漆黒に燃える二羽の飛燕(8)
「ここか?」
ヴィガは屋敷最上階でそれっぽい部屋を見つけては扉を蹴破り、部屋の確認をしていった。
部屋の隅で震えて固まる人達にも出会ったが、無抵抗な者はそのままにした。
そしてヴィガは、その都度「屋敷の主人の部屋は?」と冷たく尖った口調で質問した。
広大な屋敷内を巡り巡って漸く見つけたこの家の主人は巨大なベッドの中。裸で若い人間女性三名の影に隠れて震えていた。その主人の姿も裸体。体は醜く肥え太り、初老で肉がたるんでいる。
「お前達も戦え!ワシを守れ!」
ウィルナにも聞こえたその声・姿に虫唾が走る。
ウィルナが幼少期を過ごした村で敵の脅威が迫ったら、必ず皆が率先して武器を手に取って走り出した。皆が皆を守るために戦った。特に男性は女性を守るために命を散らし続けた。
だが目の前の男は都市が壊滅する最中でもこの状態。挙句の果てには女性達を盾にしようとする歪んだ思考。
「皆済まないな。これがこの国の現実だ」
ヴィガはベッドに歩き出して謝罪した。その後ろ姿は深い怒りと悲しみを、その大きな背に色濃く見せた。
「お前には散々世話になった。シュリストもだ」
ウィルナはシュリストの名でヴィガの怒りと悲しみを理解した。その肉親で年齢から多分父親なのだろう事を察した。
つまり地下闘技場の件に絡んでいると見ていい。例えそうでは無くてもその元凶を文字通り生み出した男。
「お前はヴィガか!お前がワシの屋敷の襲撃者だったとは。こんな事してタダで済むと思うな!」
ヴィガを認識した肉の塊は、ブヨブヨした腕を振り回して女性達を跳ねのけて叫んだ。それはヴィガという相手を確認しての強気の行動。彼我の権力差がそうさせた。
対するヴィガは冷静そのもの。幅広の背は微動だにせず、両手に握る双剣の切先から滴り落ちる血雫が石畳の床に紅点を拡大し続けた。
「お前達は下がれ。子供達がいる、汚い裸体は晒さず隠せよ」
ヴィガは朱に染まる双剣を双肩に置いて女性達に毒を吐いた。本来無抵抗且つ無力な女性に暴言を吐くヴィガでは無かった。それほど内包する闇を抑え込んでいたヴィガの激昂は、醜い男を目にした瞬間頂点に達していた。
その横を布で体を隠しながら駆け抜けた女性達。
ウィルナ達は入口を開ける為、屋内の中に歩を進めて女性達を通した。女性達はヴィガに気圧され畏怖恐怖を抱いて怯えた様子。これには流石のウィルナも同情心を抱いた。
「何が目的だ!金か?地位か?復職か?何なら銀麗を再建して騎士団長にしてやるぞ!」
裸体の男はこの期に及んで高圧的な命乞いを始めた。しかしその表情は強い語気とは裏腹で、真冬の冷や汗と青い顔を見せて恐怖に歪みきっていた。
「再建?――そうか、やはり仲間達は。――金じゃない。お前の命と交換で獣人奴隷達を引き取りに来た」
「奴隷だと!そんなもんならくれてやる!」
「紅玉と鍵を出せ」
男は紅玉と鍵の所在を惜しげも無く伝えた。
それらはこの大きな部屋にある豪華な木目調の引き出しの中に保管されていた。そして地下牢の場所をヴィガに伝え、勝手に連れて出て行けとも叫んで伝えた。そして男は余裕の表情を見せるに至り、余裕を見せるほどの財力も示した。
「俺の用事は済んだ。行こうか」
ヴィガはそう言って男に背を向けて部屋の出入り口に歩き出した。それを勝ち誇った表情で眺める男。
「このままで良いんですか?」
ウィルナはヴィガに声をかけた。このままで良いはずが無い。それは無表情なヴィガが発する怒りと、痛烈に感じ取れる殺意から心情を読み取れた事による不安の言葉。
