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勇者はいない。  作者: 美雁
第一章
2/5

◇001 笑顔をさらす。

高校に編入生は珍しい。

少なくとも今井真奈はそう思っていたし、周囲の人もクラスの情報通が齎したこの吉報に何だか浮き足立っているように見えた。

無理もない、真奈はそう思うのだった。


ここ、夕陽丘高校はこの近辺では一番頭が良いと言われている。

その上全寮制で学校の外との関係が希薄になっている。

同じメンバーで来る日も来る日も顔を突き合わせるのは花盛りの高校生にとってはつまらなさすぎるものだろう。

編入生には悪いが少なくとも今日一日は大量の視線に晒されることになるだろう。ご愁傷様。

真奈は心の中で合掌しながら編入生に思いを馳せた。


どんな人かな、男の子かな、女の子かな。やっぱり美人さんだと良いな、ここに編入できるってことは頭が良いはずだよね。スポーツもできなきゃだめだっけな、編入試験には体力テストがあったもの。


そこまで考えて真奈は隣に座る女の子に目を向けた。


女の子なら例えば芽衣みたいな。

明るくって人当たりも良いから友達も多いし、睫毛が長くて目もくるんと丸い。

白い陶磁器みたいな肌は見た目に違わずすべすべだし、本人は嫌だと言うけど、小さくて可愛い。

ふわふわの色の抜けた栗色の髪、胸にかかるかかからないかという位の長さで切られた髪はカラーリングしたわけではなく、遺伝的なものだと知っている。

圧倒的な美という訳ではないけれど、親しみやすい可愛さ。


女の子が来るなら、芽衣みたいな子が良いな。きっとクラスがもっともっと明るくなる。


「――? 真奈、どうかした?」

「ううん、芽衣はやっぱり可愛いなって思ってただけ」

「あははっ、ありがとう。でも真奈の方が可愛いよ」


じいっと見てると視線に気づいて明るく笑う芽衣。

うん、やっぱり素敵。


さて、男の子なら、と真奈は芽衣から目を外して首を後ろへ向けた。

廊下から二列目、最後尾に座る男の子がやけに目についた。

やっぱり赤崎玲弥くん、彼みたいな。


加工された風のない真っ黒な髪に、切れ長の瞳。

鼻はすっと通っているし、体のバランスも良い。

頭も良ければスポーツもできる、その上察しが良く、女子にはモテるし、男子には頼りにされている。

言葉少なではあるけれど、皆の事を考えてくれる我らが委員長である。

そして、なんというか――人を従わせるだけのカリスマ性があるのだ、彼には。


真奈はそっと視線を外した。あたしは彼の事をあまり知らない。だけどあんな人がもう一人いてくれたら最高だろうな。

否、あまり歓迎すべきではないかもしれない。

真奈は思考に沈んだ。

今このクラスは玲弥くんを中心にまとまっている。

だからもし、彼みたいな人を惹きつける男の子が出てきたら、何だかそれはそれで全部崩壊しそうだ。


その思考を塗りつぶすように古さびた音でチャイムが鳴った。

真奈はこの学校のこういうところは変だと思っていた。

つまり、このチャイムは電子音ではないのだ。

何と言うのかは解らないが、未だにあのチャイムを鳴らす金管のようなものを使っているのだ。

その為に用務員のおじさんが毎度放送室に足を運んでいる。

放送室は四階、用務員室は一階なのだから、もうご高齢の用務員には鬼畜も良いところである。


がらがら、と教室の扉があいた。

担任の若い女性教諭が話すのを耳に留めながら、真奈はその横に立つ男の子を見た。


少し目つきが悪いが、笑っている所為かキツい印象はない。

襟足はワイシャツにほんの少しかかる程度で清潔さは見えても野暮ったくは見えない。

眼鏡をかけているわけでも、目立つアクセサリーを付けているわけでもないが、余裕そうに浮かべた笑みが印象的だった。

初日だからか、きちんと着た制服に着られている風もない。

