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勇者はいない。  作者: 美雁
第一章
4/5

◇003 一歩を踏み出す。

圭吾は握っていた芽衣の手を離すと比較的小さな建物にそっと背を預けた。

砂埃に隠れて消えてしまいそうな彼を追って、芽衣も近くに身を寄せた。


砂埃は、視界を覆い、不安を煽りはするが、同時に追手の視界をも覆い、敵を撒くには悪くない状況だった。

それ故に数分と経たないうちに、金属音は砂煙の向こうから聞こえなくなっていた。

念のためにと暫く走った二人は休憩と現状確認をするため、ついさっき足を止めたところだった。


「さてと。取り敢えず教室でのことは長谷川も承知してるよな」


砂で汚れた建物の壁に躊躇せず寄りかかった圭吾の横で、芽衣は流石に汚れを気にせずにはいられず、棒立ちになったまま首を縦に振った。

彼女の頭の中には一瞬で黒い繭に包まれた玲弥の姿が何度も繰り返しリピートされていた。

あの時に感じた肌を粟立たせるような感覚は、忘れようにも忘れないものとして芽衣の脳裏に刻まれている。


「うん。何だか黒いものに包まれて、気付いたらここだったよね」

「つまるところ、あの黒いのが原因なのは確かなんだよな」


言って、圭吾は難しそうに眉をしかめた。

あの黒い繭が何なのか、判断できる材料が彼にはなかったのである。

勿論、その点については芽衣も同じことで、不安そうに圭吾を見上げて言葉もなく立ち尽くしていた。


「……そーんな顔すんなって、長谷川」

「でも……」

「何も決定的にピンチな状況って訳じゃないだろ?」


圭吾のその言葉に芽衣は眉根を寄せた。

この状況が決定的なピンチじゃなかったら、一体何だって言うんだ。

ゆるりと笑ってはいるけど現状を正しく把握できてないだけなんじゃないのか?

能天気にすら見える圭吾の笑顔を前に、芽衣の頭の中ではそんな言葉が飛び交っていた。


「……どこ、が?」

「ん?」

「どこが、決定的なピンチじゃないの……!? 見たこともない、聞いたこともないところに来て、訳解んない内に追いかけられて……! なんなの、ここっ! 私、私……!」


怖かった、帰りたい、その一言が言えずに、芽衣は口を噤んで俯いた。

ぶるぶると唇を震わせながら、恐怖と矜持の板挟みになっている芽衣を見下ろして、圭吾はそっと眼下の小さな頭を撫でた。

びくりと肩を震わせる彼女に、宥めるような掌が温度を伝える。

微かに縮こまりながらも甘んじて掌を受け入れる様子に圭吾はゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「だけど、少なくとも、俺たちは一人じゃない」

