性が荒い。

相手が自分の言うとおりに動かなければ首を刎ね、一切の慈悲も見せず――彼女に慈悲があるのかどうかさえ解らないとフォルクは思っている――切り刻む。

それが普段のルイナで、フォルクの良く知っている上司だった。

だからこの隊では任務の失敗はすなわち死を意味している。


それが、今の彼女はいったいどうしたって言うんだ?

普段の彼女には生命の危機を感じていたが、今の彼女に感じるのはそれ以上の恐怖だった。

いつもの癇癪のようなものではない、空恐ろしい何かがあるのではないかという曖昧ではあるが絶対的な恐怖。

それに急かされるようにして、フォルクは顔を上げた。

それは、普段ならば不敬として罰せられる類のものだったし、騎士としてはあり得ない行為だとはフォルクも理性の上では理解している。

――だが、それを上回る本能が彼に警告を鳴らしていた。

それは果たして吉と出た。


視界の端に、幼い少女の笑みが映る。


それは、何度も何度も見た覚えのあるもので彼が今一番恐れているものだった。

騎士の本能と言うべきか、“それ”を確認する時間すら惜しむように彼はその場から即座に大きく飛びのいた。


「あら……逃げないでもらえないかしら、私の可愛い騎士(ナイト)さん?」


距離にして五メートルほど離れたフォルクはそこでやっと唇が震えているのを感じた。

否、唇だけではない体全体、心の底から震えが走っている。

麗しい、自分よりも細く可憐な少女が怖い――それがおかしいことと思える余裕もなかった。


彼の眼には一人の少女が映っていた。

彼女は青い波打つ髪と金の瞳を持つ、弱冠背が低いが年齢からすればスタイルだって抜群の少女だ。

嫣然と微笑むその姿は子供から大人になろうとする色気が感じられるが、まだあどけなく幼い雰囲気が一番に目立つ。

そんな彼女が手に持つのはすらりと長い杖――魔力を扱う人間の武器だ。

つい先ほどまでフォルクの頭があった地面にまっすぐに突きつけられた“それ”から、言葉では言い表せない異様な雰囲気を感じて彼は自然と身震いしていた。


その雰囲気は魔力。


フォルク自身に魔力を扱う才能はないが、長い間ルイナの下で働いていただけあってそれを感じ取ることだけはできる。

フォルクがルイナを恐れる理由は多くあるが、そのひとつはこの魔術だ。

小さな体躯、可憐な姿、しかし杖を持たせれば誰に劣ることもないその魔術の質、魔力量。

その落差が実に恐ろしく感じるのは、決してフォルクが腰抜けだからではなく、実に正常な反応だといえる。


「る、ルイナ様……?」

「ふふふ、あなたで丁度いいと思うの」


くすくすと笑いながらかみ合わない台詞を呟くルイナ。

フォルクは恐怖に支配されつつある頭の片隅で存外冷静にそれを判断していた。

ーーこのひとは、自分を時間稼ぎに使うつもりだ、と。


「“ご馳走”を逃がしたのはあなたたちなんだから、お腹を満たすための“ご飯”になるのは当然でしょう?」


空恐ろしい笑みは途切れることはなかった。

片手で支えていた杖を肩にかけて、彼女はフォルクを見詰めていた。

つうっと、彼の頬を汗が伝う。

魔術をかけられたわけでもないのに、息が苦しかった。

フォルクはそれほどまでにルイナの言葉に衝撃を受けていた。


「ルイ、ナ様……」

「なあに?」

「あなた“たち”と、仰いましたか……?」

「ええ、そうね」


フォルクの問いに、ルイナは口角をきゅっと吊り上げた。

毒々しいその笑顔を前に、フォルクは激しい動悸を感じていた。

はっ、はっ、と運動した後のようにきれる息をそのままに、彼はわなわなと震える唇で上司に問いかけた。


「ーー他の者は、」

「他の者? あははっ、そんなことどうでも良いじゃない。どうせ」


あなたも同じところにいくのだから。


フォルクが最後に見たのは、杖の先から迸る魔力の渦と、上司の酷薄な笑顔だった。



††



「えーっと、これで……登録完了かな?」


圭吾がそう呟くのに玲弥と芽衣が頷きを返した。

難しい顔をして睨めっこしていたケータイから顔を上げた圭吾はふうっと大きな溜め息をついてから、情けない顔で笑った。


「いやぁ、まさか自分がこんなにケータイ使えないとは思ってもみなかったよ」

「こっちも赤外線通信で戸惑う同年代がいるとは思わなかったな」


やれやれと呆れたように玲弥が肩を竦めると、圭吾はけらけらと笑いながら止めていた足を前に踏み出した。

持っていたケータイはポケットに突っ込んで、砂埃を蹴り上げながら歩き出す彼に芽衣がくすりと微笑んだ。

どこか暗い雰囲気のこの場所にあって変わらず飄々とした彼の姿は、芽衣と玲弥に安心感を覚えさせていた。