もじもじする様子もなく、むしろ担任の方がおどおどぐずぐずしているように見える。


よし、と真奈は思った。

顔は悪くない。

むしろ良い方に見えるし、浮かべる笑顔も卑屈なものや嘲るようなものでもなく人懐っこそうだ。

良かった、仲良くできそう。


だけど、その思いとは裏腹に真奈はむい、と口を曲げていた。

あれ、と真奈は自分を変に思った。

不機嫌になる要素なんてなかったはずなのに。

だけど次第に視線も剣呑になっていく感じがした。

本格的におかしいと思って首を傾げようとした真奈は何だか胸の辺りが気持ち悪くなってきて俯いた。

するとすっと苛々した感じはなくなって真奈はほっとした。

何だろ、胃もたれかなんかだったのかな。

思って顔を上げて、真奈はそれは違うのだと思い知った。

これは吐き気でも胃もたれでもないんだ。周りを見渡せば何人かが自分と同じように険しい表情をしているのが解った。


――嫌悪感だ。これはあの編入生に対する純粋な嫌悪感なんだ。





六堂圭吾は気付いていた。

自分に嫌悪の目を向けるクラスメート、教師。

やっぱりこうなるか、と圭吾は気付かれないように肩を落とした。

そして同時に目の端に映ったきらりと輝くものに素早く後退った。

かつっと足元で鈍い音がして、圭吾のつま先十センチほど前の教壇に何かが刺さる。

床に突き立てられたそれに内心肝を冷やして、圭吾は何でもない風を装いながら短く息を吐いた。


よくあることだ。気が付いて良かった。

思いながらそれを――カッターを拾おうとして圭吾は手を引っ込めた。

どうせ自分が触れば汚いとか何とか理由を付けて使われなくなるに違いない。

前屈の姿勢からすっと背を正して圭吾は少しだけ意識して笑みを作った。


「えーっと、熱烈な歓迎痛み入ります。六堂圭吾でーす。訳ありでこの学校に来たんでそこまで頭が良いとかそういうのはありません。んん、まぁ、ぼちぼちよろしくお願いしまーす」


天真爛漫、朗らかな笑顔とは自分でも言えそうになかったが、圭吾はひらひらと手を振った。

笑ってりゃ気付かれないんだから気付かれないままで良い。


おどけたように笑って、担任を見上げると、彼女は一瞬躊躇した後カッターを投げた生徒にきっ、と目をやった。


「真奈ちゃん、あなた、何やってるの」

「すみませーん。いや、ちょっと苛々して」

「だからって高校生にもなって」


ふむ、と圭吾は心中で呟いた。

歳はそう関係ないと思う。

例え幼児であろうと、少年であろうと、おっさんであろうと“俺が相手なら”半ば正当化される。


そう考えて彼は思わず声に出さず小さく笑った。

そして俺自身も、危害を加えられそうになることを、変だと思えずにいるんだから笑えない。


「……まぁ良いわ。もうこんなことはしないこと、良いわね?」

「はぁい」


しかし、それはちょっとまずくはなかろうか。

例え相手が気に食わない相手で、誰からどう見ても嫌悪感しか覚えない人間だったとしても、普通そこは謝るとか、そういうけじめがあっても良いと思う。


そう思いながらも圭吾は口を閉ざしたまま教師と生徒のやり取りを見ていた。

どうせ考えたって詮なきことだ。


「それで……転校生の席なんだけど」


言って、教師は戸惑うように言葉を濁した。

その様子に圭吾は教室をくるりと見渡した。

あの席だろうか、と目星を付けたのは廊下に面した列の一番後ろにあった。

何がいけないのかと思いながら彼はその席の周りを見る。


左は廊下側だから壁。


前は優しそうな眼をした男子。

体ががっちりしてるから何かのスポーツをやっているんだろうと見た。


右隣は精悍な顔つきの男子。

すっと伸びた背はその人の生真面目さを表しているように綺麗だった。


空いている席自体に何かがあるという訳でもなく、何が教師を戸惑わせているのか、圭吾には解らなかった。

はてな、と首を傾げて、圭吾はちらりと教師を見上げた。

席はない、とか言うのかな?