「――え?」

「俺ができることなんて限られるけど、一人より二人だ。違うか?」


ぎゅうっと握っていたスカートの裾を何となく離して、芽衣は恐る恐る圭吾を見上げた。

いつものへらっとした笑みを浮かべた彼は最後に軽く芽衣の頭を叩いて、彼女から離れた。

安心させるようなその動作に芽衣は体の力が抜けたような感じを覚えた。

何だって、この人はこんな状況でこうやって笑えるんだろう。

それだけ強い人ってことなのかな、と心の中で呟いて、芽衣はつられるように小さな笑みを浮かべて小さく頷いた。


「そうそう、女の子は笑った方が魅力的だぞ」

「もう! からかわないでよね、六堂くんってば」

「ははっ」


困ったように見える笑みを浮かべて抗議すれば、圭吾は軽やかな笑みでさらりと躱した。


その笑顔の裏で、彼はひどく安堵していた。

圭吾はその体質のために今まで人とまともに話す機会などなく、対人能力に欠けていた。

交渉や駆け引きの仕方は必要に駆られて学習していったが、慰め方や元気づけ方などはそもそもその相手がいなかった。

持ち前の明るさで今は乗り切ったが、自分のこの明るさが裏目に出ることもあるのは知っている。

内心、ほっと胸を撫で下ろしながら、圭吾はふと思いついて制服の上着を手早く脱いだ。


「わ、ろ、六堂くん!?」

「ん? どうかしたか」

「ど、どうかしたかじゃなくって……いきなりな、何で脱いでるのっ」

「あー……ほれ」


顔を赤くしてそっぽを向く彼女に圭吾は多少苦い色の入った笑みを向け、脱いだ上着を差し出した。

今日は初夏にしては寒かった為、着込んでいたのが長袖だったのが、功を奏したか、と思いながらも圭吾は受け取られない上着に小さく首を傾げた。


「え、えっと」

「髪、砂塗れになるの嫌だろ。もう手遅れかもしれねーけど一応被っといた方が良いと思うぞー?」

「え……あ、ああ、ありがとう……」

「気にしなくて良いよ。寒かったら腰に巻くなりなんなり」


芽衣が上着を手に取って頭からすっぽりそれを被るのを確認して、圭吾は満足そうに頷いた。

それが妙に気恥ずかしくて、芽衣は制服の襟で目元を隠すように俯いた。


薄い沈黙。

決して気まずいものではないその中で、圭吾はまとまらない思考をひとつひとつ積み上げていった。


ひとつ、教室からいきなりここに来た理由。

恐らくあの黒い繭の所為だと思われるが、あれが何なのか判断できない。

科学技術や目の錯覚ではないと仮定すると、何らかの“力”が働いた結果だと考えるのが妥当だろうか。

……非現実的ではあるものの、魔法、だとか。


ひとつ、同じ教室にいた赤崎のこと。

同じように黒い繭に包まれていたから、この近辺にいる可能性は高いと思われる。

が、探すのは困難を極めるだろう。

この砂の帳は人探しには恐ろしく不向きだ。


ひとつ、この場所について。

そこいらの建物は、ものによっては崩れないのがおかしいくらい風化し、手入れをされている気配も人の気配もない。

子供が遊んだあとの積み木のように無秩序に建てられていて、大都会を知っている身としてはひどく落ち着かない。

こんな場所を、圭吾は知らなかった。


ひとつ、さっき追いかけてきた人のこと。

雰囲気しか掴めなかったが、間違ってもいい感じはしなかった。

歩く音は金属音、恐らく鎧の擦れる音だ。

声すらあげずにいたことを考えると友好的な人間とも思えない。

真新しい足跡しかなかったことや、火の跡が見当たらないことも考えれば、ここで住んでいる人間という訳でもないだろう。

となれば偶然ここにいた人間か、もしくは自分たちがここに来たことに関係する人間ではないだろうか――圭吾は一つの可能性としてそう考えていた。


それからもうひとつ、気になることはあった。


「……、……どうかした? 六堂くん」


この、クラスメートの態度について、である。

今まで、圭吾は色々な人に研究されてきたが、その誰もがこの嫌われ体質について見解はあっても確信に至る研究結果は何一つ出せずにいた。

勿論、嫌悪感を抑える方法も解らないままである。

だからこそ、圭吾はよく知っている。

そう簡単に躱せるほど、この体質は甘くはないのだということを。