「あぁ。俺はこいつの命を奪わないという約束をしたんでな」
「そうですか。だったら約束してない僕がやっときます」
「――ああ。そうしてくれ」
ヴィガはウィルナの素っ気ない口調の言葉に少しだけ口元を緩めた。
これでこの都市は完全に崩壊する。それはつまり、ヴィガの判断が市民の多くを間接的に殺めたという事。
それほどに重要な軍事及び都市防衛の役職についていた男だった。
都市が壊滅的な被害を受けた中、西のバーキスが近日中に進軍して来る。
残存騎士達は機能性を失い、この都市に住まう多くの人々が混乱の中、死に惑う事になる。だからこそ斬らなかったが、その要職にこのような男がついていた事さえ理解しがたい。
だが顔は晒した。生存者も残した。これがウィルナと始めたこの国への反撃の最初の一撃となる。
「待て待て!交わした約束はどうした!」
「お前は自分が犯した罪の分だけ地獄で後悔しろ」
ヴィガのその言葉が引き金となって飛翔したウィルナの魔槍。それはいとも簡単に男の口を閉ざした。
「あ、苦しませた方が良かったですか?もう終わりました」
ウィルナは失敗した!という意思を前面に押し出した顔をヴィガに向けた。
ウィルナには大した興味を抱かせない只の肉塊だった。醜悪な姿に乗せる醜悪な声も思考も全てに嫌気がさしていた。
しかしヴィガはどうなんだろ?と始末した後に考えて後悔した。
「十分だ。俺はお前ほど悪魔じゃないからな」
「そうですか。良かったです」
「さて、ここまで静かなら牢屋の守備はもぬけの殻だろう。先を急ごう」
「そうですね。仲間は何人増えますかね?――楽しみです。ふふっ、子供達の遊び相手が増えると良いな。でも牢内で苦しむ子供達の可哀そうな姿も見たくないですね」
「そうだな。あいつが獣人奴隷達をあっさり渡し過ぎた感じは嫌な印象を受けたが、人数は想像もつかんよ。まあ上級貴族は必ず獣人を抱え込む。それがステータスだと勘違いしているからな」
ウィルナとの会話はヴィガの心に平穏を呼び込んだ。そう感じさせるウィルナの悪魔的な無邪気さ。二人の声は廊下へと続き、その二人の後を獣人達が無言で追いかける。
その中の獣人青年の手には、仲間達を物理的に拘束する紅玉と首輪の鍵が強く握らた。凄惨な日常に耐えて来た事に感じる怒りは、そのまま同族への同情心に変換され不安を掻き立てた。
「それから獣人のお前達に仲間の説得を頼みたい。俺達より話を信用してくれるはずだ。ホントは少女二人に頼む予定だったんだがな」
獣人達はヴィガの話に大きく頷き、仲間を解放できる事に嬉しさを感じて微笑み合った。今までの苦労と恐怖全てが報われた感覚は、体を軽くし歩く速度を速めさせた。
階下へと足を進める一行の視界に生者の姿は入らず、ここまでの激しい戦闘後の朱色に染まる光景だけが自身達の犯した惨劇を実感させる。
「誰も居なくなりましたね」
最後尾で歩くウィルナの素朴な疑問。
館の主人はウィルナにとっては言わば村の長老としての認識。ウィルナ達なら死に物狂いで守り、その仇を討つために奔走する存在。
「この屋敷から逃げたんだろうさ」
ヴィガは落ち着いて答えた。外の世界とは隔絶された環境が生んだウィルナ独自の価値基準。それを理解しているヴィガは、人間の心の弱さを呪いながら苦笑した。
実際この屋敷で戦闘可能不可能問わず動ける全ての者が屋敷から飛び出した。
この広大な屋敷はウィルナ達に強襲され、屋敷が生み出した閉鎖空間という地獄の空間と化した。
外に出ても念入りに破壊された中央区の大火災。そこに広がる地獄絵図。