「先生、ここが空いています」

「! え、ええ。そうね、赤崎くん。……あそこよ、転校生」


圭吾を庇うように声をあげたのは真面目そうな顔をした空席の隣に座る生徒だった。

彼をちらりと見ると圭吾は場違いなほど明るく笑って、はーい、と間延びした声で返事をした。

軽い足取りで通路を歩く転校生に対して、生徒の反応は間違っても芳しいとは言えないものだった。

前に突き出された足や、わざとらしくぶつけられる机に苦笑しながら、彼は飄々とそれらを避けていたが。


あからさまに避ける女子に軽く肩を竦めて、圭吾はやっとこれから使うことになる席に腰を落ち着けた。

にへらと真面目そうな男子に笑った圭吾は何の反応も見せない隣人から眼を放し、すでに話し始めていた教師へと視線を戻した。


隣人の彼は変な人だな、と圭吾は思う。

助け舟を出すように声を上げてくれたと思ったのに、こちらを見ることもしない。

いや、ああやって声を上げてくれたことが変だったんだ。

反応しないのは別に変じゃない。

だけど、何で助けてくれたんだろう?


「(うーん……この人、生真面目そうだし、俺の事は気に食わないけど不憫に思って、ってところかな。うん、優しい人だ)」


そう、圭吾はひとり納得して前方にぼんやりと目をやった。



††



「さっきは助け舟出してくれてサンキュ! えっと、名前聞いて良いか?」


教諭がいなくなって早々に転入生がそう尋ねてきた。

玲弥はそっと顔を上げて改めて転入生を見た。


顔は普通。喋り方も普通。声も普通。

この数分のイメージだが、性格は良い方だろうと思う。

だというのに何故か嫌悪感が纏わりつく。


すっと眉を顰めると、それを直に見ただろう目の前の彼は屈託のない笑みを浮かべた。

その様子を見るとまるで自身の嫌悪感が肯定されているようで玲弥は何だか落ち着かない気分だった。


「さっき、赤崎って呼ばれたよな、合ってるか?」


それでも話をするのは野生の本能のような、本来人間は格段に衰えているはずの生存本能のようなものが拒否して、玲弥は彼から目を逸らした。

転入生の発した言葉の多くは玲弥の耳には届いていない。


――だけど、とも玲弥は思う。

だけど、こんなに嫌いなら何故あの時声をあげてしまったんだろう、と。


先刻、教諭の目が迷うように玲弥の隣の席へ向けられた。

勿論、そこが転入生の席になるはずなのだ。

だが、教諭はそれを厭うような素振りを見せた。


それも解らないではない。

玲弥は自分でも把握する通りこのクラスの委員長でまとめ役で、男女ともに信頼が厚い。

誰からも嫌われている転入生をその隣の席に座らせると、何かしら問題が起きてもおかしくはない。

だから、何も言わずにおけば他のところに席を移すだろうと予想もついた。

その方が好都合だとも思った。

玲弥は転入生が嫌いなのだから。


だというのに、玲弥は気付けば転入生を庇うように声をあげていた。

我ながら意味が解らない。


玲弥が自身の筋の通らない行動に考え込んでいる様子に、圭吾は小さく笑った。

この隣人に話しかける度、教室中から降り注ぐ冷たい視線が強くなっているように感じたからだ。

成る程、この男子生徒はクラスの人間によほど好かれているようだ。


何にせよ何か考え込んでいるようだし、話しかけても仕方ないと判断して、圭吾は前の席に座るスポーツ刈りの男子生徒の肩をぽん、と叩いた。


「なぁなぁ、名前おしえ、」

「ッ触るなっ」

「おわっと、……はは、ごめんごめんっ」


ばちん、と景気の良い音が響いて、圭吾は弾かれた手をひらひらと振った。

それが赤くなっているのには気付いたが、特に感慨もなく笑えたのは、彼が人に傷付けられることに慣れてしまったからでもある。


けらけらと軽薄に笑う彼にぎょっとしたのは隣に座っていて、圭吾の手を直視した玲弥である。

スポーツ刈りの生徒――草津はこのラグビー部所属のエースである。

だから力も強いし、男子にしては白い転入生の手に赤い色はよく目立った。

それが妙に気になって、玲弥は苛々と頭を掻きながら立ち上がった。


「……?」

「……ついて来い、六堂」

「え、お? あ、ちょちょ、ついて来いってどこに?」


圭吾の問いには答えず玲弥は意味の解らない感情に眉間に皺を寄せた。

何か得体の知れない物に心の中を引っ掻き回されているようだった。

世話を焼くのはこの一度きりだ。

玲弥は心中で呟いた。


俺がこんなことしなくてもきっと誰かが世話を焼く――玲弥は一瞬思考を止めた。


誰かって、誰が?