かと言って芽衣の態度が嘘はったりの類かと言えば、そうでないことは圭吾もよく解っていた。

感情は隠そうとすればするほど違和感が協調される。

芽衣の態度にはいきなり態度が変化したこと以外に不審な点は見受けられなかったのである。

だとすれば、教室からここへ移動したことで何かが変わったのか。

それとも無意識のうちに嫌悪感を抑えるようなことをしていたのか。

――これについても、判断材料は少なかった。


じぃっと見つめられて狼狽える芽衣に、圭吾は目を細めて笑った。

理由なんてものを考えてはみたものの、解らないものは解らない。

御託を様々に並べても、圭吾にとっては結局のところこうして話せるのが嬉しいというそれだけだった。


「んーん、何でもないよ」

「そ、そう?」


突然の笑顔にどぎまぎしながら、芽衣は首を傾げた。

決して何でもないようには見えなかったが、彼が嬉しそうなので良いような気もしたのだ。


「――あ、長谷川ケータイ使える?」

「え? えっと……あ、三本立ってる」


胸ポケットから携帯電話を取り出して芽衣はふっと溜め息を吐いた。

この非常事態で動転していたけれど、最初に確認するべきだったかもしれない。

圭吾は既に確認していたのか、芽衣の言葉を聞くとほっとしたように少し微笑んで俺も使えるみたいだったよ、と呟くように言った。


「あ、じゃあ玲弥に連絡してみるね!」


安心したように微笑む芽衣に頷きを返して、圭吾は砂煙の向こうに目をやった。

視界は著しく悪いが、それに比例するように無音だった。

時折空気を揺らす風が吹く音がするが、その他に音はしない。


ふ、と聞きなれた電子音が遠くから聞こえてきた。

遠くとは言っても音は聞こえるが、砂埃の中では見えない程度だからそこまで離れているわけでもなさそうだ。

ちらりと華音を見ると携帯電話を耳に当てて今か今かと待っていて、聞こえた音には気が付いていない。

遠くの音がふっと止むと直後、華音が歓声をあげた。


あの電子音は赤崎のケータイか、と心中呟いて、圭吾は嬉しそうに話す芽衣の肩をつついた。


「でね、――っと、どうかした? 六堂くん」

「ちょーっとごめんな。赤崎聞こえるか?」

『その声は六堂だな。ああ、聞こえる。怪我はないか』

「ん? あー、おう。あのさ、赤崎の着信って運命?」

『……ああ、ベートーベンの交響曲第五番だ。何故知っている?』


不審そうなその声音に圭吾はからりと笑った。

何だ、珍しく運が良いな、と言って、彼は芽衣の頭をそっと撫でた。

小さく悲鳴を零して狼狽した芽衣も、それがどこか労わるような物であるのに気が付いてきょとんとして圭吾を見上げた。


「六堂くん……?」

「さっき聞こえた。だから結構近くにいるし、方向も解った」

『なに? お前耳が良いな……』

「視界が悪いと耳と勘に頼るしかないからなー。すぐそっち行く」


言いながら、圭吾は芽衣ににぱりと笑って音の聞こえた方向に歩き出した。

いきなりの展開にぽかんとした芽衣は戸惑ったように声を漏らすと、携帯電話を耳に当てたまま圭吾の背を追った。


「え、え、えっと、何? どういうこと?」

『六堂が俺のケータイの着信音を聞いたらしい。案外近くにいたらしいな』

「え!? じゃあすぐ会えるの!」

『そういう話をしていたんだが……お前話を聞いてなかったのか?』

「き、聞いてたけど、い、いきなりすぎて」


傍で二人の会話を聞いていた圭吾は可笑しそうにくつくつと喉で笑った。

こんな会話を間近で聞くのも、彼にとっては初めてだった。

目の前に圭吾がいれば、どんなに仲の良い親友でも、カップルでも、彼に嫌悪のこもった眼を向けるのに一生懸命になるのだ。

だから、芽衣と玲弥のそのあっけらかんとした態度は、圭吾にはくすぐったかった。





ルイナは苛々とビルの地面を蹴り上げた。

今日は、彼女にとって素晴らしい日になるはずだったのだ。

にも関わらず、たった一つの予想外が起こったことで全てが狂ってしまった。


彼女は美しい。

青く波打つ髪にキラキラと輝く金色の瞳、そして小さな顔は猫目で愛らしく、怒りにほんのりと染まった頬は、彼女の気性を、そして力を知らなければ大層魅力的に見えたことだろう。