しかし目の前に迫り来るウィルナ達よりは生きる希望を見出し、生きて動ける者は些細な所持品を抱えて全てが外へと駆け出していた。
一行は豪華な調度品や装飾品などには一切目もくれず、屋敷外へと足早に歩を進めた。
「やられたよ。馬が少ないな」
ヴィガは自身の作戦立案に落ち度を見出し、逃走者が乗り去って減った数頭の馬を確認して黄昏た。残りの馬は総数六頭。苦労して歩いて連れて来た半数の馬がいなくなっている事に落胆が隠せない。
「大丈夫です!僕の真っ白はまだいるから」
ヴィガの声に反応したウィルナの天真爛漫で率直な言葉は、ヴィガの落胆した気分を再浮上させた。
「そうだな。馬がいなければ俺が馬車を引こう」
ヴィガの苦笑は現実を受け入れ、冗談を言えるほどまで心の負担から解放された証となった。
「向こうに見える建物が牢屋でしょうか?」
ウィルナが歩く方向で示した石材建築。それは屋敷から多少離れた一角に設けられた数件連なる建築物。
「多分そうだ。馬屋に倉庫に牢屋と並ぶ。この際だ。全部見て回るか」
「そうですね!白い子またいないかな」
「お前は黒派じゃないのか?」
「え?」
「ん?白馬もいれば黒馬もいるぞ」
「おおー!ん――。んん――。それは途方も無く迷いますね!」
一行はウィルナとヴィガの無駄話で時間の経過を感じつつ、迷う事無くに牢屋の扉前に到着。ウィルナはヴィガの指示で扉を破壊。
ヴィガは扉を蹴破り新たな出会いに心躍らせるウィルナの横を通過して、牢屋として使用されている屋内の状況確認を一通り済ませた。
「内部に敵の気配は無い。俺達は隣の馬屋にいる。牢屋の鍵も探せば見つかるはずだ。何かあれば呼んでくれ」
ヴィガの安心した声には不安も重なる。
獣人達に仲間の説得を頼んだが、拘束された仲間達の姿と状況次第では人間に対する敵愾心を強くする。
しかしそれを植え付けた人間種であるヴィガ達が、囚われの獣人達に姿を見せても本末転倒。板挟みに感じる無力感は、奴隷として生きる事を強いられた獣人達に感じるヴィガの罪悪感を強くした。
「ヴィガさん早く馬!行きましょう!黒にしました!」
ヴィガのその思いは、耳にした陽気すぎるウィルナの声が瞬時に打ち砕いた。
「まったくお前の思考はどうなってるんだか。馬がまだいるかも分からんぞ」
ヴィガの苦心はウィルナに伝わらない。だがそれで良いと感じさせる陽気さ。力が及ばないのら考えるだけ無駄。出来る事に思考を優先し、獣人達にもこの笑顔を伝播させると心に決めた。
そして幸運がヴィガとウィルナに差し込んだ。
「いましたよ!黒!しかも大きいですよ!」
ウィルナが見上げた黒馬は暗闇に存在感を色濃く示す漆黒。その毛並みもさる事ながら、その巨大な体は引き締まる。
「まだ若いな。この手の馬は軍馬と言って、その価値も極端に高い」
ヴィガは目を輝かせているウィルナに声をかけて馬の鼻筋を撫でて見惚れた。そうさせるまでの優雅さと逞しさを感じさせる。
「肌艶も良い。それに落ち着いた様子から性格の良さを感じる。こいつは貴重な名馬だな」
「軍馬ですか。馬が一緒に戦ってくれるのですか?」
「はは、違うさ。馬に乗って戦場を駆け巡るんだ」
「おぉー!カッコいい!僕もそれしたいです!」
「あぁ、俺に任せろ。お前ならこの馬ともすぐに仲良くなれるだろう」
ヴィガが苦笑して見つめたウィルナは、悪魔的な笑顔とそこに秘めた性格破綻者的な思考回路の持ち主。だが魔獣の命さえ尊ぶ稀有な存在。その意識から明言した言葉は間違いないと感じさせた。