追いついた圭吾は玲弥の横には並ばず、斜め後ろで困ったように耳の後ろを掻いた。

玲弥は口を引き結んだまま足を速める。


誰も気にかけないだろうと玲弥には簡単に予想できた。

草津だって穏やかで優しい奴で通ってるのにあの反応だ。

どうしてなのかは解らないが、圭吾は皆に妙な嫌悪感を抱かせるらしい。


嫌な気分だ、と玲弥は思う。何かにそうさせられているような不安感がじわじわと押し寄せていた。

玲弥は騒がしい人間は嫌いだが、明るい人間は嫌いじゃない。

なのに、何で俺はこいつが嫌いなんだ?

目を細めると頭の奥がずきんと痛んだ。

考えるなと、いう事か?

玲弥は疼くような痛みに眉を顰めながら、保健室の前で足を止めた。


「……失礼します」

「? え、ここ?」


きょとんと圭吾が目を瞬くのを横目に玲弥は保健室の扉を開けた。


一応礼儀として声はかけたが、玲弥は保険医がここにいるとは欠片も思っていなかった。

何故なら先日着任した保険医は顔は良い上、不真面目の塊で、教師や女生徒を口説いているのが日常茶飯事なのだ。

それはこの高校の人間なら周知の事実で、散々諌めていた教頭も最近では諦めたと聞いている。


そして案の定、保健室はもぬけの殻だった。

玲弥はキャビネットに近づくと手慣れた様子で湿布を取り出した。


「お、お邪魔しまーす……あれ? 先生いないのか?」


後ろから聞こえる圭吾の当然の疑問を黙殺して、玲弥は手、と短く呟いた。

所在なさげに保健室を見まわしていた圭吾はその声に首を傾げた。


「て?」

「……手を出せ」


圭吾は少し戸惑いながらも左の掌を差し出した。


「違う。右手だ」


苛々と体を揺する玲弥に圭吾は恐る恐ると右手を見せた。

見当違いに掌を上にした腕をくるりとひっくり返して、手の甲を見た玲弥は自分の眉が寄るのを感じた。


圭吾の手の甲は内出血を起こしているのか赤黒く変色していた。

よほど強く弾かれたのか、ふと触れた手の甲はじわりと不自然な熱を持っていた。

痛むのか、時々指先は震えるものの、ちらりと見た当事者の顔は決して痛みを訴えるものではなかった。


ただ手の甲を一瞥して、利き手は辛いな、と言うだけの彼に、玲弥は思わず腹が立った。

手にしていた湿布を手荒に張り付けると流石に圭吾もびくりと体を跳ねさせた。


「ば、ば、ばちんて、ちょ、い、いてぇ……!」


右手を庇うように抱え込んで、圭吾は呻くように声をあげた。

痛覚がない訳ではないらしいと確認して、玲弥はさっさと保健室から出ようと圭吾に背を向けた。

彼のそっけないその様子に、圭吾は痛みに耐えながら声をあげた。

湿布を叩きつけられたのには納得いかないが、気にかけてくれたのは確かなのだから、と。


「し、湿布ありがとな……」

「……別に」


ぶっきらぼうな答えに、圭吾は少し訝しげに頭を掻いて唸るように意味のない声を漏らす。

玲弥はまだ何かあるのかと扉を開けたところで止まると蹲って自身を見上げる圭吾に視線をやった。


「なぁ、赤崎」

「…………」

「あのさ、これだけの為だったのか?」


迷うように視線を彷徨わせて、圭吾は言う。

玲弥は彼の言葉の意味を掴みかねて続きを促すように圭吾を見るだけだった。


「殴るとか、暴言とか、……あと、何かそういうのじゃなかったのか?」


何か言おうとして開いた口を、玲弥は意味もなく閉ざすしかなかった。

六堂はそれを当たり前だと思っている、そう肌で感じてぞわりと背筋が寒くなるのが解った。

何がこいつをそうさせている?


「あー、いや。うん……そっか。……まぁ、何でも良いや」


圭吾は自己完結して曖昧ながらそう笑った。

ひらりと右手を振って言う彼に、妙な焦燥と嫌悪を覚えて、玲弥は保健室から逃げ出した。

サンキュな、と追ってくる声がなんだか怖かった。

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