「ほんで、どこまで話したんだっけ?」


くるりと振り返った圭吾に芽衣がくすくすと笑った。

三人は目に付いた方向に進みながら、現在に至るまでの状況を話し合っていた。

最初に話したのは芽衣で、話の終わりがけ、玲弥とケータイが繋がったところに至り、圭吾との連絡先を交換していないことに気がつき、話が脱線していた。

あきれた顔の玲弥が芽衣の話がほぼ終わったところだと言うと圭吾はぽんと手を打った。


「そうそう、えーっと、次は玲弥にするか?」

「俺か。――ふむ、ではこちらについたところから話そう」


顎に手をあてた玲弥は少し微笑んでそう口火を切った。


「俺は建物の中にいた。かなり薄暗くて埃っぽかったな、二階だったんだが床が抜けそうだった。それから、こう……床が斜めになってたんだ」

「うへぇ」

「まぁ、落ちはしなかったし……吃驚したからな、すぐに外に出たんだ」


階段が意外としっかり残っていたのは幸いだった、と言いながら玲弥はふとそのときのことを思い浮かべる。

かなり動転していたとは思うが、下に落ちなかったのは僥倖としか言いようがなかった。

辺りに舞う埃に咳き込みながら、きょろきょろと辺りを見渡したが、芽衣や圭吾はおろか、学校の影すら見当たらなくて、頭痛を感じたのを覚えている。


「その場で少し立ち尽くしていたかな……我に返ってとりあえず出てきた建物を背にして歩き出した」

「……、……ひとりで、怖くなかった?」


芽衣の声に玲弥は困ったような苦笑を浮かべた。

怖くない――そんなわけがなかった。

震えるほど恐ろしかったし、混乱のあまり発狂しても可笑しくなかったと玲弥は思う。

だけど、教室にいた二人も同じような事態に巻き込まれているだろうと思えば、動かないという選択肢はなかった。


「怖かったさ。だけど、お前らを探しに行かなきゃいけないと思ったからな」

「玲弥……」


芽衣が感極まったように見つめてくるのを玲弥は面映く思った。

――結局、見つけたのは俺じゃなくて圭吾だった。

それが現実だ。


「ケータイが繋がるってのには……気が付かなかったな。冷静になったと思ってたが、そんなことはなかったらしい」


苦々しい顔で玲弥はそう言って、ちらりと圭吾を見た。

その視線を受け止めた圭吾はぽりぽりと頬を掻いてから、考えながら口を開いた。


「――こんな状況で冷静になれるほうがどうかしてるんだよ、赤碕」


嘲るように口の端を上げて、圭吾は前に視線を移した。

自分はどうかしているんだと、彼はそう言っている。

玲弥は少し遅れてそれに気が付いて、返す言葉に悩んだ。


「六堂くん、それ自慢?」

「うーん、もしかしたらそうかも」

「どうせ私はケータイにも気付かなかったし、逃げてるだけでしたよーだ」


不満そうに口を尖らせた芽衣が言葉尻で小石を蹴りつけた。

ぽーんと飛んでいった小石が砂煙の向こうに消えていく。

ごめんごめん、と笑いながら謝る圭吾に芽衣はつんとそっぽを向いていた。

二人の様子に玲弥は開きかけた口を閉じてふっと微笑んだ。


「なにをじゃれてるんだか……、まぁ、あとはまっすぐ歩いてきて、その途中で芽衣からの電話を受け取ったというところだな」

「ふーむ、何か気付いたこととかは?」


厳しい顔を作りながらそう聞く圭吾に玲弥は少し考え込んだ。

周りを見る余裕もなかったから、あまり覚えていないというのが正直なところだった。

だが、ひとつだけ、気になるものがあった。


「最初にいた建物の近くに高い建物があったな」

「高いって……この辺にあるのは皆高いじゃない。それに上まで見えないし」

「その建物の周りだけ砂煙がなかったんだ」


だから、他の建物よりも高く聳え立つそれがよく見えていた。

建物のあった方向から離れるように歩いてきたから、近くには行っていない、そう話す玲弥に圭吾はなあ、と声をかけた。


「何だ?」

「何でその建物にはいかなかったんだ?」


圭吾は、じっと玲弥を見ていた。

普段とは違い、静かなその表情に玲弥はひゅっと息を飲んだ。


「何で、……とは?」

「だって、そうだろ。砂埃の中に突っ込んでくより、きっちり見えてるところに行く方が不安もないし、……何より知らないところに来たんなら目立つところに行くだろ」


ぶらぶらと手をぶらさげて、少し振り返りながら、圭吾はそう尋ねた。

玲弥は逡巡し、意味もなく口を開いてから、思い切るように話し始める。


「嫌な、感じがしたんだ」


きょとんとしたのは芽衣だった。

玲弥がそんな感覚に身を任せるということが珍しく感じたのだ。

彼はロジックと理性でものを選ぶ。

だから、曖昧な嫌な感じを理由にしたのが意外だった。