だが、現在彼女の周りにいる“部下”はルイナをよく知っていたので、とても可愛いらしいと思う気にはなれなかった。


「ああもう! 何だって捕まえられないの! 無能な部下ばかりで嫌になるわ!」


ずだん、と地面に突きたてられたのは彼女の身の丈ほどある木の棒。

重厚そうな音を立てるところを見ると、どうやら外見は木でも芯の部分は別の物でできているらしい。

先の方がくるりと丸く渦を描いていて、それは杖と呼ばれ、ルイナのように魔術に精通する者ならば誰でも持っているものである。

コンクリートの地面を凹ませようとでもするように、ルイナは杖を力任せに地面に打ちつける。


「アグリ、まだ捕まらないの!」

「も、申し訳ありません……先程接近は致しましたが、すんでのところで――」

「言い訳は聞きたくないわ! 早く、ここに、連れて、きなさい!」


綺麗な瞳を怒りに歪ませ、ルイナは部下に杖を突きつけた。

屈強な身に立派な全身鎧を身に着け、腰に細身の剣を携えた彼――アグリは自分より幼く、小さい彼女の行動にひぃっと一歩後退った。

それは、非常に滑稽な行動ではあったが、彼の部下である人間は皆、それを笑う気にはなれなかった。


――自分が同じことをされれば、同じ行動をとるだろうから。


ルイナは全身鎧の情けない行為に、興ざめしたように、或いはゴキブリでも見つけてしまったように視線を逸らした。

誰もかれも無能だ、無能ばかりだ。

あたしにはたったひとり、彼だけで良い。

ふと、愛おしい人を思い出して、ルイナは顔を曇らせた。

今回の失敗は、彼に迷惑をかける。

彼に迷惑をかけたら――どう、なってしまうのだろう。


見捨てられて、しまうのだろうか――。


「――っ!」


ルイナの背をぞわりと悪寒が走った。


彼はルイナの唯一だった。

彼はルイナの最愛だった。

彼はルイナの世界だった。


彼に見捨てられることは、全てを失うことに等しかった。

ルイナは気性が荒く、只人とは一線を画すような人間だが、全てを失くすことは恐ろしく感じる。

彼に見捨てられるのは、恐ろしい。


ルイナが擁する部下は、“無能”ばかりだ。

だから、折角の“御馳走”を取り逃がす可能性は大いにある。

それでは――駄目だ。

何としてでも“御馳走”を、捕まえなければ。

だけど、ルイナにそのすべはない。

空想上の魔法は万能だ、だが、魔術は万能でない。

だから印も付けてなければ真名も知らない人間を呼び寄せたり、場所の特定をしたりはできない。

――ならば、どうするか。


ルイナは閉ざされた窓の向こうでもうもうと上がる砂埃を眺めながらふと口角を上げた。

あと、十分は待つ。

だけど、それでも見付からなかったときは――。



††



ふと、圭吾は視線を前方から後方へと逸らした。

砂埃の舞うこの場所では遠くまで見ることはできないが、この近辺に何かがある訳でないのは音もしないのでよく解る。

だけど、圭吾は遠くの方から漂う異様な空気を感じ取っていた。


「(――うーん、俺には馴染み深い感覚だな……)」


嫌悪と似て非なる、纏わりつくようなそれを圭吾は良く知っていた。

決して気持ちのいいものではないそれは、圭吾の極近くにいた人――主に血縁の人間や圭吾の体質を解明しようとする研究者から感じる、狂気だ。


嫌悪を通り越して積極的な殺意に変わった、狂気。

圭吾自信を研究対象として、実験対象としてしか見ない、狂気。


自分に向けられたものかは解らないが、今感じたものも、それとよく似ていた。

それを感じて、人がいるらしいとは解ったが、そもそもそんな物の近くには行きたくない。

それに――。


「あー、良かった! 玲弥が無事で安心した……」

「……そ、そうか……俺も、ほっとしたよ」


見つめ合ってほんの少し頬を染めた二人に圭吾はそっと微笑んだ。

それに、彼らをそんなものに遭わせようとは思えなかった。

だから圭吾は何も気付かなかったふりをして笑みを浮かべる。


「ほら、二人とも! いちゃいちゃしてないでさっさと行くぞー!」

「い、いちゃいちゃなんてしてないよっ!」

「誰がいちゃいちゃしてるっていうんだ……!」

「え、普段がそれならお前らのいちゃいちゃってどこまで行くんだ……?」


生まれて初めてできた、守りたいと思えるひとたちなんだから。

20110922 誤字修正

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