そして馬達を眺める二人は入室した複数人の足音を耳にした。それに驚きは隠さない。
「あの、連れて来ました」
満足さを多少声音に乗せた少女のオドオドした声。
ウィルナ達は驚いて満面の笑みを浮かべた。
地下牢の獣人達は少数だと勝手に個人介錯していた。
だがしかし見せた姿は格段に多いい。その総数は現在十八名となり、新たに加入した獣人十一人は全てが女性。年齢は少女から成人女性まで様々だが皆が若い。そして身なりは普通で肌艶や血色も普通に良い事に喜んだ。
それは主人の性奴隷として扱われてきた獣人女性達の悲痛な姿。
しかしそれを知る由も無い二人は、健康そうな獣人達を目にして素直に喜んだ。
「初めまして僕は悪魔です。僕と契約してください!」
陽気な感情を満面の笑みに宿し、その感情に歯止めはかからず獣人達に軽快に駆け寄るウィルナ。
「お前は少し落ち着け。俺達が人間種である事を忘れるな」
ヴィガの静止で動きを緩めたウィルナ。子供っぽさが空回りする感は甲乙つけがたい皮肉の言葉を生み出した。
ウィルナの陽気さが心を和ませる。しかしヴィガ自身も人間種。獣人女性達には敵として映っているだろう事に感じる憤り。
それから二人は首輪を外して獣人達と距離を保った。自己紹介すらしていない。嫌いな存在に纏わり付かれる嫌気は誰でも容易に想像できた。
しかしそれは馬車と物資を回収しに、マークドフェンリル商会へと歩いた過程でもたらされた充実感と達成感が軽減してくれた。
馬の手綱を引いて集団の先頭を歩くウィルナとヴィガ。それぞれが黒馬と白馬を引いて崩壊炎上した暗闇の中央区大通りを無言で進む。
その背後にまとまってついて来る獣人達十八人も、馬の手綱を引いて歩く。その集団の足取りは軽く、偶に聞こえる獣人達の話し声や笑い声が心と体を軽くした。
「ここを曲がれば商会だ。夜が明けて辺りが明るくなれば人で溢れかえる。夜明けまで後一時間も無いが、物資を回収して子供達の所まで十分帰れる」
「そうですね。獣人さん達に服渡して、姿を隠してもらわないと人間達に襲われるんですよね」
「そういう事だ。到着次第準備を済ませるぞ」
ヴィガが急ぐ意思を素直に表現して強調した言葉。それを理解したウィルナは馬をヴィガに預けて駆け出した。
「僕が先に行ってドアを開けて来ます!皆の事お願いしますっ!」
ウィルナは返事を待たず、その声だけを残して通りの角に姿を消した。ヴィガはウィルナからいつもながらに感じる子供らしさに苦笑した。
「まったくあいつは体力も化け物並みだな」
「この先に仲間がいるのか?」
ヴィガの苦言には背後を歩く獣人男性の緊張した声が返された。目的地も行動予定も何も話してない。
「いや、確保した馬車を取りに行く。この都市を出るんでな」
「そうか。何かあれば俺に言え。出来る事は手伝う」
獣人男性は加勢を申し出た言葉に警戒心を滲ませた。囚われの長い年月がそう簡単に人間を信用するなと囁く意識を生じさせた。
ヴィガはその言葉に「あぁ」と返し、笑顔だけを残して商会の閉ざした木造扉に手をつけた。
「どうやら無事なようだ。内部から振動が無いな。ウィルナはまだ上か」
「その中に馬車があるのか?」
「そうだ。今、悪魔が扉を開けに行った。この扉は山のように積み重ねた棚で塞いだんだ」
「そういうことか。皆!ここを開けたい!協力してくれ!」
ヴィガと言葉を交わした獣人男性は仲間達に振り向き声を上げた。その声は燃え盛る周囲の業火に消される事無く夜明け前の闇夜に響き渡った。