「行ったら、終わりになるような予感、というか……すまん、うまく説明できない」

「あー……ごめんな、嫌なこと説明させて。そういう勘って侮れないもんなー」


うんうん、と圭吾が頷く。

彼は感覚を頼りに物事を決めそうだな、と芽衣は思った。


「じゃあ、最後は俺だなー」


子供のようにぶらぶらと足を揺らして歩く彼は、呑気にそう言いながら前を見た。


「あの黒いのに包まれたあと、実は俺空中に放り出されたんだよなー。多分15メートルくらい上だったと思うんだけど」

「はあっ!?」

「いやー、あれには参ったよ。気付いたら空中でやべぇと思って近くにあった建物の壁掴んでさー、窓から中に入ったんだよなー」

「え、えぇっと……け、怪我とかは」

「ズボンほつれたくらいだなー」


くるりと振り返った圭吾はアクションスターみたいだろ、カッコいいだろ、と子供のように笑って茶化して見せた。

その膝は確かに擦り切れていて、よく見ると他の部分にも軽い傷が残っているのが解った。

掌で額を覆っていた玲弥が圭吾の頭を軽くたたいて憮然とした顔を向けた。


「笑って言うことか」

「え? えーっと、無事だったから笑って良いんじゃねぇかな?」

「……こっちは心配してるんだ、あまり笑える状況ではないだろう」


玲弥の言葉に圭吾はきょとんとした。

渋い顔で自分を見る玲弥の目に、うそはないように見えた。

心配か、そうか、と小さく呟く圭吾に今度は玲弥が訝しく片眉を上げた。

圭吾が少し頬を緩ませているのを見て、芽衣ははっとした。

彼は今まで心配されたことすらなかったのかもしれない、と。


「――六堂くん、私だって心配してるんだからね」


芽衣のその言葉に圭吾は嬉しそうにはにかんだ。


「……あんがと、ふたりとも」


それだけ言って、恥ずかしそうに前に向き直った圭吾は話を再開させた。

まず真っ先にケータイを見て電波が立っていることを確認し、知っている番号にかけたのだが、繋がらなかった。

これは三人が合流した後、家や学校に電話をかけて確認していたので玲弥と芽衣もこくりと頷いた。


「俺たちの間だけはつながるっての変な感じだけどなー」

「まぁ、今は置いておいても良いんじゃないかな?」


どうせ考えたって解んないし、と笑う芽衣に頷いて、圭吾は話を続ける。


「周りを探索してみたんだけど、目ぼしいものは何にもなかったからテキトーに方向決めて歩いてきたんだよな」


とりあえず知らない場所だっていうことだけは解った、と胸を張る圭吾に玲弥と芽衣はやれやれと顔を見合わせた。

一番冷静に動いているのは圭吾のはずなのに、その行動や言い方は非常に軽く、何でもないことのようにすら聞こえるのが不思議だった。


「テキトーに歩いてたら音が聞こえてきたんだよな、鎧のがちゃがちゃって音とその重い足音」

「……芽衣を追いかけていたやつらか」

「そうそう。んで、鎧なんて物騒だろ? それに走ってるみたいだったから何か追っかけてんのかなーと思って、先回りしてー、そしたら長谷川が走ってきてさ」


こりゃまずいなーと思って引っ張って走って逃げてきたってところだな、声だけで笑いながら圭吾はそう言って話を締めくくった。

その節は本当にありがとう、と芽衣が言うと圭吾はひらひらと手を振った。


「それで、だ」

「うん」

「結論として、ここはどこなんだと思う?」


玲弥の言葉に一瞬沈黙が落ちる。


「解んない、ね」

「解らないことならまだまだある。俺たちはどうやってここに来たのか、どうしてここに来たのか」

「あの鎧のやつらが関係あるのかもしれないしなー、赤崎の見た高い建物ってのも気になるし」

「……何がなんだかさっぱりだね。それに……早くここから抜けたいんだけど」


砂ぼこりを振り払ってそう言う芽衣に玲弥が同意する。

鬱陶しい砂埃、陰鬱とした雰囲気、行く手を阻む建物に見えない行く先。

この環境だけでも気が萎えていくのがわかる。

その上自分たちの状況もわからないのが不安に拍車をかけていた。


「んー……まぁ、そろそろここから抜けれるんじゃないかな」

「なに?」

「なんとなくだけど」


前を行く圭吾がそう言ったときだった。

びゅうっと強い風が三人に吹き付けた。

打ち付けられる砂から芽衣を守る玲弥の前に立った圭吾は片手で目を守りながら、風の向こうに目を凝らした。

砂のヴェールが風にかき消され、周りに立つ建物が見えるようになった。

それよりも先、遠くのほうに、圭吾は緑の大地を見つけた。


「――森だ」

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